土曜日の夜だった。
窓の外では蝉の声も静まり返り部屋には扇風機の回る音だけが響いている。
机の上には夏休みの課題が広げられ、数学の問題集とノートを何度も見比べながら、俺はシャープペンを走らせていた。
暑さで集中力は長く続かない。
それでも少しでも終わらせておこうと思い黙々と問題を解いていたその時だった。
スマートフォンが小さく震えた。
画面を見ると早苗からだった。
『明日も来てくださいますか?』
思わず笑みがこぼれる。
夏休みに入ってから毎日のように守矢神社へ行っているがそれでもこうして改めて誘われると嬉しいものだ。
『もちろんいくよ』
そう返すとすぐに返事が届いた。
『日曜日ですね。早く来てほしいんです。朝の七時程からなんですがいいでしょうか。日曜日だけ……!明日だけでもいいので……!』
朝7時。
思わず時計を見る。
「早くないか……?」
声に出して呟いてしまう。
夏休みなのに朝七時集合とはなかなか早い。それでも断る理由はどこにもなかった。
『わかった。七時に行くから』
送信するとすぐに既読が付いてまた返事が返ってきた。
『ありがとうございます。お待ちしています!朝ごはんはこちらで食べるということでどうでしょうか』
『何からなにまでありがとう。いただくよ』
『お待ちしています』
そこでやり取りは終わった。
スマートフォンを机に置き俺は小さく息を吐く。
朝ごはんまで用意してくれるとなると早苗は一体何時に起きるんだろう。
神奈子や諏訪子の分も作るだろうし、きっと俺が思っているよりずっと早起きしているはずだ。
「無理してなきゃいいけどな……」
そう呟きながら俺は再び夏休みの課題へと向かった。
翌朝。
目覚まし時計が鳴るより少し早く目が覚めた。
顔を洗い、制服ではない涼しい私服へ着替え水筒を持って支度を終える。
玄関へ向かうとちょうど母が台所から顔を出した。
「おはよう。早いわね」
「うん、おはよう」
靴を履きながら返事をするとそのまま俺は言った。
「行ってきます」
すると母さんが少し困ったように笑った。
「護いつも東風谷さんのところで食べてきているんでしょ?さすがにこちらも申し訳なくってね」
その言葉に夏休みが始まった日のことを思い出した。
『毎日来てください。ご飯も作りますから』
あの日、早苗は少し照れながらそう言ってくれた。
でもそれをそのまま母さんへ話すのは何か違う気がした。
早苗がそう言ったから。
その一言だけで済ませるのは何となく嫌だった。
何と答えようか迷っていると母さんが奥へ引っ込みしばらくして両手で大きな物を抱えて戻ってきた。
「これ持っていって」
差し出されたのはずっしりとした大きなスイカだった。
「マジかよ……?でかいな……」
思わず本音が漏れる。
片腕で抱えるにはなかなかの重さだ。
母さんは笑いながら言った。
「東風谷さんによろしくね」
「うん、わかった」
俺はスイカを抱え直し小さく頷く。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
玄関を開けたその瞬間、居間の方から父が起きてきたらしい気配がした。
何か小さく呟く声が聞こえ、それに対して母は「はいはい」と宥めるように返事をしている。
一瞬だけその様子が見えたが俺は深く考えず家を後にした。
朝七時前とはいえ、もう空気は熱い。
夏の日差しは遠慮というものを知らず歩いているだけで汗が滲んでくる。
「朝からこれか……」
スイカを抱えて歩くにはなかなか大変だった。
それでも守矢神社へ続く石段が見えてくると不思議と足取りは軽くなる。
鳥居をくぐった瞬間。
「いらっしゃい祓い屋!」
元気いっぱいの声が飛んできた。
諏訪子だ。
「おりょ?それスイカじゃん。大きい〜!」
「差し入れだ」
「いいねいいね!早苗も神奈子もこれは喜ぶよ〜!」
「それはよかった。神奈子は?」
「中にいるよ。さすがに暑いんだってさー。今日何度なの??」
「40度だとさ」
「ひえーー」
諏訪子は本気で驚いた顔をした。
「神様でも暑いものは暑いんだな」
「当たり前じゃん」
笑いながら二人で社務所へ向かう。
「おじゃまします」
障子を開けると居間では神奈子が涼しい風を浴びながらくつろいでいた。
エアコンが遠慮なく動いている。
「いらっしゃい、高校生」
なんかどこかぐったりした声だった。
「暑そうだな」
「今日はさすがにねぇ……」
そこへ諏訪子が勢いよくスイカを持ち上げる。
「見て見て神奈子!祓い屋から差し入れだって!」
「おおっ!」
神奈子の表情が一気に明るくなった。
「これは立派だねぇ!」
二柱が楽しそうに騒いでいるとその声を聞きつけて台所から早苗が姿を現した。
「護くん、いらっしゃいませ。朝からすみません」
そう言って微笑んだあとスイカを見るなり目を丸くした。
「わぁ……!」
「差し入れだ。いつも来る度にご飯作ってくれてるからな。ありがとう」
「こちらこそ……!ありがとうございます。立派なスイカですね……。包丁……いえ出刃包丁で切る……?あったかなぁ……」
途中から完全に独り言になっている。
何やら真剣に考え込み始めたかと思うと、ふっと顔を上げた。
「すみません護くん。もう少し待っててください。朝ごはんがあと少しで出来ますから」
「了解」
俺は再び居間へ戻った。
その時、諏訪子がぽつりと呟く。
「早苗、ちょっと風邪かなー?」
「風邪……?早苗が?」
「実は今日、私が先に早起きしたんだよ。でも早苗寝ててさ〜。日曜日だから起こしたんだ」
「その後は?」
「それからは何も変わらずいつもの早苗さ」
神奈子がそう続ける。
夏バテか?。
疲れが溜まっているだけなのか…。
昨日も朝早くから色々やっていたしその可能性もある。
そんなことを考えているうちに俺は自然と立ち上がっていた。
「ちょっと見てくるよ」
俺がそう言うと神奈子と諏訪子はどこか嬉しそうに目を合わせていた。
台所へ向かうと音で気付いたのだろう。
「護くん……?どうしました?」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけだった。
早苗の表情が少しだけ元気がないように見えた。
「手伝うよ」
そう声を掛ける。
「あ、いえ、大丈夫です。ご飯出来ましたから。その……スイカをどれで切ろうかと考えてて……」
「ああ、そういうことか」
俺は笑う。
「とりあえず食事運ぼう。ここまで来て居間へ戻るのももったいない」
早苗は少し考えたあと小さく頷いた。
「ありがとうございます。ではお願いします」
二人で料理を運び始める。
湯気の立つ信州味噌の味噌汁。
焼き色の綺麗な玉子焼き。
炊きたての白ご飯。
鮭コロッケ。
そして野沢菜漬け。
どれも朝とは思えないほど美味しそうだった。
四人が席へ着く。
「「「「いただきます!」」」」
みんなが手を合わせる。
その直後。
慣れた手つきで早苗はテレビの電源を入れた。
画面にはちょうど戦隊ヒーローが映し出される。
「早苗はね、高校生と一緒に見たかったらしい」
神奈子がご飯を飲み込み言った。
「す、すみません護くん」
なるほど。
だから朝七時だったのか。
「いいよ。そうか…今はこういうレンジャーがやってるんだな」
早苗から何度か聞いていた戦隊者。
俺もテレビ画面を見る。
早苗は真剣そのものだった。
食事をしながらも目は画面に釘付けになっている。
その横顔を見ているとさっき感じた体調の悪そうな雰囲気はもう感じられなかった。
怪物が巨大化し五人のレンジャーが巨大ロボを呼び出す。
「来ました!」
早苗が嬉しそうに声を上げる。
神奈子も諏訪子も負けないくらい盛り上がっている。
すごいな、この家族。
思わずそんなことを考えてしまう。
戦隊が終わるとそのまま今度はライダーが始まる。
三人とも食い入るように見ているので、俺まで思わず見入ってしまった。
普段もこうして三人で見ているんだろうか。
それと同時に思う。
普通の人から見たら早苗は一人でテレビを見て笑っているようにしか見えないのだろう。
そう考えると少しだけ胸が締め付けられた。
ライダーも終わり朝食も食べ終える。
「ありがとう早苗。美味しかったよ」
「ありがとうございます。
戦隊者、一緒に見たかったんです」
照れながら笑う早苗は本当に嬉しそうだった。
「片付け手伝うよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
いつものように断られるが神奈子が口を開いた。
「早苗。せっかくなんだ。手伝ってもらいな」
早苗は少しだけ迷ったあと柔らかく笑った。
「では……すみません。ご一緒にお願いします」
俺たちは食器を重ねて台所へ運び、一緒に洗い物を始める。
水道の水は冷たくて気持ちがいい。
皿を洗いながら早苗が言った。
「今日はこの後、神社の周りを掃除しようかと思っているんです」
「そうか」
俺はスポンジを動かしながら笑う。
「俺もやるよ」
「ありがとうございます」
朝の日差しはますます強くなっていた。
それでも今日もまたこの神社で一日が始まろうとしていた。