夢のことばかり考えてしまう。
夢だと思って放っておけるものではない。
あれは早苗が見た悪夢というより、何者かが早苗へ送り続けている"何か"だと俺は考えていた。
「早苗」
「はい?」
「その夢、いつから見てる?」
早苗は少し考えるように視線を落としたあと小さく答えた。
「八月に入ってから……ですね」
八月に入ってから。
俺は頭の中でこの数日を思い返していく。
「八月に入ってから何をしてた?」
「護くん、なんだか事情聴取みたいですね」
くすっと笑う早苗。
なぜか少し嬉しそうだった。
「情報は大事だぞ」
そう言うと早苗は「そうですね」と素直に頷いた。
「護くんずっと一緒だったので知ってると思いますが神社のお掃除をしたり図書委員で学校へ行ったり夜は夏休みの宿題をしたりしています」
「あぁ……そうだよな」
全部知っている。
知っているはずなのに何一つ引っ掛からない。
俺は少しだけ言いづらそうに口を開いた。
「えっと、ごめん。多分聞いていいのか分からないけど自由研究は?」
「実はまだ決めてません」
「そうか」
俺は腕を組んだ。
神社。
学校。
宿題。
自由研究はまだ。
どれも普段通りだ。
俺は天井を見上げた。
くそ。
分からない。
いや、違う。
分かっているだろう。
これは経験不足なんだ。
俺がもっと祓い屋として経験を積んでいれば祖父のように数え切れないほど妖と向き合っていれば。
この夢の意味も何か分かったのかもしれない。
俺はまだ大人じゃないんだ。
それを嫌というほど思い知らされる。
そんな俺の表情を早苗はじっと見ていた。
「少し休みましょうか」
そう言って立ち上がると台所へ向かい、お茶を淹れてくれた。
湯気の立つ湯呑みを受け取り一口飲む。
「……美味しいな」
自然と言葉が漏れた。
「ありがとうございます」
早苗は柔らかく笑う。
その時だった。
縁側から諏訪子の声が聞こえた。
「曇ってきた。雨降るかな?」
外を見ると空はさっきまでの青空が嘘みたいに灰色へ変わっていた。
「夕立かもしれませんね」
神奈子も空を見上げている。
雨が降るか…来る時は晴れていたから傘を持って来ていなかった。
そんな時、俺は傘で思い当たる人物がいた。
雨。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で一人の顔が浮かんだ。
「あ」
思わず声が出る。
まだいるだろうか。
「なぁ早苗」
「はい?」
「早苗が見た夢……いや妖怪。少し聞いてほしいやつがいる。早苗も知ってるやつだ」
「私も知ってるですか?」
「あぁ。知ってる」
「???」
それから間もなく空から大粒の雨が降り始めた。
俺は借りた傘を差した。
すると隣で早苗も傘を開いたのだが。
「あれ?」
次の瞬間には自分の傘を閉じて俺の傘の中へ入ってきた。
なんで?
「え?」
「一緒のほうが歩きやすいですから」
「いや……傘二本あるけど」
「そうですね」
そう言いながら全く出る気配がない。
俺も今さら追い出す理由もなく、そのまま二人で歩き出した。
肩が時々ぶつかる。
近い。
でも早苗は全く気にしていないようだった。
商店街へ着く頃には雨足は少し強くなっていた。
俺達は末広商店街の金物屋の引き戸を開ける。
「ごめんくださーい!」
奥から声が返ってきた。
「いらっしゃ……!」
姿を見せた小傘は俺達を見るなり目を丸くした。
「…………」
数秒止まる。
「あのさ二人ってさ、お前ら付き合ってるだろって学校で言われない?」
「言われないな」
「言われませんね」
息ぴったりだった。
「やっぱ息合ってるじゃん!」
小傘は思い切り突っ込んできた。
「まぁいいや。それで今日は買い物じゃないよね?」
「あぁ、実は」
俺は早苗が見続けている悪夢のこと。
夢の内容を全て話した。
話を聞き終えた小傘は腕を組みながら小さく頷く。
「早苗ちゃんやっぱりすごいんだねぇ」
「?」
「まず私が思うのは早苗ちゃんは巫女。現人神。霊力もすごく大きい。言っちゃなんだけど祓い屋の君よりずっと大きい」
「その通りだな」
「そうですね……」
「そこ認めるんだね……」
小傘は苦笑した。
「まぁつまりね。霊力の高い人間って妖怪から見たら食糧にもなる。狙われることは珍しくないよ」
やっぱり。
どこかでそう思っていた。
分かってはいたがやはりそうなのだなと感じた。
「続けてくれ、小傘」
「名前呼んだ!」
「いいから早く」
「あ、はい」
咳払いを一つして続ける。
「神社はまず考えにくい。あのおっかない二柱がいるし…」
神奈子と諏訪子の顔が浮かぶ。
確かに神社で妖が好き勝手できるとは思えない。
「だとしたら」
「学校……ですか?」
「かもしれないってだけ。でも祓い屋〜。ちゃんと早苗ちゃんのこと見てた?」
その一言に胸が刺さる。
「見てた……はずだ」
「しっかりしてよ。早苗ちゃんがいた場所、もう一回全部見直したほうがいいと思う」
「…無くした物を探す時、自分が歩いた道をもう一回歩くみたいな感じか?」
「そうそう!そんな感じ!」
なるほど。
今の俺に足りないのは思い込みを捨てることかもしれない。
「じゃあ俺達は学校へ行くよ」
「そうですね。小傘さんありがとうございました」
そうして俺達が金物屋から出て外に出た時、小傘も外に出てきた。
「どうした?」
「祓い屋これあげるよ」
そう言って俺へ小さな壺を差し出す。
手のひらに乗るくらいの小さな壺だった。
「なんだこれ?壺?」
「魔封時の壺」
実物を見るのは初めてだった。
「うまくいけば妖を封じられるかもしれない。あとは応援くらいしかできないけど頑張って。」
「ありがとう、小傘」
「ありがとうございます、小傘さん」
壺を鞄へしまい俺達は学校へ向かった。
夏休みの校舎は静かだった。
雨音だけが窓を叩いている。
「普段の私達の動き……ですか」
校舎に着くと早苗が静かに呟いた。
俺は小傘の言葉を思い返していた。
しっかり見てた?
見ていたように思えたがそうじゃなかったらしいと改める。
「思えば早苗が図書委員やってる時は別行動だったな」
「そうですね。それなら今日は一緒に行きましょうか」
俺達は図書室へ入る。
先生がこちらへ歩いてきた。
「東風谷さん?どうしたの?」
「少し用事がありまして」
「書本くんも?」
「はい。ちょっと大事な用事が」
先生は不思議そうにしながらも頷いた。
俺達は空いた席へ座る。
「普段は先生に頼まれた本の整理や貸し借りの受付をしているんです」
早苗がカウンターにいる図書委員の女子へ小さく手を振る。
向こうも頷くように手を小さく振って俺と早苗を見て笑ったように見えた。
マジか…!みたいな感じの顔に見えたのは気の所為だと思う。
「早苗は整理と受付どっちが多い?」
「両方ともやりますよ」
「両方か」
俺は図書室を見渡した。
するとホワイトボードに目が止まる。
八月。
終戦記念日特集。
戦争に関する本や資料をまとめました。
その文字を見た瞬間。
俺の中で何かが繋がった。
「そういえば八月だから戦争関係の本をまとめてたんですけど……もしかして……?」
「かもしれないな」
古い日本家屋と夜と夏と戦争。
全部繋がる気がした。
「早苗。その本どこだ?」
「こっちです……!」
俺達はすぐ資料棚へ向かう。
夢の光景は俺も鮮明に覚えている。
本そのものが妖怪になるなんて聞いたことはない。
でも何かが取り憑くことなら十分あり得る。
俺達は戦争関係の本や古い資料を一冊一冊確認していく。
だが時間だけが過ぎる。
何もない。
「護くん」
「ん?」
「なんだか私より護くんのほうが必死ですね」
「そうかもしれないな」
「ありがとうございます」
「…まだ何も見つかってないぞ」
「でも」
早苗は俺を真っ直ぐ見た。
「きっと護くんなら見つけます。…見つけてくれます。信じてますから」
その言葉に俺は少しだけ言葉を失った。
嬉しかった。
だからこそ期待を裏切りたくない。
俺は深呼吸する。
焦るな。
考えろ。
祖父ならどうした。
俺は鞄からヒトガタを一枚取り出した。
一冊の本の上へ静かに置き霊力を流し込む。
「なるべく見えないようにしてくれ」
「あ、はい……!」
早苗は周囲を気にして先生達から見えないよう自然に立ってくれる。
すると紙人形がゆっくりと立ち上がった。
「立ちましたよ……!」
早苗が小さく息を呑む。
紙人形は床へ降りると図書室の中を滑るように歩き始めた。
本棚の間を縫って何冊もの本の前を通り過ぎるとやがて一冊の古びた本の前で止まる。
その瞬間だった。
真っ白だった紙人形が墨汁へ沈めたように一瞬で真っ黒へ染まった。
俺は静かにその本へ手を伸ばす。
「見つけた。お前だな」
本を持ち上げる。
なぜだがとても冷たい本だった。
嫌な気配が手のひらへ伝わる。
撃たれたことはないが弾丸が腹を貫いたような痛みが身体に響いた。
でもこの感覚が証拠だ。
「早苗。この本、借りていくぞ」
「はい」
ようやく悪夢へ続く一本の糸を俺達は掴んだ