学校には怪談が多い。
階段の怪談。
音楽室のピアノ。
トイレの花子さん。
そしてもう一つ。
理科室の骨格標本。
昼休み。
理科室は日当たりがいい。
ガラス棚の中には試験管、薬品、ビーカー。
その端に立っている。
骨格標本。
本物じゃない。
プラスチックの模型。
紐で吊られている。
風が入ると、わずかに揺れる。
カタ…カタ…
俺はそれを見ていた。
早苗が隣にやってきて言う。
「気になりますか?」
「いや」
俺は目を逸らす。
「別に」
早苗は笑う。
「護くん、怪談好きですよね」
「好きじゃない」
「でも調べますよね」
俺は肩をすくめた。
「お前が持ってくるからだ」
早苗は少し考えてから言った。
「じゃあ今日の怪談です」
俺は嫌な予感がした。
「……なんだ」
早苗は骨格標本を見る。
「夜になると歩きます」
「却下」
早苗は笑う。
「まだ聞いてください」
近くの机に座る。
理科準備室の扉は閉まっている。
クラスの誰かが言った。
「それ知ってる」
別の生徒も言う。
「夜の見回りの先生が見たって」
「骨格が廊下歩いてた」
俺は言った。
「ありきたりだな」
早苗は首を振る。
「でも」
骨格標本を見る。
「この学校、古いですよね」
確かにそうだ。
校舎は昭和の建物だ。
「昔は」
早苗が言う。
「ここ、医学校だったらしいです」
俺は眉を上げた。
「本当か?」
「先生が言ってました」
早苗は骨格標本を見上げる。
「だから医学の教材も多いんです」
その時。
骨格標本が小さく揺れた。
カタ…
風だろう。
窓が少し開いている。
でも。
早苗が小さく言った。
「……います」
俺はため息をつく。
「昼だぞ」
「でも」
早苗は真面目な顔だった。
「たぶんこの人」
骨格を指す。
「ここから出られないんです」
俺は言った。
「人?」
早苗は頷く。
「はい」
「この骨じゃなくて?」
「ここにいる人です」
理科室の空気が少し重くなる。
俺はポケットを触った。
ヒトガタ。
最近、持ち歩くのが癖になった。
放課後。
校舎は静かだ。
廊下の蛍光灯が半分消えている。
俺と早苗は理科室の前に立っていた。
「本当に来るのか」
俺が言う。
早苗は頷いた。
「確認です」
「確認とな…」
「怪談かどうか」
扉を開ける。
理科室は暗い。
夕焼けが窓から入る。
骨格標本が立っている。
昼と同じ場所。
でも。なにか違う。
早苗が言った。
「空気、重いです」
俺はヒトガタを出す。
指で挟む。
「いるな」
理科室の奥。
黒板の前。
何かが立っていた。
人の形。
白い。
ぼんやり。
学生服のような影。
早苗が小さく言う。
「……医学生」
影は骨格標本を見ている。
ずっと。
動かない。
俺は言った。
「何してるんだ」
早苗は答える。
「勉強」
俺は思わず笑った。
「幽霊が?」
早苗は真剣だった。
「この人、医学の勉強をしてた人です」
影が少し動く。
骨格に手を伸ばす。
触れない。
すり抜ける。
その瞬間。
骨格標本が揺れた。
カタカタカタ…
吊り紐がきしむ。
俺はヒトガタを投げる。
紙が空中で広がる。
影の前で止まる。
「……悪いけど」
俺が言う。
「学校は閉店だ」
影は消えない。
むしろ少し悲しそうだった。
早苗が前に出る。
「待ってください」
影の前に立つ。
「あなたここで亡くなりましたか」
影が少し揺れる。
早苗は続ける。
「勉強、終わってませんよね」
理科室の空気が静かになる。
早苗が黒板を見る。
チョークを取る。
黒板に骨を書き始めた。
肩甲骨。
肋骨。
腕。
骨格の構造。
俺は思わず言った。
「おい」
早苗は止まらない。
「私理科、好きなんです」
少し笑う。
「たぶんこの人も」
黒板に骨格が完成した。
影がそれを見る。
しばらく。
本当にしばらく。
動かない。
そして。
影が小さく頭を下げた。
次の瞬間。
ふっと消えた。
理科室の空気が軽くなる。
骨格標本も止まった。
静かだ。
俺はヒトガタを拾う。
「……成仏か」
早苗は頷く。
「たぶん」
窓の外は夕焼けだ。
赤い光が理科室に入る。
早苗が言った。
「護くん」
俺は振り向く。
「なんだ」
早苗は黒板を見る。
骨格の絵。
「理科って面白いですよね」
俺は笑った。
「幽霊よりはな」
早苗も笑う。
理科室は静かだった。
でもその日からこの学校の怪談は一つ減った