八月三十一日。
夏休み最後の日というものは不思議なもので昨日までと同じように朝から蝉が鳴いていて空を見上げればまだまだ夏としか言いようのない青空が広がっているというのに今日が終われば夏休みも終わると思うだけでどこか景色まで違って見える気がする。
もっとも俺の場合、夏休みが終わること自体をそこまで悲しんでいるわけでもない。
学校が始まれば朝起きる時間も早くなるし、授業もあるし宿題だって出る。
面倒なことが増えるのは間違いないが…だからといって夏休みが永遠に続いてほしいかと言われると、それもなんとなく違う気がする。
そんなことを考えながら俺は今日も守矢神社へ向かっていた。
夏休みに入ったばかりの頃なら、こうして朝から神社へ向かうことにも多少は特別な感じがあったはずなのだが今となってはすっかり慣れてしまった。
道も階段も鳥居もその向こうに広がる境内もこの一ヶ月ほどの間に何度見たのかわからない。
階段を上って鳥居をくぐる。
「おはようございます、護くん」
境内を掃いていた早苗がこちらに気づき、箒を持ったまま笑った。
「おはよう、早苗」
「今日も暑いですね」
「八月最後だからって急に涼しくなったりはしないよなぁ」
「そう都合よくはいきませんね」
早苗が笑う。
それだけの会話だった。
それだけなのに、なんとなく俺は境内を見回した。
青い空に濃い緑。
木々の間から聞こえてくる蝉の声。
箒で掃かれた境内。
神社の屋根。
うん、いつもの景色だ。
本当にいつもの景色だった。
「……今日で夏休み終わりなんだよな」
俺が呟くと早苗の箒が一瞬止まった。
「はい。そうですね」
「なんか実感ない」
「私もです。明日から学校だと言われても、まだ少し不思議な感じがします」
「まあ明日になったら嫌でも実感するだろ」
「一時間目から授業だったら一瞬でしょうね」
「やめろよ。せめて始業式くらいは夏休みの余韻に浸らせてくれ」
「ふふっ」
早苗は楽しそうに笑うと再び境内を掃き始めた。
俺もいつものように掃除を手伝う。
考えてみれば夏休みに入ってからこうして早苗と一緒に掃除をしたことも一度や二度ではない。
最初の頃は近くのお寺から頼まれたお地蔵様を二人で掃除したこともあった。
あの時は夏休みが始まったばかりだったはずだ。
それから肝試しやら学校で妙な噂を調べたり図書室へ行ったり神社で昼飯を食べたり、朝早くから来て朝飯まで食べた日もあった。
でも楽しいことばかりだったわけでもない。
早苗が妖の悪夢を見るようになった時はさすがにどうなることかと思った。
図書室の本から始まったあの一件。
夢の中へ一緒に入って、あの妖と対峙したこと。
終わってみればこうして普通に話せるがあの時は早苗が毎晩同じ悪夢を見ていたのだから笑い話ではない。
それが終わった後には神奈子と諏訪子から渡されたチケットで早苗と諏訪湖の花火大会にも行った。
夜空いっぱいに広がった花火は今でもはっきり覚えている。
そして少し前には、この神社で四人で手持ち花火までした。
神奈子が神力で火を出そうとして諏訪子まで水を出そうとして俺が花火くらい普通にやれと言った。
思い返してみると本当に色々あった。
「護くん?」
「ん?」
「さっきから同じところを掃いていますよ」
言われて足元を見る。
確かにさっきから同じ場所を箒で掃いていた。
「……考え事してた」
「夏休みのことですか?」
「よくわかったな」
「今日が八月三十一日ですから」
早苗はそう言って少しだけ境内の向こうへ視線を向けた。
「私も考えていました。今年の夏休み、本当にいろんなことがあったなって」
「だよな」
「学校へ行ったり、お地蔵様のお掃除をしたり、怖い夢を見たり……花火も見ましたね」
「最後のやつは二回あったな」
「湖の花火と手持ち花火ですね」
「ああ」
「楽しかったですほんとうに」
早苗がそう言った。
あまりにも普通に言うものだから、俺も普通に「ああ」と答えようとした。
けれど、その前に早苗が続けた。
「護くん。夏休みは毎日のように来てくださいましたよね」
「……そうだっけか?」
思わずそう返してから考える。
夏休みが始まって早苗から明日も来るかと聞かれたことがあった。
朝七時に来たこともあったな。
昼飯を一緒に食べた日もあった。
何もなくても神社へ来て掃除を手伝ったり、神奈子や諏訪子と話したりした。
学校へ行く用事があれば早苗と一緒になることも多かった。
確かに。
「……ほんとだな」
自分で思っていた以上に俺はこの夏、この神社に来ていたらしい。
「今気づいたんですか?」
「数えてるわけじゃないからな」
「私は覚えていますよ」
「何回来たか?」
「私も数えていませんけどずっと一緒だったなと」
「じゃあ同じじゃないか」
「そうですね」
早苗がまた笑った。
境内に蝉の声が響く。
夏休み最後の日だからといって何か特別なことが起きるわけではない。
妖怪が現れるわけでもなければ怪異が起こるわけでもない。
今日は何か祓う必要もなければ、夢の中へ入る必要もない。
花火が上がる予定もない。
俺と早苗が境内を掃いているだけだ。
しばらくすると掃除も終わり、俺達は神社の中へ戻った。
居間では神奈子と諏訪子がすっかりくつろいでいた。
「お疲れ、高校生二人」
神奈子が言う。
「お疲れー。暑かったでしょ」
諏訪子も続ける。
「見てたなら手伝ってくれてもいいだろ」
俺が言うと神奈子は当然のような顔をした。
「神様に境内の掃除をさせる気かい?」
「普段から早苗がやってるだろう」
「早苗は風祝だからね」
「便利な言葉だな」
「護くん、お茶を持ってきますね」
早苗は苦笑しながら台所へ向かった。
その後は本当に何もなかった。
早苗が持ってきてくれた冷たい麦茶を飲んで、昼になれば四人で飯を食べた。
神奈子と諏訪子が明日からまた学校なのかと早苗に聞き、早苗が「そうですよ」と答える。
俺が夏休みの宿題について聞けば、早苗は全部終わっていると言い逆に俺の方は大丈夫なのかと聞かれた。
「終わってるよ」
「本当ですか?」
「なんで疑うんだよ」
「護くん、最終日に慌ててやりそうなので」
「どういう印象なんだ俺は」
「違いましたか?」
「……終わってる」
「今、間がありましたね」
そんな話をしているうちに時間は過ぎた。
午後も特別なことはしなかった。
縁側で飲み物を飲んだり、早苗と明日の学校について話したり、神奈子と諏訪子のどうでもいい話を聞いたりした。
そうしているうちに、いつの間にか太陽は傾き始めていた。
昼間より少しだけ風が涼しい。
境内へ伸びる影も長くなっている。
「そろそろ帰るよ」
俺が立ち上がると、早苗も立ち上がった。
「もう帰りますか?」
「ああ。明日学校だしな」
「そうですね」
靴を履いて外へ出る。
早苗もいつものようについてきた。
鳥居までの短い道を二人で歩く。
たったそれだけなのに、今日は妙にゆっくり歩いているような気がした。
「夏休み、終わっちゃいますね」
早苗が言った。
「終わるなぁ…」
「なんだか寂しいです」
「学校始まったら毎日会えるよ」
俺がそう言うと早苗は少し驚いたように俺を見てそれから笑った。
「そうですね」
「夏休みは神社だったけど、明日からは学校だ」
「はい」
鳥居のところで足を止める。
振り返れば夕方の守矢神社が見えた。
夏休みの間、何度も見た景色だ。
明日になったからといって、この場所がなくなるわけじゃない。
学校が始まったって、また来ればいいんだ。
早苗も神奈子も諏訪子もここにいる。
だから別に、何かが終わってしまうわけじゃない。
ただ明日から少しだけ日常の形が変わるだけなのだ。
「じゃあ早苗、また明日」
俺が言う。
いつもなら「また明日」と言えば、その意味はきっと「また明日、神社で」だった。
けれど今日は違う。
早苗もそれがわかっているらしい。
「はい」
夕方の風が吹いた。
早苗の緑の髪が風に揺れる。
「また明日、学校で」
八月三十一日。
俺達の夏休みは、そうして終わった。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
夏休み編が終わりました。
いろんなことが書けました。
この2人はまだ4月に出会ったばかりだというのに結構昔馴染みの空気がとても濃い雰囲気だと時々書いてて思います。
ほのぼのとした日常、妖対処に明け暮れる日常。
どちらも大事な要素だと考えています。
現実でも夏休みはもう終わりでしょうか?
場所によっては9月も夏休みなのでしょうか?
それとも8月のどこかで夏休みは終わっているのでしょうか?
ともあれこの物語の夏休みは終わりです。
書き忘れたことがあるとしたら早苗と護の自由研究なんですけど、ご想像にお任せするとします。
気が向いたら書くことも考えるかもしれませんがとりあえず今は考えてません。
このまま9月へ迎えます。
なのでご想像でお願いします。
夏休み編でいい感じ終われましたが物語はまだ続きます。
ここまで読んでくれてありがとうございました