風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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2人で料理をする

夜、風呂も済ませて自分の部屋で適当に本を読んでいると机の上に置いていた携帯が短く震えた。

誰だろうと思って画面を見る。

 

早苗からのメッセージだ。

 

『護くん、まだ起きてますか?』

 

起きてるよと返す。

送ってから十秒もしないうちに既読がついた。

 

『よかったです。諏訪子様から聞いたんですけど』

 

そこで一度文章が途切れた。

何の話だろうと思っていると続けてメッセージが送られてくる。

 

『この前話していた料理、一緒に作りませんか?』

 

そういえばそんな話をした。

 

一条と早苗が昼飯を食べていた日に学校まで来た諏訪子が今度神社で早苗と料理をしないかと言い出したのだ。

 

早苗もその話を聞いた途端、やりましょうと即答していたようだ。

 

『いいよ。いつにする?』

 

『明日の放課後とかどうですか?』

 

『大丈夫だよ』

 

明日は特に用事もない。

放課後にそのまま守矢神社へ行けばいい。

 

すると今度は少し長い文章が返ってきた。

 

『ありがとうございます。それで何を作るかなんですけど、諏訪子様は任せるっていうんです。でも神奈子様は酒に合う魚がいいって言うんです。そんな魚ありますかね……?』

 

「…………」

 

俺はベッドの上でしばらく画面を眺めた。

 

酒に合う魚。

範囲が広すぎるな。

 

というか神奈子は何を作っても酒に合わせそうな気がする。

 

焼き魚でも刺身でも煮付けでもいいだろうし、そもそも酒の種類によっても変わるんじゃないだろうか。

 

俺は酒なんて飲めないので分からないし。

 

『分からないな』

 

素直に返した。

 

『ですよね……』

 

しばらくすると困った顔をしている早苗の絵文字が送られてきた。

 

『スーパーで見て決めます?』

 

『それでもいいと思う』

 

そこまで打って手を止める。

 

スーパー…いつも弁当の材料を買うならそれで困らない。

肉も魚も野菜も一通り揃うし俺も普段からそうしている。

 

でもせっかく魚を使うというなら、何か他にないだろうか。

諏訪なんだから地元の魚でもあれば面白いが…。

 

もっとも俺は魚屋に詳しいわけじゃない。

少し考えた後、スマホを持って部屋を出た。

 

屋敷の廊下は静かだった。

自分の家を屋敷と呼ぶのは未だに妙な感じがするが客が来れば大抵そう言われるくらいには広いので仕方がない。

夜になると昼間以上に無駄に広く感じる。

 

階段を下りると居間に母さんがいた。

テレビを眺めながら湯呑みに入った茶を飲んでいる。

 

「母さん」

 

「ん?どうしたの?」

 

「この辺で魚がいっぱい売ってる店って知らない?」

 

「魚…?」

 

母さんが不思議そうな顔をした。

 

「明日、早苗と料理することになった」

 

「あら」

 

それだけで母さんの顔が少し明るくなる。

 

「神社で?」

 

「うん、神奈子が…酒に合う魚が食いたいらしくて」

 

「神様の名前?」

 

「うん…」

 

「神様に晩酌のおつまみ作る高校生ってなかなかいないわよ……?」

 

「俺もそう思うよ」

 

「魚ねえ……スーパーじゃ駄目なの?」

 

「駄目じゃないけど…せっかくなら普段買わないようなのがあってもいいかなと思って」

 

「そうねえ……」

 

母さんが湯呑みを持ったまま考え込む。

俺も向かい側へ座った。

 

その時だった。

 

「角上に行けばいいだろ」

 

「え?」

 

突然声がして振り向く。

廊下を通りかかった父さんが立っていた。

 

「…角上?」

 

「角上魚類、諏訪店がある」

 

父さんはそれだけ言うと、そのまま歩いていこうとする。

 

「ちょ、ちょっとあなた」

 

母さんが呼び止めた。

父さんが足を止める。

 

俺も予想していなかったので一瞬何を言えばいいのか分からなかった。

 

父さんと話す時はどうにもいつも身構えてしまう。

 

妖怪だとか祓い屋だとか。

その辺の話になるといつも意見がぶつかる。

俺が妖怪に関わることを父さんはよく思っていないし俺だって今更その道から離れるつもりはない。

 

だから父さんが話へ入ってきた瞬間、また何か言われるのかと少しだけ身体に力が入っていた。

 

けれど父さんはそんな俺を見ているだけだった。

 

「城南の方にある。普通のスーパーより魚の種類は多い。鮮魚ならあそこを見た方が早い」

 

「……詳しいね」

 

「何度か行ったことがある」

 

「父さんが?」

 

「魚くらい買う」

 

「いや、まあ……そうだけど」

 

何を言ってるんだ俺は…。

父さんだって魚くらい買うだろう。

 

どうにも会話の調子が狂う。

 

「刺身用も焼く魚もある。何を作るか決めてないなら実物見て決めろ」

 

「ああ……」

 

それだけだった。

妖怪の話もしない。

守矢神社へ行くことについても何も言わない。 

 

早苗と料理をするという話にも口を挟まなかった。

ただ俺が魚を買える場所を尋ねたから魚屋を教えた。

本当にそれだけだ。

 

父さんがもう一度廊下を歩き始める。

 

俺は少し迷った。

 

「あのさ」

 

父さんが止まった。

 

「ありがとう」

 

こちらは見なかった。

 

少し間があった。

 

「あぁ」

 

それだけ返して父さんは廊下の向こうへ消えていった。

 

「…………」

 

「…………」

 

居間が妙に静かになった。

母さんを見る。

母さんも俺を見ていた。

 

「なんだよ」

 

「いや……」

 

「何?」

 

「何もないわよ?」

 

「絶対何かあるだろ」

 

「ないってば」

 

そう言いながら母さんは湯呑みを口へ持っていく。

さっきまで普通に飲んでいたくせに何故か急にぎこちない。

 

「なんでそんなヒヤヒヤした顔してるんだよ」

 

「だってずっとすぐ変な空気になるじゃない」

 

「俺のせいじゃないよ」

 

「お父さんも同じこと言うと思うわよ」

 

「じゃあどっちも悪いってことか」

 

「そういうことにしておきなさい」

 

母さんが苦笑した。

 

俺は携帯を取り出す。

早苗との画面を開き、文字を打った。

 

『いい場所があるらしい』

 

すぐに既読がつく。

 

『本当ですか?』

 

『角上魚類っていう魚屋があるって父さんが教えてくれた』

 

今度は少し間があった。

 

『お父さんが?』

 

そこに引っ掛かるのか。

 

『そう…そうなんですね』

 

『魚の種類が多いらしい。明日学校終わったら行ってみないか?』

 

『行きましょう!』

 

元気のいい返事が返ってきた。

 

これで決まりだ。

魚を見てから何を作るか考えればいい。

 

『じゃあ明日』

 

『はい。おやすみなさい、護くん』

 

『おやすみ』

 

携帯を閉じる。

それからもう一度父さんが消えていった廊下を見る。

 

特に何かが変わったわけではない。

明日になればまたいつも通りだろう。

それでもさっきの短いやり取りは何となく頭に残った。

 

翌日、授業が終わると俺と早苗は教室で待ち合わせそのまま学校を出た。

 

「角上魚類ですか」

 

「ああ」

 

「私、行ったことないかもしれません」

 

「俺もないよ」

 

「護くんもですか?」

 

「父さんに教えてもらったからな」

 

「昨日のメッセージでも言ってましたね」

 

早苗が少し笑う。

 

「よかったですね」

 

「何が?」

 

「普通にお話できて」

 

「……別にいつも喧嘩してるわけじゃないぞ」

 

「そうですか?」

 

「そうだよ」

 

「そういうことにしておきます」

 

「母さんと同じこと言うな」

 

早苗がくすくす笑った。

学校帰りに早苗と買い物へ行くというのも考えてみれば珍しい。

 

コンビニへ寄ったことくらいなら何度もあるが今日はこれから二人で料理を作るための食材を買いに行く。

お互い弁当を自分で作っているので料理そのものは出来る。

 

その辺は心配していない。

問題は二人で作るとどうなるかだ。

 

しばらく歩いて目的の店へ着く。

 

中へ入った瞬間、俺は少し驚いた。

 

「……すごいな」

 

「魚だらけですね」

 

当たり前と言えば当たり前だ。

 

魚屋なんだから。

けれど普段行くスーパーの鮮魚売場とは明らかに違う。

並んでいる魚の種類も多いし一匹そのままの状態で置かれているものまである。

 

早苗が早速あちこち眺め歩き始めた。

 

「護くん、見てください。鯛ですよ」

 

「鯛くらいスーパーにもあるだろ」

 

「こっちは一匹そのままですよ」

 

「捌けるのか?」

 

「…………」

 

早苗が鯛を見る。

俺を見る。

もう一度鯛を見る。

 

「やめておきましょう」

 

「賢明だな」

 

出来なくはないかもしれない。

でも今日わざわざ挑戦する必要もない。

 

「神奈子だったら丸ごと焼こうとか言いそうだな」

 

「言いますね」

 

二人で魚を見ながら店内を歩いていると、あるところで早苗が立ち止まった。

 

「あ…」

 

「どうした?」

 

「護くん、これ」

 

指差した先を見る。

 

そこにあった名前を読んだ。

 

「信州サーモン……」

 

「これにしませんか?」

 

「サーモン?」

 

「信州サーモンですよ。せっかくですし」

 

確かにいいかもしれない。

諏訪で神様と一緒に食べる料理なのだから地元の魚というのも悪くない。

 

何より色が綺麗だった。

鮮やかな紅色の身にほどよく脂が入っている。

刺身用として食べられるものと加熱用に使えそうな切り身を見比べる。

 

「何作る?」

 

「お刺身でもいいですよね」

 

「神奈子の酒には合いそうだな」

 

「でもそれだけだと料理した感じがありませんよ」

 

「それはそうだな」

 

せっかく二人で作るのに切って皿へ乗せて終わりというのも寂しい。

 

早苗が腕を組んで考える。

 

「……カルパッチョはどうです?」

 

「カルパッチョか?」

 

「はい。玉ねぎとか野菜を添えて」

 

「それはいいな」

 

「それから……焼く方も欲しいです」

 

「ムニエルとかにする?」

 

「あ、それいいですね」

 

早苗の顔が明るくなった。

 

「じゃあ信州サーモンのカルパッチョとムニエル」

 

「両方サーモンか」

 

「駄目です?」

 

「いや。今日は神奈子が魚って言ったんだからいいんじゃないか」

 

「それだけだと少し寂しいですね」

 

「野菜の天ぷらでも作ろうか」

 

「天ぷらまで作るんですか?」

 

「二人いるんだから何とかなるだろ」

 

「……やりましょう」

 

何故か挑戦するような顔になった。

そのまま俺たちは必要なものを揃えていく。

 

信州サーモンに玉ねぎにレモン。

それから天ぷら用に茄子、かぼちゃ、ししとう、舞茸。

味噌汁の具は豆腐とわかめでいいか。 

ご飯は神社に米があるらしい。

 

「買いすぎじゃないか?」

 

会計前になってカゴを見る。

結構な量になっていた。

 

「四人分ですよ?」

 

「神奈子と諏訪子を普通の一人前として数えていいのか?」

 

「…………」

 

早苗が黙った。

 

「もう少し買います?」

 

「いや、足りなかったらもう米食わせよう」

 

「神様にそんな扱いしていいんですか?」

 

「早苗が言うのかそれ」

 

結局追加はしなかった。

 

買い物袋を分けて持ち、そのまま守矢神社へ向かう。

学校帰りに二人で魚や野菜の入った袋を持って歩く。

 

少し前までだったら人形がどうとか呪いがどうとか話していたのに今日は晩飯の話しかしていない。

 

こういう日も悪くないと思う。

 

守矢神社へ着くと諏訪子が待っていた。

 

「おかえりー!」

 

「ただいま戻りました」

 

「買ってきたよ」

 

俺が袋を持ち上げる。

諏訪子がすぐ中を覗き込んだ。

 

「魚?」

 

「神奈子が魚って言ったからな」

 

「私は何でもいいって言ったよ」

 

「一番楽な注文だよな、それ」

 

「作る側からすると一番困るんですよ?」

 

早苗にも言われ、諏訪子が笑う。

 

「神奈子は?」

 

「中にいるよ。何買ってくるのかなーってずっと楽しみにしてた」

 

「自分で買いに行けばいいのに」

 

「それ言ったら今日の料理会終わっちゃうじゃん」

 

「それもそうか」

 

社務所へ入る。

台所へ食材を運んでいると奥から神奈子がやってきた。

 

「おっ、帰ってきたね」

 

「帰ってきたって俺の家じゃないんだけどな」

 

「細かいこと気にしない」

 

神奈子が袋を見る。

 

「魚はあるかい?」

 

「あるぞ」

 

「何?」

 

「信州サーモン」

 

「へえ」

 

それまで軽い調子だった神奈子が少しだけ嬉しそうな顔をした。

 

「いいじゃないか。分かってるね」

 

「俺じゃなくて早苗が見つけたんだよ」

 

「そうなのかい?」

 

「はい。ちょうど売っていたので」

 

「それなら期待してるよ」

 

「神奈子様も手伝ってくださいね」

 

「え?」

 

「え?じゃありません」

 

「私も?」

 

「当たり前ですよ」

 

「客じゃないのかい?」

 

「ここ神奈子様の神社ですよね?」

 

「そうだった」

 

「忘れないでください」

 

諏訪子が横で笑っている。

 

「諏訪子様もですよ」

 

「え?」

 

「同じ反応しないでください」

 

「私は任せるって言ったよ?」

 

「料理を任せるという意味だったんですか!?」

 

「違ったの?」

 

「違います!」

 

早苗が二柱を相手にしている間に俺は食材を台の上へ並べた。

 

「まあいい。まず米炊こう」

 

「あ、はい!」

 

早苗がこちらへ来る。

結局、神奈子と諏訪子には食器を出したり机を準備したりしてもらうことになった。

包丁を持たせるよりその方が安心な気がする。

俺と早苗で米を研ぎ、炊飯器へ入れる。

 

その間に味噌汁用の鍋も用意する。

 

「護くん、カルパッチョから作ります?」

 

「先に切って冷やしておいた方がいいな」

 

「じゃあ私やります」

 

「頼んだ」

 

早苗が信州サーモンをまな板へ置く。

 

俺は横で玉ねぎを薄く切って水にさらす。

 

「護くんって玉ねぎ薄く切るの上手ですね」

 

「弁当に入れる時たまに使うからな」

 

「私より薄いです」

 

「勝った」

 

「何の勝負ですか」

 

「玉ねぎ薄切り選手権だ」

 

「そんな選手権に参加した覚えはありませんよ」

 

そう言いながら早苗は笑っている。

サーモンを切る手付きも悪くない。

普段から自炊しているだけあって包丁の扱いに危なっかしさはなかった。

 

「早苗も上手いな」

 

「毎朝お弁当作ってますから」

 

「朝からよくやるよ」

 

「護くんもですよね?」

 

「俺は昨日の残り使う時もあるぞ」

 

「私だってありますよ」

 

「じゃあ同じだな」

 

「ですね」

 

妙なところで気が合う。

薄く切ったサーモンを皿へ並べる。

水気を切った玉ねぎを乗せ、レモンを絞り、塩と胡椒、それから油を少し。

 

早苗が盛り付けを整える。

 

「おお」

 

「どうです?」

 

「店で出てきそう」

 

「本当ですか?」

 

「見た目は」

 

「見た目は、って何ですか」

 

「まだ食ってないから味は分からないだろ」

 

「それはそうですけど」

 

冷蔵庫へ入れる。

次は天ぷらだ。

 

俺が野菜を切っている横で早苗が衣を作る。

 

茄子、かぼちゃ、ししとう、舞茸。

 

並べてみると結構な量に…。

 

「これ全部揚げるのか?」

 

「買ったの護くんですよ」

 

「選んだの早苗だろ」

 

「二人で選びました」

 

「責任半分ずつかな」

 

「そういうことです」

 

油を火にかける。

温度を見ながら衣を付け、まず茄子を入れる。

 

ぱちぱちと小気味のいい音が台所へ広がった。

 

「いい匂い!」

 

いつの間にか諏訪子がいて俺の背中にしがみついて覗き込んでいた。

 

「近い近い」

 

「ねぇ一個ちょうだい」

 

「まだ揚がってないよ」

 

「揚がったらちょうだい」

 

「晩飯まで待て」

 

「えー」

 

「諏訪子様、この前も護くんのお弁当勝手に食べたでしょう」

 

「今日は勝手じゃないよ。ちゃんと聞いてる」

 

「駄目です」

 

「早苗もけち」

 

「けちじゃありません」

 

天ぷらが一つ揚がる。

 

俺が油を切って皿へ置いた瞬間、諏訪子の手が伸びた。

早苗がその手首を掴んだ。

 

「駄目です」

 

「一個だけ!」

 

「駄目です」

 

「味見!」

 

「私たちがします」

 

「ずるい!」

 

「作ってる人の特権です」

 

「早苗がそんなこと言うようになった!」

 

「誰のせいですか!」

 

俺は横で笑いそうになるのを堪えながら次の野菜を油へ入れた。

 

「楽しそうだねえ」

 

今度は神奈子が来る。

 

「神奈子様もつまみ食いは禁止ですからね」

 

「まだ何も言ってないじゃないか」

 

「顔に書いてあります」

 

「私は酒を持ってこようと思っただけだよ」

 

「まだ早いです」

 

「厳しいなあ」

 

「飯出来てから飲めよ」

 

「護まで〜」

 

神奈子が肩を落とす。

 

本当に神様なんだろうか。

少なくとも今の姿だけ見たら、晩飯を待ちきれない大人と子供にしか見えない。

 

 

小さなかぼちゃの天ぷらを早苗が菜箸で取りお皿に置くと箸に持ち替えて再度かぼちゃの天ぷらを取る。

 

味見で食べるのか?とそんなことを考えていたら

 

「護くん、その…どうぞ」

 

「……」

 

あーんをしてと、そういうニュアンスにしか思えなかった。

 

「護くん早くしてください」

 

「あ、あぁ…わかった」

 

俺はその小さなかぼちゃの天ぷらを食べる。

 

「どうですか?」

 

「美味いよ」

 

「ふふ、よかったです」

 

早苗は楽しそうだった。

 

野菜を全部揚げ終わる頃には台所の中に油の匂いが充満していた。

換気をしながら今度はムニエルへ移る。

 

信州サーモンの切り身へ塩胡椒を振り小麦粉を薄くまぶす。

 

「これは俺が焼くよ」

 

「じゃあ私、味噌汁やりますね」

 

「ああ」

 

フライパンへ油とバターを入れると熱が入るとすぐに香りが立った。

 

そこへサーモンを置く。

ジュウッと音がする。

 

「おお……」

 

後ろから声がした。

振り向かなくても誰だか分かる。

 

「諏訪子また来たのか」

 

「見るだけだよ」

 

「手出すなよ」

 

「出さないって」

 

「さっき天ぷら取ろうとしただろ」

 

「あれは天ぷらだから」

 

「何が違うんだ」

 

皮の側からじっくり焼く。

信州サーモンは皮と身の間にも脂があるらしく火が入るにつれてフライパンへ脂が出てくる。

表面に綺麗な焼き色が付いたところでひっくり返す。

 

「護くん、そっちはどうです?」

 

「いい感じだよ」

 

「こっちももう出来ます」

 

早苗の鍋からは味噌汁の匂いがしている。

炊飯器を見ると米も間もなく炊き上がる。

全部の時間がちょうど合いそうだった。

 

「なあ早苗」

 

「はい?」

 

「俺たち割と上手くないか?」

 

早苗が一度台所全体を見る。

 

カルパッチョに山盛りになった野菜の天ぷら。

フライパンで焼かれている信州サーモン。

 

鍋の味噌汁。

炊き上がる直前の米。

 

「……上手いですね」

 

「だよな」

 

「私達二人とも毎日お弁当作ってますし」

 

「これなら困らないな…」

 

「??。何にです?」

 

「何って……」

 

言ってから何も考えずに口にしていたことに気づく。

早苗は首を傾げている。

 

「いや、なんでもないよ」

 

「?」

 

何に困らないのか自分でもよく分からない。

 

料理をする時、だろう。

 

多分。

 

俺はフライパンへ視線を戻した。

 

「護くん?」

 

「あ、サーモン焦げる」

 

「あっ」

 

話はそれで終わった。

最後にバターを絡ませ、火を止める。

 

ちょうどその時、炊飯器から炊き上がりを知らせる音がした。

 

「出来ましたね」

 

「ああ」

 

俺と早苗は顔を見合わせた。

 

「完成」

 

「完成です!」

 

料理を一つずつ居間へ運んでいく。

 

白いご飯に豆腐とわかめの味噌汁。

野菜の天ぷら。

信州サーモンのカルパッチョ。

そして信州サーモンのムニエル。

 

思っていたより豪華な食卓だ。

 

「おおー!」

 

諏訪子が目を輝かせる。

 

神奈子も満足そうだ。

 

「おぉ…いいじゃないか」

 

「神奈子が魚って言ったからな」

 

「想像以上だよ」

 

「ちゃんと酒に合いそうですか?」

 

早苗が聞く。

神奈子がカルパッチョとムニエルを見る。

 

「これは合うね」

 

「ならよかったです」

 

「それじゃあ早速――」

 

酒瓶へ手を伸ばそうとした神奈子を早苗が止める。

 

「先にいただきますです」

 

「はいはい」

 

四人で席に着く。

 

「いただきます」

 

声が重なった。

まず俺はムニエルへ箸を伸ばした。

箸を入れると身が柔らかく割れる。

口に入れる。

 

「……うまい」

 

思った以上だった。

身は柔らかいのに崩れすぎず脂がある。

でもしつこくない。

バターともよく合っている。

 

「本当ですか?」

 

早苗がこちらを見る。

 

「食べてみろよ」

 

早苗も一口食べる。

目が少し大きくなった。

 

「美味しいです」

 

「だろ?」

 

「これ護くんが焼いたんですよね」

 

「早苗も下ごしらえしてくれただろ」

 

「でも焼いたの護くんです」

 

「じゃあ俺が上手いってことで」

 

「そこは否定しません」

 

「しないのか」

 

「美味しいですから」

 

それを聞いて少し嬉しくなる。

向かい側では神奈子が早速酒を注いでいた。

 

カルパッチョを一切れ食べ、その後で一口飲む。

 

「うん」

 

満足そうに頷く。

 

「これはいいねぇ…」

 

「酒に?」

 

「酒にも。それ抜きでも美味いよ」

 

「よかったです」

 

早苗が嬉しそうに笑った。

 

「私が見つけた信州サーモンですからね」

 

「切ったのも早苗だな」

 

「盛り付けもです」

 

「俺は玉ねぎ切ったぞ」

 

「はいはい、二人で作ったんだろ?」

 

神奈子に言われる。

 

「そうです」

 

「まあな」

 

諏訪子は天ぷらを食べていた。

さっきあれだけつまみ食いしようとしていた茄子だ。

 

「どうだ?」

 

「おいしい!!」

 

「それなら待った甲斐あっただろ」

 

「でも揚げたて一個くらい食べたかった」

 

「まだ言うのか」

 

「揚げたてが一番おいしいんだよ」

 

「今だって十分揚げたてですよ」

 

早苗が味噌汁を飲みながら言う。

 

「早苗、料理上手くなったね」

 

諏訪子が何気なく言った。

早苗の箸が止まる。

 

「そうですか?」

 

「うん。昔よりずっと」

 

「昔って……」

 

「ちっちゃかった頃」

 

「それはそうでしょう」

 

「卵焼き焦がしてたよね」

 

「何年前の話してるんですか!?」

 

「そんなことあったのか」

 

「護くんは聞かなくていいです!」

 

「早苗が料理失敗した話はちょっと聞きたい」

 

「駄目です!」

 

諏訪子が楽しそうに笑う。

 

「他にもね――」

 

「諏訪子様!」

 

今まで見たことがないくらい早苗が必死になっている。

神奈子まで笑い始めた。

俺もつられて笑った。

 

昨日の夜、早苗からメッセージが来た時にはただ料理をするだけのつもりだった。

 

魚を買ってきて…野菜を切って揚げてそれで焼いて、味噌汁を作って…みんなで食べる。

 

それだけだ。

 

妖怪も怪異もなにも起こらない。

札を使う必要もなければ早苗が奇跡を使う必要もない。

神奈子と諏訪子だって今日は神様らしいことを何一つしていない。

 

ご飯を食べて笑っているだけだ。

 

「護」

 

「ん?」

 

神奈子が呼ぶ。

 

「また作ってよ」

 

「俺が?」

 

「早苗と二人で」

 

「なんで二人指定なんだよ」

 

「今日美味しかったから」

 

「私も賛成!」

 

諏訪子が手を上げる。

俺は早苗を見る。

早苗も俺を見た。

 

「…また今度なら」

 

「はい。私も」

 

「決まりだね」

 

「次は何がいいかな」

 

「もう次の注文考えてるのか?」

 

「次は肉がいいなぁ」

 

諏訪子が言う。

 

「私は酒に合えば何でも」

 

神奈子が続く。

 

「酒基準かよ」

 

「大事だよ?」

 

「護くん、聞かなくていいです。今度は私たちで決めましょう」

 

「そうするか」

 

「二人とも酷くない?」

 

また笑い声が上がった。

食卓の上に並んでいた料理は少しずつ減っていく。

あれだけ作ったのに天ぷらはもう半分以上ない。

信州サーモンのムニエルも残り僅かだ。

 

買いすぎたかもしれないなんて心配は必要なかったらしい。

 

ふと昨日のことを思い出す。

父さんに魚屋を聞いたこと。

店を教えてもらったこと。

 

ありがとうと言ったら「あぁ」と返ってきたこと。

 

ほんのそれだけの会話だった。

何かが解決したわけじゃない。

 

俺と父さんの考え方が変わったわけでもない。

次に妖怪の話をすれば、また言い合いになるかもしれない。

 

それでもいいのかもしれない。

何もかも分かり合わなければ親子でいられないわけじゃない。

 

妖怪の話では喧嘩しても魚屋の話なら普通に出来る。

 

今はそれくらいでいい。

 

「護くん?」

 

早苗の声で我に返った。

 

「どうしました?」

 

「いや」

 

「ぼーっとしてましたよ」

 

「ちょっと考え事」

 

「また妖怪ですか?」

 

「今日は違う」

 

「そうですか」

 

早苗はそれ以上聞かなかった。

代わりに天ぷらの皿をこちらへ寄せる。

 

「かぼちゃ、まだありますよ」

 

「早苗は食べないのか?」

 

「私はもう食べました」

 

「それならもらうよ」

 

一つ取る。

甘い…衣もまださくさくしている。

 

「うまいな」

 

「ですよね」

 

早苗が笑った。

その向こうでは諏訪子が最後の茄子を取ろうとして神奈子と箸をぶつけていた。

 

「私が先!」

 

「神様に譲りなよ」

 

「私も神様だって!」

 

「そうだったね」

 

「忘れたの!?」

 

「二人とも半分にしてください」

 

早苗が呆れたように言う。

俺は味噌汁を飲みながらその様子を見る。

 

今日はこうして四人で食卓を囲んでいる。

そういうものなのだろう。

 

怪異があっても妖怪がいても神様がいても次の日には学校へ行って腹が減れば飯を食う。

 

それが俺たちの日常になっている。

 

神奈子が酒を飲み、諏訪子が天ぷらを奪い早苗がそれを注意して俺がその横で飯を食う。

 

いつからこんな光景が当たり前になったのだろう。

考えてみてもよく分からない。

 

ただ…こういうのも悪くない。

 

いや――多分、俺はこういう時間が結構好きなんだと思う。

 

「護くん」

 

「ん?」

 

「カルパッチョ、最後の一切れ食べます?」

 

皿を見る。

本当に一切れだけ残っていた。

 

「早苗食べなよ」

 

「護くんがどうぞ」

 

「作ったの早苗だろ」

 

「護くんも作ったじゃないですか」

 

「じゃあ半分にするか」

 

「そうします?」

 

俺が箸で半分に分ける。

早苗へ片方を渡す。

 

「はい」

 

「ありがとうございます」

 

二人で食べる。

向かいから神奈子がこちらを見ていた。

その横で諏訪子も見ている。

 

「……なんだよ」

 

「いや?」

 

「別に?」

 

二人揃って笑う。

 

「絶対なんかあるだろ」

 

「何もないよ」

 

「ありません」

 

早苗まで何故か少し顔を逸らした。

意味が分からない。

食事が終わったら今度は片付けが待っている。

 

油を使ったから洗い物も多い。

俺と早苗だけにやらせようとしていた神奈子と諏訪子を捕まえ結局四人で片付けることになった。

 

そんなことをしているうちに守矢神社の外はすっかり夜になっていた。

 

虫の声が境内から聞こえてくる。

夏の終わり頃とは少し違う。

夜の風にも僅かに冷たさが混じり始めていた。

 

二学期はまだ始まったばかりだ。

きっとこれからもまた何か起きる。

 

学校でもこの神社でも、この街のどこかでも。

 

それでも今日は何も起こらなかった。

 

俺と早苗が魚を買って一緒に料理を作って諏訪子と神奈子と飯を食った。

 

ただそれだけの日。

 

でもたまにはそういう日があってもいい。

むしろこういう日の方が、後になって妙に覚えていたりするのかもしれない。

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