諏訪には神社が多い。
山があり、湖があり、昔から神様の話が残る土地だからだ。
そしてその中でも、
町の外れの山道を登ったところにある神社。
守矢神社。
そこには、最近ちょっとした噂があった。
昼休み。
教室の後ろで、早苗が言った。
「最近、神社で人が迷うらしいんです」
俺は弁当を食べながら答えた。
「…迷う?」
「はい」
早苗は少し困った顔で頷く。
「参拝に行った人が帰り道が分からなくなるんです」
「神社から出られない?」
俺は箸を止めた。
「……神隠しってやつか?」
早苗は頷く。
「そういう噂です」
クラスの女子が会話に入る。
「それ聞いた」
「おばあちゃんが言ってた」
「山の奥に行くと戻れないって」
別の男子も言う。
「夜になると鈴が鳴るらしい」
「誰もいないのに」
俺はため息をつく。
「またか…」
早苗は少し笑った。
「またです」
放課後。
俺たちは山道を歩いていた。
石段が続く。
森が深い。
日が落ちるとかなり暗くなる場所だ。
「こんなとこ…毎日来てるのか」
俺が言う。
早苗は振り返る。
「はい、私の家みたいなものですから」
そう言って笑う。
石段の上に鳥居が見えた。
古い木の鳥居。
その奥に小さな社殿がある。
風が吹く。
チリン…と鈴が鳴った。
誰も触っていない。
俺は足を止めた。
「……あれは」
早苗は小さく言う。
「いますね」
俺はポケットのヒトガタを触る。
「いるな」
神社の奥。
木々の間。
何かが動いた。
人の影。
でもはっきりはしない。
俺は言った。
「参拝客か?」
早苗は首を振る。
「違いますこの人…帰れないみたいです」
その時だった。
影がふらふら歩き出す。
でも道を外れる。
森の奥へ。
俺は舌打ちした。
「迷ってるのか…」
早苗が小さく言う。
「神隠しです」
俺はヒトガタを一枚取り出した。
「原因は?」
早苗は神社の奥を見る。
しばらく黙ってから言った。
「……神様です」
俺は眉をひそめる。
「おい」
早苗は静かに続ける。
「神様の力が強いと普通の人は道が見えなくなるんです」
風が吹いた。
木々が揺れる。
鈴がまた鳴る。
早苗が言った。
「神域ですこの山は」
「神様の場所…」
俺は小さく息を吐く。
「なるほどな」
そして言う。
「人間が迷うわけだ」
影が森の奥へ行こうとする。
俺はヒトガタを投げた。
紙が空中で広がり地面に落ちた。
小さく光る。
結界。
影が止まる。
早苗が言う。
「護くん」
俺は振り向かない。
「分かってる」
俺は地面に指で線を引く。
蔵で見た陣。
簡易の道標。
紙を三枚置く。
「こっちだ」
影が少し揺れる。
道が見えたように。
ゆっくり歩き出す。
石段の方向へ。
早苗が小さく手を合わせる。
「帰れます。大丈夫ですよ」
影は石段まで来ると。
ふっと消えた。
神社は静かになる。
風が止む。
鈴も鳴らない。
俺は息を吐いた。
「……終わりか」
早苗は少しだけ困った顔をしていた。
「でもまたいつかは起きます」
俺は聞いた。
「なんで?」
早苗は神社を見る。
鳥居。
森。
空。
そして言った。
「神様の力が強くなってるんです」
俺は腕を組む。
「……。悪いことか?」
早苗は首を振る。
「いいことですよ」
でも少し寂しそうに言った。
「人が来なくなると神様は弱くなるんです」
俺は聞いた。
「信仰か」
早苗は頷く。
「はい」
風がまた吹き木々が揺れる。
遠くで湖が光っていた。
早苗が言った。
「護くん」
俺は答える。
「なんだ」
早苗は少し笑った。
「今日はありがとうございました」
俺は肩をすくめる。
「いいさ」
帰り道石段を降りながら思った。
この神社。
この町。
この神様。
いつか何かが変わる気がする。
その時は東風谷早苗はここからいなくなる。
けれどまだそれは少し先の話だ