10月に入り、学校では秋季クラスマッチが行われることになった。競技はバスケットボールとバレーボールの二つだけで、一人につきどちらか一方を選んで出場する。
春にも似たような行事はあったが入学してまだ半年しか経っていない俺たちにとってはクラス全体で参加する行事としてはこうして二度目になる。
36人いるクラスの中で男子も女子もそれぞれバスケットボールとバレーボールに分かれ、試合自体は男女別に行う。
俺はバレーボールを選んだ。
特別得意というわけではない。
バスケットボールよりはまだやれそうだと思ったのと体育の授業でやった時にそれほど嫌いではなかったという…そのくらいの理由だった。
提出された名簿を教室の後ろで眺めてみれば、早苗もどうやらバレーボールを選んだらしい。
「早苗もバレーか」
放課後、机の横で鞄を持ち上げていた早苗にそう言うと、早苗は少しだけ意外そうな顔をしてから頷いた。
「はい。護くんもですよね」
「まあな。バスケよりはマシかなって」
「私も似たような理由です」
「早苗ならどっちでも普通にできそうだけど」
「そんなことありませんよ。バスケットボールは少し苦手なんです」
「そうなのか?」
「ボールを持つと、そのまま走ってしまいそうになるので」
「それはダメだろ」
「分かっています!」
早苗は少しむっとしたように言ったが本当に一度くらいやったことがあるのかもしれない。
俺が笑うと早苗も仕方なさそうに笑った。
クラスマッチ当日は朝から普段の学校とは空気が違っていた。
教室に入った時点で何人かはすでに体操着に着替えていて、机の間では今日の試合順について話している。
黒板にはいつの間にか対戦表が書かれていて誰が書いたのか分からないでかでかとした字で「目指せ優勝」とまで書かれていた。
別に全員が本気で優勝を狙っているわけでもないだろうがこういう日はそれくらいの方がいいのだろう。
早苗も体操着姿で自分の席に座っていた。
髪型は後ろにまとめていた。
巫女服でも制服でもなく学校指定の体操着でいると普段よりもずっと普通の高校生に見える。
「護くん」
「ん?」
「男子のバレーボール、一試合目ですよね」
「あぁ。早苗たちはその後だったか」
「はい。応援しています」
「そっちもな」
そう言うと早苗は小さく拳を握った。
「一回戦くらいは勝ちたいですね」
「一回戦くらいって言うと負けそうだな」
「では優勝します」
「急に目標高くなったな」
始業前だというのに周囲も似たような話ばかりしていた。
バスケットボールに出る男子が体育館の場所を確認していたり、女子が対戦相手のクラスにバレー部がいるらしいと話していたりする。
そんな中に早苗も普通に混じっていた。
別の女子から試合開始の時間を聞かれれば答え、誰が最初に入るのかという話にも加わっている。
以前なら、俺はそういう光景を気にしたこともなかったのかもしれない。
だが、今は少しだけ違う。
早苗が俺以外の誰かと話している姿を見ると、何となく安心した。
やがて全校への説明が終わり、クラスごとにそれぞれの競技場所へ移動する。
男子バレーボールは体育館の片側を使うことになっていて俺たちはコート脇で軽くボールを回しながら試合開始を待った。
「書本、バレーできるか?」
同じクラスの男子に聞かれ、俺は首を傾げた。
この男子は肝試しでクジを用意してくれたやつだ。
「いや、普通だな」
「一番信用できない答えだな」
「本当に普通だぞ」
体育でやったことがある程度だ。
サーブも入る時は入るし、失敗する時は失敗する。
スパイクなんて綺麗に決められる自信はない。
ただ飛んでくるものを見るのは得意だった。
それが球技でも同じなのかどうかは知らないが…。
笛が鳴り一回戦が始まった。
最初の数点は酷いものだった。
こちらのサーブがネットに引っ掛かり、相手の返球が妙な回転をして誰も取れずようやくラリーが続いたと思えば味方同士でぶつかりそうになる。
相手も似たようなものだったので試合としては妙に接戦になった。
俺のところへ強めのサーブが飛んできた。
一歩横へ動く。
腕を合わせる。
ボールは思ったより綺麗に上へ上がった。
「ナイス!」
味方が拾い、三回目で相手コートへ返す。
相手側もそれを受け、またボールがこちらへ飛んできた。
思ったより見える。
怪異の腕や飛んでくる刃物やあの人形の動きに比べれば当然と言えば当然なのかもしれない。
だからといってバレーが上手くなるわけでもないのだが。
「書本、後ろ!後ろ!」
声が聞こえた。
振り向くより先に下がる。
高く上がったボールが頭上を越えそうになり、何とか腕を伸ばした。
変な方向へ飛んだ。
「悪い!」
「取っただけマシ!」
味方が走りどうにか返す。
結局、そのラリーは相手のミスでこちらの点になった。
試合が進むにつれて、少しずつ皆の動きもまともになっていった。俺も一度サーブをネットに当てたが二度目は入った。
狙ったわけでもないのに相手コートの隅へ落ちそれで一点取れた時には周囲から妙に褒められた。
「書本、そこ狙ったか?」
「いや?」
「じゃあ何でそんなとこ入るんだよ!」
「運が良かったんだ」
そんな調子で一回戦は何とか勝った。
笛が鳴った瞬間、思ったより大きな声が上がった。
優勝したわけでもないのにクラスメイトたちは結構本気で喜んでいる。
俺も少しだけ嬉しかった。
コートを出ると体育館の端に早苗の姿があった。
女子の何人かと一緒にこちらを見ていたらしい。
「護くん、お疲れさまです」
「ありがとう」
「勝ちましたね」
「なんとか一応な」
早苗は自分のことのように嬉しそうだった。
「最後のレシーブ、上手でした」
「見てたのか」
「はい」
「まあ、飛んでくるものを見るのは慣れてるからな」
俺が小声で言うと早苗も少し声を落とした。
「思えば…いつも紙飛行機とか針とか飛ばしていますもんね」
「それここで言うなよ」
「誰にも聞こえてませんよ」
楽しそうに笑ったところで女子バレーボールの集合が掛かった。
「じゃあ護くん、行ってきます」
「ああ」
早苗は数歩進んでからこちらを振り返った。
「ちゃんと見ていてくださいね」
「分かったよ」
女子の一回戦が始まった。
早苗がバレーボールをしているところをちゃんと見るのは初めてだったがしばらく見ているうちに分かったことがある。
上手いわけではない。
たぶん本当に普通だ。
サーブは入るが強くはない。
レシーブも綺麗に上がる時もあれば斜め後ろへ飛んでいく時もある。
真正面へ来たボールを受けたのにそのまま真横へ飛ばしてしまっていた。
「すみません!」
すぐに謝る早苗に、
「大丈夫大丈夫!」
と同じチームの女子が返している。
そのやり取りを見て何となく笑ってしまった。
ただ早苗には一つ分かりやすい強みがあった。
とにかく動く。
前へ落ちそうな球があれば走り、後ろへ飛べば戻る。
誰かが弾いたボールにも最後まで追いつこうとする。
ラリーが続いて周りの動きが少しずつ鈍くなっても早苗だけはあまり変わらない。
神社の階段を毎日のように上り下りしているせいなのかそれとも別の理由なのか。
たぶん両方だろう。
「東風谷さん、後ろ!」
「はい!」
走って下がり早苗がボールを上げる。
「ナイス!」
声が飛ぶ。
そのまま相手コートへ返り相手が弾いたボールが外へ落ちた。
一点。
早苗が笑った。
俺の知っている怪異を前にした時の早苗とも神社にいる時の早苗とも違う顔をしていた。
ただのクラスマッチで一点取って喜んでいるだけの顔だった。
女子も一回戦を勝った。
コートから出てきた早苗は額に少し汗を浮かべていたが、疲れているというより楽しそうだった。
「勝ちました」
「見てた」
「どうでした?」
「体力あるな」
「そこですか?」
「バレー自体は普通だ」
「護くん」
少し低い声で呼ばれた。
「でも最後まで動いてただろ」
そう付け足すと早苗は一瞬だけ黙りそれから少し照れたように笑った。
「それなら褒め言葉として受け取っておきます」
昼を挟み、午後に二回戦が始まった。
俺たち男子の相手は、一回戦より明らかに強かった。
特別に上手い奴ばかりというわけではない。
ただ一人、サーブの強い奴がいてそれだけでかなり強敵だった。
速いし重い球筋が低くて取りづらいのだ。
一球目は何とか腕に当てたが、後ろへ弾いた。
二球目は取れた。
三球目も来た。
今度は少し横だが読める。
だが分かっていても綺麗に返せるとは限らない。
腕に当たったボールが低く飛び味方が何とか拾い返す。
相手がまた打ってくる。
何度かラリーは続いたが最後は相手の一人が前へ落とした球に誰も間に合わなかった。
点差は少しずつ開いた。
最後まで追いつけず二回戦で負けた。
笛が鳴る。
「終わったか」
悔しくないと言えば嘘になるが思ったよりあっさりした気分だった。
コートを出ると早苗が待っていた。
「お疲れさまでした、護くん」
「ありがとう。負けた」
「見ていました」
「そっちは?」
「これからです」
「じゃあ今度は俺が見るよ」
「はい」
早苗は一度頷いてそれから少しだけ笑った。
「ちゃんと応援してくださいね」
「さっきしただろ」
「もっとです」
女子の二回戦も一回戦より相手が強かった。
サーブが安定していて簡単なミスが少ない。
それだけで試合はかなり違って見える。
早苗たちも食らいついていた。
点差はそれほど大きくない。
早苗は相変わらず走っていた。
一度、前へ落ちた球を拾うために床へ膝をつきながら腕を伸ばし、何とか上げた。
「ナイス!」
その声に早苗はすぐ立ち上がった。
また次の球を追う。
見ているこちらまで少し力が入った。
終盤になり、あと一点取られれば負けてしまうってとこまできた。
相手から返ってきたボールが高く上がり、こちらのコートの端へ落ちていく。
誰も近くにいない。
早苗が走った。
かなり遠い。
これは普通なら間に合わない。
一瞬だけ思った。
早苗なら届かせる方法はいくらでもある。
風を使えばいい。
ほんの少し背中を押すだけでも、たぶん間に合う。
だが早苗はただ走った。
普通に走り体育館の床を蹴って腕を伸ばした。
指先の少し先にボールが落ちた。
乾いた音がし笛が鳴る。
試合終了だ。
早苗はその場に手をついたまま少しの間動かなかった。
すぐに周りの女子が集まる。
「惜しかった!」
「東風谷さんナイスファイト」
「最後ほんとあと少しだったね…!」
早苗が顔を上げる。
悔しそうだった。
それでもすぐに笑った。
「……はい。あと少しでした」
コートから戻ってきた早苗に俺は飲み物を渡した。
「お疲れ」
「ありがとうございます」
早苗は一口飲んでから「ふう」と息を吐いた。
「負けました」
「二回戦だったな」
「護くんもですね」
「ああ」
「悔しくないんですか?」
「少しは」
「なら私と同じです」
「早苗って結構負けず嫌いだよな」
「護くんに言われたくありません」
「俺そんな負けず嫌いか?」
「怪異相手に何度倒されても向かっていく人が何を言ってるんですか」
「それとこれは違うだろ」
「同じです」
二人で体育館の壁にもたれながら、他の試合を眺めた。
バスケットボールの方からも歓声が聞こえる。
どこかのクラスが勝ったらしい。
結局、俺たちのクラスが総合で何位になるのかはまだ分からなかった。
まぁたぶん優勝はしないだろう。
俺たちのバレーは男女とも二回戦で終わった。
でも悪くなかった。
「来年はもう少し勝ちたいですね」
早苗が言った。
「来年もバレー選ぶのか?」
「その時考えます」
「じゃあ今決めるなよ」
「でももう少し勝ちたかったです」
「まあ来年もあるだろ」
俺が何気なくそう言うと早苗は少しだけ目を丸くした。
それから、いつものように笑った。
「……そうですね。来年がありますね」
その後、教室へ戻れば、勝った負けたの話でしばらく騒がしかった。
黒板に書かれていた「目指せ優勝」の文字は誰かに横線を引かれ、その横に「来年」と書き足されていた。
それを見た早苗が笑う。
俺も笑った。
10月のクラスマッチは終わった。