開かれる会合
学校が終わって守矢神社に寄り、早苗や神奈子、諏訪子と他愛もない話をしてから家に帰る。
それは高校に入学してからすっかり当たり前になった俺の日常だった。
夏の頃は神社で少し長居をしても外はまだ明るかったというのに、十月ともなるとそうはいかない。
山の向こうへ沈む夕日は随分と早くなり帰り道を歩いている間にも空は薄暗くなってしまう。
そんな秋の夕暮れの中、いつもの道を歩いて自宅へ戻ってきた俺は家の前に立っている妙なものを見つけて思わず足を止めた。
最初は誰かが訪ねてきているのかと思ったがどうも人間には見えなかった。
頭から足元まで届きそうなほど長い白い布を被り、顔があるはずの場所にはぽっかりと黒い穴が開いている。
その穴の奥から目玉が一つ、こちらを覗いていた。
例えるならてるてる坊主をそのまま人間ほどの大きさにしたような姿だろうか。
ただし可愛らしさなんてものは微塵もなく、それどころかその白い布の下から伸びた手には大きな両刃斧が握られていた。
刃の部分は長年使い込まれたように鈍く光り、柄は地面に届きそうなほど長い。
こんなものを持ったやつが家の前に立っているなんて、普通に考えれば通報ものだろう。
しかしあれは人間ではない。間違いなく妖だ。
「こわっ……」
思わず口から小さな声が漏れた。
幸い、その妖はこちらを向いているようには見えなかった。
そもそも顔の向きというものがよくわからないのだが少なくとも俺に何かをしてくる様子はなかった。
これまで色々な妖怪と出会ってきた俺でも、あんな姿をしたものを見るのは初めてだった。
しかも斧なんて物騒なものまで持っている。
悪い妖なのだろうか。
それとも見た目が怖いだけで案外大人しい妖なのだろうか。
少し考えてみたが今ここで確かめる必要はない。
俺は学校帰りに神社へ寄ってきただけの高校生であり向こうが何もしてこないのであればわざわざ関わる理由もなかった。
幸いなことに妖怪というのはこちらが見えていると気づかなければ何もしてこない場合もある。
ならば見えないふりをして家に入ってしまおう。
そう思った俺は視線を逸らし、できるだけ普段通りの足取りで門へ向かった。
その時だった。
白い頭巾の奥にあった目玉がぎょろりと動いた。
「あっ……」
しまったと思った時には遅かった。
俺と妖の目が真正面から合ってしまったのだ。
それも一瞬ではない。
向こうはじっと俺を見つめていた。
見つめるというよりは観察しているようだった。
目玉が細かく動き、俺の頭から足元までを確かめているように見える。
もしかしたら見えていることがばれていないかもしれない。
そう期待して何食わぬ顔で通り過ぎようとしたのだが妖は突然、低くしゃがれた声で話しかけてきた。
「おまえ……みえているな……」
「…………」
「もう血は絶えたと……そう思っていた……書本家……」
その言葉に俺は思わず立ち止まった。
単に妖怪が話しかけてきただけなら、無視して家へ入ることもできたと思う。
しかし今、こいつは確かに書本家と言った。
俺の家の名前を知っている。
それも初めて出会ったはずの妖怪がまるで以前から知っていたかのような口ぶりで言ったのだ。
もう血は絶えたと思っていた。
いったい何の話だろうか書本家が祓い屋の家系であることを知っている妖怪ならこれまでにも何度か出会ったことがある。
けれどこんな言い方をされたのは初めてだった。
「声も聞こえ……姿も見える……」
妖はそう続けると斧の柄を握り直した。
思わず身構えそうになったが俺に向かって振り上げるようなことはしなかった。
「お前は…」
俺の問いかけに妖は答えなかった。
代わりに目玉だけをこちらへ向けたまままるで何かを思い出したかのように口を開いた。
「明日会合がある……じょうげんじ」
「は……?」
「みえるやつなら……あとはわかる……」
「ちょっと待て。会合って何の会合だよ。それにじょうげんじって……」
俺が聞き返した時には妖はすでに身体をこちらから背けていた。
白い布を引きずりながら斧を片手にゆっくりと歩いていく。
歩くというよりも地面を滑っているような妙な動きだった。
何かを引きずるような音だけが聞こえていたが、それも次第に遠ざかり、やがて曲がり角の向こうに消えてしまった。
俺はしばらくその場に立ち尽くしたまま妖の去っていった方を見ていた。
あまりにも唐突な出来事だったから追いかけるという発想さえ浮かばなかった。
「……なんだったんだ、あいつ」
もう一度家の門へ視線を戻す。
いつもと何も変わらない書本家の玄関がそこにはあった。
でも先ほどの妖の言葉がどうにも引っかかる。
祖父が関係している可能性もある。
そう考えるとどうにも一人で抱えておく気にはなれなかった。
俺は家へ入るのをやめ再び来た道を引き返した。
ついさっきまでいた守矢神社へ、もう一度向かうことにしたのだ。
守矢神社へ戻った頃には辺りはすっかり夕暮れの色に染まっていた。
鳥居をくぐり参道を足早に歩いて社務所の方へ向かう。
早苗がまだいることはわかっていたがまさかこんなに早く戻ってくるとは思っていなかっただろう。
俺の姿を見つけた早苗は少し驚いた顔をしたものの何かあったのだと察したらしくすぐに話を聞いてくれた。
ちょうど神奈子と諏訪子も一緒にいたので俺は家の前にいた白い頭巾の妖のことからそいつが残していった言葉までを一通り説明することにした。
「話してくれてありがとうございます、護くん」
話を聞き終えた早苗はそう言ってくれた。
こうして何かあった時にすぐ相談できる相手がいるのはありがたい。
もっとも全員が同じ反応をしてくれるわけではないのだが。
「だからってさぁ…その話をする?しかも普通に祓い屋の話を持ってきてるし」
開口一番、諏訪子にはそう言われてしまった。
俺としてはさっき出会った妖について少しでも心当たりがないか聞きたかっただけなのだが確かに話の内容は書本家、つまり祓い屋に関係しているものだった。
諏訪子はもしかしたら早苗が祓い屋関係のことに深く関わってほしくないと思っているのかもしれない。
そう考えると少し申し訳ない気持ちになった。
「ごめんな、諏訪子」
「いいけどさ。困ったから来たんだろうし……」
「あぁ。俺も何が何だかわからなくてさ」
「まぁ…変なのに声をかけられたんじゃ仕方ないか…」
諏訪子は呆れたように言いながらもそれ以上は何も言わなかった。別に怒っているわけではないらしい。
早苗もそんなやり取りを見て少し困ったように笑っていたがその一方で先ほどから何かを考えているようだった。
「しかし、祓い屋の会合か……」
そう口を開いたのは神奈子だった。
腕を組み俺が話した内容を頭の中で整理しているように見えた。
「祓い屋がたくさん集まるんですよね?」
「それがわからないんだよな…。会合とは言っていたがそもそもあいつは祓い屋の会合だとも一言も言ってないんだ」
「ああ、そうでしたね……」
「ただ書本家の名前を知っていたのは間違いない。それも随分と昔から知っているような口ぶりだった」
「そうだねぇ。私達もそういう会合の詳しい事情までは知らないから助言するのは難しいけど……恐らくその妖は何度も護の家に来ていたのかもしれないね」
「俺の家に?」
神奈子の言葉に思わず聞き返した。
そういえば先ほど俺も似たようなことを考えていた。
祖父が生きていた頃この家には妖怪や怪異に関する相談が持ち込まれることもあったという。
それなら俺の知らないところで祖父とあの妖が会っていたとしても不思議ではないのかもしれない。
「ひょっとしたら昔に大恩があったりとか、或いは書本の家は本当に見えなくなってしまったのか確かめに来ていたとかね。理由なんていろいろあるさ。そもそも護は行くとは言ってないんだろう?」
「ああ……言ってないな。向こうが勝手に話して勝手に帰っていっただけだ」
「なら誘いというよりは知らせに来たってところかもしれないね」
「知らせに……」
確かに言われてみればそうだった。
あの妖は俺に会合へ来いとは一度も言わなかった。
ただ明日会合があると告げただけであとはわかると言い残して去っていったのだ。
まるで来るか来ないかは俺が判断すればいいと言わんばかりだった。
「ああいう集まりってさ、家同士の情報交換だったり術の話をしたり、あとはお酒を飲んで騒いだりとか案外そんな集まりだったりするんだよ」
今度は諏訪子がそう言った。
俺が想像していたものとは随分と違う。
もっとこう祓い屋が何人も集まって厳かな雰囲気の中で何かを話し合うようなものを思い浮かべていたのだが諏訪子の話を聞く限りでは普通の寄り合いに近いものらしい。
「諏訪子様、詳しいですね……」
早苗が少し驚いたように言った。
「あー、うん。そりゃあずっとここの神様をしてるからね。そういう話が耳に入ってくることだってあるさ」
「そうなんですね」
「まぁ昔の話も混じってるから今も同じかどうかは知らないけど」
諏訪子はそう付け加えた。
神奈子も諏訪子も長い間この諏訪の土地を見守ってきた神様だ。
俺が生まれるよりも遥か昔からたくさんの人間や妖怪、そして祓い屋たちを見てきているのだろう。
だからこそ知っていることもある一方で、神様だからといって人間たちの集まりにいちいち顔を出しているわけでもないらしい。
そもそもそんな場所に神奈子や諏訪子が現れたらそれこそ会合どころの話ではなくなりそうな気もする。
「そこでは…その会合に来るみなさんは……見える人達なのでしょうか」
早苗がぽつりと尋ねた。
「見えるやつならわかる、みたいなことも言われたからもしかしたらそうなのかもとは思うが……」
「………見える人達……」
早苗はその言葉を小さく繰り返した。
それから何かを考えるように視線を落とししばらく黙り込んでしまった。
俺はそんな早苗の様子を見ながらふと一つのことに気がついた。
もし本当にそこが見える人間たちの集まりなのだとしたら早苗にとっては今までほとんど縁のなかった場所なのではないだろうか。
早苗も俺と同じように普通の人間には見えないものを見ることができる。
それどころか早苗は現人神であり奇跡を起こす力まで持っている。俺なんかよりも遥かに特別な存在だ。
けれど、その力や見えるということを学校ではずっと隠して生活してきた。
中学時代の話を聞いてからというもの俺はそのことを以前よりも強く意識するようになっていた。
普通の人間に見えないものが見える。
それが当たり前である人間たちの集まり。
俺にとっても未知の場所だが早苗にとっては少し違った意味を持っているのかもしれない。
もちろんそんなことを俺が勝手に決めつけていいわけではない。
だが先ほどから早苗が考え込んでいる理由の一つくらいにはなっているのではないかと思った。
神奈子と諏訪子はそんな早苗の様子を見て一度顔を見合わせた。
何かを相談するように互いの表情を確かめそれから神奈子が早苗へ向き直った。
「早苗、行くなとは私達は言わないよ。行きたかったら行ってみるといい」
「何事も経験だからね。まぁ、何があるのかわからないから気をつけてほしいけどさ」
「神奈子様……諏訪子様……」
早苗は少し驚いたように二柱を見つめていた。
俺も正直なところ、二柱がそんなことを言うとは思っていなかった。
特に諏訪子はついさっきまで祓い屋の話を持ち込んだことに呆れていたのだ。
それなのに行きたいなら行ってみるといいと言っている。 そんな二柱の言葉を聞いた早苗はゆっくりと俺の方へ顔を向けた。
「護くんは……」
早苗はそこまで言いかけて言葉を止めた。
何かを言おうとして、けれどその先を口にすることを躊躇ったようだった。
もう少し細かく言えば迷いを一度飲み込んだように見えた。
俺にはその表情に見覚えがあった。
以前、祓い屋の仕事に関係する騒ぎに早苗を巻き込んでしまったのではないかと考えた時、早苗が俺に向かって言ってくれた言葉だ。
『祓い屋の……! 諍い事でも……! 勝手に! 巻き込んでるとか思わないでください!』
あの時の早苗は少し怒ったような顔をしていたと思う。
俺が一人で勝手に気を遣い、早苗の気持ちまで決めつけようとしたことが気に入らなかったのだろう。
そして俺と一緒ならいいと、そう言ってくれた。
今、目の前にいる早苗もあの時とよく似た顔をしている。
俺としては早苗が行きたいと言うなら一緒に行くつもりだ。
もし行かないと言うなら俺も無理に参加するつもりはなかった。
ただ俺の知らない祓い屋の世界を少し見てみたいという気持ちもあった。
だから早苗にどうしたいのか聞こうとしたのだがそれよりも先に早苗が口を開いた。
「そういう顔ですよ、護くん」
「だからどういう顔なんだよ」
「ふふっ、私も行きます」
その言葉に俺は思わず笑ってしまった。
結局、あれこれ考えていた俺の方が余計な心配をしていたらしい。早苗が行きたいというのならそれでいい。
ならば俺の返事だって決まっている。
「わかった早苗。一緒に行こう」
「はい、護くん」
早苗は嬉しそうに笑った。
そんな俺達のやり取りを神奈子と諏訪子は顔を見合わせながら小さく笑って見ていた。
何だか二柱に妙なものを見られていたような気もしたが今さら気にしても仕方がない。
とにかく明日は早苗と一緒にその会合とやらに行ってみることになったのだった。
「ただし、少しでも危ないと思ったら引き返すこと。これは絶対だからね」
神奈子が念を押すように言った。
「無理してまで参加するようなもんじゃないんだから。何かあったら逃げて帰っておいで」
「わかってるよ」
「はい。気をつけます」
「それと護も変な無茶するんじゃないよ。早苗を守れても護が怪我でもしたら早苗が泣くからね」
「神奈子様?!?」
「……わかってるって」
「本当かなぁ」
諏訪子は俺の返事を聞いてどこか疑わしそうな顔をしていた。
俺としてはそんなに無茶をしているつもりはないのだがこれまで色々なことに巻き込まれてきたせいで二柱からの信用はあまりないのかもしれない。
もっとも俺自身が早苗を守るつもりで行動したとしても実際には早苗に助けられることの方が多かったりするのだが。
そんなことを考えていると隣にいた早苗が小さく笑った。
「だ、大丈夫ですよ諏訪子様。私も護くんを見ていますから」
「……そういうことじゃないんだけどねぇ」
諏訪子はそう言いながらもそれ以上は何も言わなかった。
そして翌日。
土曜日だから学校は休みであり俺達はそれぞれ私服で出かけることにした。
昨日のうちに早苗とは待ち合わせの約束をしていたので朝のうちに必要なものを鞄へ入れて家を出る。
もっとも今回は妖怪退治に行くわけではない。
そういう集まりに参加するというだけなのだから、いつものように道具を大量に持っていく必要はないはずだ。
それでも念のために身代わり札と護符、それから何枚かの呪符を鞄の中に入れておいた。
使う機会がないことを祈りたい。
そう思いながら玄関を出ると、空はよく晴れていた。
秋らしい少し冷たい風が頬を撫で、遠くの山々も随分と秋の色が濃くなってきている。
昨日の妖との遭遇が嘘だったかのようにいつもと変わらない穏やかな朝だった。
早苗と合流してから、俺達は常現寺へ向かって歩き始めた。神奈子と諏訪子は今回はついてこないらしい。二柱とも気にはなっているようだったが、あくまでも俺達自身で見てきなさいということなのだろう。
それに神様が祓い屋の会合へ同行するというのも何だか話が大きくなりすぎる気がする。
早苗は私服姿で隣を歩きながら昨日から気になっていたらしい会合について色々と話していた。
「でもどんなところなんでしょうね。私、そういう集まりに行くのは初めてです」
「俺も初めてだ。そもそも祖父がそういう集まりに行ってたかどうかも知らないし」
「護くんのお祖父様ならきっと色々な方とお知り合いだったんでしょうね」
「どうなんだろうな。祓い屋としてはまあ有名だったらしいけど、俺は祖父の仕事なんてほとんど知らないからさ」
「そうなんですね……」
「まぁもしかしたら祖父を知ってる人がいるかもしれないな」
「そうだとしたら少し楽しみですね」
早苗はそう言って微笑んだ。
確かに祖父のことを知っている人間に会えるのならそれはそれで興味がある。
祖父が亡くなってからというもの俺は蔵に残された書物や道具を頼りに色々なことを覚えてきた。
しかし、祖父がどんな祓い屋だったのかその仕事については知らないことの方が多い。
父さんは昔から祓い屋の仕事に否定的だったし母さんも詳しい話をすることはない。
だからもし祖父と同じ時代に仕事をしていた人間がいるのなら、一度くらい話を聞いてみたいと思う。
そんな都合のいい相手がいるかどうかもわからないのだが。
「それにしても祓い屋ってそんなにたくさんいるものなのか…?」
「どうなんでしょう。護くんのように見える方は、私もほとんど会ったことがありませんから……」
「俺もないよ。まぁ、他人に見えるかどうかなんて聞く機会もないしな」
「ふふっ、確かにそうですね」
普段の生活の中であなたには妖怪が見えますか?、なんて聞いて回る奴なんて相当間違いなく変なやつだろう。
俺も早苗も学校では普通の高校生として過ごしているわけで、わざわざ自分から見えることを話す必要はない。
だからこそ同じように見える人間がどれほどいるのかを知らないのだ。
もしかすると学校の中にだって俺達と同じような人間がいるのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いているとやがて目的地が近づいてきた。
「ここですね」
「常現寺……」
俺達が辿り着いたのは公園だった。
常現寺と呼ばれるこの場所は、五月になると鯉のぼりが飾られることで知られている。
春には青空の下でたくさんの鯉のぼりが泳ぐ光景を見ることができるのだが、今はもう十月だ。
そんなものはどこにもなく代わりに秋の風が木々の葉を揺らしていた。
公園そのものは至って普通の場所であり休日だからか散歩をしている人の姿も見える。
子供連れの親子が歩いているのも見えたし遠くでは誰かがベンチに腰掛けている。
少なくとも祓い屋が大勢集まっているようには見えなかった。
「ここで会合ですかね?」
「いやそんなまさか……」
思わずそんな言葉が出た。
俺が想像していたのはどこかのお寺の一室だとか古い屋敷の広間だとかそういう場所だった。
大勢の祓い屋が集まるのならやっぱり人目につかない場所を選ぶものだと思っていたのだ。
なのに目の前にあるのはどう見ても普通の公園だ。
もしここで大勢の人間が集まって怪しげな話をしていたらさすがに目立ってしまうだろう。
それに妖怪が来るかもしれないとなれば、なおさらだ。
「場所間違えたか…?」
「でも…じょうげんじってここですよね?」
「あぁ。少なくとも俺が知ってるのはここだけだ」
「もう少し中を見てみませんか?」
「そうだな。せっかく来たんだし」
そう言って早苗と一緒に公園の中へ足を踏み入れた、その時だった。
俺は公園の端に立っている奇妙なものに気がついた。
最初は案内板か何かが立てられているのかと思った。
だがよく見ると看板そのものが地面から浮いているように見える。看板を持っているものがいるのだ。
人間ほどの大きさをした妖が一体、そこに立っていた。
昨日出会った白い頭巾の妖とは違いどちらかといえば小柄で、やけに大きな看板を両手で抱えている。
しかも周囲を歩いている人間はそんなものが立っていることなどまるで気づいていない様子だった。
「……早苗」
「はい。私にも見えています」
早苗もすぐに気がついたらしい。
俺達は一度顔を見合わせ、それから看板を持つ妖の方へ視線を戻した。
看板には大きく文字が書かれていた。
普通の人間が書いたものなのか、それとも妖怪が書いたものなのか妙に歪んだ文字だったが読むことはできた。
『会場へ』
「……会場へ?」
俺は思わずその文字を声に出して読んだ。
そんな会場の場所がここにあるなんて聞いたことがない。
そもそもここは公園であって森と呼べるほど木々が生い茂っているわけでもなかった。
少なくともこれまで何度かこの辺りを通った時にそんなものを見かけた記憶はない。
しかし看板を持っているのが妖である以上、普通の公園案内というわけでもなさそうだった。
妖が持っている看板の先を見ると景色が動いていた。
迷いの森、神隠し…そう呼ばれる現象の場所。
「妖の森……こんなところに……」
「私、祓い屋の会合って普段どういうところでやってるんでしょうって思っていたんですが……」
早苗は少し驚いたように周囲を見回していた。
確かに俺も同じことを考えていた。
祓い屋たちが集まるというのなら人間が大勢いる場所では色々と都合が悪いのではないかと思っていたのだ。
だが目の前の妖を見て一つの可能性に思い至った。
「妖しかわからない……見えるやつしかわからない場所にすればいいってことか」
「そういうことですよね……」
早苗も納得したように頷いた。
目の前には妖が看板を持って立っているというのにそのすぐ近くを歩いていく人間たちは誰一人として気に留めていない。
恐らく彼らにはあの妖も看板も見えていないのだろう。
昨日の白い頭巾の妖が言っていた『見えるやつならあとはわかる』という言葉もここへ来てようやく意味がわかった気がした。
わざわざ詳しい場所を説明しなくても見える人間なら自然と気がつく。
逆に見えない人間であればたとえこの公園を訪れても会合が開かれていることさえ知らないまま通り過ぎてしまうのだろう。
妖怪が看板を持って祓い屋の会合を案内係みたいなことをしているという光景はどうにも俺の想像していたものとは違っていた。
ひょっとすると祓い屋と妖怪というのは俺が思っていたほど単純な関係ではないのかもしれない。
何しろ俺は祖父の遺した術や道具を知っているだけで祓い屋たちが普段どんな付き合いをしているのかまでは知らないのだ。
昨日の白い頭巾の妖だって書本家のことを知っていたからこそ俺に声をかけてきたのだろう。
それも敵意を向けるでもなくただ会合があることを伝えるためだけに現れた。
もしかしたら俺の知らないところで昔からそういう付き合いが続いていたりしていたのかもしれない。
「……なんだか思ってたのと違うんだが」
「そうですね。でも、ちょっと気になります」
「俺もだよ」
早苗は看板を持った妖を見つめていた。
その表情には不安がないわけではなさそうだったがそれ以上に興味を惹かれているように見えた。
思えば早苗だって俺と同じように見えるという理由で普通の人間とは違う世界を知っている。
けれどそれは決して見える世界の全てを知っているという意味ではない。
俺も早苗もまだ知らないことがたくさんあるのだ。
神奈子と諏訪子が何事も経験だと言っていたのもきっとそういうことなのかもしれない。
ふと看板を持っていた妖がこちらへ顔を向けた。
どうやら俺達が自分の姿を見ていることに気がついたらしい。
しかし何も話しかけてくることはなくただ看板を少し持ち上げて、
ある方向を示すように身体を傾けた。
その先には木々が立ち並ぶ公園の一角があった。
俺には特に変わった場所には見えなかったがそこをよく見てみると木々の間だけが周囲よりも少し暗くなっているような気がした。
単に日陰になっているだけなのかそれとも何かがあるのか。
ここからでは見えない。
「……あっちみたいだな」
「そうですね」
俺は鞄の肩紐を持ち直した。
危ないと思ったら引き返すこと。
昨日、神奈子と諏訪子から何度も言われた言葉を思い出す。
確かに何があるのかわからない場所へ入るのは少し怖い。
だが今のところあの妖からは敵意のようなものを感じなかったし、もし本当に会合が開かれているのなら俺達以外にも見える人間がいるのだろう。
そういう人たちが大勢集まっているのなら何かあったとしてもきっと何とかなるはずだ。
もっともそういう集まりに俺達が歓迎されるかどうかは行ってみなければわからない話なのだが。
「護くん」
早苗に呼ばれて隣を見ると彼女はいつものように微笑んでいた。
「行きますか?」
「あぁ、行こう」
「はい」
俺達は並んで歩き出した。
妖が案内する、普通の人間には知られていない場所。
そこにどんな人間が集まり、どんな話が交わされているのか俺にはまだ想像もつかなかった。
ただ一つ確かなのは昨日までの俺なら、こんな場所に自分から足を運ぼうとは考えもしなかっただろうということだ。
今日も俺の隣には早苗がいる。
そんなことを考えながら俺達は妖が指し示した木々の方へ足を進めたのだった。