祓い屋というものは、俺が思っていた以上に複雑な世界で生きているらしい。
今回の会合に参加してそれを改めて実感することになった。
各地で起きた怪異の報告や、最近になって姿を現すようになった妖の話、古い祓いの術式に関する情報交換など話題は尽きることがない。
中には俺の知らない術を使う祓い屋もいれば何代にもわたって同じ土地を守り続けているという家の者もいた。
祓い屋という共通点こそあるものの、その考え方や妖に対する接し方は人によって随分と違っているようだ。
俺と早苗も祓い屋たちの輪に混ざって話を聞いていた。
もちろん俺たちのような高校生がこうした場所にいるのは珍しいらしく時折不思議そうな目を向けられることもあったが話しかけてみれば意外と気さくに応じてくれる人も多かった。
ただここにいる全員が親切というわけではない。
先ほど出会った物部布都という少女のように俺たちの知らない事情を知っているやつもいる。
祓い屋の世界は俺が考えていたよりもずっと広く古い。
今まで俺が相手にしてきた妖のことなどこの会合に集まった者たちの経験からすれば一部に過ぎないのかもしれない。
「護くん、先ほどのお話聞きましたか?」
「妖を封じるのにあんな方法もあるんだな」
「私も初めて聞きました。神奈子様たちならご存じかもしれませんね」
「あの二人なら知ってそうだ」
そんなことを話しながら俺たちは会場の隅に置かれた椅子に腰を下ろした。
洋館の中は相変わらず多くの人で賑わっており、あちらこちらからと声が聞こえてくる。
こうしていると普通の集会と大して変わらないようにも思えるが話の内容は一般人が聞いたところで理解できないものばかりだろう。
まぁ俺自身も分からないことが多いのだから人のことは言えないのだが。
しばらくして俺たちの近くにいた数人の祓い屋が何やら落ち着かない様子で窓の外を見始めた。
「……またあの人だ」
「まったくいくら妖嫌いでもな……」
「あのスメラギの家は昔からああさ」
小声で交わされる会話が耳に入ってきた。
どうやら窓の外で何かが起きているらしい。
俺もつられて視線を向けてみたがここからでは庭の一部しか見えず何が起きているのかまでは分からなかった。
「スメラギ……?」
聞き慣れない名前だった。
祓い屋の家の名前なのだろうか。
別の意味があるのだろうか。
俺が詳しく聞こうとしたところで早苗も同じことを考えたらしく隣から声をかけようとしていた。
「あのすみません。スメラギ家というのは――」
しかし早苗が言い終わるよりも早く祓い屋たちは互いに顔を見合わせるとそそくさとその場を離れてしまった。
まるで聞かれたくない話でもしていたかのような態度だった。
「……行っちゃいましたね」
「そうだな。なんだったんだ?」
「何かあったんでしょうか……?」
早苗は心配そうに窓の外を見つめていた。
さっきの祓い屋たちの様子からしてあまり良いことが起きているとは思えない。
わざわざ首を突っ込む必要もないのかもしれないがどうにも気になってしまう。それに先ほどから外が妙に騒がしい。
「……ちょっと見に行ってみるか?」
「はい。私も気になります」
俺たちは椅子から立ち上がり洋館の中庭へと向かうことにした。
中庭へ続く廊下を歩いている間にも何人かの祓い屋とすれ違った。彼らは一様に疲れたような顔をしており中には何か言いたげに口を開きかけてそのまま黙って通り過ぎていく者もいた。
どうやら俺たちが向かおうとしている場所に何があるのか彼らは知っているらしい。
でも誰一人として足を止めようとはしなかった。
やがて中庭に出た俺はそこに広がっている光景を見て足を止めた。
「……なんだこれ」
赤茶色の煉瓦に囲まれた中庭には手入れされた植え込みと石畳が広がっていた。
建物の内側にあるため外からは見えない造りになっているらしく周囲には背の高い窓が並んでいる。
そんな静かな庭の一角に一人の女とその足元にうずくまる何かがいた。
鳥の妖だった。
人間に近い体つきをしているものの、腕には羽毛が混じり顔には烏と書かれた紙面を掛けていた。
身にまとっている衣服はあちこちが破れていて羽は乱れ、片方の翼らしきものは不自然に垂れ下がっている。
何より異様だったのは首と両手首に貼られた何枚もの札だ。
妖の力を封じて行動を制限するための札に見えた。
その妖は抵抗する様子もなくただ地面に膝をついたまま俯いていた。
女が何かを言うたびに肩を小さく震わせ、時折顔を上げてはすぐに視線を落としてしまう。
その姿には俺がこれまで見てきた妖たちとは違うものがあった。
俺も祓い屋だ。人に害をなす妖を退治したこともあれば封じたこともある。
妖を無条件に信用して良いなどとは思っていないし実際に危険な連中がいることも知っている。
だが目の前の光景にはどうにも違和感と不快感を覚えずにはいられなかった。
まるで力で躾けられた動物のようなあるいは人間が妖を奴隷のように扱っているような。
そんな考えが頭をよぎった、その時だった。
「……っ!」
隣にいた早苗が突然前に出た。
「早苗?」
呼び止めるよりも早く早苗は中庭の石畳を踏みしめながら女と鳥の妖がいる方へ向かっていた。
普段の早苗からは考えられないほど迷いのない足取りだった。
何をしようとしているのか聞くまでもない。
あの妖を助けようとしているのだろう。
そう直感した瞬間、俺の背筋に嫌なものが走った。
女の祓い屋は、こちらに背を向けていた。
年齢はよく分からないが大人の女であることは間違いない。
装飾のない衣服を身にまとい、背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている。
見たところ早苗が近づいていることには気づいていない。
いや違う。
気づいていないのではなく最初から分かっているのかもしれない。
女の片手がゆっくりと懐へ入るのが見えた。
その動作を見た瞬間、俺は考えるより先に声を張り上げていた。
「早苗!!!」
「ひゃっ!?」
突然名前を叫ばれた早苗が驚いて足を止めた。
直後だった。
風を切るような鋭い音がして何かが早苗の頭のすぐ横を掠めた。
早苗の緑色の髪がわずかに揺れその頬のすぐ近くで細長いものがぴたりと止まった。
木刀…?いや普通の木刀ではなくあれは小太刀だ。
その小太刀の木刀に何枚もの札がびっしりと巻きつけられていた。その札には赤黒い染みがいくつも広がっており、乾いているものもあればまだ湿っているように見えるものまである。
血だ。
札に滲んでいるものが何なのか俺にはすぐに分かった。
女の祓い屋はいつの間にか身体をこちらに向けていた。
片手に握られた木刀は早苗の頭を打ち据える寸前で止まっている。俺が名前を呼ぶのがほんの少しでも遅れていたら、あれは間違いなく早苗に当たっていただろう。
早苗は目を大きく見開き息を呑んだまま動けずにいた。
「ああ」
女が口を開いた。
「とても霊力の高い妖に似ていたもので」
「……ッ」
早苗が小さく息を呑むのが分かった。
それは謝罪でもなければ、驚きでもなかった。
ただ目の前にいたものが妖ではなく人間だったと分かったから、攻撃を止めた。
そんな調子の声だった。
自分が何をしようとしたのか、そして相手がどれほど恐ろしい思いをしたのかなど、少しも気にしていないように聞こえた。
俺はその場から動けなかった。
動かなかったのではない。
女の手に握られた木刀から目を離せなかったのだ。
あれがただの木刀でないことは、札に込められた力を見れば嫌でも分かる。
人間に向けて振るうようなものではないし、ましてや何の警告もなしに放って良いものではない。
しかし女は木刀を下ろそうとはしなかった。
「……いや」
その一言とともに女の視線が俺へ向けられた。
なんの感情のない目だった。
怒りも、憎しみも、疑いさえも感じさせない。
ただ目の前にいるものが何なのかを確かめようとする、冷たい目だ。
「やはり巧妙に人間に化けた妖か」
そう言った女は再び早苗を見据えた。
そうして再び木刀を振り上げた。
冗談じゃない。
俺は反射的に懐へ手を入れ、ヒトガタの紙人形を取り出した。
女がどれほどの実力者なのかは分からない。
そんなことを考えている場合ではなかった。
早苗が目の前で殴られようとしているのに黙って見ていられるはずがない。
紙人形に霊力を込め指先から飛ばそうとした。
その瞬間、俺の声と早苗の悲鳴に近い声が重なった。
「早苗は人間だ……!」
「私人間です……!守矢神社の巫女です……!!」
女の手が止まった。
振り上げられた木刀が早苗の頭上で静止する。
早苗は両肩を強張らせ震える声でそう訴えていた。
いつもの落ち着いた口調はどこにもなくただ自分が人間であることを必死に伝えようとしている。
俺はそんな早苗の姿を見て胸の奥がひどく締めつけられるような感覚を覚えた。
どうしてそんなことを言わせなければならないのだろう。
どうして早苗が自分は人間だと必死に訴えなければならないのだろう。
そんな疑問と怒りが頭の中を駆け巡っていたが今は女の動きから目を離すわけにはいかなかった。
早苗の服のポケットから小さな白いものが顔を覗かせていた。
俺の紙人形だった。
以前、早苗に渡しておいたものだ。
万が一の時に身を守れるようにと思って持たせていたものだったが、今はその半分ほどがポケットの外に出ている。
早苗が自分の身を守ろうとして取り出しかけたのか、それとも咄嗟に霊力を込めたことで動いたのかは分からなかった。
女の視線が早苗の顔からその紙人形へと移った。
どれほどの時間が流れただろうか。
おそらく実際には数秒程度だったのだと思う。
だがその数秒が俺には異様に長く感じられた。
女の手が少しでも動けば俺は迷わず紙人形を飛ばすつもりだった。隣にある植え込みも足元の石畳も遠くから聞こえる会合の賑わいさえもいつの間にか意識から消えていた。
ただ木刀を握る女の手だけを見つめていた。
やがて早苗のポケットから紙人形が滑り落ちた。
白いヒトガタはゆっくりと宙を舞い、石畳の上にひらりと落ちた。紙が地面に触れた音など聞こえるはずもないのにその光景だけが妙にはっきりと目に焼きついた。
女は落ちた紙人形を一瞥するとようやく木刀をゆるりと下ろした。
「そうか」
それだけだった。
早苗に謝ることもなければ、俺に何かを説明することもない。
女は何事もなかったかのように背を向けると足元にうずくまっていた鳥の妖へ何かを告げた。
鳥の妖はびくりと肩を震わせそれからゆっくりと立ち上がった。痛むのか片足を少し引きずりながら女の後を追っていく。
首と手首に貼られた札はそのままで破れた衣服から覗く羽もひどく傷んでいた。
その妖がふとこちらを振り返った。
俺と早苗を見た。
そしてほんのわずかに頭を下げた。
何に対する礼だったのだろうか。
早苗が助けようとしたことに対してなのか、それとも別の意味があったのか。
俺には分からなかった。
ただその妖の表情があまりにも寂しげだったことだけは覚えている。
女は振り返らなかった。
やがて二つの姿は中庭を抜け建物の陰へと消えていった。
俺はしばらくその方向を見つめていた。
きっとあの女が先ほど祓い屋たちの話していたスメラギ家の人間なのだろう。名前を聞いたわけではないから断言はできないが周囲の反応を考えればおそらく間違いない。
いくら妖が嫌いでもと言っていた祓い屋の言葉を思い出す。
妖を嫌っている祓い屋。
それ自体は珍しいことではないのかもしれない。
実際、祓い屋というものは妖によって被害を受けた人々と接することのが多い。
家族を奪われた者や大切なものを失った者だっているだろう。
そうした事情を考えれば妖を嫌うことそのものを否定するつもりはない。
だからといってあんなことが許されるのだろうか。
少なくとも俺には理解できなかった。
やがて女の気配が完全に遠ざかったのを感じたその時だった。
「……あっ」
小さな声がした。
早苗がその場に座り込んだ。
「早苗!?」
俺は慌てて駆け寄り早苗の傍らにしゃがみ込んだ。
早苗は石畳に両手をつき、俯いたまま小さく息を吐いている。
顔色はあまり良くない。
先ほどまで必死に立っていた反動なのか足から力が抜けてしまったようだった。
「大丈夫か……?」
「……はい」
早苗は小さく頷いた。
「……木刀で殴られるところでした……」
「……ああ」
そう答えるしかなかった。
俺がもう少し遅れていたら早苗は本当にあの木刀で殴られていたかもしれない。
それも札に込められた霊力を考えればただの怪我では済まなかった可能性だってある。
そう考えただけで背筋が冷たくなるのを感じた。
「……護くん」
「なんだ?」
早苗がゆっくりと顔を上げた。
その瞳にはまだ恐怖の色が残っていた
いつもなら平気そうに笑っている早苗だが、さすがに今回はそうもいかないのだろう。
無理もない。
見知らぬ祓い屋から何の前触れもなく攻撃されたのだから。
早苗は少しためらうように口を開いた。
「……頭……撫でてください」
「……え…?」
思わず聞き返してしまった。
早苗が自分からそんなことを言ってくるとは思っていなかったのだ。
普段の早苗なら怖い思いをしてもどこか遠慮がちに笑って誤魔化してしまいそうなものだが今はそうする余裕さえないのかもしれない。
早苗は恥ずかしそうに視線を落とした。
「……だめ、ですか?」
「いや、そんなことないよ。……分かった」
俺は早苗の頭にそっと手を置いた。
緑色の長い髪を乱さないようにゆっくりと撫でる。
早苗は一瞬だけ肩を震わせたがすぐに目を閉じて小さく息を吐いた。
その様子は普段のしっかり者の巫女とは随分と違って見えた。
俺は何も言わずしばらく早苗の頭を撫で続けた。
こんなことで怖さが消えるわけではないだろう。
それでも早苗がそうしてほしいと言うのなら今はその通りにしてやりたかった。
「……ありがとうございます」
「もう大丈夫か?」
「……はい。少しだけ、落ち着きました」
「よかった」
俺が手を離すと早苗は小さく微笑んだ。
しかしその表情はすぐに曇ってしまった。
「……あの妖怪……苦しそうでした」
「……そうだな」
「首にも手にもお札が貼られていて……。羽も、ぼろぼろで……」
早苗はそこまで言って言葉を詰まらせた。
俺もあの鳥の妖の姿を思い出していた。
あれほど傷ついていながら抵抗する様子もなかった。
女に逆らえばどうなるのかそれを十分に理解しているようにも見えた。
もちろんあの妖が過去に何をしたのかは分からない。
人間に危害を加えたことがあるのかもしれないし何かの理由であの女に従わされているのかもしれない。
事情を知らない俺たちが見た目だけで判断するのは危険だ。
だがそれでも早苗が何を言いたいのかは痛いほど分かった。
早苗は足元に落ちていた紙人形を拾い上げた。
白い紙についた砂埃を指先で払い、両手で大切そうに持つ。
「……あの女の人とは言葉が通じているのに」
「……うん」
「ちゃんとお話ができるはずなのに……どうして……どうしてなんですか……?」
俺はすぐには答えられなかった。
妖と人間は違う生き物だ。
生まれも寿命も持っている力も違う。
人を襲う妖がいることも事実だし人間と妖が必ずしも分かり合えるとは限らない。
それは俺自身今までの経験からよく知っている。
だが言葉が通じるということは相手にも考えがあり意思があるということだ。
話し合える余地があるのなら力で押さえつける以外にも方法はあるはずだ。
少なくとも俺はそう思っている。
だからこそ早苗の問いに簡単な答えを返すことはできなかった。
俺は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「祓い屋にもいろんな人がいるんだと思う。妖が好きな祓い屋だっているかもしれないし逆に妖が嫌いでも仕方なく式にして従わせている祓い屋だっているのかもしれない。あの女の人もそういう考えを持った人なのかもしれない」
「……はい」
「もちろん、俺はあんなやり方を良いとは思わない。けどあの妖がどうして連れられていたのかも分からないしあの女の人にどんな事情があるのかも知らないからな……」
そこで言葉を切り、女が去っていった方を見た。
「……ああいう人もいる。きっとそれだけなんだと思う」
随分と曖昧な答えになってしまった。
もっと気の利いたことを言えれば良かったのかもしれないが、俺にはこれが精一杯だった。
妖に対してどのように接するべきなのかそんな問いに明確な答えがあるとも思えない。
人間にだって善人と悪人がいるように妖にだってそれぞれ違いがある。それを一括りにしてしまうこと自体がそもそも間違っているのかもしれなかった。
早苗は俺の言葉を聞きながら手の中の紙人形を見つめていた。
その姿を眺めながら俺は一つのことを考えていた。
今後、祓い屋の会合があったとしても早苗を連れてくるのは良くないのかもしれない。
今回の会合には各地から大勢の祓い屋が集まっている。
中には親切な人もいたし俺たちの知らないことを教えてくれる者もいた。物部布都のように一見すると変わり者でも話してみれば何かを知るきっかけになる者だっている。
しかしその一方で先ほどの女のような祓い屋もいる。
早苗は普通の人間とは少し違う。
現人神であり、守矢神社の巫女でありそして神奈子と諏訪子という二柱の神とともに暮らしている。
普段は高校生として生活しているがその身に宿る霊力は並の人間とは比べものにならない。
そんなことは俺もよく知っている。
あの女は早苗を妖だと思ったと言っていた。
とても霊力の高い妖に似ていた、と。
つまり早苗の持つ力を感じただけで人間かどうかも確かめずに攻撃しようとしたということだ。
もし今後同じような考えの祓い屋と出会ったらどうなるだろう。今回のように俺がすぐ傍にいるとは限らない。
そう考えるとどうしても不安が残る。
早苗を守るためにもこういう場所には連れてこない方が良いのかもしれない。
そんなことを考えていた俺に早苗が思いがけない質問をしてきた。
「……護くん」
「ん?」
「……護くんは、妖怪……好きですか?」
予想していなかった問いだった。
俺は思わず早苗の顔を見た。
早苗は俯いたま紙人形を両手で包むように持っている。
その声には何かを確かめようとするような響きがあった。
妖怪が好きか、か。
俺は頭の中でこれまで出会ってきた妖たちのことを思い浮かべた人間に害をなす者もいれば、ただ自分の居場所を守ろうとしている者もいた。
人を驚かせることを楽しむ妖もいれば、普通の人間とさほど変わらない生活を送っている妖もいる。
金物屋で働いている多々良小傘のような妖怪だっているのだ。
そして真っ先に浮かんだのはやはり身近な二人の姿だった。
神奈子と諏訪子。
もっとも、あの二人は妖怪ではなく神なのだが。
神奈子は酒を飲んでは豪快に笑い、諏訪子はいつも気ままに振る舞っている。
時には面倒なことを言い出すこともあるし、二人の考えていることが分からなくなることだってある。
それでもあの二人が早苗を大切に思っていることは俺にもよく分かる。
人間ではないからといって嫌う理由にはならない。
俺はそう思っている。
だがそこでふと早苗の顔を見た時、あの女の言葉が脳裏をよぎった。
――とても霊力の高い妖に似ていたもので。
早苗は人間だ。
しかし現人神である早苗は普通の人間とは違う力を持っている。
見る者によってはあの女のように妖と見間違えることもあるのだろうか…?。
もしかすると早苗はそのことを気にしているのかもしれない。
ただ妖怪が好きかどうかを尋ねているだけなのかもしれないが今の早苗を見ているとそれだけではないような気もした。
俺は少しだけ考えてから答えた。
「……妖怪にもよるけど優しい妖怪なら好きだよ」
口にしてから妙な気分になった。
別におかしなことを言ったつもりはない。
俺はただ妖怪だからという理由だけで嫌ったりはしないと伝えたかっただけだ。
それなのに目の前にいる早苗に向かって「好きだ」と言っているような、そんな感覚があった。
早苗が妖怪ではないことなど俺が一番よく知っているはずなのに。
いったい俺はどんな顔をしていたのだろう。
「……そうですか」
早苗はそれだけ答えた。
少し安心したようにも見えたし何か考え込んでいるようにも見えた。
けれどそれ以上何かを尋ねてくることはなかった。
ただ両手で持っていた紙人形をそっと制服のポケットへしまった。
しばらくして俺は立ち上がった。
中庭にはいつの間にか静けさが戻っていた。
先ほどまであった異様な緊張感も薄れ、遠くからは再び祓い屋たちの話し声が聞こえてくる。
何事もなかったかのようないつもの会合の賑わいだった。
俺たちにとっては決して何事もなかったとは言えないのだが。
「……早苗」
「はい?」
俺は早苗の前に手を差し出した。
「帰ろうか」
早苗は差し出された手を見つめて、それからゆっくりと頷いた。
「……はい」
早苗が俺の手を取った。
その手を引いて立ち上がらせると、早苗は服についた砂埃を軽く払った。
どうやら足の力も戻ってきたらしい。
まだ少し顔色は悪いが先ほどよりは落ち着いたように見えた。
俺はその様子を確認してから中庭の出口へ向かおうとした。
しかしそこで早苗が口を開いた。
「……護くん」
「ん?」
「……また、連れてきてくれますか?」
俺は足を止めた。
「……え?」
「こういう会合に…です」
早苗は俺の顔を見上げていた。
俺はすぐに返事ができなかった。
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだ。
あんな危ない目に遭ったばかりなのに。
今まで早苗と一緒に怪異に立ち向かったことは何度もあった。
妖に襲われたこともあれば、危険な術を使わなければならない場面だってあった。
しかし今回はそれらとはまったく違う。
相手は人間だった。
それも俺と同じ祓い屋だ。
妖から人を守るために術を使うはずの祓い屋が早苗を妖だと決めつけ木刀を振り上げた。
もし早苗が守矢神社の巫女だと名乗らなかったらどうなっていたのか分からない。
そんな場所へもう一度連れてきてほしいと言われて簡単に頷けるはずがなかった。
それに祓い屋の中には神社の巫女という存在を快く思わない者だっているのかもしれない。
今回の女のように強い霊力を持つ者を妖と疑う人間もいる。
早苗が現人神であることを知ればどのような反応を示すか分からない者もいるだろう。
考えれば考えるほど連れてこない方が良い理由ばかりが浮かんできた。
「……早苗、本当にまた来たいのか?」
「はい」
「今回みたいなことが…また起きるかもしれないぞ?」
「……それは、怖いです」
早苗は素直にそう答えた。
「正直、まだ少し怖いです。あの女の人の顔も……思い出すと身体が震えそうになります」
「……うん」
「でも……」
早苗は少しだけ言葉を探すように視線を落とした。
「今日、いろんなお話を聞けました。護くんの知らないことも私の知らないこともたくさんありました。あの女の人みたいな方もいるんだって……それも今日初めて知ったことです」
俺は黙って早苗の言葉を聞いていた。
「怖いからって、もう来ないようにしたら……きっと、知らないままになってしまうと思うんです」
「……そうか」
「それに、護くんと一緒なら……また来てみたいです」
早苗はそう言って、小さく微笑んだ。
俺は返す言葉に困ってしまった。
こういう時の早苗は、時々俺の予想を簡単に飛び越えてくる。
危ない目に遭ったのだからもう二度と来たくないと言われてもおかしくない。
それなのに早苗は怖かったことを認めたうえでまた来たいと言っているのだ。
強いな、と思った。
強いというよりも早苗は自分が知らないことから目を背けたくないのかもしれない。
考えてみれば今回の会合で得られたものは少なくなかった。
祓い屋の世界がどのようなものなのかもほんの少しは理解できた。
そして物部布都という俺の祖父や曾祖父のことを知る少女とも出会えた。
早苗にとっても守矢神社や自分の家について何かを知るきっかけになるのかもしれない。
それらをすべて危険だからという理由で遠ざけてしまうのは少し違うのだろう。
もっともだからといって危険な目に遭わせて良いわけではないのだが。
「……うーん……」
俺はしばらく考え込んだ末、大きく息を吐いた。
「本当は、今回のこともあるし駄目だって言いたかったんだけどな」
「……はい」
「正直またあんな人に出会うかもしれないと思うと俺も心配なんだ。今回だって本当に危なかったんだ」
「……すみません」
「早苗が謝ることじゃないよ。あんな攻撃をしてきた方が悪いんだ」
俺はそう言ってもう一度早苗の顔を見た。
早苗は真剣な表情で俺の返事を待っていた。
ここまで言われてしまっては、俺もいつまでも駄目だとは言っていられない。
何より早苗が自分の意思で来たいと言っているのだからそれを尊重してやりたいと思った。
「……分かった。また一緒に行こうか」
「……!」
早苗の表情が明るくなった。
「ただし、今度からはもう少し気をつけよう。今日みたいにいきなり駆け出されたら俺も対応しきれないかもしれないから」
「……はい。ごめんなさい。あの妖怪があまりにも苦しそうだったので、つい……」
「気持ちは分かる。俺もあれは見ていて嫌だったしな。でも助けようとして早苗が怪我をしたらそれこそ大変だから」
「はい。次からは護くんにも相談します」
「ああ。そうしてくれ」
俺が頷くと早苗はようやくいつもの笑顔を見せた。
「ありがとうございます、護くん」
「……どういたしまして」
そんなやり取りをして俺たちは中庭を後にした。
洋館の中へ戻ると相変わらず祓い屋たちの話し声が響いていた。
騒ぎなんか最初から存在しなかったかのような様子だ。
こうした会合に何度も参加している者たちにとってはあの女の振る舞いも見慣れたものなのかもしれない。
俺はそれが少しだけ恐ろしかった。
妖を嫌うことも、妖を使役することも、祓い屋の世界では珍しくないのだろう。
でもあの鳥の妖のように何も言わずに従うことしかできない存在がいるのならそれを当たり前のこととして受け入れてしまって良いのだろうか。
答えは出なかった。
でも俺はあの女のようにはならないと思った。
そして早苗にも二度とあんな思いをさせたくなかった。
そんなことを考えながら廊下を歩きやがて俺たちは洋館の玄関へと辿り着いた。
外へ出ると秋の涼しい風が吹いている。
森の中は少し薄暗くなり始めており木々の隙間から差し込む日の光も来た時より随分と傾いている。
「……もうこんな時間か」
「いろいろありましたからね」
「そうだな。なんだか随分長い時間いたような気がするよ」
「ふふっ、私もです」
早苗はそう言って笑った。
その笑顔を見て俺はようやく少しだけ安心した。
今日一日で俺たちはいろんなものを見た。
集まった祓い屋たち。
祖父や曾祖父のことを知る物部布都。
そしてスメラギ家と呼ばれる祓い屋の存在。
祓い屋の世界について今まで知らなかったことを少しは知ることができたのだろう。
それと同時に知らなかった方が良かったのかもしれないと思うようなものまで見てしまった。
それでも早苗は、また来たいと言った。
俺は隣を歩く早苗を見た。
早苗はすっかり落ち着いた様子で森の木々を眺めながら歩いている。
その服のポケットには先ほど落とした俺の紙人形がしまわれている。
次に会合へ来る時にはもう少し強い守りの札を持たせておこうか。
そんなことを考えていると早苗がこちらを向いた。
「護くん?」
「ん?どうした?」
「いえ、何か考え事をしているみたいでしたので」
「ああ、ちょっとな」
「また難しいことですか?」
「……まあ、そんなところだ」
「ふふっ。護くんも大変ですね」
「あああ誰の心配をしてると思ってるんだか……」
「え?」
「いや、なんでもない」
俺がそう答えると早苗は不思議そうに首を傾げた。
まったく…。
こうしていつも通りに話しているとついさっきまであんなことがあったなんて嘘のように思えてくる。
それでも早苗がまた一緒に行きたいと言うのなら。
その時は俺も一緒に行こうと思う。
俺たちは会合の開かれていた洋館を後にした。