10月朝晩の冷え込みが一段と厳しくなってきた。
ついこの間まで暑い暑いと言っていた気がするのに今では登校する生徒の中にも上着を羽織る姿が目立ち始めている。
諏訪の秋というのはどうにも季節の移り変わりが早いようにも感じる。
そんなある日のホームルーム。
いつもなら連絡事項を伝えて終わるはずの時間だったが今日は少しばかり様子が違っていた。
「今日は皆に話し合ってもらいたいことがある」
教壇に立った先生がそう言い黒板に大きく文字を書き始めた。
『文化祭』
三文字が書かれた途端、教室のあちこちから声が上がった。
「おっ文化祭!」
「そういえばもうそんな時期か!」
「何やるんだ、うちのクラス」
途端に賑やかになった教室を前に先生は持っていたチョークを置き軽く手を叩いた。
「静かに。盛り上がるのはいい。まずは先生の話を聞いてくれ」
それでようやく声が小さくなったところで先生は文化祭について説明を始めた。
「毎年各クラスで出し物をする。ここのクラスもそうだ。一つ決めてもらいたい。三年生は模擬店が中心になるが一年生は可能な限り教室を使った体験型の企画を中心に考えてくれとのことだ。
お化け屋敷でもゲームでも構わない。もちろん予算や安全面のこともあるから何でもできるというわけではない」
先生が話している間にも周囲からは小さな声であれやこれやといった相談が聞こえてくる。
文化祭か。
言われてみれば、そんな時期だったなと思う。
そんなことを考えながら俺は何気なく窓の外へ視線を向けた。
教室の窓からは諏訪の町並みとその向こうに連なる山々の姿が見える。
青く澄んだ秋空の下、山の木々はまだ緑を多く残していたがところどころ黄色や橙色が混じり始めている。
これから冷え込みが強くなれば山全体が少しずつ赤や黄色に染まっていくのだろう。
ふと、ある場所が目に留まった。
遠くに見える山のその一角だけそこだけ妙に赤かった。
周りの山肌はまだ緑が目立つというのにその部分だけが紅葉の見頃を迎えたかのように鮮やかな色をしていた。
まるで山の一部分だけ季節が先に進んでしまったみたいだ。
なにあれ?。
もうあんなに紅葉が進んでいるのか?
確かに最近は朝晩の気温も低くなってきた。
場所によって紅葉の進み具合が違うことくらいは知っている。
それでもあそこだけが赤く見えるのは少し不思議だった。
日当たりの関係か…それともあの辺りには色づくのが早い木でも?
そんなことをぼんやり考えていると
「なぁなあ!書本!お前もメイド喫茶がやりたいよな!」
「え?」
突然、横から声を掛けられた。
振り向けば近くの席に座っていた男子がなんか期待に満ちた顔でこちらを見ている。
「ごめん。聞いてなかった。…なんでメイド喫茶?」
「おいおい何ぼーっとしてんだよ!紅葉か?大事な文化祭だぞー!」
どうやら俺が窓の外を眺めている間にクラスでは既に出し物の候補がいくつか挙がっていたようだ。
黒板を見ると『お化け屋敷』『縁日』『喫茶店』『脱出ゲーム』といった文字が並んでいた。
なるほど。
メイド喫茶というのはその候補の一つなのだろう。
「いいか書本。お前がメイド喫茶をやろうと言えば東風谷さんのメイド姿が見られるんだぞ……!俺は見たい!」
「…………」
俺は思わず黙ってしまった。
そんな堂々と言われても困る。
確かにメイド喫茶というのだから女子がメイド服を着て接客することになるのだろう。
そういうものが文化祭の定番になっていることくらいは知っている。
こいつの言うとおりなら早苗もその格好をすることになるわけで……。
……早苗がメイド服か。
つい隣の席に座っている早苗へと視線を向けてしまった。
ちょうど早苗もこちらを見ていたらしくぱちりと目が合った。
「…………」
その瞬間、早苗は何も言わずにすっと顔を逸らしてしまった。
……なんで?
気のせいか横顔が少し赤くなっていたようにも見えた。
窓から差し込む日差しのせいかもしれない。
不思議に思いながら見ていると早苗はそのまま黒板の方へ顔を向け手元のノートに視線を落としてしまった。
「書本。どうなんだよー」
「俺はーー」
そう言いかけた辺りで教室の反対側から声が飛んできた。
「せんせー!男子たちがいやらしいこと考えてますーー!!」
「ちょっ!おい!今いいとこだったろう!」
「何がいいとこなのよ!」
「文化祭の出し物を真剣に考えてただけだろ!」
「どこが真剣なのよ!」
言い返す男子に女子たちから容赦のない声が飛ぶ。
そのやり取りに教室のあちこちから笑いが起こった。
「メイド喫茶も候補としてはいいがちゃんとクラス全員の意見を聞いてな」
先生が苦笑いしながら間に入ると男子は不満そうに唇を尖らせた。
「えー、でもメイド喫茶いいと思うけどなぁ」
「まあほら、他のクラスも出すかもしれないだろ?。別にうちじゃなくてもいいんじゃないか?」
別の男子がそう言うと当の本人も少し考え込んだ。
「……それもそうか」
納得するのか。
どうやらこいつにとっては自分たちのクラスでやることよりもメイド喫茶そのものが文化祭に存在することの方が重要らしい。
なんとも分かりやすい奴だと思う。
「それじゃあ他には何か意見はあるか」
先生が黒板の方へ向き直ると今度は別の生徒が手を挙げた。
「じゃあ、お化け屋敷は?」
「あー。候補にあるとこ悪いが他のクラスがやるって言っていた。ホラー作るのが好きなのがいるらしいからな」
「なんだそりゃ」
思わず笑いが漏れる。
ホラーを作るのが好きな奴、か。
世の中にはそういう趣味の人間もいるのだろう。
怖がらせる仕掛けを考えたり暗い教室を飾り付けたりするのも好きな奴にとっては楽しいものなのかもしれない。
もっとも俺としては少々複雑な気分だ。
普段から本物の怪異を相手にしている身としてはわざわざ学校で怖い思いをする必要があるのだろうかと考えてしまう。
もちろん文化祭のお化け屋敷と本物の怪異は別物なんだろうけど。
ふと隣を見ると、早苗も黒板に書かれた『お化け屋敷』の文字を眺めていた。
少しだけ首を傾げている。
何を考えているのかまでは分からないがもしかしたら俺と似たようなことを思っているのかもしれない。
「えー、じゃあ縁日か」
お化け屋敷の話が落ち着いたところで、今度は女子の一人が新しい案を出した。
「縁日?」
「そう。射的とかくじとかサメ釣りとか。お祭りみたいにするの」
「いいじゃん?」
「それなら教室でもできそうだな」
その案には何人かの生徒が興味を示した。
確かに悪くない。
小さな屋台をいくつか用意して教室の中でお祭りの雰囲気を楽しんでもらう。
射的なら的と景品を並べる台があればいいしくじ引きも大掛かりな道具は必要ないだろう。
それに作るものによっては予算もそれほど掛からないかもしれない。
「ところでサメ釣りって何?」
「えっ、知らない?紐の先に景品がついててそれを釣るやつ」
「あー!あれか!」
「そうそう。あとは輪投げとかもいいよね」
「だったら射的がいいな。いかにも祭りって感じだし」
話が進むにつれて最初は漠然としていた縁日の案が少しずつ具体的になってきた。
教室の一角に射的の場所を作りもう一方にはくじ引きを用意する。飾り付けを工夫すれば本当のお祭りのような雰囲気になるかもしれない。
そんな意見が次々と出てくる。
男子の一人が先生に向かって手を挙げた。
「先生、射的っていいんですか?」
「いいぞ」
あっさりとした返事だった。
「おお、いいんだ!」
「もちろん、人に向けて撃ったりしないこと。安全に遊べるものを使うように」
「はーい!」
「よし!じゃあ射的に一票!」
勢いよく手を挙げる男子。
するとそれに続くように隣から声が聞こえた。
「私も射的がいいと思います」
早苗だった。
見れば先ほどまで顔を逸らしていたのが嘘のようにしっかりと手を挙げている。
「射的ならみんなで準備できそうですし景品や飾り付けを考えるのも楽しそうです!」
「おっ東風谷さんも射的派か!」
「はい!お祭りみたいで楽しそうですから」
早苗はにこにこと笑いながら答えた。
なるほど。
早苗は守矢神社の巫女だ。
神社のお祭りにも関わってきたはずだしこういった催しには馴染みがあるのだろう。
それなら縁日をやりたいと思うのも分かる気がする。
「護くんはどう思いますか?」
早苗がこちらを向いて尋ねてきた。
「俺?そうだな。射的いいんじゃないか?」
「ですよね!」
「何を作ることになるかは分からないけどな」
「ふふっ、それも楽しみの一つですよ!」
そう言って笑う早苗を見ていると、なんだかこちらまで楽しみになってくる。
「そうだな」
文化祭というものに最初はそれほど強い興味があったわけではなかった。
けれどこうしてクラスのみんなが楽しそうに話しているのを見ているとせっかくなら何か面白いことをやってみたいという気持ちも湧いてくる。
「さて、と。縁日の案が人気みたいだな。他にも何かあるか?」
先生が問いかけると今度は脱出ゲームを推す声や教室を使った迷路を提案する声も上がった。
ただ迷路は教室の広さを考えると少し難しいらしい。
脱出ゲームについても問題や仕掛けを一から考える必要があるため、準備が大変そうだという意見が出た。
一方で縁日は用意するものをある程度自由に選べることもあって賛成する生徒が多かった。
「だったら、縁日の中でも射的を中心にしたらどう?」
「うーん?」
「いろいろ用意するより一つをちゃんと作った方が面白そうじゃない?」
「なるほどねー。それはあるかも」
「景品もいっぱい置けるしな!」
「じゃあ射的の的を工夫するとか?」
「倒した的によって景品が変わるようにしたら面白そう!」
次々と出てくる意見に先生も頷いている。
確かに射的だけなら作るものも絞れるし準備もしやすいだろう。
教室に何種類もの遊びを用意するとなれば、それぞれの道具や景品を揃えなければならない。
けれど射的一つであればその分だけ飾り付けや仕掛けに力を入れることができる。
それに射的台を作るくらいなら俺にも手伝えそうだ。
普段作っている術具とは勝手が違うだろうが工作そのものは嫌いではない。
「よし、じゃあ…」
先生が黒板に並んだ候補を指し示した。
「今出ている案の中から多数決で決めよう。まずはお化け屋敷がいい人」
ぱらぱらと手が挙がる。
「次にメイド喫茶店がいい人」
「はいっ!」
先ほどの男子が勢いよく手を挙げた。
しかしその周りでは数人が申し訳なさそうに笑っているだけで、手を挙げる生徒は彼だけだった。
「おい!なんで俺だけなんだよ!」
「いや射的の方が面白そうだし」
「裏切り者めー!」
また教室に笑いが起こる。
その後、脱出ゲームなどの候補についても順番に手を挙げていき、最後に射的の番が回ってきた。
「では射的がいい人」
「はーい!」
今度は教室のあちこちからたくさんの手が挙がった。
早苗も元気よく右手を伸ばしている。
俺もそれに続いて手を挙げた。
先生は人数を数え終えると黒板の前で頷いた。
「射的に決定だな」
「よっしゃー!」
「射的だー!」
「景品どうする?」
「それはまた後で考えようぜ!」
あちこちから歓声が上がる中、先生は黒板に書かれていた候補を消し代わりに大きく『射的』と書き直した。
その文字を囲むように何人かの生徒が拍手をする。
こうして俺たちのクラスの文化祭の出し物は射的に決まった。
……のだが
「あぁ〜……女子のメイド喫茶はなしかぁ……あぁ〜……」
俺にメイド喫茶を勧めてきた男子が今にも溶けてしまいそうな声を漏らしながら机に突っ伏していた。
よほど残念だったらしい。
「まだ言ってるのかよ」
「だってよぉ、書本……文化祭だぞ?一年に一回しかないんだぞ?」
「そこまで落ち込むなよ」
「お前には分からないのか……この気持ちが……!」
「うーん、分からん」
俺がそう答えると、男子は大袈裟に天井を仰いだ。
「くそぉ……せっかく女子のメイド姿が見られると思ったのに……!」
するとその声を聞き逃さなかった女子が言う。
「せんせー!また男子が変なこと考えてまーす!」
「おい!ただ残念がってるだけだろ!」
「それが変だって言ってるの!」
「なんでだよー!」
そのやり取りに教室中がどっと笑いに包まれた。
先生まで笑いを堪えながら呆れたように首を振っている。
文化祭なんてまだ少し先のことだと思っていたがこうして出し物が決まるといよいよ近づいてきたのだと実感する。
けれど早苗も随分と楽しみにしているみたいだし俺もできることがあれば手伝ってみようと思う。
そうして賑やかなホームルームはいつもより少しだけ楽しげな空気を残して終わった。
こうして俺たちのクラスは文化祭で射的をやることになったのだった。