椎名からのチャットに一之瀬は喜び、(もちろん許可を取ったうえで)渉が椎名の連絡先を教えると、すぐに一之瀬は椎名へ返礼の電話を掛けた。
弾む声で会話を交わす彼女らを横目に、渉も端末に番号を入力して
『もしもし』
「廻屋です。今お時間よろしいですか?」
『ああ。どうした』
「なるべく近いうちにそちらに伺いたいのですが、どうでしょうか」
『今日でいいなら、今からでも構わない。場所は、お前なら分かるだろう』
「ありがとうございます。10分ほどかかるかもしれませんが、構いませんか?」
『それでは待っていよう。――答えが聞ける、と思っていいんだな?』
「はい、そのつもりです。それでは」
渉は電話を切ると、椎名との通話を切り上げた一之瀬に声をかけた。
「一之瀬さん、今いいですか?」
「今? うん、いいよ」
「中間試験についてです。どのような対策を打つつもりですか?」
Cクラスの妨害問題がひと段落付いたこともあり、渉も本来の試験対策へと舵を切る。
試験が2週間後に迫った今、急に通達された試験範囲の変更にどう対応すべきか、改めて問うのだった。
「さっきも言ったけど、勉強会の講師役にサポートをつけて講師役の負担を減らすつもり。試験範囲が変更になったことで、要点を見直さなきゃいけないからね。とりあえず、二宮さんと初川さんが神崎くんと浜口くんのサポートに入ってくれることになったけど……」
そこまで言ってから、一之瀬は申し訳なさげな表情になった。
「廻屋くん、サポートなしでも大丈夫? 負担が大きいのは重々承知だけど、教える側に回る余裕がある子がいなくて……」
「私は構いません。試験範囲は確認しましたし、十分対処できます。一之瀬さんは、変わらず全てに参加するので?」
「うん、大丈夫だよ。小テスト満点だった君の前で言うのもなんだけど、元々勉強は得意だから。それに私はリーダーだから、なるべくクラスのみんなのことは見ておきたいの」
細かい点は神崎や浜口とも連携しなければいけないが、もとよりBクラスには勉学に大きな不安がある生徒はいないため、勉強会については問題ないだろう。
渉は講師役としてこれまでの勉強会に参加していたが、偶に飛んでくる不明点を軽く解説する程度で済んでいた。
「勉強会以外では、どうですか?」
「というと、廻屋くんが星之宮先生に質問してたあれだよね。『全員が赤点を回避する方法はあると確信している』ってやつ」
世の中に絶対はない。
Bクラスの学力平均が他クラスより高いとしても、1教科でも赤点を取れば退学というプレッシャーがある中、赤点回避に『確信』という言葉を使うのは違和感があった。
そしてその違和感に引っかかっていたのは渉だけではなく、一之瀬もそうだった。
「そうです。一之瀬さんはどう思いましたか? 私の見間違いでなければ、何か引っかかっていたようでしたが」
「……よく見てるね。うん、そうだよ。4月に、廻屋くんは先生の細かな言葉とか色んな事から『ポイントが減少するかもしれない』って言ったよね。そして事実、それは正しかった。だから今回もそうかもしれない、って思ったの」
「細かな違和感を検証し、仮説を立てたわけですね」
先月、渉は学外のカフェに彼女と神崎を呼び出してSシステムや学校に事についての仮説を話した。
その時話した内容――都市伝説の調査や考察の際に行う検証と仮設の積み重ねは、渉にとって何ら特別な事ではない作業だが、カフェで聞いた渉の仮説と実際に明らかになった情報を照らし合わせて驚愕した一之瀬にしてみれば、今後のために参考にして実行しようとしても不自然ではない。
近くて遠い廻屋渉を知りたいと考え、見てきた彼女ならば。
感心して頷く渉に、一之瀬は謙遜するように苦笑した。
「そこまで立派なものじゃないよ。君が質問してくれなければ、きっと気づけなかったから。それに、具体的な方法まで分かったわけじゃないし……」
「では、答え合わせに行きますか」
「え?」
目を瞬かせる一之瀬を先導するように、渉は確かな足取りで校舎を進むのだった。
= = =
そして渉を追って辿り着いた場所に、一之瀬帆波はその扉と渉の顔を呆然と見比べる。
『生徒会室』
そのネームプレートは、一之瀬にとって単なる言葉の羅列という意味に納まらない。
先月、彼女は生徒会を志望して面談を受けた。
生活態度や面談での受けごたえには自信があったのだが、結果は不合格。
ショックを受けはしたが諦める一之瀬ではなく、担任の星之宮に尋ねるなどして再度その門を叩くつもりだった。
挑戦であり、目標であり、壁でもある生徒会。
今の一之瀬にとって、何の心の準備もなく尋ねる場所ではなかったのだが。
「失礼します、廻屋です」
「入れ」
ノックした渉に返ってきたのは厳格そうな印象を受ける声――もちろん、一之瀬には聞き覚えのある声だ。
条件反射で緊張する一之瀬をよそに扉を開いた渉はさっさと入室してしまい、数舜だけ躊躇った彼女だったが、意を決したように自身の頬を軽く叩くとその後に続いた。
「し、失礼します」
「よく来たな、廻屋渉。そして一之瀬帆波」
「お久しぶりです、堀北生徒会長」
渉の挨拶に続き、一之瀬も一礼する。
その先は言うまでもなく、この部屋の主である生徒会長・堀北学。
ちょうど今は休憩中のようで机にはコーヒーが入ったカップが置かれており、傍らにお団子ヘアーの女生徒が盆を手に不思議そうな表情で立っていた。
「あの、会長。彼らが客人ですか?」
「そうだ。紹介しよう、彼女は
「初めまして、廻屋渉です」
「一之瀬帆波です」
2人の自己紹介に柔和な表情で返す橘。
彼女は視線を渉の方に向けると、数秒の思案の後合点がいったという風に頷いた。
「確か、入学式で代表挨拶をしていましたね。今日はなぜ生徒会に?」
「堀北会長に頼みたいことがあって来ました。それから、以前生徒会に勧誘して頂いた件の返答を」
渉の言葉に女生徒2人は驚いた。
とはいえ、橘の方は納得が半分を占めていたのに対し、一之瀬は純粋に驚愕したという違いはあったが。
「廻屋くん、生徒会に誘われてたの!?」
「会長直々に勧誘されたのはびっくりしましたけど、首席の1年生ならまあ……」
「申し訳ありませんが、生徒会の件は断らせていただきます」
「って、断るんですか!?」
堀北会長を尊敬している橘は『会長のやることなら』と受け入れようとしたが、続く渉の返答に先輩の余裕を剝がされてしまう。
信じられないと言わんばかりに目を見開いて凝視してくる橘と対照的に、堀北会長は泰然とした態度を崩さなかった。
「だろうな」
「いいんですか!? 会長直々のお誘いなんて羨ま……凄く名誉なことなのに!」
「だそうだが。一応理由を聞いておこうか」
厳格な生徒会長に付き従っているから、橘もそれ相応に堅物な人物なのかと思ったが、ノリツッコミに本音が滑り出かかったりと、素は緩い感じの人物のようだ。
憧れの生徒会で突如として始まったコントじみたやり取りに目を白黒させている一之瀬をよそに、渉は口を開いた。
「すでに水泳部に入っているから、だけでは理由として不十分ですね。簡単に言えば将来のためです」
「生徒会では不足か?」
「進学や就職するための武器にはなるでしょう。学校生活を送る上で、ある程度の便宜を図ることができる点も理解しています。将来のためというのは、民俗学を専攻する上でフィールドワークに必要な体力を培うためという意味です。恥ずかしながら、私は体力に乏しいですので」
渉の兄・努は生前大学の助教授をしており、民俗学を専門にしていた。
幼いころ、渉が入り浸っていた彼の研究室には膨大な数の取材記録が残されており、頻繁に現地に赴いて交流・調査したフットワークの軽さを物語っていたのだ。
リモートで取材すればいいと思われるかもしれないが、努は民俗学というマクロな歴史を研究するためならば、実際に足を運んで現地の空気を感じことを重視しており、そのスタンスを崩すことはなかった。
取材に向かった山中の寺院や辺境の村々など、赴くだけで体力を必要とするのは想像に難くない。
その上で、さらに趣味のオカルト研究の本も書いて出版していたのだから、努のバイタリティは相当なものだったのだ。
「なるほどな。将来の人生設計を見据えての選択なら、外野がとやかく言うものではないだろう。――それで、頼みたい事があるのだったな」
「はい。堀北会長、1年生1学期の中間テストの過去問をお持ちでないですか? 持っていたら、譲ってほしいのですが」
急な試験範囲変更にもかかわらず、全員が赤点を回避する方法が存在する、という違和感。
勉強ができるA・Bクラスならともかく、椎名や小野寺から聞いた限りではC・Dクラスの授業態度は酷いなんてものではなく、上位クラスと下位クラスでは学力に大きな隔たりがあることは間違いない。
それでも全員が赤点を回避できるというなら、事前に問題を知っているぐらいの措置が必要になる。
教師は生徒に肩入れできないから、頼るべきは先輩――つまり過去問であると結論付けたのだ。
「――というのが、対策が過去問であるという考えに至った経緯です。毎年同じ問題が出て事前にそれを知ることができるというのは、『日々の学習の成果を確認する』という学力テストの本懐からは外れていますが、クラス対抗戦のチュートリアルを兼ねているのでしょう」
「断片的な情報から、よくそこまで論理立ててみせるものだ。1万ポイント払うなら、一昨年と一昨々年の過去問を渡そう」
「取引成立ですね」
呆気に取られている女生徒2人をよそに、ポイントのやり取りは恙なく行われた。
2年分の過去問のPDFをチェックして一字一句同じことを確認した渉が端末をしまうと、堀北会長が意地の悪い笑みを浮かべた。
「さて、廻屋。今送った過去問だが、果たして本物かな? 間違った情報は、時に惨事を引き起こすぞ」
「……ッ!」
間違った過去問――会長が提示したその可能性に、一之瀬が小さく息をのんだ。
しかしもう1人の橘書記は呆れとも不審とも言い切れない、本意を掴みかねているような微妙な表情を会長に向けていた。
少し考えれば分かる理由であり、敢えて今ここで言うようなことでもない。
であれば、会長の本意は額面通りではないだろう。
「他の先輩に確かめればすぐにばれる噓を、貴方が吐くとは思えません。それにポイントのやり取りが履歴として残っている以上、偽物を掴ませるのは下級生からポイントを騙し取る詐欺行為ととられかねませんよ」
茶番じみたやり取りを回しながら、渉はその真意を考える。
「(……なるほど、一之瀬さんが生徒会の面談に落ちた理由か)」
過去問が偽物であった場合、と伝えた際の一之瀬の反応。
騙し討ちにも近いその手を指摘された際の硬直は、『搦め手に弱い』という彼女の弱点が露呈したものだ。
過去問を入手するのは部活の先輩に頼む方が楽なのに、わざわざ生徒会に訪れて問答を広げた理由は一之瀬が生徒会に落ちた理由を探るためでもあった。
至らぬ部分があるならそれを自覚することで、クラスのリーダーとして成長して欲しいと思ってのことだったが、半分達成したと言っていいだろう。
しかし婉曲に伝えた理由は本人を前にしている配慮ともとれるが、どうにも違和感が残る。
渉は無意識に頬に当てようとする手を抑えつつ考えていると、不意に生徒会室の扉がガラリと開いた。
「お疲れ様でーす。堀北先輩、水臭いじゃないですか。客人が来るなら言ってくださいよ」
ノックもなしに入室してきたのは金髪の美丈夫。
恐らく2年生なのだろうが、軽薄に堀北会長に絡んでも彼に付き従う橘が止めないため、彼も生徒会役員なのだろう。
「南雲か。よく客人が来ていると分かったな」
「いえ、俺も今さっき同級生に聞いたんですよ。見知らぬ1年生が生徒会室に入っていくのを見たって」
「アポイントは取ったとはいえ、30分前でしたからね」
「――へえ。それでも堀北先輩が会ったのか……ん、お前入学式の」
何度目かも分からない覚え方に会釈で返す渉。
その美丈夫が渉を見定めていると、堀北会長が鶴の一声を上げた。
「彼は
「ご紹介に預かった、南雲だ。以後よろしく……堀北先輩、どっちか生徒会に入れるんですか?」
「いや、廻屋は既に部活に所属しているし、一之瀬は先日面談したが断った」
「へえ。通例では1年生も1、2人取るのに、ねえ……」
南雲の目が改めて渉と一之瀬へ観察するように、値踏みするように向けられる。
特に面談の件を出されて所在なさげな一之瀬に対するそれは顔や身体に向けられており、舐めまわすような視線だった。
確かに彼女の華やかな容姿とスタイルは男女問わず惹きつけるが、粘着質な南雲の視線は露骨で、彼が女好きであると渉が判断するのに十分だった。
困ったことに一之瀬の方はその自覚が薄いようだったため、視線を遮るように渉は一歩前に出る。
「はじめまして、廻屋渉です。貴方が南雲副会長ですか、噂は伺っていますよ」
「ほお、どんな噂だ?」
「入学時はBクラスだったにも拘らず直ぐにAクラスに上がり、今では2年生全体を実質的に支配しているとか」
「っ、学年を支配? そんなこと可能なんですか?」
一之瀬の驚愕した表情に気を良くしたのか、南雲は鷹揚と語り始めた。
もはや同学年に敵はなく、クラス対抗戦は決したも同然だと南雲は嘯く。
だからこうして学年を超えて堀北先輩に挑んでいるが、無碍にされている、と。
頭の回転が速く、体つきから高い身体能力も見てとれ、実績に違わず優秀なようだ。
しかし、それをひけらかすナルシストぶりにはついていけず一之瀬ともども反応に困っていると、再び堀北会長のストップが掛けられた。
「その辺でいいだろう。廻屋、一之瀬、今後の活躍を期待している」
「はい、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
一礼して、渉と一之瀬は生徒会を出ていく。
南雲雅――堀北学生徒会長と同じく優秀な人物のようだが、人柄の方は厳格で質実剛健な会長と対照的に軽薄で慇懃無礼な印象の美丈夫。
生徒会長を尊敬して慕っているようだが、その目の奥には野心と対抗心の光があった。
保守的か革新的かと聞かれれば、間違いなく革新的な人物なのだろう。
「(おそらく彼を警戒して、一之瀬さんは生徒会を落とされた――そういうことですか)」
その直感には根拠はないが、そう的外れでもないように思えた。
= = =
今日は放課後の勉強会も渉の部活動もないため、生徒会室を出た2人の足は自然と寮の方向へと向かっていた。
一之瀬の方は何か言いたげな雰囲気を放っていたが、おそらく生徒会に勧誘されていた件だろう、と渉は察していたものの自分からそれに触れるつもりがなく、必然的に2人の間には沈黙が漂っている。
「……すごいね、南雲副会長。Bクラスで入ったって、私たちを同じだね。どうやってAクラスになったのかな」
その沈黙がいたたまれなくなったのかは定かではないが、一之瀬が生徒会室での感想を呟いた。
Aクラスに上がることを目標にしている分、去年結果を出した南雲雅に憧憬のような感情を抱くのも無理からぬことではある。
ーーしかし。
「南雲先輩ですか。シンパシーを感じるのは結構ですが、警戒は怠らないでください」
「え?」
「お忘れですか? 2年生の退学者の数を。その実質的な支配者が誰だったかを」
「あ……」
2年生の方が3年生より退学者が多いという事実を思い出し、一之瀬の表情が緊張する。
退学者を出さない事をリーダーとしての信条にしている彼女にとって、この謎の解明は重要な事だった。
部活動をしている生徒を中心に上級生の情報収集を頼んでいたが、クラス間を超越した学年の支配者を自称する南雲雅の存在は、この謎の答えに最も近い場所にいると言っても過言ではないだろう。
「でも、南雲先輩が退学者を大量に出したっていうのは確定したわけじゃないんだよね。だったら……」
自分でも苦しい論理だと思っているのか、一之瀬の言葉は尻すぼみになってしまうが、断定の言葉はついぞ出てこなかった。
確かに南雲の件は明確な証拠があるわけでもないため、断定を避けるのは人として正しい行いだ。
しかし他人を信じる事ができるのは一之瀬帆波の美点ではあるが、時と場合によっては欠点になる。
加えて先の生徒会室での問答で露呈した搦め手に弱い点も然りだ。
ただし、強引な方向修正は彼女の善性を損なう結果にもなりかねず、それは渉の歓迎するところではない。
どこまで踏み込むかは、渉をしても繊細な問題だった。
「時に一之瀬さん。異性でも同性でも、告白されたことは?」
「え、っと‥‥・ないけど、どうして?」
話を変えるような渉の質問に返ってきたのは要領を得ないとでも言いたげな表情の一之瀬。
彼女の容姿と人柄で交際経験はおろか告白経験すらないというのは何の冗談だと思いつつ、渉は話を進める。
「警戒心を持つというのは、悪い事ではありません。自分を守ることにもつながります。ただでさえ貴女は魅力的な女性なのですから、無防備ではこの先貴女自身が困ることになりますよ」
「う、あ……」
渉の、憎からず思っている男性からの愛の告白じみた言葉に、一之瀬の心臓が大きく跳ねる。
熱くなる顔を思わず伏せてしまい、数秒間まともに彼の顔を見ることができなかった彼女だが、意を決して顔を上げて見れば渉の表情はいつも通りの穏やかさそのもので。
「どうかしましたか?」
特別な感情などないかのように不思議そうに首を傾げている事実に、一之瀬は思わずため息をついた。
「はあ……あのね、廻屋くん。誰にでもそんなこと言っちゃ駄目だよ?」
「そんなこととは?」
「それは、その……魅力的な女性だ、とか、そういうの」
「誰にでも何も、貴女が最初ですが」
「そういうとこだよ」
自分だけ空回りしていることに気付いた一之瀬はガックリと肩を落としたが、肩の力が抜けたのか、軽快なやり取りが再開される。
先ほどまであった生徒会勧誘を巡る小さな確執は、既にどこにも存在していなかった。