入学式が終えて昼前の教室。
高育の初日スケジュールは午前中の入学式のみとなっており、新生活の準備のためという配慮からか、午後は完全にフリーになっている。
「ねえ、廻屋くん。私たちは外出しようかと思ってるんだけど、君はこの後どうするの? もしよかったら……」
クラスメイト達から誘いを受けたのか、一之瀬が渉に尋ねた。
買い物にしても、遊びに行くにしても、急に与えられた十分な軍資金に若干15歳の少年少女が浮かれるのも無理はなく、互いの交流を兼ねて遊ぼうという意図なのだろう。
若干の期待が込められていたその申し出をありがたいと思いつつも、渉は自分の予定を理由に断ることにした。
「すみません、一之瀬さん。午後は学校を探索しようと思っているので」
「ううん、こちらこそごめんね。じゃあ、お昼ご飯は? 学食があるみたいだから、そこで一緒にどうかな?」
それならば、と渉の了承に一之瀬は嬉しそうに頷くと、固唾を飲んで成り行きを見ていた周りの生徒に話しかけに行った。
渉自身は人付き合いに消極的なつもりはないのだが、新入生代表挨拶を完璧にこなしたためか、彼自身の雰囲気故かクラスメイト達は気後れしてしまっており、隣席の一之瀬が代表して尋ねてきたようだった。
「すまない、少しいいだろうか」
後ろからかけられた声に振り返れば、目つきの鋭い端正な顔立ちの男子生徒が1人。
渉が記憶を辿ると、星之宮先生の説明に浮かれた顔をしていなかった生徒だと思い当たる。
確か名前は……。
「
「名前を憶えていてくれたか。改めて、神崎だ」
「廻屋渉です。よろしく、神崎さん」
手を差し出すと、神崎は快く握手に応じた。
そして改めて用事を問うと、奇しくも一之瀬と同じく昼食の誘いだった。
「一之瀬さんたちも一緒ですが、それでも?」
「構わない」
「分かりました。一応、一之瀬さんには私から伝えておきます。彼女たちは午後から遊びに行くようですが、神崎さんは?」
「遠慮させてもらう。騒がしいのは苦手でな」
それならばなぜ自分に話しかけてきたのか。
喧騒が嫌いなら一人でもいいはず。
そう口にせずとも疑問に思い、渉が神崎の目を見ていると、彼はどこかばつが悪そうに口を開いた。
「高育は全国から人が集まる国立の進学校で、入学式の新入生代表挨拶は入試で首席相当の成績を残した者が務めるものだろう? 大人数の前でも物怖じしない見事な挨拶だった。そんなお前との交流は俺にとって得るものがあると考えたまでだ」
極端とまではいわずとも、強い合理主義を持っているのか、それとも単に素直でないだけか。
ともあれ納得した渉は穏やかに笑い、支給された携帯端末を差し出し、神崎と連絡先を交換した。
色々な人間がいるのはいいことだ、と心の中で自分に言い聞かせながら。
= = =
「それ山菜定食? 廻屋くんって倹約家なの?」
学食に来た1年Bクラスの面々が券売機で食券を購入して食事を受け取るというポイント使用のチュートリアル的な行事をこなして席に着くと、渉の対面に座った一之瀬が軽い驚きと共に尋ねた。
渉が購入したのは山菜定食。
白米とみそ汁がついているとはいえ、一際目を引く山菜たちは量こそ問題ないが精進料理だってもう少し彩があるだろうというありさま。。
食べ盛りの男子高校生にとっては物足りないだろう山菜定食だが、その最大の特徴はそんなものではない。
それは、かかるポイントがゼロ、つまり無料であるということだ。
「倹約家であることは否定しませんよ。節約できるならそれに越したことはありませんし」
「あー、分かる! 浪費癖つくと怖いもんね……それ美味しいの?」
「……値段相応、とだけ言っておきます」
調理してくれる者たちの手前言葉を濁したが山菜定食の山菜はえぐみが強く、お世辞にも美味しいとは言えないものだった。
進んで食べたいものではなく、ポイントに余裕があるならこれ以外を選ぶべきだろう。
なぜこんなメニューがあるのか、と考えれば真っ先に思いつくのはポイントを使い果たした生徒への救済処置か。
「ポイントがない生徒用のメニューかな?」
「10万円もあってそんなことある?」
「うーん……」
渉と同じことを思ったのか、一之瀬が疑問を呈せば周りのクラスメイトも口々に考えを述べる。
確かに1日3食のうち1食1000ポイントも使えば食費だけで1ヶ月で約9万ポイントを費やすことになる。
しかし高育の学食はスペシャル定食が抜きんでて高価なだけで、その他はおよそ500ポイントと平均的な大学の学食メニューと同程度だ。
もちろん外食を頻繁に利用したり食費以外にも考えなしに使ったりすればあっという間にポイントが枯渇することになるだろうが、そこに思い当たる生徒はほとんどいないようだった。
先月まで親の庇護下にあって食費のことなど考える必要などなく、強いて言えばお小遣いのやりくりくらいしか経験のない15、6歳の少年少女にそこまで求めるのは聊か酷ではあるのだが。
それはさておき、渉が口にしたのはより現実的な考えだった。
「毎月の支給額は10万ポイントではないのでしょうね」
渉がそう言うと、その場にいた1年Bクラスの誰もが喧騒のさなかにあったはずの昼時の学食が一瞬水を打ったように静かになったと錯覚した。
「……どういうことだ、廻屋」
激しく動揺する周囲をよそに隣の神崎が渉に尋ねる。
冷静なその声音に動揺は含まれておらず、ある程度は想像していたのだろう。
食事の作法から育ちの良さが見て取れ、同年代の者たちより金銭関係に強いのかもしれない。
「簡単な計算です。毎月1人10万ポイントと仮定すると、1クラス40人だから400万、それが4クラスだから1学年1,600万ポイント。それが3学年なら毎月4,800万ポイントも生徒に支給されることになります。それが1年間続くとしたら5億以上の金額が動くことになる。国立とはいえ、1高等学校には過剰すぎるでしょう?」
1ポイント=1円の説明がされているとはいえ、この学校の敷地内でしか使えない特殊な電子通貨であることを考えれば、厳密な計算として成り立っていない可能性はある。
それに、渉の仮定は1クラス40人が3学年全てに適用されていることが前提であり、欠員があるならその限りではない。
だが5億以上のポイントというインパクトは強く、クラスメイト達の動揺を誘った。
「でも星之宮先生は毎月10万ポイントって……」
「いや、先生は『毎月1日に振り込まれる』って言っただけで、『毎月10万』とは言ってなかったよ。……そうだよね、廻屋くん」
渉に確認するように尋ねたのは正面に座っている一之瀬帆波だった。
にこやかに周囲と談話していた雰囲気とは一変して真面目な顔つきの彼女に、クラスメイト達は息をのんだ。
「――
その中でただ一人、廻屋渉は穏やかに微笑んで肯定しながら展望を語る。
その背を押すように。
手を差し伸べるように。
その丁寧な在り様は廻屋渉という少年の視座の違いを明確に示しており、漠然とした納得をクラスメイト達にもたらした。
――どうも、この少年は自分たちと見ているものが違うのだ、と。
「とはいえ、今分かっているのはこの程度です。来月の支給額は決められているかもしれないし、何か基準があるのかもしれない。とはいえ過剰な節約はストレスを溜めるばかりですし、無駄な出費に気を付ける程度で問題ないでしょう」
そう結論付けると、渉はトレイを持ち立ち上がった。
返却口に進もうと足を動かそうとしたその時、一之瀬に呼び止められた。
「廻屋くん」
「……何ですか、一之瀬さん」
「また何かあったら相談してもいいかな?」
「ええ、いつでも構いませんよ」
その場のクラスメイトと連絡先を交換すると、渉は今度こそその場を後にするのだった。
= = =
食堂を出た渉は腹ごなしも兼ねて校舎を探索していた。
慌ただしかった朝は小走りだった故に観察もおざなりだったが、時間に余裕のある今ならゆっくりと校舎中の監視カメラを確認することができるというもの。
それに今日は入学式だからか2、3年生のフロアを回っても学生は見当たらず、そのおかげで彼らの教室を覗き込んでも見咎められることはなかったのだが――その光景に渉は新たな違和感を覚えた。
「(生徒の机が足りていない?)」
渉が所属するBクラスを含めて1年生の教室には全て40台の机があった。
しかし上級生の教室ではその全てで机の数が40に満たず、特に2年生の教室は3年生より机が少なく、4クラス合計で10近い机を欠いていた。
高育が国立の高校である以上、入学生の数は40人×4クラスで160人のはず。
何かやむを得ない事情で入学取り消しになった入学生がいたのかもしれないが、補欠合格者が埋め合わせきれなかったとしてもここまで多くの欠員が出るとは考えにくい。
それでも欠員が出る理由、それは――――。
「そこの1年生、ここで何をしている」
その声に込められていた威圧感に思考を中断させた渉が振り向くと、制服を完璧に着こなした眼鏡の男子生徒が立っていた。
ここが3年生のフロアであるということを考えれば彼は先輩で、渉の1~3歳年上のはずなのだが、鋭い視線から感じられる雰囲気は洗練されており、年相応以上の経験の含蓄を感じさせた。
そして渉には彼に見覚えがあった。
何を隠そう、入学式で在校生挨拶をした――
「
「入学式ぶりだな、廻屋渉。もう一度聞くぞ、ここで何をしている」
「校舎の探索ですよ。確かにここは上級生のフロアですが、入ってはいけませんでしたか?」
「いや、そんな校則はない。だが入学初日に誰もいない上級生の教室を覗いている1年生を見れば勘繰りたくもなる。この学校に知り合いでもいるのか?」
「いいえ。何故そんなことを?」
当然、入学したばかりの渉に在校生の知己などいない。
そんなことなど百も承知のはずだろう、と疑問を覚えた渉は学に聞き返す形で尋ねた。
「……この学校の生徒会は多少の権限を持っている。俺はそこの生徒会長だから、ある程度の融通は利かせられる。例えば新入生の入試結果を閲覧する、とかな」
「……」
「新入生代表挨拶をするほどの生徒となれば、興味も沸く。事実、入試におけるお前の成績は他の追随を許さない、素晴らしいものだった」
「お褒めに預かり光栄ですが、あまり良い気分はしませんね」
悪い言い方をすれば、権力に任せた一方的な情報搾取といえるだろう。
それが自分の身に降りかかったとなれば、渉の物言いは当然だった。
「俺がお前でもそう思うだろう。……すまなかった」
「謝罪を受け入れます、堀北会長。質問があるのですが、聞いてもいいですか?」
「ああ。答えられることなら」
「ありがとうございます。では――なぜ、上級生の全クラスで欠員が出ているんですか?」
渉の問いに、学は目を細めて見返すと、教室の方を見た。
「……なるほど、机の数か。その答えは単純、退学者が出たからだ」
「全クラスで?」
「そうだ」
「穏やかではないことで。なにかあったんですか?」
「それは答えられない」
トラブルや事件、事故――そんな答えを想定したのだが、返ってきたのは『答えられない』。
何か意図や作為的なものを感じざるを得ない答えだが、謎の輪郭を捉えるこの問答は渉が大好きな都市伝説の調査や考察に通じるものがある。
そのため不快になることはなかった。
「ふむ……なら、2年生の欠員が3年生より多いのは? それも退学ですか?」
「……そうだ。だが理由は答えられない」
「なるほどなるほど……分かりました。ありがとうございます、堀北会長」
「この問答で上機嫌になるとはな。謎解きが好きなのか?」
「そうですね、謎に対しては好奇心が疼きます。それに――『退学には一身上の都合以外の明確な理由がある』ということが分かりましたから」
金色の目に喜悦の色と光を載せた穏やかな笑顔で答える渉に学は感心の息を吐いた。
優秀な新入生というものは自分たちの代にも、1つ下の世代にもいたが、入学初日でここまで看破する1年生というものに覚えがなかったからだ。
この分だとSシステムについてもある程度見破っているのだろう、と学は内心の警戒レベルを引き上げた。
「……高度育成高等学校の入学生は国によって調査される。だがその調査でもお前の詳細は掴めなかったようだ。どうやらデータが暗号化されていたらしい。国家のエージェントでも正体を悟らせない新入生に興味が沸いてな……廻屋渉、お前は一体何者だ?」
ある種のプライバシーに踏み込んだ質問だったが顔を強張らせることはなく、変わらない笑顔の渉に学は僅かに戦慄していた。
怒らせることで内心が少しでも図れれば、という挑発も含めた意図だったのだが、微笑ましい子供の反発を見守っているようだとすら感じたのだ。
肝が据わっているとは思っていたが、とても15歳の少年の度胸とは思えない。
優秀な実力を持ち、他者より秀でた人物は、この学校では否応なく目立つことになる。
入試において首席の成績を修め、新入生挨拶や非凡なものを示したこの1年生はその能力に相応しい結果を残すことになるだろう。
そんな廻屋が、攻撃的な思考と革新的な展望を併せ持つ生徒会副会長に取り込まれたらどうなることか――校舎を見回っていた堀北学が3年生のフロアを観察するように見て回っていた廻屋渉を発見したのは偶然だが、チャンスと思い声をかけたのはそんな危機感があったからだ。
実際に対話してみればその非凡さに拍車をかけるばかりで学の警戒心をさらに煽ったが……それ以上に興味も沸いてきた。
Bクラスで入学しながら、その素質は間違いなくAクラス以上の廻屋渉。
彼がクラスを引っ張れば、そう遠くない未来に1年BクラスはAクラスに昇格するだろう。
それはまさに件の副会長・南雲雅の再来だが、渉が南雲のように意に沿わない生徒に制裁を加えたり、歯向かった生徒を退学に追い込んだりするとは堀北学には思えなかった。
短い討論でそれだけ相手の精神を測れるのは、学の優秀さの表れと言えるだろう。
ただ純粋に、この少年の正体は何なのか、どんな道を歩むのか――堀北学はそれが知りたくなったのだ。
「さて、私が何者か、ですか……。人が何者かは、その人が何を為したかで決まる、と言います。しかし私自身はまだ何かを為せていませんから、その問いには『まだ何者でもない』と答えさせていただきます」
「そうか。好奇心旺盛なのは結構だが、何者であろうとも模範的な学生生活を送ってほしい。この希望を叶えるも捨てるもお前の自由だが」
惜しむらくは、自分が3年生で廻屋が1年生であるということ。
廻屋渉という存在を見極めるのにかかる時間はこの最後の1年間で足りるのかどうか――人を見る目には自信があった学だが、断言することはできなかった。
「廻屋渉――生徒会に入る気はないか?」
自然と勧誘の言葉が口から出てきたことに学は表に出さずとも内心の驚愕を禁じえなかった。
確かに南雲からの影響が危惧されるとしても、首席の1年生に勧誘をかけるのは客観的に見て不自然な行為ではない。
だがこの勧誘はそんな合理性に基づいたものではないのは、誰の目から見ても明確だった。
「答えは急がない。明日の放課後17時に行われる部活動の説明会で俺も壇上に立つことになる。詳細な説明はそこでされるだろう」
「生徒会、ですか……考えておきます」
渉は肯定も否定もせず、頷いた学は踵を返した。
勝手に情報を閲覧した謝罪代わりだ、と10万ポイントと自身の連絡先を押し付けるように与えた学を見送りながら、渉は手を頬に当てて思考する。
最初、堀北学は自分を警戒していたようだ。
しかし、短い問答の中でそれは氷解し、疑問と興味が生まれたのだろう。
上級生とはいえ、それができる生徒がどれだけいるのか……堀北学は優秀な人物のようだ。
この違和感だらけの学校を初日から解き明かそうとしている後輩は、興味の的として十分だろう。
だが優秀な後輩を警戒する理由とはなんだ?
「……まだ情報が足りませんか」
結論付けて、焦ることはないと思いなおす。
まだ初日で初対面というのもあるが……堀北学とはまた話すことになるだろう、と予感じみたものを感じた渉だった。
= = =
目的の1つでもある図書室に辿り着いた渉はその蔵書量に圧倒された。
趣味の一環で街の図書館には頻繁に通っていたが、高育の図書室は記憶にあるそれと遜色ない規模であり、疑っていたわけではないが星之宮先生の言葉が嘘偽りないものであるのを証明していた。
図書室内は見渡す限りでは数名が読書や勉強に没頭しているようで閑散としており、利用者が少ないというよりも上級生は休日を満喫しているのだろうと思いつつ、渉は入り口付近の案内板から目当てのコーナーを探し当てて足を進めた。
目的はもちろんオカルトや都市伝説関連なのだが、日本十進分類表においてオカルトの本は哲学の中の倫理学や道徳額の分類区分に該当する。
しかし都市伝説というのは民俗学の他に歴史、伝記の類にも含まれていると考えることもでき、こちらを見に行くのも捨てがたい。
結果、どの書架に行くべきが悩んでしまい、なんとなしに棚に収められた本の背表紙を眺めていたのだが。
「……あの」
「ああ、すみません。さあどうぞ」
静謐な図書室においてなお静かで儚さを感じさせる声をかけられた渉が振り向くと、水色の長髪と黒い大きなリボンが特徴的な女生徒が立っていた。
彼女の目的の書架が自分の身体で塞がってしまったのかと思い素早く移動すると、彼女は首を横に振った。
「いえ、そうではなく……廻屋渉くん、ですよね。入学生代表の。私は1年Cクラスの椎名ひよりといいます」
柔らかな声で自己紹介をした少女・椎名ひよりはゆっくりとお辞儀をした。
透き通るような白い肌や穏やかで整った顔立ちも相まって『深窓の令嬢』という表現が自然と渉の頭に浮かんだ。
もちろん見覚えのないのは当然だが、赤いブレザーが真新しいことから同じ新入生なのだろう、と当たりをつけた。
「確かに私は1年Bクラスの廻屋渉です。私に何か用事ですか?」
「いえ、用事というほどでは……ただ、初日から図書室に来るなら読書好きなのかな、と思いまして」
「それは貴女も同じ……いや、椎名さん、貴女お昼は食べましたか?」
「え……? あ、もうこんな時間……」
椎名がいたであろう席に積まれていた本は1冊や2冊ではなく、結構な時間を読書に費やしていたように見える。
そう考えた渉の言葉に時計を見た椎名は驚き、か細い声を上げた。
渉の想像通り、どうやら入学式が終わったら図書室に直行し、それからずっと読書に耽っていたらしい。
現在は14時だからおよそ3時間といったところか。
「……」
静謐な空間に控えめな虫の音が響き、読書少女・椎名ひよりは羞恥に頬を赤く染めるのだった。
意見・感想お待ちしています。
今更だが、センター長こと廻屋のキャラが難しい……。