生徒指導室といえば、何を連想するだろうか。
規則違反をやらかした生徒への説教か、悩み事を持つ生徒と担任の面談か……大抵はその2つのどちらかになるだろう。
しかし、現在の生徒指導室で起こっている出来事は生徒から教師への詰問――2つのうち、どちらにも類別されないものだった。
「勘違いさせてしまったかもしれないけど、私はあなたと敵対するつもりはないわ」
「確かに脅迫にしては妙な箇所が多い。貴女の目的についても不明瞭だ」
廻屋渉の正体が自殺した如月努の弟・如月渉であることを、星之宮知恵は知っていたようだ。
しかし、なぜそれを知っているのか、それを『兄の著書にイニシャルを記したメモを挟む』という当事者の渉にも伝わらないかもしれない形で伝えたのはなぜか、という疑問が残る。
脅迫とは、対象に伝わらなければ意味がないからだ。
加えて言えば、廻屋渉の正体を暴露したとしても、実際に渉に与えるダメージはたかが知れている。
罪を犯した過去などないし、そもそも他人から自分への目が変わったところでどうにかなるような精神性はしていないからだ。
それでも、正体を知っていると伝えてきた理由。
ただ単に渉より上位に立っているというマウントをとりたいなら見当違いも甚だしいが、静かに本に手を置き表紙に写る兄・如月努の写真を見ている星之宮を見れば、それは違うとわかる。
教室で説明した時のような柔和な様子は鳴りを潜め、どこか憂いを秘めた表情だった。
「何か聞きたい事でもあるようですね」
「……そうね。でもどこから話したものか……まず、如月努――如月先輩と私の関係について話そうかしら」
「先輩、と来ましたか」
「そう。私も先輩もこの学校の卒業生よ。1年違いのね」
この高度育成高等学校は、兄・努の母校でもある。
身寄りのない如月兄弟にしてみれば高育を進学先に選んだのは学費が掛からないという点が大きかったが、渉にとっては兄の足跡を追うというのも大きな理由だった。
とはいえ、さしもの渉といえど兄と担任教師が高校の先輩後輩の関係だったとは想像の埒外だったが。
事実は小説よりも奇なりとはいうが、いざそれが自分の身に起こるとなれば、ため息の1つも吐きたくなる。
黙ってしまった渉に思うところがあったのか、星之宮は自身の携帯端末を操作すると渉に画面を見せてきた。
「はい、これ写真。如月先輩の卒業式の時のね」
端末に映っていたのは、確かに兄と目の前の女性の面影を残す17、8歳頃の少年少女のツーショット写真。
2人とも渉と同じ赤いブレザーに身を包んでおり、兄の面影がある眼鏡の少年の手には卒業証書と思わしき黒い筒がある。
10年近く前の彼らは未来への希望に満ちたエネルギッシュな目をしており、2人が親しい間柄だったことに疑いを挟む余地などなかった。
「……仲良さそうですね」
「色々とお世話になった先輩だからね」
「卒業後に連絡などは取っていなかったのですか?」
「あー……まあ、ちょっと事情があってね」
「……ご心配なく。兄弟とはいえ、男女の関係に首を突っ込む気はありませんよ」
「ちょ、お世話になったってそういう仲だったわけじゃないよ!?」
軽口を叩けば分かりやすく慌てる星之宮に、渉は内心の緊張を少し緩める。
少なくとも、この担任教師はどこかから兄が殺人事件の容疑者だったことを掴んで自分を脅そうとしているわけではない、と判断したからだ。
亡くなった兄の世間的な評判は酷いもので、兄の話を出来るのは限られた者しかいなくて――そこに予期せず現れた兄の後輩は兄に好意的で、それが渉には嬉しかった。
「……そりゃ、ちょっとはいいかなって思ったこともあったけどさ」
「先生?」
「ううん、なんでもない。それで、まだ何か聞きたいことある?」
「先生が兄の知り合いだったということは分かりました。しかし、よく私が如月努の弟だとわかりましたね。弟がいると聞いていたとして、名字も違うし、そもそも連絡を取っていないなら10年以上前のことでしょう」
「入学生の名簿で君の資料を見て、『雰囲気が似てるな』とは思ったのよ。サエちゃんや真嶋くん――私の同僚なんだけど、2人とも同い年でこの学校の卒業生よ――に聞いても、先輩を覚えてもいなかった。まあ、2人は私ほど如月先輩と関わっていたわけじゃないから無理もないけどね」
どうやら星之宮以外にも如月努の後輩が2人この学校に居るようだが、彼らに渉のことがばれる可能性はないと考えていいようだ。
兄の後輩が星之宮以外にもこの学校に居ることにも驚いたが、唯一兄のことを覚えていた彼女が担任になったことに作為めいたものを感じないでもない渉だった。
「話を戻すね。私も名簿を見た時は確信なんかなかった。でも今朝会って話してみて、その疑いが強くなったから、これを仕掛けたの」
オカルトや都市伝説について話す様子は先輩とそっくりだった、と『オカルトグレートリセット』を指しながら、星之宮は懐かしそうに笑った。
渉の推測通り、その本は星之宮知恵の私物だった。
お世話になった先輩が出した本だからという理由で購入して読んでみたものの、元々オカルトに造詣の浅い彼女にしてみれば興味の惹かれる内容ではなかったが……手放す気にはなれなかった、と懺悔するように星之宮は語った。
「ま、それでもこんなに早く私のメモに気付くなんて思わなかったけどね。流石にびっくりしたよ」
「図書室に行くように勧めたのは星之宮先生ですよ」
「それでも、だよ。優秀な生徒を持てて、先生は鼻が高いよ」
彼女との付き合いは長いどころか今日会ったばかりだが、それでもその笑顔が虚勢を張った空元気によるものと見抜くのは、渉でなくとも難しくなかっただろう。
午後の穏やかな陽光が差し込む生徒指導室で、1人の生徒と1人の教師の談笑が響く。
差し込む西日を遮るようにブラインドを調整した渉は、静かに口を開いた。
「――それで、貴女は何を知りたいんですか?」
ブラインドによって薄暗くなった室内で、黄色の瞳が冷たく輝く。
口調は穏やかだが、どこか冷たさを感じさせる瞳で渉は星之宮知恵を見据えていた。
「私が如月努の弟だという確信がなく、それを確かめたかったのは信じましょう。しかし、貴女が本当に聞きたい事は他にあるんじゃないですか?」
「なぜそう思うの?」
「敵対・脅迫の意思がないなら、要件はおのずと限られます」
「……本当に優秀だね、君は」
星之宮は本から手を離すと、手を組んで目を伏せた。
そして迷いを振り切るように渉の目を見て、口を開く。
「――私が聞きたいのは1つ。どうして如月先輩は自殺なんかしたの? 世間が言うようにあの人が人を殺したなんて、私には信じられない。なにか、何か理由があるはずよ。そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ、おかしいよ……!」
真実を知りたいが、同時に真実を明らかにすることが怖い。
そんな矛盾を孕んだ悲壮な表情で、感情的に星之宮は心情を吐露した。
きっと星之宮は知りたいと思いつつもそれを諦めていたのだろう。
しかしそんな彼女の前に渉が現れ、答えを知ることができるかもしれない、と彼女は希望を抱いた。
絶望にも転じかねない希望だったが、運を天に任せるように投げられた賽に、図らずも廻屋渉は応えたのだった。
如月努は大学の助教授という肩書を持つ公的な人間だったため、真実を知りたいなら大学を訪ねて努に会いに来るというのが最も確実な方法だっただろう。
高校時代によく関わっていた後輩が訪ねてきたなら、バッシングの渦中だったとしても兄は無碍にすることはなかっただろう、と兄の人柄を知る渉は思案する。
しかし渉にはそれを指摘するつもりも、ましてや星之宮を責めるつもりも一切なかった。
心情的に兄の味方でいてくれた彼女に対する情が湧かなかったと言えば嘘になるが、理由はそれだけではない。
星之宮知恵も学校の保健医いう立場ある人間であり、当時世間からバッシングを受けていた兄に接近することは、火中の栗を拾いに行くようなものだ。
SNSの利用者の中には高育の卒業生や関係者もいるだろうし、心無い傍観者が晒上げた兄に接近する星之宮の写真を見た彼らがどうするか、明確な証拠もないまま見目麗しい若い女性の正体を知った他の者がどうするかなど、渉にしてみれば容易に想像がつくというものだった。
「兄が自殺したのは、バッシングが兄自身だけでなく家族――私やもう亡くなっている両親にも向けられたからです。『これ以上耐えるべきではない』、『自分の存在が家族を苦しめている』――そう思ってしまったからです」
渉はスクールバッグに入れて持ち歩いている荷物、その中の4冊の本を思い浮かべる。
兄が日常的に記していた日記、『上野天誅事件』を独自に調査していた結果をまとめた2冊の異界調査書、そして兄が最期に書き残したボロボロのノート。
遺品整理のために大学の研究室を訪れた渉が回収した、兄の無念の残滓たち。
警察など公的機関に都合の悪いことが記されていたため、彼らの侵入・回収を警戒した渉が手に入れていたものだ。
それらを証拠として開示すれば、兄に好意的な星之宮を味方に引き入れることができるかもしれない。
しかし己の黒い部分――復讐に共犯者として他者を巻き込むのは己の望むところではない。
だから、渉は真実を語る際に語るべきでない部分を切り分けることにした。
例えその選別がエゴでしかなかったとしても、元より復讐とはエゴを押し付け返す行いなのだから今更でしかない――そう思っての開示だった。
「……如月先輩は犯人じゃないんだよね?」
「はい。事件発生当時、兄は飲食店にいました。店の監視カメラに写っていたでしょうし、アリバイは確実です」
「でも世間は犯人扱いをやめなかった……警察には言わなかった、わけもないか」
「もちろん。容疑者の身内の証言はアリバイとして認められませんが、監視カメラの映像という客観的な証拠は確実なアリバイとなる。しかし、警察からは何の発表もありませんでした」
「警察が協力してくれなかったら、解決も何もないか。でもどうして……!」
丁寧だが無機質な渉の説明に警察に対する怒りの感情をにじませる星之宮。
アリバイがあったなら如月努は犯人ではなく、殺人の真犯人は別にいるということ。
なのに世間からの評判だけで犯人扱いされ、挙句の果てに自殺してしまった如月に対して名誉の回復どころか何の音沙汰もないとくれば、当然の反応だろう。
「……はあ。ごめんね、嫌な事話させちゃって。でも、話してくれてありがとう。……渉くんはさ、どうしたいの?」
「少し、考えたいと思っています。この学校なら3年間は外と切り離された生活を送ることができる。その間に自分がどうしたいのか、結論を出そうと思っています」
「それも1つの手だね。渉くん、もし何かあれば言ってね。如月先輩には返せなかった恩があるから、ってわけじゃないけど、できる範囲で力になるから」
今朝や教室での立ち振る舞いから奔放なイメージが先行していたが、真摯な表情で語る星之宮の言葉には真実味があった。
無論、彼女を全面的に信じたわけではないが、兄の知己であるという一面は信じてもいいだろう。
渉は彼女に対して一礼すると、生徒指導室を出ていく。
最後に語ったことに嘘はない。
渉は兄の死を受けて復讐を決意したが、本当にそれをすべきなのかどうか、決めかねていた。
寮の部屋に辿り着き、兄の研究室から持ち出した4冊のノートを机に隠蔽した渉はシャワーを浴びるとベッドに仰向けに倒れこんだ。
身体的にも精神的にも疲労が蓄積している。
慣れないこと、話すつもりのなかったことを語ったからだと自己分析するが、体力をつけるに越したことはない。
そういえば、明日は部活動の説明会があったな、と今日邂逅した生徒会長の話を思い出しつつも、睡魔には抗えなかった。
夕食も取らず、廻屋渉は眠りにつくのだった。
= = =
入学2日目。
昨日は授業がなかったため、今日が授業初日となるが、国内有数の進学校とはいえ初日に本格的な講義が行われるはずもなく、授業方針の説明などが行われたのみ。
暇と体力を持て余していた生徒たちは放課後の予定を話し合っていたが、不意に流れた校内アナウンスに耳を傾けた。
『本日、午後5時より、第1体育館にて部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第1体育館の方に集合してください』
昼休みに流れた女生徒のものと思われるアナウンスに、活気づく1年Bクラス。
部活動という青春を代表する活動に興味を持つ学生は多いようだ。
「俺はやっぱりサッカー部だな! 一之瀬は中学の時は陸上部だったっけ?」
真っ先に口を開いたのは
明るく活発で昨日の親睦会に出席しなかった渉にも積極的に話しかけ、早くもクラスのムードメーカー的立ち位置を確立しつつある。
体育の授業がまだなので実態は不明だが、体つきから見ても身体能力に秀でているのは確実で、体力テストでは優秀な結果を残すのは確実だろう、というのが渉の見立てだ。
「うん、そうだよ。でも生徒会にも興味あるから……廻屋くんはどう?」
「部活ですか。運動部に入ろうかと思っていますよ」
「えっ、そうなの?」
「そうなのか!? じゃあさ、一緒にサッカー部入らないか? 未経験でも大丈夫、俺がしっかり教えてやるからさ!」
渉の返事に一之瀬は目を丸くして、柴田は嬉しそうに渉の肩を叩いた。
感情の表し方が素直で大型犬を想起させるはしゃぎようの柴田を宥めていると、神崎が口を開いた。
「意外だな。廻屋は俺と同じ帰宅部か、入っても生徒会か文科系かと思っていた」
彼は一之瀬と同じ感想を抱いたようで、渉の頭からつま先までを見てそう零した。
確かに渉は色白で線が細く、運動とは無縁な印象を残しても仕方がない風体をしている。
一方神崎の方は文武両道といった雰囲気だが、他者との関わりに消極的なのか、部活動に参加するつもりはないようだ。
「この体つきな上、どうも筋肉がつきにくい体質のようですからね。接触が多い球技や格闘技は厳しいですが、陸上部か水泳部なら大丈夫でしょう」
「そこまでして、運動部に拘る理由はなんだ? 廻屋ならパソコンだろうがテーブルゲームだろうが活躍できるだろう」
「体力つけたいだけですよ」
「……にゃるほど、それなら納得だよ」
そんなこんなで時間は過ぎて放課後、第1体育館には部活動に興味を持つ1年生でごった返していた。
運動部や演劇部、吹奏楽部などによる軽いパフォーマンスを交えた勧誘に『新入部員獲得による部費予算の調達』という意図が見え隠れしながらも、滞りなく説明会は進んでいく。
そして最後に生徒会の順番が来て、昨日渉が会った生徒会長・堀北学が言葉通りに壇上に上がった。
まずしばらく無言で立ち、ゆっくりと聴衆を見回し、それから話し出す。
威圧感すら感じる説明演説は、彼の場を支配する力とでもいうべき空気を纏っており、1年生たちは否応なく緊張と傾聴を余儀なくされるのだった。
「なかなかユニークな演説でしたね」
橘と名乗った生徒会書記の説明会の終わりを告げると、緊張感から解放された1年生たちが興奮混じりに帰路につく。
それほど生徒会長の演説が印象深かったということだろう、と渉もクラスメイトと意見を交わし合う。
「一之瀬さんは生徒会志望でしたね。立候補するのですか?」
「うん。中学でもそうだったからね。高校でもやりたいって思ってるよ」
渉が一之瀬に尋ねると、彼女は頷いた。
席が限られている生徒会は他の部活動と違い『来る者拒まず』とは行かないだろうが、それでも一之瀬なら問題ないだろう、と渉は考えていた。
まだ2日目が終わったばかりだが、彼女の積極性と周りに慕われる善性は他の追随を許さず、生徒会役員としての適正は高いように思えたからだ。
しかしその一方で、簡単には上手くいかないかもしれない、と漠然とした予感を抱いてもいた。
それはこの学校の特殊性を紐解き、ある程度の輪郭を掴めてきたがゆえの予感だった。