廻屋渉たち1年生が入学してから、1週間が経とうとしていた。
数学や英語など主要な教科は初期のガイダンスを終えて本格的な授業に入っていたが、その内容は中学生で習う範囲の復習や確認の域を出ず、渉にとって退屈なものと言わざるを得ないものだった。
その認識は1年Bクラスの大半の生徒も共有していたようで、国内指折りの進学校の授業とは思えないレベルの低さに緩慢とした雰囲気を漂わせていた。
「良い店だな、廻屋。敷地内にこんな店があるとは驚いた」
入学してから初めての休日に、渉はクラスメイトの神崎隆二を誘って喫茶店に来ていた。
学内のカフェが生徒たちの雑多な喧騒で満ちているのに対し、程よい賑わいとシックな雰囲気が印象的で、騒がしいのが苦手な神崎は満足げにコーヒーカップを傾けている。
「偶然見つけた店ですが、気に入っていただけたなら良かったです」
「そうだな、今後も通うとしよう。……それで、今日はどういう要件なんだ? クラスに関することだと聞いたが」
初日からして入学式の挨拶に学食でのSシステムの考察、同年代に見えない大人びた振る舞いと趣味に没頭するときの異様さから廻屋渉は良くも悪くも一目置かれる存在になっていた。
神崎も人付き合いに消極的であるという点はあるが文武両道を地で行く優秀さから渉の非凡さを実感しており、今日の誘いに応じたというわけだ。
「少し待ってください。もう1人来るので」
「もう1人?」
「はい。そろそろかと……」
渉の言葉を遮るようにカランカランと鈴がなり、少女が1人入店する。
店員が受け応えしているその少女の方を振り向いた神崎は驚き、渉はそんな彼を気にせず手を振った。
「こっちですよ、一之瀬さん」
ストロベリーブロンドの長髪が特徴的な一之瀬帆波だった。
白とグレーのワンピースに黒いタイツという地味な色合いの私服でも彼女が着ればモデルさながらに見えるのだから、美人というのは不思議である。
「こんにちは、廻屋くん、神崎くん。待たせちゃった?」
「時間通りですよ、一之瀬さん。私服姿は初めて見ましたが、お綺麗ですね」
「にゃはは、そんなことないよ。廻屋くんも似合ってるよ、その私服」
ゆったりとした白いシャツにベージュのスラックスと渉の私服も地味な色合いだが、一之瀬と同じく不思議と調和している。
もっとも、怪しさすら孕んだ魅力も相まって新興宗教の教祖にも見えるというのが神崎の所感だったが。
「一之瀬も呼ばれたのか」
「うん。クラスの事について話したいことがある、って。神崎くんも?」
「ああ……廻屋、一之瀬はまだ分かる。クラスの中心人物である一之瀬ならクラスのことについて話したいことがあるなら呼んでも不思議ではない。だが、なぜ俺まで呼んだ? 自分で言うのもどうかと思うが、俺はお前や一之瀬ほど皆と関わっているわけではないのだが」
一之瀬が神崎の隣に座ると、彼は対面の渉に疑問を吐露する。
いきなり自嘲気味に始まった質問に一之瀬が目を白黒とさせていると、渉は頷き口を開いた。
「入学初日の星之宮先生の説明、覚えてますよね」
「Sシステムについての説明か? 衝撃的だったからな」
「いきなり10万ポイントだもんね。そういえば廻屋くん、来月の支給は10万ポイントじゃないって……」
「その話は後でします。神崎さんは先生の説明に取り乱さず、冷静さを保っていた。違和感や疑問を抱いていたのではないですか?」
テーブル備え付きのタブレットで一之瀬が飲み物を注文しているのを尻目に、神崎を閉口した。
大手企業の御曹司でもある神崎にとって10万円という金額は同年代の者たちより身近なものであり、だからこそ高校生1人に支給する額としての違和感に辿り着いていたし、学生寮における水道・電気・ガスが無料であるということも違和感に拍車をかけていた。
「確かにそうだ。寮の生活費がほぼ0である以上、学生1人に一月10万ポイントは多すぎると思っている」
「そうだよね。寮の家具も充実してるし、コンビニやスーパーには無料の品物もある。これがポイントを使い果たした学生への救済だとしたら、廻屋君の言う通りひと月10万ポイントとは考え辛いよね」
「寮といえば、気づいていましたか? 学生寮の合鍵は、申請すれば部屋主の者ではない鍵も作れるようですよ。それ相応のポイントはかかるようですが」
「ええっ!?」
「なんだと?」
渉の呆れ交じりの情報に一之瀬は驚愕して、神崎も大きく目を見開いた。
寮の廊下に監視カメラがある以上空き巣や泥棒は難しいが、自由に作れる合鍵の存在は年頃の学生、特に女性にとっては大問題だ。
「寮の管理人に申請すれば勝手に合鍵を作られることはないようですから、早めに申請した方が良いでしょう」
「そ、そうなんだ、よかった。他の人にも伝えた方が良いよね、これは」
「任せます。一之瀬さんからの情報なら皆も信じるでしょう」
「そんなことないよ。廻屋くんの方が皆に信用されてるんじゃないかな」
どうやら一之瀬帆波という少女は自分の影響力というものを把握していない、もしくは過小評価しているようだ。
明るく社交的で10人中10人が美人だと評する華やかな容姿の一之瀬と、知識豊富で中性的な不思議な魅力を内包する容貌だが、どこか浮世離れしている雰囲気を否めない渉。
客観的に見て、どちらがクラスの人気者かは明らかだ。
一之瀬の低い自己評価が何に起因しているのかは掴めないが、これから起こるであろうことを考えたらいずれ踏み込むことになるのかもしれない、と考える渉だったが……その実、あまり乗り気ではなかった。
「ああ、皆に伝えるならもう1つ。支給された端末ですが、連絡先を知っている学生ならGPSで端末の場所を探知できるようです。端末側の設定で探知されないようにできるようですので、これもお願いします」
「嘘ぉ……」
「プライバシーも何もあったものじゃないな」
続けて伝えられた情報に一之瀬は今度こそ絶句し、神崎も呆れてしまった。
合鍵にしろGPSにしろ、間違いなく個人の重要な情報に繋がりかねない極めてクリティカルな代物だ。
そんなものが寮のマニュアルや端末の設定などを調べなければ詳細を把握できないというのは、当事者たる自分たちにとって流していいことではない。
「『この学校にポイントで買えないものはない』――これも星之宮先生の言葉ですが、この分だと情報や権利なんかも買えそうですね」
「情報はまだ分かるけど……権利?」
「まだまだ目下調査中ですが、遅行や早退、休みの権利とかですかね。流石に体調不良で休むのにポイントが必要、とは考えたくありませんが」
「なんでそんなものが必要なんだろう……」
「可能性として考えられるのは、来月のポイントの査定に関わっている、とかですかね」
ポイントの査定と聞き、ハッとした顔になる一之瀬と神崎。
初日にポイントについて言及したのが他ならぬ渉なのだから、この反応も当然だろう。
「何か分かったのか?」
「無断の遅刻や欠席、授業をはじめとした生活態度が関わってくると見ています。校舎には監視カメラが沢山ありましたからね、あれで査定を行うのでしょう」
「監視カメラ、確かに私もいくつか見掛けたけど……」
「星之宮先生は『3年間クラス替えがない』とも言っていた。となると、ポイントの査定は個人ではなくクラス毎か?」
「
渉は言うに及ばないが、一之瀬と神崎も十分優秀な部類に入ることもあり、多少の驚きこそあれ情報共有はスムーズに行われた。
そしてひと段落ついたところで、辟易とした神崎がお代わりのコーヒーに砂糖を入れた。
初めの一杯はブラックで飲んでいた辺り甘党というわけではないだろうが、共有された内容は疲労するには十分な情報量だったということだろう。
「まったく……どうなってるんだ、この学校は」
神崎が漏らしたその言葉を待っていたと言わんばかりに、渉の目がキラリと光る。
好奇心に満ちたその光は、この一週間で渉が何度か見せた趣味――都市伝説について語る時の光に似ていた。
「さて、本題に入りましょうか、一之瀬さん、神崎さん。お2人はこの高度育成高等学校に進学するとき、学校についてどうやって調べましたか?」
「今までは本題じゃなかったのかにゃ? ……学校の公式ホームページは見たよ。あとは、推薦してくれた中学の先生からの話くらいかな」
「右に同じだ。というか、それくらいしか中学生が得られる情報ってなくないか? 身近に卒業生がいるならまだしも」
苦笑しながら顔を見合わせた一之瀬と神崎が質問にそれぞれ答えると、渉は頷いて口を開いた。
「そうですね。公式サイトを見れば外部との遮断やSシステムの概要程度は把握できますが、10万ポイントを始めとした実態は入学して担任から説明を受けるまで誰も知らなかった。……おかしいとは思いませんか?」
「おかしい? 誰も知らなかったことがおかしい、ということは……入学前に知る方法はあったということ?」
「
そう言って渉がバッグから取り出したのは、タブレットPC。
生徒会長から情報閲覧の謝罪代わりに臨時でポイントが入り、リサイクルショップで売っていたものを購入した一品だ。
おそらく去年の卒業生が売却したもので型が最新ではないため、格安で手に入れることができた。
「これは……SNSか」
「SNS……うーん、私はそういうのに疎いんだけどさ、情報の確度としては信頼できないんじゃないの?」
タブレットが表示しているのはSNSのタイムラインの数々。
SNS――Social Networking Serviceの頭文字をとったそれは、現代人にとって生活に切り離せないほど深く組み込まれているものだ。
学生、社会人、芸能人、有名人問わず平等に情報を発信してやり取りできる現代の若者を中心に爆発的な広まりを見せるコミュニケーションツール。
誰でも手軽に情報を発信できる反面、一之瀬が苦言を呈したように根拠に乏しい情報が多いという欠点がある。
「確実ではない、と言ったでしょう。私もSNSの情報を鵜呑みにしているわけではありませんよ」
「それなら安心できるけど……」
「廻屋、SNSとこの学校の情報に、どんな関係があるというんだ?」
「順を追って説明しましょう。入学前の段階では、どれが正しい情報なのかなど見分けることはできません。しかし、入学して説明を受けてからなら? この学校は外部との情報のやり取りに厳しい制限が掛かっており、在学中に情報を発信することはできませんが閲覧するだけならできます。発信についは卒業、あるいは退学してからならその限りではありませんが。そこまで制限することは物理的に不可能ですからね」
「……退学って言った?」
「はい。どうやら上級生の中には少なくない数の退学者がいるようです」
聞き捨てならなかったのか、一之瀬がおそるおそる口を挟み、渉が肯定すると彼女は目を見開いた。
隣の神崎も驚愕を隠せない様子だ。
「といっても、今分かっていることは多くありません。上級生の教室に行けば机の数が定員の40に満たないのがほとんどで、その全てが家庭の事情などやむを得ない理由であるとは考え辛い以上、何かあると考えるのが自然です。……話を戻しても?」
「あ、うん。ごめんね、邪魔しちゃって」
「いえ。入学して説明を受けた今の私たちは、入学前よりシステムの輪郭をつかむ材料を持っていると言えるでしょう。であれば、雑多な情報の中で有用なものを選別することも不可能ではありません」
一之瀬と神崎はタブレットを操作してタイムラインを辿っていく。
タイムラインは明らかに事実とは乖離している情報や邪推の域を出ない投稿が大部分を占めていたが、部分的に納得できる情報もあった。
『ある』と思って探さなければ見つからないかのように、埋もれるようにしてではあるが、確かに存在していた。
「……確かにそういった前提で見てみれば幾つか頷ける部分もある。そうして部分的な情報から仮説を積み上げていった、というわけか」
「
「都市伝説? 都市伝説とこの学校の情報と関係あるの?」
一之瀬の疑問に渉は大きく頷いた。
「それがあるのですよ、一之瀬さん。都市伝説とは、人々の噂から形を成すものです。高育は謳い文句や外面は立派ですが、その内側は驚くほど不鮮明です。人々が興味を持ち、噂の的になるには十分すぎる対象と言えるでしょう。勘違いされがちですが、都市伝説は怪異や妖怪だけでなく、実在した人や物が元になることもありますから」
異界駅をはじめとした怪談、歴史や偉人の裏に隠された謎、近年発達してきたAIに関する物騒な予言などなど。
数々の都市伝説をこよなく愛し、分析や考察を趣味とするのが廻屋渉という少年だった。
「確かに存在しているのにその実態は不透明。掲示板では『高育を卒業した同級生と大学で再会したが、まるで別人のようになっていた』なんて投稿も見られますし、この高度育成高等学校は現代に生まれた新しい都市伝説といえるかもしれませんね」
ようやく弁論に一息ついたのか、すっかり温くなってしまったコーヒーを呷る渉。
満足気な彼と対照的に、タブレットでSNSを閲覧していた一之瀬の表情は明るいとは言い難かった。
「それにしても、なんでこんなことになってるんだろう……」
「一之瀬?」
「ああ、ごめんね。この投稿をしている人たちは何が真実なのかなんて分かっていないのに、なんでこんな本当かも分からない事や明らかにおかしい事を、あたかも本当にあるかのように語っているんだろう、って思って」
一之瀬が閲覧していたのは高育についてのタイムラインだったが、問題提起に対する返答は誠実なものとは程遠く、大喜利のように冗談めいた意見を交わし合ったり、時に脱線して全く関係のない話題で喧嘩が起こったりとSNS特有の混沌さに満ちていた。
純粋さと善性を併せ持つ彼女には受け入れがたい光景だったのだろう。
「(卒業生に緘口令が敷かれているとしても、理不尽な退学措置を受けた者がSNSに匿名で暴露することは十分に考えられる事態だ。その対策としておそらくダミーの情報を多く発信したりして真実を攪乱しているのでしょう)」
意気消沈している一之瀬にあえて追い打つ必要もない、と内心での考察にとどめる渉。
入学前の何の情報もない状態では、何が真実かなど分かるはずもない。
木を隠すなら森の中、とはよく言ったものだ。
あとは面白がった大衆があることないこと書き込めば、外の者がSNSから正しい情報を判別するのは不可能と言っていいだろう。
「……根本的に興味がないのですよ」
「え……?」
「例え問題が起こってSNSに書き込んだとしても、顔の見えない相手に同情できる者など極々一部でしかない。その他大勢は面白がって持ち上げて盛り上がったりはしますが、それも一過性のものでしかない。すぐに新しい話題に飛びつき、元の話題は廃れていく」
「そんな……本当に困っているかもしれないのに?」
「それを画面の外から判断する術はありません。だからSNSの情報には嘘も本当も求めないのが大事なんです」
一之瀬が閲覧しているタイムラインの中には、理不尽な退学への腹いせに匿名をいいことに書き込まれた情報もあるかもしれない。
だがその真偽を判断するすべは、画面の向こう側である自分たちにはない。
悪質ななりすましによる対立煽りなど、珍しくもなんともないのだから。
渉の表情はいつも通り穏やかで、微笑すら浮かべている。
しかし、一之瀬の強い感受性は言い知れぬ悪寒を覚えていた。
笑顔の裏に潜む暗い感情、その一端を図らずも覗いてしまったのかもしれない。
「SNSに限った話ではありません。人も、物事も、一側面からの偏った情報を鵜呑みにするのではなく、多角的に観測し、解決する。それが正しいサイクルですよ」
テーブルの上で手を組み、笑う渉。
先ほど覚えた悪寒は気のせいかと見紛うほどにもうないが、忘れるべきではないと強く心に刻む一之瀬帆波だった。