旅の準備の、その前に
艦の個室で星海を眺めていると、女に話しかけられた。
「……豊穣の忌み物は、匂いで直ぐにそれと分かる」
茫洋とした口ぶりだったので、自分に向かって話しかけているのか、独り言の類なのか、はたまた狂人が何やら戯言を口にしているのか判断に困った。が、考えてみれば己は銀河全般において豊穣の忌み物に区別されるはずだ。その上に、女は己の首筋に剣の刃を当てている。なのでたぶん、自分への言葉だろうと考えて、寝台の上で言葉の続きを待った。話を聞くつもりはあるぞ、という姿勢を示すために通信端末の電源を落とす。
「ほのかに甘い、熟れすぎた果実のごとき匂いだ。盛りを過ぎて地に落ちるのを待つ、腐りだす直前の…そして永遠に腐ることがない果実…」
言われて、はてと考える。香水を買うような性分ではないが、さりとて己の体臭を気にしたこともない。もしや加齢臭というやつなのか──など馬鹿らしい連想が浮かんだところでかぶりを振った。この見知らぬ女が言っているのは、そういうことではないだろう。よく考えもせずに乗った後で『終着・玉殿行き』の文字に気づいたのだが、やはり仙舟間の連絡艦などに乗るべきではなかったかもしれない、といささか遅すぎる感想を胸中でつぶやいた。
「──仙舟のひと、こんばんは。ずいぶんなご挨拶だけど、何か用かな」
返事の代わりに、女が後ろ手に部屋の戸を閉めた。
旅の間眠るだけのために作られた、狭い部屋だ。それこそ、戸口から寝台まで一歩も踏み込まずして剣が届いてしまうほどの距離しかない。女が一歩、歩を進める。刃が首に差し込まれて、肉がさくりと裂けた。つめたい鋼が己の頸椎に直に触れている。とくとくと、吹き出すことなく静かに流れ出した血潮が、服を濡らすより前に肌にしみ込んでは消えていった。
大した目的もない終着駅まで、道のりの半分ほど進んだ頃だった。艦の窓から見える無限の宇宙には、朝も昼もない。恒星の回転によって作り出された「1日」という概念は、ここではひどく曖昧だ。乗客たちは生活のリズムを保つために、規則正しい時間に眠り、起きて活動を始めるが、そういったものとは無縁の身からすると、もはや乗船してどれほどの時間が経ったのかまるで見当も付かなかった。その中で、予期しない女の訪れは、緩やかに止まっていた時計の針が、不意に動き出したときのような奇妙な驚きをもたらしていた。
距離が縮まってもなお、その顔に見覚えはなかった。記憶力に取り立てて秀でているわけでもないが、このような女と会って忘れることは考えにくいだろう。仙舟風の青い衣服に、銀の髪。顔の大半は隠されていたが、ひとたびこの女が通りを歩けば誰もがその万年雪のような美に息を呑むに違いなかった。
手にした剣に─つまりは自分の首を切っている剣なのだが──よく似た女だと思った。銀色に光っていて、凄絶で、いかにも刃こぼれをしなさそうな。剣に手足が生えて喋り出したら、ちょうどこんな風だろうと夢想する。
「あなたの鼻を不愉快な香りがくすぐったのなら謝るよ。だけど、あいにく私は豊穣の教えの布教なんてしたこともないし、会う人に長生の主の祝福を振りまいたり、薬王秘伝とお付き合いをしたりしてるわけじゃない。あなたと戦う気ももちろんないよ。そういう相手に対するものとしては、不適切な態度じゃないかな」
今のあなたの、これは。
剣の峰側を軽く叩く。己の首に食い込んでいた刃を押し出しながら、肉が再生して瞬く間にふさがった。何事もなかったかのように、あっけなく。傷跡のひとつも残さずに。
その様子を黙したまま見ていた女が、ようやっとその口唇をひらいた。
「再生が、早い」
「長生の主の恩恵に与るものは、たいてい傷の治りが早いものでしょ。貴女はそういう生きものをたくさん殺してそうだから、よおく知ってると思うけど」
「ああ。豊穣の忌み物どもの再生速度には個体差がある。切り刻んで箱に詰めても死なぬ者から、何度か殺してやれば永劫の死を得られるもの、心臓が残ればそこから蘇るもの……差はあれども醜悪に生にしがみつこうとする習性に変わりはない」
女は軽く剣を振って、次は眉間に切っ先を向けた。先ほどまで首筋を断っていたはずの銀の刃には、血の一滴も、脂の曇りもついていない。
「我の刃はその全てを切り裂いてきたが、貴様はその中でも再生能力が比較的高く、豊穣の邪気を色濃く纏っている……何より、その目だ。並大抵の豊穣の行人ではあるまい」
「……」指摘されて、頬にある三つ目の瞳をわざとらしくぱちぱちと瞬かせた。
これは、目立つ。いつ、どこにいて、己がどう思おうとも。
「何者だ。使令か?」
問いかけは冷えた声だった。己はこの女の素性を知らないが、帝弓の民の中でも名うての戦士なのだろうとは見当がつく。そのような人物が、なにゆえこんな各駅停艦の寝台付き鈍行艦に乗っているのかはさっぽり分からないが──とにかく、なにがしかの理由で乗船して、自分を見つけて、脅威と感じて接触してきたのだろう。
運が悪い、と腕組みした。別段この女が気のすむまで自分を切り刻ませたところで死ぬような身ではない。ないが、せめてここではない場所で遭遇したかった。
「違う違う。私はそんなにすごい身分を持ってないし、だいいち、
「場所だと?」
「うん。考えてほしいんだけど、ここはただの星間巡航船だよ。戦うにせよ貴女が私を切り刻むにせよ、適した場所じゃない。もっとどこか、誰も巻き込まない場所でやるべきじゃないかな。横の部屋のおじさんはきっともう寝てる。何も悪いことをしていないのに騒音で安眠を妨げられるのは、かわいそうでしょ」
嘘ではなかった。となりの個室を使っている、気のよさそうな中年男性とは部屋に入る前に一度挨拶をしただけだったが、ずいぶん飲んだ様子でふらふらと室内へ吸い込まれていった。おそらく今は、狭い寝台の上でアルコールの海を泳ぎながら楽しい夢を見ているだろう。彼になんの縁もない騒音で迷惑をかけるのは心苦しかった。
──あまねくすべての生きものは、快適に、あらゆる苦痛を逃れて生きていくべきなのだ。
──それを損なうことは、間違っている。
それは、己の世界の真理だった。
心情を知ってか知らずか、女はああ、と微かな声を漏らした。納得して剣を下ろすようなことは、別にしなさそうだ。
「┈┈ラークシュ、と言ったな」
「うん。それが?」
「豊穣の星神をそう呼ぶのは、銀河でも
「あっ。……」
(……私ってつくづく隠し事に向いてないな……)
内心で自分の言動にあきれ返りながらも、流石に寝台から立ち上がって足元の荷物を拾い上げた。中型のアタッシュケースがひとつ。手持ちはそれだけだ。多分、この女は自分が何を言おうとも剣を引かないだろう。自分の種族が分かったのなら、なおのこと。そうなると周囲の乗客にも、この艦そのものにも悪影響しかない。ならば、とっととこの場から離れるのが吉だ。
「……その呼び方は好きだよ。仙舟の人って、おしゃれな名前を付けてくれたよね……夜を泳ぐ人、だなんて。歴史の長い文明はやっぱり、洗練されてる。それに比べて、私たちが故郷で何て呼ばれてるか知ってる?アスラだよ、アスラ。悪鬼、だなんて……ちょっと」
──そのまま過ぎるよね?
言い終わるが早いか、女が音を超えた速さで刃を振りかぶる。その銀光を引っ掴むと、指がぽとりと落ちるのも構わず勢いそのままにぐい、躊躇わず己の脳天に滑り込ませた。恐ろしいほどの切れ味の銀色の光が脳裏を貫通し、しずかに流れ出した血が、目に染みた。同時に、絶命した肉体から解き放たれた精神に、いつも通りの選択の機会が訪れる。言葉ではない。文字でもない。もっと原始的で、非言語的。長生の主の祝福は、鉄に引き寄せられる磁石にも似た純粋な力で、己の体の裡を満たしている。
(どこの、どれがいいかな)
引き延ばされた一瞬の中で、ぼんやりと考えた。銀河にあまたある「破片」を選ぶと、あっという間に現在の体が崩れ始める。切れた頭部、足、指先、二の腕。ざらざらと、体の端から順に細かい粒子と化して床に落ちていく。かすむ視界に、女の怪訝そうな──多分これで死んだとは思ってくれなさそうな──顔が映った。大丈夫だよ、と胸中でつぶやく。
夜泳人の灰は、ほとんど煙みたいなものだ。すぐ見えなくなるし、何にも悪影響など与えたりしない。自分と貴女の、この夜の邂逅がそうであるように。
「旅の準備の、その前に」
丹恒の部屋はいつ訪れても、生活の匂いがまるでしない。列車に乗ってから何度も勝手に招かれたり、あるいは勝手に入っているけれど、そのたびに思う。何せ、ベッドもなければ冷蔵庫もない。食べかけのお菓子やジュースもないし、趣味のものを飾っておく棚も柔らかいクッションもない。ただひたすらに書籍・書籍・書籍とそれを収納している書棚、電子アーカイブ、椅子と机、それだけだ。整頓されているというよりも、私物が少なすぎるがゆえに部屋にはノイズがない、というのが正しいだろう。どこで寝ているのかと前に尋ねたとき、彼は黙って床に敷いたせんべい布団を指した。味気ないやつである。
そういう部屋なので、彼がいつもの通りアーカイブを何やら触っているのを尻目にうろちょろと歩き回っていると、机の上に置かれた見知らぬ物体が嫌でも目に止まった。手に収まるほどの、小さい箱だ。ゲームに出てくるような、重要アイテムっぽく──は、ない。樹脂製の、どこにでも売っていそうな、黒い無地の箱。部屋の間接照明に照らされて、オレンジがかった光を帯びている。
「丹恒、なにこれ?」
星は言いながら、返事を待つことなく勝手に蓋を開けた。丹恒先生のものは、あなたのものである。声かけなどただのパフォーマンスにすぎない!
「ん?どれが……ああ。昨日整理をしていたときに出したんだったな。」
「どれどれ、丹恒先生のお宝を一目見せてもらおうかな……って。ほんとに何、これ」
箱の中は、がらんとしていた。黒い底面に、ぽつんと小さな何かがひとつだけ。信用ポイントも、お宝もナシ。摘まみ上げてみると、それはなんとも言い難い物体だった。切った黒糸の束を赤いゴム紐でまとめたように見えるけど、手触りが糸らしくない。妙にしなやかで、断面がざらざらとしていてやや硬め。糸というよりも、髪の毛に似ている──というか。
「髪の毛?」
そのものだ、これは。それも明らかに人毛。星は露骨に引いた顔で、友人を見やった。
「…………丹恒先生……悩みとか、ある?銀河打者が聞いてあげるよ?」
あからさまに揶揄いの色を含んだ声音に、丹恒の眉間にしわが寄る。
「いらん。そもそもお前は勘違いしているようだが、俺が趣味で人の髪の毛を集めているわけじゃない」
「なんだ、違うの」
「違う。これは……何と言ったらいいだろうか。列車に縁のある人の忘れ物というか、置き土産というか……とにかく、そういった類のものだ。使う時が来るまで、適当に保管しておいてほしいと頼まれたから、俺の部屋に置いていたんだ」
「髪の毛を?」
「髪の毛を、だ」
強調するな、と怒られたのもなんのその、星はしげしげとその髪の毛の束を眺めた。自分の髪を置き土産にする神経は謎だが、少なくとも健康状態は悪くなかったようだ。艶があって、少しうねっている。丹恒のそれよりも、少しばかり青みがかった宇宙みたいな深い黒は、ちっとも色あせていないし、乾燥とも無縁のようだった。
持ち主はどんな人だろう?と彼女は想像する。頭の中では、黒髪ロングの美女が、黙って髪の毛をちょきん、と切って丹恒に手渡している……ややシュールな光景かもしれない。
「ふーん。変わった人なんだね。髪の毛置いてくなんて」
「まあ、それは否定しないが……もしかしたらこの先お前も彼女に会うことがあるかもしれないな。ここ最近は列車に来ていないが、気が向いたらふらりと訪れる人なんだ」
「ナナシビトじゃないんだ?」
彼の口ぶりから察せられる、件の人物の身分について問うと丹恒は頷いた。
「ああ。パム曰く、列車が再び走りだしてすぐの時期に縁があったらしく、今でも何年かに一度訪れてはすぐに去っていく。都合が合えば開拓の旅に同行することもあると聞くが……俺は経験がないな。三月は一度あるらしいが……気になるなら、会う機会があれば話してみるといいだろう」
ナナシビトじゃないけど、時々開拓の旅に加わる、おそらく女性。矛盾した肩書だけど、彼のこの言い方からして、悪い人ではないのだろうな、と星は見当をつけた。本当に警戒するような人なら、彼ははっきり言うだろう。星はますます興味が湧いてきて、丹恒の持っている携帯端末をつんつんと突く。
「ねえ、写真は?その人の」
「写真か?彼女は……普通の写真には写らない種族なんだ」
「そんなことある?写真に写らないわけないじゃん、ねえねえ」
「……正確に言うならば、特殊な感光フィルムを使えば可能らしいが、生憎携帯端末には内蔵されていない。なので映っている写真を俺は持っていない」
えー、と駄々をこねても出してくれない辺り、丹恒は本当にその人物の写真を持っていないらしい。残念に思いながらも、写真好きのなのかであれば「特別なフィルム」やそれで撮影したその人物の写真を持っているかも、と星は思い立つと、隣のなのかの部屋に行こうと箱を閉めようとして──果たしてそれは叶わなかった。
(……?)
何かが引っかかったのか、隙間なく閉められるはずの蓋が、最後の部分で閉まりきらない。中の毛束は、引っかかるような大きさではないし、そもそも触ってもいないのだから蓋と接触する位置にもないだろう。完全に閉めるためには、角度を調整する必要があるタイプか?と星は考えながら、一旦蓋を開けた。
先ほどと同じ、飾り気のない黒い内部に、赤い紐で束ねられた短い髪の束がぽつんと置かれてはいなかった。いや、正確には存在している、のだが。底にあったはずのそれが、音もなく箱の中で浮いている。
「えっ」
丹恒、これちょっと、と言おうとしたところで、それはひとりでに上昇を続けてあっという間に箱の中から飛び出した。星の目線、頭をも越して、天井にまであと少しという高さで、それは動きを止める。
黄金の星図の描かれた壁を背に、柔らかな電灯の光をじかに浴びて、はっきりと天使の輪の切れ端を浮かび上がらせたそれを、星は呆然とした顔で見上げた。
「た、丹恒……髪の毛……」
「俺は髪の毛ではないが……」
窘める丹恒の言葉も、途中で止まった。二人して、宙に浮かぶ毛束を見上げて、それから視線を合わせ。彼も見たことのない光景だったのか、珍しく丹恒の顔には困惑の色が見受けられたが、流石の丹恒先生はすぐに我に返った。星に少し下がっていろ、と言って彼女を手で制すると、頭上でふよふよと浮く小さな毛束に向かって声をかけた。
・・・・・
「カーラさん、足元は俺の部屋だ。書籍を踏まないよう気を付けて肉体を構築してくれ」
(肉体を構築?どういうこと?)
その言葉がトリガーになったのかは分からない。しかし、その後に起きた現象は、急速で劇的な、まさしく肉体の構築だった。
初めに、ぱちん、と束ねていた赤い紐が弾けて床に落ちた。それから短かった黒い髪がみるみるうちに毛先から根元に向かって伸びていき、その次に頭から下に向かっての骨が、全身を這う血管と神経が、中に収められた臓器が、筋肉が、脂肪が、皮膚とその上に服が、文字通りに無から生み出されていく。全身が欠けなく揃うのに、2秒も掛からなかった。
最後に作られた3つめの眼球が空いていた眼窩を埋めて、それからその目が星と丹恒を捉えてにっこりと笑みの形に細まるのが、スローモーションのように星の目に映った。
「ひさしぶり、丹恒。それからあなたは……初めましてだよね。こんばんは、なんだかしまらない出会いになっちゃったかな」
人懐こそうに笑った女は、宙から滑らかに着地した。
丹恒や星より、少し年嵩に見える女だった。仙舟風とも、カンパニーの文化圏とも違う不思議な様式の服を身に着けていて、トレンカだけを纏った足は靴を履いていない。伸ばしっぱなしの黒髪はあちこち跳ねていて、不揃いな前髪に縁取られた白皙の中に一対のコバルトブルーの瞳がはめ込まれていた。見る者を思わずたじろがせるような、つよく光る目だった。
「……はあ。カーラさんが、これを使って列車に来る日が本当に訪れるとはな。奥の手だと言っていなかったか?」
「奥の手に間違いはないよ。結構なピンチだったんだから、たぶん仙舟の……強そうな剣士の女の人に出くわしちゃって。騒ぎになりそうだったから咄嗟に列車へ逃げてきたんだ」
けれども、相対する人間は誰しも、前述するような特徴よりも先に、彼女の頬に視線をやっただろう。星もまた、そうだった。陶器のような頬には、奇妙な割れ目のような傷と、その割れ目の隙間を埋めるようにして3つめの眼球が存在していた。白目の部分が黒く、角膜の部分が鮮やかな赤をした不吉な色合いの目。それがぎょろりと、二人を睥睨している。
既知の仲らしく、再会の挨拶をしている丹恒たちに向かって、星はその目をなるべく見ないようにしながらこほん、と咳払いをする。
「あんたが写真に写らない、謎の髪の毛の持ち主なの?」
知っている情報を全部合体させた問いかけに、カーラと呼ばれた女は体ごと星の方を向いて、嬉しそうに頷く。
「そうだよ。私はカーラ。ナナシビトじゃないけど、時々こうして列車にお邪魔させてもらってる……旅人?なのかな。無職と言い換えてもいいかも。種族は夜泳人だけど人は食べないから安心してね……右利きで左打ち、苦手なものは恒星の直射光……。ええと、うん、それくらいかな。あなたは列車の新しいナナシビト?」
「うん。私は星──またの名を銀河打者!よろしくね、カーラ」
「よろしく、銀河打者!」
愛想よく、カーラは星の手を両手で握ってぶんぶんと上下に振った。人よりもずいぶん低い体温がひやりと星の手に伝わったが、気にせずに握り返すと彼女はますます破顔した。目尻の下がり方が、いかにも人好きしそうな明るさを備えていて、星は遠慮することなく彼女の顔を覗き込んだ。
「ねえ、あんたさっき、髪の毛の切れ端から再生?体を構築してたよね。あれって何なの?ていうか夜泳人ってなに?」
「あ、夜泳人を知らないか。この移動方法もまあ、気になるよねえ……ええと…」
矢継ぎ早に尋ねられて、ちらりと群青の瞳が丹恒を伺う。視線を受け、丹恒は黙ってタブレット画面にアーカイブを表示させると、それを星に向かって差し出した。
『夜泳人(やえいじん)―豊穣
霊長目・ヒト科・ヒト亜種。メガラヤ星系の第四惑星サガルマートを起源とする。薬師の祝福を受けた「豊穣の民」の主要な分岐のひとつとされており、彼らもまた極めて頑健な肉体と尽きない寿命、限定的な不死性を有しており、現地ではアスラと称されている。夜泳人は仙舟での呼称。
(中略)
知的生命体の血液を主食とし、殺害した知的生命体を自らと同じ種族へと変化させることが可能。歩離人をも凌ぐ再生能力を有しており、恒星の直射光、もしくはサガルマートを原産とする特殊な鉱石での殺害を除いて、夜泳人の生命活動を止める手段は現状存在しない。』
星は流し読みすると、アーカイブから視線を上げてカーラを見た。
ぱちりと目が合った彼女は、いわゆる「邪悪な豊穣の忌み物」にはまるで見えなかったが、しかし。アーカイブの内容が間違っていなければ、彼女は豊穣の薬師に端を発する種族であり、銀河全般で危険視される豊穣派閥なのである。しかも血液が主食──血液が主食!?
「……あんた、豊穣の民なの?見えない部分に、実はイチョウの葉が生えてたり┈」
「しないしない。イメージが偏ってるね、星」
てらいなく言い切ったカーラは、もう何百回と繰り返してきていそうな、うんざりした口調で続けた。
「このくだりは、実はついさっきもやったばっかりなんだけど……私は薬師を真面目に信仰しているわけじゃないし、布教なんてもちろんしない。帝弓の艦を襲ったことも襲う予定もないし、薬王秘伝とのお付き合いもナシ!だいたいそんな奴は星穹列車に危なすぎて、丹恒はもちろん、姫子やヴェルトたちが乗車お断りでしょ?」
「まあ……それはそっか」
ぐうの音も出ない正論に、星も納得せざるを得なかった。たいして気を悪くした様子もないカーラは何やら足元のアタッシュケースをごそごそと探りながら、まあそういう目で見られるのもしょうがないけどね、と付け加えた。
「私の同胞が銀河で悪さをしているのは事実だし、長生の主の祝福を受けた種族ってどうも、無私や利他の精神とは真逆に突き進んでるやつが多いもの。あなたの警戒は正しいよ。丹恒だって、私と初めて会った時すごかったよね?鱗の逆立った龍みたいだった」
「……その話はもういいだろう、カーラさん。この前、三月があなたに会いたがっていた。顔を見せに行ってくれば、あいつも喜ぶ」
「露骨に追い出しにかかったなあ、まったく。いいよ、私は可愛いなのかに構ってもらいに行くから」
昔の話を出した途端あからさまに話題を逸らした丹恒に、カーラはふん、と鼻息を吐く。
その子供っぽい仕草を見ながら、星は豊穣の民か、と思った。考えてみれば、明確に豊穣の民に分類される種族と、敵対せずにこうして親し気に話すような機会は今までそうなかったはずだ。
丹枢、薬王秘伝の信徒たち、放逐団、呼雷を筆頭とした歩離人。過去に出合ってきた豊穣の民たちは敵対していたか、そうでなくともその思想には共感しにくいものがほとんどだった。無私・利他・治癒をその表れとする運命の信徒たちは、旺盛な生命力を至上のものとしすぎるきらいがあるからか、長生の主の祝福は人の身に余る薬として銀河でも畏れられることが多い。
(このひとは、)
あんまり、いわゆる豊穣の民っぽく見えないな、と星は考えた。先ほど垣間見せた、髪の毛の切れ端から肉体を再生したところを見るに間違いなく、かの運命の関係者なのだろうが、「薬師を真剣に信じていない」などあっさり口にするような不信心さは、豊穣のイメージとはいささかかけ離れていた。
彼女がすたすたと丹恒の部屋を出ていく後ろ姿を見ていると、彼は星をじっと見て言った。
「いつか会う機会があるかもしれない、とは言ったが、まさか今とは思わなかったな」
「すごい登場の仕方だったね」
箱の中にはもう髪の毛の小さい束はない。あの切れ端から彼女は『生えてきた』のだから、当然のことではあるが、本来は人知を超えた秘蹟と呼ぶべき事象なのだろう。
「ああ。彼女は肉体の破片をあちこちに置いておくことで、いざという時には古い体を捨ててその破片から新しい体を生み出し、なおかつそれによって長距離の移動もできる、らしい。見るのは初めてだったが……」
「へえ。って言うか、カーラは結局何者なの?結構すごそうな豊穣の行人っぽいけど」
星の問いかけに、友人は首を横に振る。
「彼女が語った以上のことは、俺たちもあまり知らない。夜泳人で、あてのない旅を続けていて、時々列車を訪れる。姫子さんが以前ナナシビトに誘っていたが、本人はその気がないようだったな……ああ、それと」
「それと?」言葉の続きを促すと、丹恒はふっとほどけるように笑った。
「カーラさんは列車に来るとき、必ずお土産を持ってくる。きっと今回も変わらないだろうから、後でお前も食べるといい」
あの人の持ってくるものに、外れはないからな。彼はそう締めくくった。
カーラ
列車にたまに来る人。
夜泳人
インド系文化の星で生まれた吸血鬼的生き物。仙舟とやや文化的には似通った部分があるため、薬師→ラークシュのように、近いけど発音の違う単語が結構ある。ちなみに幽囚獄には吸血鬼っぽいやつが既にいる。
鏡流
玉殿護送中と思ってください。時系列がおかしい。