「──惑星サガルマートは、スターピースカンパニーの定めるところのA級戦時惑星に分類されます。訪れる際には必ず用意を怠らず、非常時には
現地治安維持部隊の指示に従って行動してください。幸いにも過去5年間で死傷した観光客はごく少数に留まっています。サガルマートはこの美しい星を訪れる客人を心から歓迎し、その安全に最大限配慮しています──(中略)
クシナプラムはサガルマートに存在する四つの都市のひとつであり、星の穀倉地帯であると同時に、指折りの景勝を讃えられる土地です。他の三つの都市と同じく、高山地帯に位置していますが、その景観の美しさは他の追随を許しません。スフリッド高地に建てられたこの都市を代表するものは、何と言ってもニーラ・カンタの滝です。幅2368m、落差およそ861m。青く湾曲しながら流れ落ちる惑星最大の大瀑布は、サガルマートの大地が生み出した芸術であると同時に、クシナプラムが擁する天然のダムであり用水路、水力発電の源として市民たちを潤してきました。そして驚くべきことにこの大瀑布と、滝へと流れ込むニーラ水系の河川は透明度が非常に高く、クシナプラムのほとんどの地域では水底に映り込む魚影と、泳ぐタレト魚の鮮やかな鱗を目にすることができるでしょう──
(中略)
大人気!ヴァラナースを訪れた際には、「あの」スターピースカンパニー・クオリティセレクションにも選出された、「バターナッツアイス」をご賞味あれ!濃厚でねっとりとした甘み、ナッツの香ばしさが口いっぱいに広がるその味わいは一度食べれば病みつきになること間違いなし!トッピングも思うがまま、麦のフレーク、羊乳クリーム、ジュチ豆のペースト。あるいは、ミルクティーに浮かべてフロートとして召し上がっても最高です──
(中略)
ヴァラナースはサガルマートの歴史が始まって以来、常にその中心として、人類の最大の砦として、悲喜の全てを見届けてきました。ヴァラナース中央星史博物院はその証左です。ここは博物館という言葉から想像されるような、単に過去の遺物を陳列する場所に留まらず、歴史の全てをつまびらかに示し、そうして過去を最もよい教材として学び、未来へと活かしていく場として開かれています。また、歴史と堅苦しいものではなく、身近で楽しみながら理解を深めていくものと実感してもらうため、中央星史博物院ではドラマ仕立てのサガルマート史や最新のホログラムマッピングを活かした展示をご覧いただくことができます──」
なのかは「銀河の歩き方・サガルマート丸ごとぶらり旅」のページを閉じて、落ち着かない犬みたいにうろうろとパーティー車両を歩き回るカーラを見やった。白地に刺繍の施された衣服の裾をいじくったり、毛先の不揃いな黒髪を何やら指にくるくると巻き付けて見たりと、彼女はとかく忙しない。星穹列車の次の目的地がサガルマートに決まってからというもの、カーラはずっとこんな調子だった。
「ねえ、カーラ。見て、サガルマート食い倒れツアーの申し込みだって。このモモって可愛い名前の餃子?美味しいの?」
「どれどれ」
カーラは足を止め、すすすと近寄って紙面を覗き込んだ。きゅっと眉根に皺が寄る。
「ああ、これ。結構おいしかった……と思う。多分。スパイスもたくさん使うから、苦手な人もいると思うけど。なのかは仙舟の火鍋とか前食べてたでしょ?あれも辛いって聞くし、火鍋が行けるなら、モモも食べられるんじゃないかな。まあ私が食べてたの大分前だし、味付けも変わってそうだけど……」
「へえ~。それじゃあ、この中だとどれが一番おすすめ?ちゃーんとウチの好みも踏まえて考えて!」
開かれた紙面には、色とりどりな料理の数々と見るからに甘ったるそうなスイーツが所せましと並んでいる。知っているものが少しと、知らないものがたくさん。知らないもののなかに、昔の面影を感じるものも少し。
「ドーサ、サンバール、トバイヤル、アヴィヤル……ああ、この辺りは今でもまだ食べられてるんだ!私の生まれた町でも一般的だったお料理だよ。野菜中心でね、ナリヤルっていう植物から取れる甘いミルクみたいなものや果肉をよく使うの。味付けもマイルドなものが多いし、食べやすいんじゃないかと思うよ。ナリヤルのミルクを使った、甘いドリンクもなのかは好きじゃないかな……うーん、でも載ってる料理、知らないものが多いな……」
「どうして?カーラの故郷のメニューなのに」カーラはきょろりと青い目でなのかを見た。
「なのか、私の主食が何か知ってるでしょ?『人間』の食事を最後にとったのは、いつか分からないくらい前なんだから。食べないものには詳しくなれないよ。それでなくとも、サガルマートの料理は都市ごとに全く違うから、故郷の──つまりティヴロカ料理ならまだ辛うじて分かるんだけど。それ以外は、ぜんぜん」
まずい質問だった、となのかは目をぎゅっと瞑る。この友人の主食は知的生命体の血液で、一般的な食事は摂れないのだ。それを失念していた。もちろん、不死に近い生命なので人間の食事を口にしたところで死にはしないのだが、彼女たちの鋭敏な味覚では、人間の食事はいくら人間には美味かろうと、とても口にできないほど辛く、甘く、苦く、飲み込むことすら辛いのだとか。なのでカーラは姫子のコーヒーを飲んだことはない。嗅ぐだけで顔をいつも青くしている。
「あー、ごめん!アンタが食べられないこと、忘れてた……」
「いいよ、気にしなくて。せっかくみんながサガルマートに来てくれるんだから、なんでも答えられたらいいんだけどねえ」
離れてる時間が長いと、忘れちゃうことの方が多いね。とカーラはぽつんと言った。
「そういうものなの?」故郷のない──すくなくとも記憶にはないなのかは首を傾げる。
「意外とそうみたい。離れてるときは、子供のときに見た風景だったり、住んでた家のことを思い出すこともあったのに、こうやって実際に帰ろうとすると『あれ、たしかそうだったよね?』って記憶の細部がぼやけてることに初めて気づく。もちろん、離れている間に変わって、新しくなった部分のことは全く知らないし……ネットに出てくるサガルマートの街並みも私が知ってるのとはまるで別だった。帰ってみても、帰るまでに想像してたよりはあー懐かしい!とはならないかもしれないね」
ふーん、となのかは分かったような分からないような相槌を打った。丹恒の故郷である仙舟「羅浮」に行ったときも思ったが、帰郷というものはどうやら、誰でも彼でも懐かしく・嬉しく・幸福な記憶に満ち満ちている──というわけではないらしい。大変だな、と少女は他人事のように思った。三月なのかには帰る星がないので、そのあたりの機微はどうもよく分からない。人それぞれ事情はあるのだろう、ということは理解できても、実感が伴わないのだ。ともあれ、この旅訪れることになったサガルマートにもまた、カーラの心を落ち着かなくさせるほどの事情があることは彼女にも察せられた。何せ、彼女はそこで生まれ育った。銀河中探してもたったひとつしかない、自分の故郷なのだから。
航路会議で、次の目的地は驚くほどにすんなりと決まった。おそらくはナナシビトたちも皆、会議を始める前からサガルマートへ行くという結果をうすうす予測できていただろう。八百長をする気は誰の心中にもなかったが、群星に向かう旅の中でナナシビトたちはある種のめぐり合わせのようなものを感じ取るときがある。偶然の連鎖や、ときには誰かの思惑によって、探していたものがぽんと目の前に現れたり、人との繋がりが予期せぬ大きな幸運をもたらしたり……先だって燃料に困っていた列車が、燃料をちょうど手に入れられるオンパロスを訪れたのも、奇妙な偶然だった。
此度のサガルマートにカーラが帰郷するのと時を同じくして、星穹列車に完成式典の招待状が届いたのもそういった「都合の良い」偶然のようだった。まるで列車が訪れるべき場所はここである、と指し示している誰かがいるような。かく言うなのかも、「タイミングいいなあ」と思いつつもサガルマートに手を上げたし、ほとんどのナナシビトたちも多分そうだろう。姫子は「前には結局上陸できずじまいだったものね」といい、丹恒は「仙舟とも縁のある場所と聞く。名前だけは知っていたから、実際に訪れてみるのも悪くないだろう」と言った。そうして、
──彼女はいつも、列車に客として訪れるばかりだからな。たまには、俺たちの方が彼女の客となってみるのも、悪くないんじゃないか。
笑みを含んだ声でそう言ったヴェルトの言葉が、多分最後の一押しであったように思う。満場一致で決まった結果をカーラに告げると、彼女はもごもごと、そっかあ、みんながサガルマートにねえ、と何度も繰り返し繰り返し口の中で飴玉を転がすように、噛みしめているようだった。嬉しさと同じくらい、読み取りづらい複雑な感情がカーラの顔には表れていたが、それが何であるのかはなのかには分からなかった。
「でも、厳密には、列車がサガルマートを訪れるのは、これが初めてじゃないんでしょ?」
「らしいね」
なのかが、航路会議で初めて聞いた事実について尋ねると、カーラは曖昧に頷く。他人事のような口ぶりだ。
「会議のときに車掌さんから聞いてびっくりしたよ。昔の姫子しかいなかった時期に、補給のためにサガルマートの宇宙港に停泊したんだって……」
それはなのかからしても驚くべき新事実だった。まだ列車が再稼働して間もない頃に、ごく短期間サガルマートでの停泊があったということは、ヴェルトも丹恒もそのいきさつを聞いて目を丸くしていた。とは言っても、実際の開拓の旅が行われたわけではないらしい。ちょうど停泊した時期は、夜泳人の攻勢が一際厳しく、サガルマート四大都市の一角が落とされる寸前で踏みとどまっていた情勢もあって、宇宙港からサガルマートの都市への上陸が禁止されていたのだそう。そのため、立ち寄った姫子も補給を行った後には立ち去るよりほかに選択肢がなく、かの星をあとにしたのだとそう語った。──そしてそこで、カーラと邂逅した、と。しかし当の本人は何か事情でもあるのか、煮え切らない返事をするばかりだった。
「うーん。そう、だった……って聞いたよ」
「聞いたって何、聞いたって。アンタもその場にいたんでしょ」
何せ当の姫子が「その時にカーラと初めて知り合ったのよ」とそう言ったのだから、間違いない。にも関わらず、ぼんやりした口調で言いきらないカーラに、なのかは彼女の肉付きの薄い肩を掴んでゆさゆさと揺さぶってやった。この友人は明らかに、何事かを隠している。
「いやー、そうなんだけど。あの時は色々あったから、どんな風に旅立ったのかはよく覚えてないの……ずいぶん長く寝てたし,、もう10年以上も前だし……ねえ姫子」
「あら。私はあんたと出会ったときのことをしっかり覚えてるけどね」
コーヒーを片手に、姫子はカーラをじろりと見た。
「確かに色々あったけど、忘れられるような些末なことじゃなかったわよ。とんでもない子を拾っちゃったって、当時は思ったんだから」
「二人にしか分かんない話をしてないで、ウチにも教えてよ!ねえってば……」
言いかけて、なのかは途中で言葉を切った。カーラが腰を浮かせて、何かに気付いたように鼻をひくつかせたからだ。よく馴らされた獣のように、すん、と人の何倍も鋭敏な感覚で捉えたものがあったのか、
「……来客、かな?」
と彼女は小さくつぶやくと、瞬きのうちにその姿を隠した。おそらくは室内の影にもぐりこんだのだろう。豊穣の民に分類される彼女は、銀河でも種族を理由に警戒されることも多い。それを厭うてか、カーラはその人懐こさに反して存外警戒心も持ち合わせている。あるいは、列車が夜泳人のような危険な種族と関わりがあることを、周囲に知られては迷惑だと考えているのかもしれなかった。
──で、……に決まった……
──……?の意向が……
果たして、彼女の感覚は正しかったらしい。少しして、列車のラウンジと繋がる扉の方から人の話す声がだんだんと近づいてきて、がらりと扉が開く。星、丹恒、ヴェルトと言った列車のメンバーがまず出てきて、それからゲストの姿が見えた。扉を最後にくぐった客人はどちらも男で、片方がホログラム、もう片方は実体だった。両名ともナナシビトたちも良く知る顔ぶれだ。客人たちはパーティー車両にいた姫子たちにすぐ気づくと、会談の上から親し気に手を挙げた。
「やあ、二人とも。オンパロスでの旅以来だね、ナナシビトたちの活躍は毎日のように耳に入ってくるから久しぶり……というような気分がしない。今しがた列車の次の目的地を聞いて驚いるところだよ」スターピースカンパニー戦略投資部が誇る高級幹部・アベンチュリンが変わらずにこやかに、近くまで来たから寄ってみたんだ、と少し胡散臭い調子でそう言った。
遠隔で操作しているらしい、精緻なホログラムは青く透けていて、頼りない。その頼りなさがいっそう、彼の生来持つ軽薄さを嵩増ししていた。
「星はもう話したのね。そう、サガルマートに行くのはついこの間の航路会議で決めたのよ」
「例の式典に招待されて?」銀河でも並ぶものなき規模の企業幹部ともなれば、当然既知のことだったのだろう。アベンチュリンは答えの分かり切った問いかけを投げかける。
「ええ。それもあるし、私の──古い友人が住んでいるの。式典に行くついでに、会いにいこうと思って」
「もしかして、あんたたちも招待されてるの?サガルマートから夜を無くすって計画、もともとはカンパニーが主導してるって、記事にも書いてたもんね。ははーん読めたよ、私たちもそろそろ新しい石心メンバーとお知り合いになっちゃうってわけか……」
ホログラムのアベンチュリンをつつく星がふざけたように言うと、アベンチュリンは意外そうに眉を上げて、悪いけどマイフレンドの期待を裏切ることになりそうだ、とかぶりを振った。首を傾げた星に、彼は成績の低迷した子供を見るような目つきで優しく笑う。
「サガルマートの担当は市場開拓部の幹部でね。あの星とカンパニーが交易を開始してかなり経つから、そろそろ業務強化部に移管しても問題ないとは思うんだが、連中はどうも手放したくないらしい……カンパニーの手掛ける重工業の中には、サガルマート産の鉱物資源に依存しているものもあるんだ。まあ要するに、かの星は市場開拓部でもけっこう重要視されてる土地なんだよ。なので、僕らはお呼びじゃない」
「ああ、それで」ヴェルトが得心がいったように頷く。
「市場開拓部と戦略投資部は、あまり仲がよろしくないんだったか。それは、市場開拓部が主催する式典に呼ばないほどのことなんだな」
「まあね。部署の主務たちは取締役会で意見が一致することはまずないし、部下たちは互いに植民地主義者と借金取りと罵り合ってる。もっともカンパニーだって人事異動が存在するし、全員が全員、仲が悪いってわけでもないけど」
「植民地主義はカンパニーの社訓みたいなもんでしょ。戦略投資部が無関係みたいな顔したらダメだと思うけど」
星の茶々をアベンチュリンは華麗に黙殺する。もっとも、こればかりは適当なこととは言い切りづらい。何せ拝金主義と植民地主義はカンパニーの十八番みたいなものである。スターピース・カンパニーの結んだ交易路は、今や全銀河の血管であり用水路であり、その恩恵は誰にとっても計り知れないものだったが、同時に彼らが引き起こしてきた商業的混乱や紛争、略奪と経済的搾取は誰の目にも明らかなことだった。今さら言っても仕方のないことではあるのだが。
ともあれ、カンパニー内部における両部署の反発はそれなりのものである、というのは間違いないようだった。過去にナナシビトたちが関わってきたカンパニーの社員たちは、何せ戦略投資部かそれに類する人物が圧倒的に多い。が、今回に限っては、市場開拓部のお膝元であるサガルマートで彼らの支援を得ることは難しいだろうと思われた。アベンチュリンの口ぶりから察するに、現地で働く社員もほとんど市場開拓部の所属が占めているのだろうし。
「フン、言われているぞギャンブラー。カンパニーの悪評もここに極まれりだな」
居丈高な様子で、今までむっつりと黙していた客人のもう片方──博識学会の学者にして第一真理大学の教授、スターピースカンパニーの技術開発部顧問、ベリタス・レイシオが鼻を鳴らした。研究に必要なのか、いささか疑わしい筋肉に覆われた彫刻のごとき体躯は、今日とて変わらず光っている。
「アハハ、カンパニーのサラリーマンとして反論したいところだけどね。生憎過去から今に至るまで、琥珀の王の名の元にカンパニーが講じてきたあらゆる手段は、否定しようのないことだ。それを止めるかどうかはさておき。ということで訂正だ──市場開拓部と戦略投資部は、互いに植民地主義者と借金取りと罵り合い──カンパニーの全社員は植民地主義者にも関わらず、ね」
アベンチュリンはウインクをして、あっさりと前言を訂正した。
「それで、その植民地主義者の中の植民地主義者──サガルマートの現地責任者は……おや?彼女、人材奨励部の公開データベースに写真を載せてないんだね」
「あら。自社の情報を社外に出していいの?」
「ネットで調べれば誰にでも閲覧可能なものさ。大した情報はないし、もしこのデータベースに見られて困るような情報があるのなら、それは公開した本人に責任があるだろうね」
空間に浮かび上がったデータを見て、青年は不思議そうな顔をした。どうやらご親切なことに、彼はサガルマートを担当している市場開拓部の幹部について教えてくれる腹積もりのようだった。アベンチュリンは一見の気安さとは裏腹に、腐っても銀河のほぼ全域を繋ぐ企業の高級幹部だけあって、迂闊な情報漏洩をしてくれるような可愛げはない。きちんと「情報」の持つ値段を理解しているからだ。しかし、その慎重さを市場開拓部相手に発揮するつもりも、やはりないようだった。
端末から呼び出されたホログラムのデータには、彼のいう通り顔写真のあるべき位置にはNO DATEの文字が並ぶだけだった。その横、少し太い枠の中には、その幹部のものと思わしき名前……「チタニア・ボトム」と記載がある。姫子やなのかにも、見覚えのある名前だった。確か、前に「旭光の晶化」計画の記事で、計画の発案者として挙がっていた人物だ。
階級はP46、入社は時期は秘匿。異動はほとんどなく、入社以来市場開拓部で順調に昇進を重ねている。手がけたプロジェクトには「カンガ・ノムナにおける大規模発掘事業」「ホルスト惑星での皇帝の遺産再建プロジェクト」「アナンダの風船計画」など、読めばなんとなく内容の察せられるものから意味不明なものまで、ずらりと並んでいた。それだけ社歴が長いか、あるいは実績を短期で重ねてきたのか。どちらにせよ、多くのプロジェクトを任されるだけの腕利きの商人であろうことは、この僅かなデータからも読み取れることだった。
「……もしかして、すっごくヤバい人だったりするの?」
「定義によるだろうね。僕自身、彼女とはそう多く関わったわけじゃないが、そんなに奇天烈な人物じゃない。物腰の柔らかい、長命種の女性だよ」
おそるおそる、と言ったふうのなのかに、アベンチュリンは肩をすくめてみせた。
「はあ。無意味なはぐらかしは時間の浪費以下の愚行だぞ。それだけの人物が、あの市場開拓部で幹部にのし上がれるわけもない。僕はチタニア・ボトムとやらとは直接面識がないが、『アナンダの風船』計画くらいは知っている。あの入植でスフェン星の原住民間における内戦が激化して、惑星人口が2割減ったはずだし、計画の責任者がそれを知らなかったとは思えないな。……カンパニーにおいてその為人を語るのは、物腰や種族より、まず実績の中身だ。君たちも既に知っているはずだが?」
レイシオの補足により、件の現地責任者は「物腰の柔らかい植民地主義者」であることは確定した。もとより伝聞ではあるが、スターピースカンパニー市場開拓部の手腕の過激さや、主務であるオスワルド・シュナイダーの悪辣さについてはナナシビトたちも聞き及んでいる。友人のひとりには、故郷の星がかの部署によって住民まるごと更地にされて復讐を決意した者さえいるのだ。その部署で幹部を務める人物なのだから、やはり警戒するに越したことはないようだった。しかし、アベンチュリンはそこまで深刻そうな顔でもなく、学者を面白げに見返した。
「会ったことのない人物にも、君の毒舌は向くんだねえ、教授。まあ、ナナシビトたちが眉を顰めるようなキャリアであることには間違いないさ。ただ、カンパニーでそれなり以上の地位が欲しければ、人当たりの良さだけではもちろん話にもならないが、だからと言って無常で冷酷なだけでもいけない。冷酷さなんて別にありがたがるほど高価なものじゃないんだからね」
「ええっと、それじゃ結局……どんな感じの人なの?サガルマートで会うことがあったら、ウチらと仲良くしてくれそう?」
「多分ね。チタニア・ボトム総監は教授の言った通り、市場開拓部のテンプレートみたいな過激なキャリアの持ち主だけど、話の通じない手合いじゃない。僕らは総じて商人だ、交渉のテーブルを設けられないような人物はカンパニーでは評価されないからね。星穹列車の価値を理解しないような『愚鈍』でもないはずだし──おっと教授、わざとじゃないよ」
睨まれて、アベンチュリンは軽く両手を挙げた。
「礼節を弁えて振舞う人さ。社内政治のあれこれで、戦略投資部と揉めたこともないはず。ああ、そうだ。もし彼女に何かお願いごとをする機会があれば、何がいちばん効果的か、僕らの友好の証として特別に教えておこうかな」
思い出したかのように、ふと彼がそう言った。思わせぶりな口調に、星もなのかもそろって顔を見合わせた。お願いごとをするとき、何が効果的か。それが指すものはつまり、
「賄賂に何がいいかってこと?」と、星。
「ああ。でも、信用ポイントじゃない」
「何て言ったって、アンタたちが発行元だもんね……」
「ああ。だから、もしそんな機会があるとしたら、持っていくべきは信用ポイントでも貴金属や宝石でも、もちろんマイフレンド、君のバットでもない。一番効果的なのはね──本だ」
そうっと、いかにも社外秘をこっそり教えてあげますよ、という風なアベンチュリンの口ぶりは手馴れている。平素この青年に対して、星穹列車の乗客は誰でも、商人というよりもギャンブラーのイメージを強く抱いている。常にリスクのある選択肢を選び、高額なベットを積み上げて勝利を掴むのが、この青年であるからだ。だが、今に至ってはアベンチュリンもまたまぎれもない商人なのだと思わざるをえなかった。彼がもし、この話の続きを「売る」と言い出したら思わず買ってしまいたくなるような話の持っていき方は、やはり本職である。
「……?……ベストセラーの本、とか珍しい稀覯本とか、そういうこと?」
「彼女、本の種類はいっさい問わないから、別にそれでもいいんだけどね。マイフレンド、もし君がチタニア・ボトム総監にお願い事をしにいきたいのなら、持っていくべきは『君が最近読んで本気で面白いと思えた本と、その感想』だ」
「へえ。それってライトノベルでもいいの?」
「もちろん。漫画でもいいし、物理学の論文でも算数の教科書でもいい。極論、本当に面白いと感じたのなら子供用の絵本だって彼女は気にしないだろうさ。そういう人なんだ」
件の幹部は、自他共に認める無類の読書家なのだという。長命の傍ら、絶え間なく銀河のそこここで生み出され続ける数多の本を愛してやまず、貯蓄を除けば彼女は給料の殆どを書籍の購入に費やしているのだとか。古典の名作から、打ち切られた四コマ漫画に至るまで、あらゆる媒体の活字中毒者であり、彼女の本のコレクションは専用の図書館どころか噂によればひとつの星を書籍の保管のためだけに購入したとすら、まことしやかに囁かれるほどだった。
意外なことに、チタニア・ボトム総監はそれを仕事にしているというわけではなく、カンパニー系列の出版社の経営や、名高い読書家として書評を書いてくれないかという打診も、「読書は趣味」の一言で足蹴にしているらしい。ただ、例外的に──
「『私は人と本の話をするのが三度の食事よりも好きだし、何よりその為人をはかるのに、これほどよい物差しもない。誰が何を読み、何を感じ、何を薦めたいと思ったか。私はそれを、あればあるほど知りたい』そうだ。かくいう僕も、前に一度彼女と競合する分野で仕事をしたことがあってね。その時に、実際にやる羽目になったよ」
「賄賂を?」
「そうさ。初めは冗談かと思ってたんだが、彼女に『私の噂は知っているはずですよ』と言われてね。しょうがないから近場の書店で適当に何冊か買って読んで、その中で一番面白かったものと、その感想を書いて渡したよ。彼女、満面の笑みでそれを受け取って、次の日には僕の依頼をきっちり完遂してくれていた」
「へ、へんな人……」
なのかの率直な人物評に、アベンチュリンは否定こそしなかったが、彼自身はそこまで件の人物に嫌悪などは抱いていなさそうだった。無類の読書家のカンパニー高級幹部。穏当そうな趣味と、過激なキャリア。矛盾しそうな二つの肩書きをもつ女性とは、たぶん、星に上陸すれば会わない選択肢はないだろうな、と漠然とナナシビトたちは思った。宇宙の経済そのものとすら言われるかの企業は、つねに物事の渦の中心に立っているのだから。
そうしてアベンチュリンはしばらく歓談を楽しんだのち、過密スケジュールに急かされてホログラムは掻き消え、後には仏頂面の学者だけが残った。むっつりとしたレイシオは、「あの男は相変わらず喋りすぎる」とぼやいた。
「商人には必須の素養なんでしょう。現地責任者の情報も前もって知れたのは、私たちにとってもありがたいことだったから、あまりとやかく言う気にはなれないわね」
姫子は、淹れていた珈琲をさっと近くに置いた。
「そういうレイシオ教授は、お時間は大丈夫なの?お忙しい身の上でしょうに」
「問題ない。むしろ今回君らに頼み事があるのは僕のほうだからな」
おや、と姫子はもちろん、聞いていた星やなのか、丹恒らも意外に思って耳をそばだてた。この学者が誰かに頼み事をするのをみるのは初めてのことだった。大抵、彼の頭脳や能力をもってすれば、その必要がないからだ。ふざけているわけではなさそうで、その聡明な双眸でぐるりとパーティー車両を見渡してから、彼は軽く咳払いをした。
「それも、あの男には聞かれたくない部類の。だからこうして、退出するのを待っていたんだ。そんなに難しいことじゃない、手短に済ませよう」
──何の因果か『偶然』、僕も君らの次の行先に用があるんだ。
『各乗客は注意せよ──まもなく跳躍が始まる──周りのものに掴まって、大人しく座っとくように!』
エンジンルームに繋がるスピーカーからパムの声が響き渡り、ぞろぞろと列車のラウンジへと移動したナナシビトたちとカーラは、各々好きな場所に腰を下ろした。だんだんと、振動の大きさを増していく床に意識を取られていると、ふと、横に座っている姫子の白いドレスが目に入った。視線を感じて顔を上げると、彼女は静かな目でこちらを見ている。
「緊張してる?」
「意外と……私、あんまり緊張しないタイプだと思ってたんだけど」
「故郷だもの。多かれ少なかれ、特別に思うことはおかしくないわよ」
あっけからんと言い放ったナビゲーターに、カーラが終わらない旅に身をおくナナシビトでもそうなの、と問うと、姫子は薄くわらって、もちろん、と頷いた。
「鳥が飛び立った枝を忘れないように、私たちもまた、旅が始まった場所を忘れることなんかできないわ。訪れる群星を数えることはできないけれど、旅立った星はこの銀河にたったひとつしかないんだから」
「……」
「あんたの旅が始まった日のことを、知ってるわ。あんたは覚えていないんでしょうけど……でも、確かに存在していたし、きっと特別な日だった。大丈夫、今回の里帰りもいい旅になるわ」
根拠のない、しかし確信にみちた言葉だった。カーラはそれに、そうだ、とも、いやそうはならないよ、とも言えずに窓の外を見た。暗い宇宙を映す窓には、ラウンジの椅子でワイワイとはしゃいでいる星たちが映り込んでいる。
実のところ、カーラが姫子との出会いについて記憶があやふやだと、なのかに言ったのは別段嘘でもなんでもない。本当にその時期のカーラは、目の前に広がる世界を正しく認識するのが極めて困難な状態にあったのだ。なので宇宙港で出会ったという日のことはほとんど覚えていない。カーラの知る時代のサガルマートには宇宙港なんてものはなかったし、聞かされて初めて「そんなものあったんだ」と驚いたほどである。
だから、カーラの姫子との記憶の始まりは、列車の中が最初だ。今よりも少し若い彼女が、ラウンジの椅子に座って、立ったままのカーラを見上げている。それが彼女に対する認識の全てだった。少しの警戒と、何かとても痛ましいものを見るような、それでいてたじろぐような強い眼差しでこちらを見ながら、カーラがきつく握っている姫子の手をゆっくりとほどいてくれたことを覚えている。おぼろげな意識の中で、この人はだれだろう、なぜ自分はこの女性の手を握っていたのだろう、と漠然と考えたことを覚えている。
──あんた、話せたのね。よかった。
──でも、人の怪我を心配するよりも先に、私たちは自己紹介から始めないといけないわ。友達ってそういうものじゃないかしら。
『目的地はサガルマート──目的地はサガルマート──メガラヤ星系に向けて、出発進行!』
声とともに滑らかに列車の速度が増していき、窓の外の星は点から線へと、ぎゅんと変化していく。最高速度に達した列車が、何か不可視の膜をくぐり抜ける瞬間、青く光る波長が列車の中を満たして、それはすぐに過ぎ去った。単なる高速移動ではない。これは跳躍という名の通りに、点から点へのジャンプに等しい。銀河に存在する星々の間に横たわる、何千何億光年という途方もない距離を飛び越えてしまえる、かつての「開拓」の星神・アキヴィリが遺した神蹟。まだ見ぬ星を求めて旅立つものたちの、翼そのもの。
途方もない速度によって、引き延ばされていく一瞬の中でカーラは車窓の向こうに懐かしい故郷の風景を思い浮かべようとして……ふと、サガルマートという惑星を宇宙から見たことがないのを思い出した。旅立ったときには、振り返った記憶がない。あるいは振り返ったのかもしれないが、瞼の裏に描ける姿はなかった。そして、それはもはや記憶の中で探す必要もないものだった。
窓の向こうの景色は、跳躍の前とは一変していた。砂金を散らしたような星々の中、恒星らしき白っぽい星が遠く光っており、そうして最も近い惑星には炯々と文明の灯が見えている。それが、サガルマートだった。
銀河に点在する、知的生命体を育んだ多くの星がそうであるように、惑星は緑と青、茶色で構成されており、その上を雲が通過する様子がうかがえた。割合でいえば海を示す青はやや少なく、陸地を示す緑と茶の方がやや多い。大陸は7つ、海は5つ。惑星の地形は、かなり大雑把に言えば6つのいびつな花弁を持つ花と、その芯に例えれば近いだろうか。大きさも形もまちまちな6つの大陸の中心に、孤立気味な最も小さな大陸があって、それを取り巻くように砂漠だろうか……茶色い部分がある。その外側、花びらの間を海が埋めていた。
ただ、サガルマートの主要都市は今現在、おそらく夜間なのだろう。恒星の光の当たっていない面に位置しており、大陸の輪郭は都市部を意味する密集した光でのみ分かる具合だった。人々が暮らす中で灯される、数えきれないほどの電灯、ネオンライト、街灯。それは宇宙から見れば、地上に降りた霜のようだった。
「わあ……!」
高揚した声で、なのかは写真を一枚ぱちりと撮った。この前のオンパロスでは叶わなかっただけに、彼女の歓びはひとしおのようだった。なのかは嬉しげにカーラを手招いて、どれがどの都市なの、と問う。
「ええ?ガイドブック見てたでしょ?」
「もう、分かってないなあ。現地ガイドの解説が欲しいんだってば」
「あはは、ごめんごめん、分かったよ。それじゃあ分かりやすく、さっきなのかが読んでたページから行こうか」
カーラは笑って窓の外を指さした。夜間であるがゆえに、6つの大陸のどこに人口が集中しているかは一目瞭然だ。よく見ればひとつの大陸につき、光が集まっている広い区画がひとつある。それが全部で4つ。北部の2つの大陸には光の集まっている場所どころか、点在する光すらなく完全な闇に沈んでいる。カーラは、その4つの区画がそのままサガルマートの4大都市だよ、と言った。
「光が灯っていない北部2大陸は、アスラの支配圏なんだよ。真ん中はカイラス山で、誰も住んでない。昔は他の大陸にもアスラ側が侵食してたけど、人間側が大陸の過半数を取り返して今の状態になった。4つの大陸に4つの都市、都市のある大陸は人間側の領域。分かりやすいでしょ?」
「えっ、惑星全体で4つの都市しかないの!?」
「都市って言っても、たくさんの町が数えきれないくらい集まってるし、かなりの規模だよ。この4つに何億っていう人間が住んでるんだから。さ、一番左の大陸──あとちょっとで朝になりそうなあそこが、アプサラー大陸。都市の名前がクシナプラム。大きな滝と隣接してるのが有名で、昔から景勝地として知られてる」
指さす先は、中央の小さな大陸から見て左下に位置する大陸だった。紡錘のような形の先端で光が群れている。なのかは慌ててガイドブックのページをめくった。クシナプラムは彼女の言う通り、青々と湛えられた水と大瀑布に抱かれるようにして存在していた。伝統的な建物と、あまりの巨大さに見切れている瀑布が隣り合う光景は、一枚の絵のように美しい。
「その隣が、クールマーン大陸。都市がヴァラナース。私の知る限りは、ここが一番人口の多い都市だった……多分今も変わってないんじゃないかな?昔からすごく栄えてるし、文化の最先端のイメージがあるね」
指す先は、中央から見て真下の大陸だ。ヴァースク大陸に比べてやや小さかったが、言われてみれば人口を示す光の密度は最も高い。それだけ人口の集中している都市なのだろう。ガイドブックのページには、いかにも近代的なビル群の群れと混在する緑の屋根、その中でもひときわ目立つ塔が映っていた。軌道エレベーターを有する交通の要所にして、政治・経済・そして文化の中心地!と銘打たれているのは決して誇張ではないらしい。おそらくは首都に近い場所なのだろうとなのかは見当をつけた。
「その更に隣、カストゥーバ大陸。都市はティヴロカ。私が生まれた町もあの中にある。鉱石の採掘が盛んなところで、アスラと戦うためのニルマライトのほとんどはあそこで採れる。その他にもたくさん宝石が採掘できるから、さっきのアベンチュリンとか言うスターピースカンパニーの社員が言ってた、サガルマートで採れる鉱石が云々っていうのは、ここを指してるんだと思うよ」
中央から見て右下。こちらもクールマーンと同じくらいの大陸だったが、光の密度はあまり高くない。その代わりに、光はゆるやかに波打つ線のような形を成しており、よくよくガイドブックのページを眺めてみれば、その曲線は山脈に沿う形であることが分かる。写真の中には、絶壁を切り開いたというか、山肌を囲む巨大な巻貝のごとき街並みが連なっている。巨大な石英の結晶が地面から無造作に突き出て、それがそのまま柱として使われているような、摩訶不思議な家がちらほらと窺えた。
「最後、ヴァースク大陸のトリヴァルタ。ここはいちばん新しい都市だった気がする……軍事拠点が大きくなって街になったんだったかな?ごめん、ここについてはあんまり詳しく知らないんだよね」
中央から見て右側。角ばった形の大陸には、同じく人工的に整えられた形に光が集まっている。軍事拠点から大きくなったというカーラの記憶は正しいらしく、観光用のガイドブックにもあまり写真が載っていない。辛うじて最新式らしい星嵯に似た飛行艇が並ぶ巨大な倉庫がちらほら映っているのみだった。防衛上の都合からあまり大っぴらにはできないのだろうか。
「以上、4つ!みんなが行く式典は、たぶんヴァラナースで開かれるのかな?それ以外で観光に行くなら、やっぱりクシナプラムがおすすめだよ。初めてあそこを訪れたときは感動したし……気候もいいし、水が豊富だから食糧も豊富でご飯もおいしい土地なんだって、言われてた。列車はこのままヴァラナースに向かうの?」
「まったく。あんたったら、もう忘れちゃったのね」
姫子は何やら端末で操作をしながら、視線を上げてカーラを見た。
「言ったでしょう、あんたと出会った時はサガルマートの宇宙港で停泊してる時だったって。今のサガルマートは、あらゆる艦や星嵯、列車を含む大型の星間移動手段の直接上陸を許可してないのよ。昔は直接上陸してたけど、一回カンパニーの艦隊が夜泳人の襲撃で損害を出して、サガルマート側が賠償金を支払う羽目になったから、安全考慮のために宇宙空間に建設して軌道エレベーターで繋いだ港に、停泊を義務付けているの」
へえ……とカーラは初めて聞いた!というような顔で頷くもので、姫子はちょっと呆れた。
この法令が公布され、港が建設されたのはもはや1琥珀紀近く前のことらしいが、この長命種(のはず)はずいぶんな世間知らずだ。あるいは港やそこから運ばれる貨物と縁のないアスラたちには、知る由のないことなのだろうか。
──宇宙港『パーリジャータ』1キロ圏内を通過する交通機関にご案内いたします。ただいま識別コードを確認中です……しばらくお待ちください……
タイミングよく、電子音声が響き渡った。乗客たちが揃って見ると、窓の外を小さなドローンのようなものが飛行しながら、星穹列車の外観をスキャンしているようだった。サガルマートを宇宙から俯瞰するのにすっかり夢中になっていたが、逆側の窓の方を振り向けばまた別の光景が広がっていた。列車よりも遥かに大きな艦、小型の星嵯の集まり、恐らく歩離人が乗るものと思わしき『生きた獣』でできた舟……星の間を渡り歩くため多種多様な乗り物が、数えきれないほど列車と同じ方向へと向かい、あるいは逆方向に向かって旅立っている。その往来の規模たるや、かつて訪れたピノコニーを遥かに凌駕していた。かの星は銀河屈指のリゾートとして名を馳せており、集まる客層もまた洗練されたものだったが、サガルマートはそれより遥かに雑多としたものたちが行きかっているように見えた。
そして、その中心となる巨大な施設もまた、列車から目視可能な範囲に差し掛かっていた。白く現代的でなドーナツ型の要塞は、側面に「A173」「B387」等と数字の割り当てられた無数の穴が設けられていて、蜂のように飛び回る小型ドローンの案内に従って、そこから艦や星差が出たり入ったりしているのが伺える。下層に行くにつれてドーナツの直径は小さいものとなっていき、その一番下からサガルマートの方向へ向けて長い長い一本の線が伸びている。おそらくはそれが軌道エレベーターなのだろう。成層圏を抜けて何千何万キロという距離を超えるエレベーターの行きつく先は、まだ見えなかった。
──識別コードの確認完了。ようこそ、星穹列車の皆さま。サガルマートへの来訪を、心より歓迎いたします。
──停泊位置につきましては、ドローンが順次案内を行います。また、該当車両は貨物及び商業利用の登録を行っていないため、貨物の積み下ろし及び売買を行うことができません。あらかじめご了承ください。
ウィン、とスキャンを終えたドローンが案内の台詞を再生し終えると、蜂にもよく似たそれは、そのまま列車の先頭の方へと飛んで行った。ついてこい、ということだろう。パム、と姫子がエンジンルームへ声を掛けると、見えておるぞ、と車掌の元気な返事が返ってきた。
『それではこれから、停車位置に向かう!乗員各位、降車の準備を行うように!』
列車で最も従うべき車掌の指示に、未知の光景に夢中になっていたナナシビトたちはぱっと弾かれたように自分の部屋へと足を向けた。今回はまだ、誰が列車に残り、誰が開拓の旅をするために星に降り立つのかの分担は決まっていなかったが、どちらにせよ準備が必要なことは確かだった。ナナシビトたちは皆旅人で、旅人は手ぶらでは始まらない。信用ポイントが携帯端末で支払える時代になっても、それは変わらない事実だった。姫子も、一旦自分の部屋で鞄をチェックしてこようとして、ふと足を止めた。カーラが窓の近くに留まって、何かに目を奪われている。何を見ているのか、その視線を辿って、ああ、と彼女は納得した。彼女はもう、サガルマートを俯瞰して見てはいなかった。もっとずっと上、宇宙港よりも高い場所でそれは光っている。宇宙空間で静かに輝くそれこそが、改修中の「奇跡」だった。
列車が無事に停泊位置に案内され、更に港内に降り立てるようになるにはいささかの時間を有した。何しろ、星への行き来をひとつの港で管理させているのだ。観光で訪れるもの、商売で訪れるもの、サガルマートを出ようとするもの──あらゆる目的を問わず。ついでに貨物の運搬もここを通すと来た。いかにパーリジャータが巨大な港であろうとも、その途方もない出入りの全てをさばく速度には限度がある。結果としてナナシビトたちがいよいよ港に降りれるようになったのは、星が飽きて「お昼寝でもしてこようかな」と言い始めた頃だった。
──お待たせいたしました。列車の皆さま、これよりセントラルゲート、および軌道エレベーターへお進みいただけます。軌道エレベーターにお乗りになった後、地表から停泊車両に再度お戻りいただくにはお時間をいただきますので、お忘れもののないようお願いいたします。
「ああ、そっか。ここって成層圏とかすっかり超えた港だから、ひょいっと戻ってこれるわけじゃないんだね」星が、言われて気づいたように頷いた。
「こればっかりはしょうがないわね。通信はできるみたいだけど……とは言え何かあったら、早めに戻ってこられるように心がけておくから、ヴェルトもすぐに連絡をちょうだいね」
相談の結果、最初に留守を守ることになったヴェルトに見送られて、姫子たち6人は扉の方へと向かった。列車の扉の向こうには外壁らしき白い横開きのゲートが何重にも設けられていて、それが徐々に開いていく。その更に向こうには広大な空間と行きかう人の群れが覗いていた。なのかが星にこっそりと囁く。
「ねえねえ。ウチ、最近旅の中で気が付いたんだけど……新しい星で一番初めに会うのって、重大な秘密を握ってるような重要人物なんだよ。羅浮は停雲で、ピノコニーはミーシャ、オンパロスでは……あんたたちはファイノンとミュリオンだったんでしょ?」
「言われてみれば、確かに!」
彼らは皆、後々の事件の只中にいる人々で、事件の鍵のひとつをその手の中に持ち合わせている人物だった。それを出会いのときに知る由もなかったけれど。その共通点を意識して星に降り立つのは、思えば初めてのことだった。港にもし、そんな人物がいるのだとしたらどんな人なのだろうか。自分たちと同じく、星の外からやってきたのか。平凡な宇宙港職員に見せかけて、とんでもない運命を背負わされたのか。あるいは、暗躍する悪役が潜んでいるのか。今考えても分かるはずもないが、後になってこの瞬間を振り返れば「確かにね」と納得がいくのだろうか。
「だからドアが開く前に、重要人物の出会いに向けて心の準備をしないとね。ふふん、どんなやつが来ても驚かないように!」
目の前で最後のゲートが開いていく。ゲートの向こうはやはり、見渡す限りごったがえする人の波だった。ドーナツ状の降車スペースは上にも下にも、無限に折り重なっており、その全てのフロアからとんでもない人が吹き抜けのエレベーターに向かって押し寄せている。その客人たちが口々に話すせいで、そのざわめきはパーリジャータ港の広い天井まで反響するようなものとなっていた。形を持ったざわめきが、人の波とともに流れていく。
案内の看板を見る限り、このエレベーターの終着地点でまた入星の手続きを済ませる必要があり、そこから件の軌道エレベーター(とはいっても千人単位で乗れるものが複数台あるらしい)に乗って地表へ向かうらしい。エレベーターの先はヴァラナース直通しかないので、クシナプラムやティヴロカへ向かうには、航空機を使うようだった。
なのかのとんちきな予想は外れたのか、ゲートの先に仁王立ちするような人物はいなかったし、降車スペースに降りた後もナナシビトたちを見つけて駆け寄ってくる人間もいない。下へ向かう客人たちは数えきれないほどいるが、この中に重要人物がいたとしても、それを見つけ出すのは至難のわざだろうという有様だった。星がこれはなのかの推理が外れたな……と思ったところで、
「計画反体!諸都市連合議会は、住民の声を聞けー!」
耳が一瞬聞こえなくなるような、とんでもない大音量の声が広大な港全体をびりびりと震わせた。後ろにいたサンデーが耳を抑えるような凄まじいボリュームだった。明らかに人の肉声ではありえない。スピーカーを通して音割れした、はた迷惑にもほどがあるスローガンを発しているのは誰だ、と姫子や星はちらりと下を見る。声はそちらからしていた。
「計画!はんたーい!サガルマートの環境を、守れー!」
「食糧を守れー!食糧なくして平和なし!」
口々に発されている声は、ひとりふたりのものではない。エレベーターが下層部に近づくにつれてその音量はますます酷いものとなり、同時に誰が叫んでいるのかも見えた。入星ゲートのすぐ横で、サガルマート人らしい40人くらいの老若男女が「旭光の晶化計画反対」「環境破壊を許すな」と書いた看板や署名の紙、募金箱を片手にスローガンを口にしながら旅行客たちにビラを配っている。港の職員たちが端末で応援を呼ぼうとするのを阻止しながら、勝手にビラをばらまく手筈は妙に手馴れていて、謎の環境保護団体(?)に絡まれている旅行客や商人たちは思うように進めず、最下層の入星ゲートはとんでもない混雑に巻き込まれていた。
「ええ……なにこれ……。あ、デーさん耳大丈夫?」
「……な、なんとか……」
サンデーの顔は青い。音楽を嗜むこの青年にとって、このありえないクソデカスローガンは耐え難いものらしい。急いで手続きを済ませて星で休ませたいところだが、この環境保護団体(?)のせいで手続きは遅々として進んでいなさそうだ。どころか担当の職員たちが迷惑な人々をどかそうと駆り出されているせいで、しばらくは中断となりそうである。ひしめく観光客たちも、一様に怪訝そうな顔で環境保護団体を睨んでいるが、だんだんと人混みの密度が上がるにつれて、客同士で険悪な空気が漂い始めていた。なんてやつだ、と星もうんざりしていると、その手に何か触れるものがあった。
「ん?」
「あ!あなたも、あなたも、あなたも!ハイどうぞ!よければ署名もよろしく!」
見れば件のビラだ。勝手に握らせてきたのは、いつの間にか近くにいた見知らぬ環境保護団体の少女だった。くすんだオレンジの髪に、分厚い眼鏡をかけているせいで目つきの悪そうな金の瞳。ジャージと白衣を足して割ったような変な上着を着たその少女は、小柄な体格で人込みを器用にすり抜けながら人々の手に勝手にビラを押し込んでいき、星、なのか、姫子、と目にも止まらぬ速さでビラを渡すと、更に人込みの奥へ進んでいこうとして、ふと何かに気付いたかのように戻ってきた。
「星穹列車のナナシビトだ!そうよね?そうだわ!うんうん、有名人の署名はいくらあってもいい、何なら一人の署名で5人分カウントしてもいい!あなた、ちょっと署名してくれる?怪しいものじゃないから……してくれるの?ありがとう!」
「あっちょ、勝手に!こら!」
いきなり話しかけてくるがはやいか、その少女は勝手に星の手を掴んで「ナナシビト一同」という電子署名をすいすいと書かせ、星がバットを取り出すよりも早くに群衆に紛れて見えなくなった。おしくらまんじゅうのような、ろくに身動きのとれない状況と、詐欺師顔負けの早業には歴戦のナナシビトたちも太刀打ちができず、唖然としている間にも耳障りなスローガンは声高に叫ばれ続けていた。入星が滞って詰まっている旅行客、環境保護団体、明らかに最下層フロアのキャパを大幅に超過した群衆に対して、半泣きで応援要請をしている職員の声が星の耳にも届いた。
「××××、おい聞いてるのか!?早く応援を入星フロアに寄越せ、あのクソの役にも立たない馬鹿たちを制圧どころか港の外に叩きだしてやれ!そうじゃなきゃお前を軌道エレベーターのワイヤーに吊るしてやる!おい!ほんとに!頼むから!」
星は心底職員に同情した。サガルマートの旅は、そのようにして始まったのだった。
長くなりました。
環境保護団体
…めちゃくちゃ迷惑団体だが、惑星から夜が消え去ることによって環境変化が取り返しのつかない段階へ進むのはマジなので、一概に悪とは言えない。でも手段がカス。