──答えは、星空の中にある。
するりと、手袋の嵌まった手が車窓を撫ぜた。その瞬間に、メモキーパーの手が見えないベールを引きはがしたかのように、窓から見える景色ががらりと移り変わった。無数の星に飾られた銀河から、不可思議な形をした光る巨大な帯に。
(わあ。無限の、かたちだ┈┈)
カーラは見上げて感嘆の吐息を吐いた。目の前の新しい星──一般的なものとかなり形は異なっているが──は、煌々と光を放っている。恒星を中心として回っているようには見えないから、恐らく○○星系に属した惑星、という種類の星ではないのだろう。ぽつんと、孤立した不思議なかたちの、オンパロスと言うらしい星はそれでも少しも寂しそうではなかった。ただ、輝かしく。濃いピンクと、水色と、それから白。まばゆい無限のかたちの帯と、その一番真ん中で、何かが強く光っている。
おお、と見守っていたナナシビトたちの中からも、息を呑むような声が聞こえた。数々の世界を巡ってきた彼らですら、星図に載らない星を初めて見たときは驚くのだな、とカーラが微笑ましい気持ちで見ていると、メモキーパーの囁くような声が耳朶を打った。
「見て。あれが外部と隔絶され、ガーデンの鏡でしか映し出せない世界┈┈『永遠の地オンパロス』よ」
「うわ──『8』だ!」どうやら星もまた、カーラと似たり寄ったりな感想を抱いたようだ。
「見ての通り、オンパロスは混沌とした物質に包まれているから外部からの観測は難しい。普通の星間旅行ではその存在に気づけず、目的地にすることはもちろん、通過することすらできないわ」
「でもガーデンだけはオンパロスを見つけた。そしてその中に、絶え間なく変化する運命の痕跡を発見した┈┈」
薄紫の髪が優雅にたなびいている。重力から切り離されたように漂う女はひどく楽しげで、彼女が生身の肉体を持っていないとは俄かに信じがたいほど、生き生きとしていた。カーラはメモキーパーと会うたびにいつも、記憶の信徒たちはなんでもありだな┈┈と感嘆するほかにない。彼女らのような非物質的な分野は、豊穣にとってまったく理解しがたい世界だった。豊穣は常にかたちがあるし、目に見える。実る稲穂、塞がった傷、万能の薬─そういうものだから。
「『3つの運命が絡み合い、ともにオンパロスの運命を紡いでいる』──普通の運命の行人がガーデンの鏡に痕跡を残すことはない。つまり┈┈この隔絶した星系には『使令』に匹敵するほどの存在が、少なくとも3人は誕生してるということになるわね」
「もしかしたら、オンパロス自体が星神に一瞥されたのかも」
「それほどの能力を持つものがいるのに、宇宙でもその名を知られていないとは┈┈確かに不思議だ」
ずいぶんスケールの大きい話になってきたな、とカーラはのんびり欠伸をした。けれどもその話の規模に偽りがないのもまた確かな事実だった。彼女の人一倍鋭敏な感覚には、目の前の星に宿る途方もない、そして形容しがたいエネルギーが渦を巻いているのが手に取るように分かる。このような状況に陥っている星はそうそうお目にかかることはない、まず間違いなく、内部では解決困難な事態が起こっているだろう。
何の気なしに列車に逃げ込んだときには、まさか列車が次の星へ跳躍する寸前であり、その行き先がオンパロスという聞いたこともなければ見たこともない、その上何やら複数の運命が交錯する星などとはカーラはみじんも想像もしていなかった。カーラがいつ訪れてもこの列車はたいてい、とんでもない面倒ごとに巻き込まれているか、見知らぬ星を救っているか、その両方かの三択だ。たぶんこの開拓の旅もそう簡単には終わらないだろう、と他人事のように思ってから、彼女は慌てて背筋を伸ばした。
(そうだったそうだった、なのかに一緒に行こうって言われてたんだった)
久方ぶりの再会と、クリムト星系で彼女が気に入りそうだと購入したお土産に大層喜んだ三月なのかは、素敵な笑顔で今回の開拓の旅にも一緒に行こう!とカーラを誘い、断り切れなかったカーラも彼女ら3人と共に上陸する予定だったのが、新しい星の光景にすっかり脳内から抜け落ちていた。
「三つの運命のうち、1つ目は『知恵』だって知ってるけど┈┈」
「2つ目は──隠す必要はないわ。先ほどあなたたちが目にした『記憶』よ」
だろうな、と思ったカーラと、ヴェルトも似たような感想を抱いたらしく頷いた。
「道理でガーデンの使者が、俺たちにオンパロスの姿を見せることができたわけだ。では、最後の1つは?」
「残念だけど、運命はその全貌を明かしてくれないの。3番目の運命が何かは、私にも分からない。それは、『知恵』と『記憶』の光に隠れながら、2つの運命と同等の地位を占めている。『均衡』?『神秘』?それとも『不朽』┈┈あるいは『豊穣』?見当もつかないわ」
豊穣、と口にするとき、ブラックスワンは意味ありげにカーラに視線をやったが、彼女は肩をすくめた。知己の豊穣の使令や、それに準ずるものの口からオンパロスという名を聞いた記憶はない。もしかすると、彼らにありがちな、覚えていられないほど「施してきた」土地のひとつという可能性もないではないが。ふい、とメモキーパーの視線が逸れる。
「オンパロスが纏う白い光の帯は、おそらく3つの運命が絡み合った結果。そして渦の中心に入り、その正体を見極めることができるのは、あなたたち『開拓』の運命を歩むものだけよ」
カーラはそれを聞きながら、ごそごそと荷物を漁ってきちんと携帯用の輸血パック(スターピース・メディカル社製の横流し品。一個あたり3500信用ポイント。高い)が十分な量入っていることを確認した。もともと長期間の絶食生活でも耐えられる彼女だが、何が起こるか分からない旅なら念のため多めに持っておいて損はない。一緒に行く丹恒たちや現地の住民に血を恵んでください、とお願いするなんて──身震いがするほど嫌だ!その他にもぼろぼろの財布、偽造した身分証、ハンカチ、雨傘が入っていることを確かめたところで、彼女はふと思い立った。
──なのかはどこへ行ったんだろう?
いつもなら、新しい星を目にして誰よりも嬉しそうにはしゃぎ、お気に入りのカメラで写真を撮って、それからうまい角度で自撮りをしようと四苦八苦しているのに。見渡しても、パーティ車両のどこにも、見慣れたピンク髪の少女の姿がない。オンパロスのこの絶景を見逃すなんて全く彼女らしくないことだ、と思ってカーラは、ちょいと手を上げた。
「ねえ、姫子。話の腰を折っちゃって悪いんだけど┈┈なのか、まだ来てないのかな。跳躍の前まではいたよね?」車両にいる乗客たちの視線がカーラに集まって、それから確かに、という風に皆が頷いた。
「あら?確かに変ね。いつもなら一番に喜んで写真を撮っているのに」
顔を見合わせると、丹恒が
「出発前にカメラをチェックすると言って部屋に戻ったが、それから出てきていない気がする」と答えた。
「今日はどうしちゃったのかしら┈┈三月ちゃんらしくないわね。様子を見に部屋に行ってみましょうか」
そんなわけでぞろぞろと連れ立って三月なのかの部屋を訪れると、本当に珍しいことに、彼女はパステルカラーのベッドに具合が悪そうに腰かけていた。外傷を負っているわけでも、熱がありそうでもないが、薄青い顔でどこか目にも力がない。
「なのか、熱……じゃないね。体調、よくないの?」おろおろとカーラが額に手を当てるも、平熱だ。問うと、少女はこくりとしんどそうに頷いた。
「ごめん……なんか、跳躍が終わってから、力が出なくなっちゃって……」
「乗り物酔い?」
「違うよ……ウチ、アンタよりもずっと跳躍の経験が多いんだから……」
ふざけたような星の言葉にも、なのかは首を振る。結局、ブラックスワンの記憶による原因究明も、サンデーの調律も謎の体調不良には効き目がないようで、なのかも渋々、あれほど楽しみにしていたオンパロスの上陸は見合わせることとなってしまった。自分の代わりに写真を撮ってきてね、とカメラを星に渡すなのかの顔はさみしげだった。顔なじみの少女のその顔に、ふむ、とカーラは考えた。たぶん断られるだろうな、という確信を抱きつつも、声をかける。
「……なのか、私の血いる?だいたいの体調不良は解決できると思うけど」
その言葉に、部屋の中にいる人間全員が、ぎょっとしたような顔で彼女を見た。言われたなのかも、あからさまに嫌そうな顔をしてカーラを見る。
「ねえカーラ、そういうのやめてって言ってるでしょ、もう!安全なのは知ってるけど、アンタに痛い思いさせてまで体調治したくないし、だいたいあんまり人の血とか飲みたくないし……」
「なの、すごい言うね」
「うーん、正論だ。ごめんごめん、無神経だったね」
ばっさり断られてカーラが謝ると、まったくもう、と体調が悪そうな彼女は、ベッドに寝転がってクッションを抱きかかえながら、じとりとした目でカーラを見上げた。丸っこくてかわいい、ピンクと水色の瞳。
「オンパロスでもこんなことしたら、ダメだからね?ちゃんと分かってる?」
「分かってるよ、なのか。善処するってば」
やらない、とは断言できなかった。カーラはこういう時にいつも、己がかつて薬師の一瞥を受けた理由の一端を垣間見るような気分になる。具合が悪そうな人、怪我をしている人、転んで泣いている子供。そういうものを目の前にすると、カーラはそれを『どうにか』してやりたくなる。その当人が望んでいるかは別にして、その痛みを取り除いてやりたくなる。それがひどい傲慢であると知りながら、もう長いことこの悪癖は治っていない。治るべき病人は自分の方ではないか、とすら彼女は時折考えた。
カーラのことちゃんと見張っといてよね、と言われて丹恒が真面目くさった顔で頷いている。それをぼんやり聞きながら、いったい自分のことをこの少女は何歳だと思っているのだろう……と気恥ずかしくなった。もう四捨五入したら900歳なのに。
「宇宙に200の不死身あり」
通り過ぎた会話の中に、ふじみ、と聞こえたから、モーディスはつと足を止めた。
ふじみ。
不死の身。
死なない身体を持つ者。
クレムノスの王位継承者であるモーディスは、不死の肉体を持ちあわせた戦士である。あらゆる傷、毒、病、炎と水、この世に存在する死因が彼の肉体を真の意味で脅かすことはなかったし、それはこれからも同様だ。そうして、生きてきた年月の中で己と同じような性質を持つ者とは出会わなかったので、おそらくは己がオンパロスに唯一の不死者と言えるだろうと、そう判断している。
オクヘイマの市民たちが「不死身」と口にする時、それはモーディスのことを指し、「モーディス」と言えばそれは不死身の戦士のことだった。
なので、雲石の天宮で無数に交わされ、反響し合う会話の中でそのような単語が耳を掠めたとき、彼は己のことか、と当然のように思った。悪口でもないので別段気にするようなことでもなかったが、それを発したのが馴染みのある声だったのでふいに視線をやった。やはりというべきか、声の主は白髪頭の救世主と──意外なことに、人の多い場所にいるのは珍しいキャストリスだった。
人混みからすこし外れたところで、背を屈めたファイノンとキャストリスが何やら話をしているのが見えて、自分の話題が出ていたとしても邪魔をするのも野暮だろうと立ち去ろうかと思ったところで、鮮やかな碧眼とぱちり、と視線が合う。途端に、空の青がにやっとイタズラっぽく、楽しげに細まるのが分かった。
しまった、と踵を返すより早く、やあモーディス!にこやかに呼びかけられて彼はうんざりした。こうなると無視するのも無礼だし、ファイノンを前にしてそのような逃亡じみた真似をすることはクレムノスの王子にとって何よりの屈辱なので、反応を返すほかにない。渋々返事を返すと、柔らかな物腰に反して押しの強い青年はちょいとこちらを手招いた。
「あ……こんにちは、モーディス様。もし何かご用事の最中でしたら、呼び止めてしまい申し訳ありません…」
「…いや。キャストリス、お前が気にする必要はない。何か用か、救世主」
ぺこりと頭を下げたキャストリスに、彼は鷹揚に手を振り、ファイノンをじろりと見た。反して、ファイノンはまるで気にした様子もないどころか、得意げな顔でモーディスを見返した。
「もちろん、用はあるさ。今、キャストリスさんと天外からのお客人のことを話してたんだけど…モーディス、きみ、さっき僕が『不死身の』と言った時にこっちを見ただろ?」
「……見ていない」
「見てたよ。タレンタムに誓ってもいいくらいだ」
「見ていない。二度も同じことを言わせるな」
「いいや、絶対に見てたね」
埒があかなくなったモーディスが黙殺すると、ファイノンは何を勘違いしたのか嬉しそうにぺらぺらと喋り出す。トレードマークの跳ねた毛もぴょこりと機嫌が良さそうで、忌々しく思ったモーディスはそれをもぎ取ってやりたくなった。
「まあ君が勘違いするのも無理はない。オクヘイマで不死身の戦士は誰かと問えば、クレムノスの王子を挙げないような人はいないだろうからね……でも残念なことに、さっき僕が口にした『不死身』は君のことじゃないんだ、モーディス。こう言えば続きが気になってきただろう?」
「……分かりやすく話せ、救世主。つまるところ…」
「つまるところ、」
モーディスの言葉を引き取って、キャストリスがぽつりとつぶやく。平素少しだけ憂いを帯びたような目で世界を見ている彼女は、その時ばかりは困惑したような、驚いているような、自分でもよく分かっていないような顔をしていた。アメジストのいちばん美しい部分だけを切り取った瞳が、離愁の刻の光を宿してゆらゆらと揺れている。
「天外からのお客様の中に、不死の方がおひとりいらっしゃったのです。モーディス様、あなたのような……私に触れても冥界へ帰らぬ旅に出ることのない、稀有な方が……」
キャストリスは自分の手をじっと見つめていた。触れた者に安らかな眠りを与える、暗澹たるタナトスの手のひらを。詳しい事情は知らなかったが、その不死の者は、たぶん彼女の手を握ったのだろう、とモーディスは思った。
(死ぬことのない者……)
それから彼は、その客人はどんな奴だろうと考えた。ファイノンの思惑通りに動くのは癪だったが、やはりそれは偽りようのない興味だった。モーディスは、生きてきた年月の中で、自分のほかに死なないものを知らなかった。友も、血を分けた家族も、クレムノスの民たちも、兵も、師も一度きりの命しか持ち合わせない者で、彼らの生命には常にやり直しができなかった。死なない生き物は常に、自分だけだった。今に至るまでは。奇妙な感情が胸中をよぎって、彼は発するべき言葉を束の間探した。
「……それは…」
ようやく形になったモーディスの言葉は、妙にしんとした響きを帯びていた。バルネアの喧騒の中に、紛れそうなほど静かな。
「異邦人の、どちらだ?」
「「?」」
モーディスの問いかけになぜかきょとんとした様子の2人に、内心首を傾げた彼は言葉を重ねる。
「天外からの客人は、黒髪の男と灰色の髪の女の二人組だろう。そのうちのどちらが…不死なのかを聞いているのだが」
「ああ、そういうことか」
納得がいったようにファイノンが笑う。
「そのどちらでもないよ。君はまだ会った2人以外にも、天外からのお客さんはもう1人いるんだ。その人が不死なのさ」
よければその人に会いに行かないか、と誘われて、モーディスは素直に頷きながら、どちらでもないのか、と思った。この前のニカドリーの襲撃の時にちらりと見た、見知らぬ二人組の男女。後からあれが天外から来た客なのだと聞いて、驚いた記憶は新しい。あの2人でないのなら、モーディスはいまだにその不死者の顔も、出立ちも知らないことになる。
どのような奴だろう、と彼はもう一度、まだ見ぬ不死の客人に思いを馳せた。どのような理由で不死になり、どのように、どのくらいの間生きているのだろう。会ってどうするわけでもないだろうに、疑問は汲めども尽きない海のごとく、モーディスの心の裡からとめどなく湧き上がって、しばらくの間止むことがなかった。
ファイノンがアグライアの与えたプライベートルトロの戸を叩くと、鍵かかってないよー、とのんびりした返答が内側から返ってきた。ぞろぞろと3人が連れ立ってルトロに足を踏み入れたところ、椅子に座って本を開いていた丹恒と、石板をいじっていたらしい星がもの珍しそうな顔で彼らを見た。
「あれ。ファイノンだけじゃなかったんだ、珍しいね。あんたたちが3人でいるとこ、初めて見たよ」
「ファイノンたちが揃っているということは、何か重大な用事でもあったか?アグライアからの呼び出しは来ていなかったが…」
真面目くさった丹恒の問いに、ファイノンが慌てて首を横に振る。
「用事ってほどじゃないんだ。キャストリスさんと君たちについて話してるときに、ちょうどカーラさんの話題になったんだよ。彼女ってほら、確か不死身だってキャストリスさんから聞いたからさ。モーディスはカーラさんとまだ会っていないって言うし、不死同士ちょっと興味があるみたいだったから連れてきてみたんだ」
「……妙な誇張をするな、救世主。この前の一件で、正式にこの者たちを協力者にするとアグライアが定めたのだろう。その中で面識のない者がいるのなら、挨拶をしておくのが礼節だと思ったまでだ」
「悪くない言い訳だけど、君が僕の誘いに乗っている時点で興味があることの揺るがぬ証左だよ、モーディス」
モーディスの堅苦しい言い分をファイノンが揶揄い、やいのやいのの舌戦を繰り広げていたところで、真面目に聞かなくても良さそうだと判断した星は男たちの会話をさっさと打ち切って、こう聞いた。
「よく分かんないけど。それで結局、カーラに会いに来たってことで良いんだよね?」
「うん。姿が見当たらないけど……もしかして彼女、出掛けているのかな」
「あ、それはない。絶対いるはず」
あっさり否定した星は、カーラ、と呼びながらルトロのタイル張りの床に投げかけられた自分の影をつま先でつついた。こんこん、と硬質な音が2度響き、黎明のミハニが生み出す光が生み出した濃い影は──特に変化しなかった。相も変わらず、白昼の影は短いままだ。何をしているんだコイツは…と困惑するモーディスを他所に、星は首を傾げてかがみ込む。
「おーい、カーラってば。あんたに会いたいって人が来てるよ」
今度ははっきりと、返答があった。
「……もう日は暮れた?」
若い女の声だった。陶器の鈴が鳴るような、耳触りのよいアルトボイスが、星の足元に伸びた影から聞こえてくる。
「暮れていない。カーラさん、オクヘイマには日没がないと聞いただろう」
「……そうだった……じゃあ、今って室内に居る?」
「室内室内。大丈夫だって」
適当な星の返事から一拍遅れて、影からにゅっと白い腕が伸びた。続けて平面のはずの影の内から這い上がるようにして、肩、頭、それから足が現れ、出てきた女は立ち上がってやれやれと伸びをする。
出てきたのはモーディスとそう年の変わらない見目をした、黒髪に碧眼の女だった。不健康そうに痩せていて、体にはロクな筋肉も武器による傷も胼胝もなかったが、モーディスにははっきりと、目の前の女が抜きん出た戦士であることが見てとれた。体重のかけ方、足の細かい捌きかた、体の隅々にいたるまで適切に意識を張り巡らせた、そういう動きができる人間だった。
(この女が……)
不死の客人なのか。己と同じような。
じっと見るモーディスを気にした様子もなく、影から出てきた──カーラと呼ばれていた女は周囲をぐるりと見渡して、プライベートルトロにひしめく人の多さにちょっと不思議そうな顔になった。
「なんだかいっぱい集まってる。私に用事があったのって、ファイノン?」
「ああ。呼び出してしまってすまないね、カーラさん。僕ら黄金裔と君たちは、この前の一件から正式に協力関係を結ぶって、決まっただろう?カーラさんはもう聖都にいる黄金裔のほとんどと会ってるけど、モーディスとはまだ顔を合わせてないと聞いたから、この機会に紹介しておこうと思って」
馴れ馴れしくモーディスの肩を叩いてきた手を彼が叩き落とすと、カーラはきょとんとモーディスを見上げた。ファイノンよりも濃い青の瞳の中に、猫のように縦長の瞳孔が見える。獣じみたその形が、窓から差し込む光を背にして、何かに気づいたように丸くなった。
「……モーディス…あっ!あなたが前に言ってた、不死身の王子様!」
「そう!君と同じ不死身の、クレムノスの王子が彼だ。ほらほらモーディス、女性に先に名乗らせるなんて無作法はクレムノスの辞書にも書いてないだろう?」
爽やかな嫌味に、モーディスは鼻を鳴らした。
「やかましいぞ、救世主…………はあ。俺はクレムノスの王位継承者メデイモス。そしてオクヘイマの戦士モーディスでもある。天外からの賓客、お前の名を聞こう」
居丈高な彼の物言いにもカーラは堪える様子もなく、にこ、と幼なげに笑った。やわらかい、人の毒気を抜くような笑い方だった。
「こんにちは。丁寧な挨拶をありがとう、モーディス。私はカーラ。あなたに名乗るような大層な身分はなんにもないんだけど……私はただの旅人で、彼女たちの友人。あなたともそうなれたら嬉しいな」
そう言うと、彼女はモーディスの籠手に覆われた手を勝手にとって、きゅっと握った。金属で隔ててもなお分かるような、骨の浮いた冷たい手で、そればかりは死体の温度にもよく似ていた。青の瞳でモーディスを見上げたカーラはいかにも興味津々といった様子で、彼の顔を覗き込もうとした。
「それにしてもオンパロスにも不死のひとがいるなんて、聞いたときにはびっくりしたよ。ここって、あなた以外にも不死のひとはたくさんいるの?そういう種族?それとも、黄金裔がそうなの?でもあなたからは『豊穣』の気配はしないよね……ふしぎ」
「……矢継ぎ早に聞くな。忙しないやつだ」
「それはごめん。でも、銀河にいる不死の生命って、たいてい豊穣や不朽なんかに関する原因があることが多いから、そういうのがなさそうなこの星で、不死のあなたがいるのが意外で」
好奇心を全開にしたカーラに対し、少しばかり戸惑いの色をモーディスが見せたところで、黙って聞いていた星が、はい、と手を上げる。
「ねえ、死なない者同士の会話してないで、私も入れて。具体的には、テーブルとイスと美味しい食べ物のあるとこで腰を据えてやろうよ」
「……何をだ?」思わず、という風に丹恒が突っ込みをいれた。
「何ってもちろん──カーラに肉体不死友達、略してフシトモができたことをお祝いする会でしょ。他に何があるの?」
今度は誰も何も言わなかった。皆それぞれ、まだ友人というには早いんじゃないか、とかやってどうするんだ、とか、あんまり略せてないんじゃないか、とか言いたいことはあったが、あっけにとられた彼らは黙ってそれを胸中に閉まった。唯一ファイノンだけはちょっと笑ってくれたが、彼もすぐに笑いをひっこめた。
──じゃあ、オンパロスと星穹列車の不死者同士が知り合った記念に。
「「「乾杯!」」」
雲石市場の一角、情報漏洩防止のためレタベルナの個室にて。意味不明な乾杯の音頭に、きちんと反応を返したのは星と丹恒、ファイノンとカーラだけだった。モーディスは黙って杯を合わせ、キャストリスはおろおろとしながらそうっとジュースの入ったグラスを掲げるにとどめている。
モーディスは内心でなぜこんな馬鹿馬鹿しい宴席に、と考えたが、ファイノンの愚かな誘いに乗った己にも非があると認めて文句は控えた。おそらく彼と二人なら必ず口に出しただろうが。
「さっき、カーラさんはオンパロスにも不死身のひとがいるとは思わなかった、って驚いていたけれど」口火を切ったのは、メーレを半分ほどまで減らしたファイノンだった。なんだかんだと言いつつ、彼も不死身の客人の身の上に興味があるようだ。
「僕らからしても驚きだったよ。オンパロスで不死の者は、僕自身モーディスしか知らなかったし、そうそういるような体質じゃないと思っていたからね。もしかして天外ではそう珍しくないのかい?」
「うーん。そんなことはない、と思うよ」ちらりと天外から来た3人は視線を合わせた。
「長命の種族は結構いるけどね」
「そうそう。銀河にはまず長命な種族が一定数いて、その中の一部が不死に近い性質を持ってる……個体や種族差も大きいけど。それで、不死に近いものの極々一部が本当の意味での不死──つまり、何やっても死なない、とか死の概念がない、とかって感じかなあ」
「へえ……でもその口ぶりからするに、銀河に不死の者はひとりふたりでは済まないんだろう?」
ファイノンの返答を受けて、カーラが水の入ったグラスを揺らしながら頷いた。
「もちろん。なんなら、私の種族は全員不死に近いからね。万単位でいるよ……私の母星に限った話なら不死に近い者は、そう珍しいものでもないと言えるかも」
「すごいなあ!天外って……本当に僕らの想像を超えたところなんだね」
驚嘆に、ファイノンの明るい水色の瞳が丸くなる。同時に、聞いていたモーディスにもそれは驚くべき事実だった。オンパロスに唯一と言える彼の特異な体質が、この女の故郷ではたいして珍しくもない、ありふれたものだと言うのだ。それは──それは一体、どのような場所なのだろうか。死ぬことのない人々も果てのない紛争に身を投じているのか、はたまた死のない者同士の争いを厭うて、諍いのない楽土で暮らしているのか……クレムノスの王子たる彼には全く想像ができなかった。クレムノスは戦場の中で命を散らし、血しぶきを栄冠とする伝統だ……けれどもそれは、彼らが限りある命しか持ち合わせがないからなのか、もし彼らに不死の命があればまた違うのか……彼の思考はつかの間、同じところをぐるぐると巡っていた。
「まあ、不死とか不死に近いとか一口に言っても色々だよね。傷の治り方や年の取り方、蘇生の仕方とか、不死の原因とかたくさん種類もあるし……ふむ。当ててみようかな。モーディス、あなたは私の偏見だと……」
話すうちに何やら興が乗ってきたのか、勝手に占いの真似事のような謎のポーズをしたカーラは、むむむ、と眉間にしわを寄せてからカッと目を見開いた。こころなしか、頬にある第三の目も開き気味の気がする。
「傷の治りも常人より早い、けど即時再生ってほどではないのかな?なおかつ一回死んで蘇ったら傷が一括で治っているタイプと見た!どう、当たってる?」指を突き付けられて、モーディスは眉を顰めた。
「……当たっている。なぜ分かった」
カーラの指摘はほぼほぼ正解に等しかった。モーディスは不死身でこそあれ、負った傷の全てが一瞬で治るということはない。重症であればヒアンシーの世話になることもあるし、休息が必要になることもある。その変わりというべきか、致命傷を受けて完全な死を迎えたのちステュクスの川を遡って意識が戻れば、肉体の負傷は完全に癒えているというのは彼にとっての大きな利点だった。が、しかし、それを見たこともないはずのこの女がなぜ、ぴたりと当てることができたのか──そういう能力なのだろうか、とモーディスは琥珀の目を眇めた。
「後半部分はあてずっぽう。でも即時再生じゃないのは見たら分かるよ」
「どこをだ?」
カーラは迷いなく、モーディスの耳を飾る黄金のピアスを指した。その指が下がって彼の胴を示す。
「タトゥーとピアス。それが可能ってことは、勝手にピアス穴が塞がったり、入れ墨が治ったりしてないんだよね。あなたの肉体が傷と認識したものとそうじゃないものをきちんと分けてる……のかな?たぶん。……私の体は勝手に異物や細かい傷も排除しちゃうタイプだから、ピアスできないんだよね」
「えっ。カーラってピアス付けれないの」
星が意外そうに言うと、カーラは悲しそうに頷いた。昼間は出歩けないし、マニキュアもダメでしょ、タトゥーもだめ、まともな食事もだめ、と指折り数えると、うんざりしたように彼女はテーブルにぺとりと頬を付けた。
「不死って素敵に聞こえるし、実際この体にたくさん助けられてきてるけど、そこまでいいことばかりじゃないよ。不死になる前となった後、どちらの方が豊かな人生を贈れているかって聞かれたら、私は即答できる自信がないなあ」
「……ほう?」そればかりは、モーディスには同意しかねる意見だった。
「軟弱な意見だな、異邦人。貴様と俺とでは肉体の制約に差はあるのだろうが、俺はこの不死の肉体に不満を覚えたことはない。この体こそが俺の信頼に足る鎧であり、そして民を守るに役立つ盾だ」
クレムノスの戦士として、不死の体がなくては戦えない、などとは口が裂けても言わないが、それでもカーラのように己の不死を疎んじたことは少しもない。友人たちを見送るとき、常に置いて逝かれる寂しさはあったが、それでも故郷を離れた民たちの拠り所となる己の不死性は、揺るがぬ安堵の源だった。
軟弱と一蹴されたカーラは、3つの目でぽかんと彼を見て、情けなく力の抜けた顔した。怒りの色はまるでない、ひどくうらやましそうな、そんな表情だった。
「……かっこいい。うう、今の台詞、私も言ってみたかった!いいなあ、あなたってすごく、健全な不死者って感じがする」
「不死者に健全も何もあったものではないと思うが」
「あるよ、あるある。不死に驕って命を粗末にしたり、長すぎる生に疲れたり、倦んだりしないのって意外と難しいもの。それができるのは、あなたの精神が高潔で健全な証。とっても素敵なことだよ」
モーディスへの噓偽りのない誉め言葉は、その実自分はそうではない、とでも言いたげな口ぶりだった。またテーブルに頬をつけるカーラの白皙は、人懐こそうな明るさに満ちていたが、それと同時にどこか疲れても見えた。彼女は、倦んでいるのだろうか。長い生や、あらゆる傷を拒む不死の体に。ふと、疑問を覚えてモーディスは彼女を見た。
「お前は……先ほど『不死になる前』と言ったな。生まれついてのものではないのか」
「うん?ああ、そうだね。私は17までは殺されたら死ぬ、ふつうの人間だったよ。その後、不死になったの。それから、もう長いこと生きてる」
これもまた、モーディスとは違うようだった。モーディスは、ステュクスでぼんやりとした物心がついた時分から不死だった。川底でうごめく海魔と格闘し、殺されてはそのたびに生き返りながら長い川を遡っていた。だから不死でない自分を、ついぞ知らない。この女のように、不死でなかった時代を懐かしむ、ということはモーディスには不可能な芸当だったが、自分を見る同類はあまりにもうらやましそうで、無下にもできかねた。
「……戻りたいと思うのか?不死でなかった頃の自分に」
「どうだろう……」グダグダと文句を垂れるわりに、煮え切らない態度で彼女は首をかしげた。
「もっと昔は、戻りたかったんだけど……今は多分無理だと思うし、戻ってどうするという話もあるしね。でもときどき、どうしようもなく懐かしくなるよ」
ピアスやマニキュア、髪が日光でじりじり焼ける感触とか、親が巻いてくれた包帯とか、そういう素敵なものがね。カーラは歌うようにそう言った。
カーラさん
実年齢は五騎士とだいたい同じくらい。活動している年数はもうちょっと複雑な計算になる。全自動不死身過ぎてピアスがつけれないし、味覚も人間とは違う。頬にある第三の目は、薬師の腕とかにある割れ目と木の実?みたいなデザインのやつ。
モーディス
初めて自分以外の不死身に出会ったが、だいぶスタンスが違うため驚いている。不死身の仕様については完全捏造。
キャス
勝手に握手されて気絶した。