カーラが列車のランドリールームから大量の洗濯物を回収し始めたら、それはもうすぐ彼女が列車を離れる合図だ。なのかはそれをよく知っていたので、オンパロスでの旅を終えて少しした頃、列車の後方にあるその部屋からえっちらおっちらと自分のこんもり積みあがった洗濯物を運ぶカーラと視線が合うやいなや、「あーっ!」と声をあげて駆け寄った。
「洗濯ものまとめてる!せっかく、久しぶりに一緒に旅ができたと思ったのに、もう行っちゃうわけ?」
「目敏いなあ。そんなにぷりぷりしないで、また来るときたくさんお土産持ってくるから」
見つかっちゃった、と肩をすくめたカーラは、なのかの嘆きもなんのそのだ。一抱えもある山を構成するのは、刺繍の入った衣裳や肌着、ちょっとぼろめのタオルがたくさん、よく履いているトレンカ、薄い毛布と上着。カーラの当てのない旅では洗濯ができる場所も貴重なので、できる機会にまとめてというのが彼女のライフハックだ。客人のくせにあつかましいとも言う。
「もう何回も星穹列車に遊びに来てるのに、なのかは毎度ちゃーんとお別れを惜しんでくれるから、私も名残惜しくなっちゃう。よしよし、いい景色を見たらなのかを思い出して、写真で送ってあげるからね」
「この前もそう言って、途中から忘れてたでしょ、もう。美味しいものを見つけたら、スターピース運送の速達クール便で送ることも忘れないでよね」
「カーラ、あんただって鉄墓との一戦で消耗したでしょう。そんなに急いで出発しなくてもいいのよ?」
姫子の言葉に、カーラは首をふる。
「消耗なんてしないよ。私たちの体に長々居座れる疲れなんて、ある方がヘンなんだから。それに私は半神になってないしね。なのかや星たちと比べれば、ぜーんぜん。二人の方こそ、しばらくは安静にしてないとだめだよ」
出立の意思は固そうなカーラに、姫子もこれは引き止めがたいと理解して苦笑する。この、思えばずいぶんと付き合いの長くなった友人は、言い出したらあまり意見を変えない。初めて姫子が彼女を拾ってまともに話せるようになったときから、列車をふいに訪れてはまたふらりと去るカーラを引き留めることに成功したためしがないのだ。ナナシビトになるつもりはないのか、とそれとなく尋ねたときも、彼女の否は揺らがなかった。
(群星や未知の地を求めているわけじゃないもの。旅の行先も……どこだって、よくて)
ぽつん、と寂しそうな響きの答えだった。普段人懐こく明るいだけに、その言葉の静けさはいっそう耳に残った。旅の行先を決める必要はない。未だ知らぬ星に向かって飛ぶナナシビトであれば、そんなことは誰だって知っている。だけれども、カーラのその言葉には、単に自由であてのない、何にも縛られない旅というよりも、どうでもいい、という投げやりさが覗いているように見えたのだ。
それでも、ここ数年ですこしは彼女も変わってきたのか、ときどき思い出したように姫子のコーヒーの材料になるんじゃないかと思って、と豆を遠い星の土産に持ってきたり、あるいはこの前見た映画のロケ地に行ってみたの、と短いメッセージが時折送られてきたりと、彼女なりに旅に楽しさを見出せるようになってきたようだった。それが姫子には純粋に嬉しくて、こうして出発が近くなると、今回のカーラの旅がよいものになりますように、と誰にともなく願うようになった。
「今回はどこに行くか決めてるの?それともまた、あんたの気の向くままに?」
「あー……うん。今回は決めてる」
おや、と姫子は眉を上げた。出立の時に目的地を決めている、と彼女が答えるのはたいへん珍しい。少しだけ迷うように口ごもってから、何かを決意するようにはっきりと言い切ったカーラの紺碧のまなこが強い力を伴って姫子を見返していた。
「どこへ?」
「サガルマートへ」
──一度、帰ってみようと思って。
それはごく短い祈りの言葉のようだった。そうして、長らく帰っていないカーラの故郷の名であり、姫子と彼女が最初に出会った星の名前でもあった。彼女たちの古い言葉で、天の頂を意味する星。水晶の山を抱き、戦火とどろき怒号が未だ止まぬ、メガラヤ星系の第四惑星。
予想していなかった答えに姫子は驚きで目を瞠ったけれども、同時に心のどこかで、だからか、とすとんと腑に落ちるものがあった。
(……ああ、そういうことなのね)
だから、こんなに真っすぐ視線を上げているのだ。だから、カーラの碧眼は、炎の中の最も熱を持つ部分のように、若い星のように光を放っているのだ。何かを決意した者の目の、なんと眩く、迷いのないことだろう。
姫子は、カーラの過去についてあまり知らない。彼女が語らないからだ。なぜサガルマートを離れたのか、なぜ最初に出会ったときろくに発語すらできない廃人同然の状態だったのか、なぜ肩を貸して立ち上がらせたときにポケットから落ちた便箋には「もはやサガルマートにあなたの座る席はない」と書かれていたのか。なぜ、今になって帰りたいと思ったのか。
それでも、なんらかの出来事があって旅立った場所に、旅を経て戻りたいと思えたのなら、それを喜びたいと姫子は思った。そこにどんな理由があろうと、どんな結末が待とうとも、姫子だけは、それをよいことだと祝福したかった。その、ひとつの開拓の旅路が素敵なものになりますようにと祈らずにはおれなかったのだ。
我ら夜にて光るもの ①
「ねえ、彼ピに会いに行くの?」
「カレピ?なにそれ」
ひょいと影が落ちて、顔を覗き込まれた。星の顔は逆さになってもなお、面白がっているのが丸わかりだった。聞き馴染のない謎の言葉にカーラが首を傾げると、星と並んだなのかが彼氏の呼び方の最先端なんだよ、と彼女が説明を加えてくれた。それは分かったが、ピってなんだろう、ピって。
「あんた、サガルマートに戻るんでしょ?そこで名探偵なのかことウチは思い出したわけ。この前サフェルから聞いたんだからね、あんたには婚約して指輪までもらった彼氏がいるって……しかもウチにそれを黙ってた!つまりあれなんでしょ、彼氏がそろそろ恋しくなってきたから里帰りするんじゃないかって思って。どう?この推理」
カーラは途端に苦虫を100匹かみつぶしたような顔になった。
「…………はずれ!そもそも私の恋人、人間だからね。多分もう、とっくの昔に寿命で亡くなってると思う」
「えー。写真は?」と、星。
「ない!あったとしても、見せないよ!」
「ケチ。じゃ、顔のタイプだけでも教えてよ。黄金裔メンズで言うと誰が一番近い?ファイノン?モーディス?アナイクス?丹恒先生──それとも荒笛?」
限定的すぎる五択に、カーラは天上を睨みながら挙げられた知己を順々に思い返し、それから、いやいやと慌てて首を振った。
「選択肢が少なすぎる!なんでそのご──五人?体?なの。それで銀河にいる男の人を分類するのは無理があるよ」
「いーや、無理じゃない。世の男は王子様系、ワイルド系、インテリ系、クール系、ケモ系で大体分類できるから。完全に似てるとかじゃなくてもいいし、近い要素があるだけでもまあ許してあげなくもないよ。さ、答えて答えて。もうしばらくあんたの彼ピについて教えてもらうまで下車禁止なんだからね」
どこから突っ込んだらいいのか分からないほどの無茶苦茶な理論に、カーラはしょうがなく視線をうろうろと彷徨わせながらかつての恋人だった青年の顔を思い浮かべようとした………想起できるものはほとんど、彼の柔らかい、人好きのする笑みばかりだった。
そばかすに縁どられた面差しは、元々童顔気味なことも相まって、実年齢よりも若々しく可愛らしい印象を見る者に与えていた。ファイノンのような清廉さやモーディスのような逞しい恵体、アナイクスの明晰さ、丹恒のような老成した落ち着きのどれにも、かつての恋人は分類できるような、それでいてしっくりこないような気がした。荒笛は論外。しかし、まあ………
「……ほんとに、すっごく強いて言うとしたら…」
「言うとしたら?」
「………ファイノン、かなぁ?明るくて人懐っこい感じとか……か、可愛い感じとか………分類するならまだ近い、かも」
「へえ~~ほお~~そうなんだ、ファイちゃん系なんだ、カーラの彼ピ。いや元彼ピ?可愛い系なんていい趣味してるじゃん。ファイノンにもあとで教えてあげようかな」
にやにやと、これ以上ないほどいじめっ子の顔で星が肩を組んできたので、カーラは嫌そうな顔でぐいぐいと寄せられた顔を押しのけた。逆側にはなのかが既に座っているので、逃げることもできない。
「星、あんまり揶揄わないで!もうこれ以上はほんとに話さないよ!だいたいさっき言ったでしょ、私の恋人は人間で、もう何百年も前の人なの。多分もう亡くなってるし、彼に会ったりするためにサガルマートに戻るんじゃないんだから」
「ちぇっ。カーラが好きな人、なんてみーんな気になるに決まってるのに。ねえ、なの」
「星もなのかも面白がってるだけでしょ……」
頬をわざとらしく膨らませてみせた星は、カーラの隣にぽすんと勢いをつけて座り込んだ。そのまま、カーラにもたれかかるように体重をかけて横目で彼女を見た。黄金の目とまともに視線がかち合って、先に逸らしたのはカーラの方だった。
「面白がってるのはほんと。でも純粋にどんな人だろうって興味があるのもほんとだよ」
「なんでまた、そんなことを……」
「だって、カーラはなんていうか、人に対してもモノに対してもだいたい、素敵だねそれもいいねって言うでしょ。何かを嫌いって言ってるとこあんまり見たことない」
「え。そんなに言ってるかな?私だって普通に苦手なものだってあるけど……恒星の光とか」
ちっちっち、とわざとらしく星は指を振った。心なしか鼻高々として見えるその顔に、カーラは呆れた。
「それはあんたたち夜泳人の生態。カーラが好き嫌いしてそうなってるわけじゃないんだから。とまあ、そんな風にさ。苦手と嫌いの違いも曖昧になるくらい少なくて、たいていのものは好きでいられるカーラが特別に大好きで、婚約までした人なんだから、どんな人なんだろうって思って」
気になったわけ。
金色の目が、パーティー車両のやわらかな間接照明に照らされて、ちらちらと光っている。昔から、金の目をしたひとにカーラは弱い。
「どんなひと、かあ」
言葉にすると驚くほど短いのに、いざ言い表そうとすると何万の形容詞を使っても、あの青年のことを説明しきるにはとても足りないだろうとカーラは思った。何といえば相応しいだろうか…何に例えれば彼の輪郭を捉えられるだろうか……。
「中身もファイノンみたいな感じだった?」
「……どうかな。ぜんぜん似てない……ううん、似てる部分もゼロではない、と思うけど……人の輪の中にいつもいて、はきはき喋るところとか……でもそれ以外はほんとに似てないと思う」
もごもごとカーラははっきりしない口調でそう言った。照れ臭そうに可愛い、など言っていたときとは一転して、彼女はあれこれ考えながら過去の記憶を探るように、何と答えるべきか迷っているようだった。
「それで……頭がよくって、なんでも先回りしているひとだったよ。一を聞いたら、十じゃなくて、百の答えと、その中から『あなたはきっとこう答えてほしいだろう』を当たり前みたいに見つけ出してしまうから、みんな彼が人の心を読めるんじゃないかって噂してたし、彼に嘘をつく人はあんまりいなかった。すぐにばれてしまうから」
「へえ……なんか意外かも。カーラがそういう明るいインテリ?っぽい人と付き合ってたなんて!どっちかというとあんたは、付き合うなら優しくて物静かな人、みたいなイメージだったんだけどなあ」
頬に手を当てて、なのかはそう言った。ツートンカラーの瞳がきらきらとしていて、彼女がこういったゴシップを大いに好んでいることを言葉より雄弁に語っている。思えば、そのゴシップの的が自分になったのは初めてのことだ──知り合ってもう長いこと経つのに。
「へ、偏見でしょ、それは……」
言いながら、カーラは指輪を取り返すためとはいえ、サフェルに恋人や婚約にまつわることをあれこれ話すんじゃなかった、と心底悔やんだ。あの手癖が悪く足の速い、猫そのもののような泥棒にウッカリ話してしまったから、こうして年下の少女たちからおちょくられて根ほり葉ほり聞かれる羽目になっているのだ……コソ泥め、口まで軽いなんて最悪だ!
カーラはつい先ほど「もう何も話さない!」と言ったのにも関わらず、舌の根も乾かぬうちにあれこれ昔の恋人の人となりを喋ったことに気付いて、本当に、今度こそ、もう恋人について教えたりするもんか、とぎゅっと口を引き結んだ。
「でも、それじゃあ」
「?」
「そんなに大好きな人に会うためじゃなければ、カーラは何をしにサガルマートに帰るの?」
混色の瞳が、まっすぐカーラを捉えていた。答えはとうに決まっていたけれど、いざそう問われるとどこか気恥ずかしさから目を逸らしてしまいそうになって、それでもカーラは視線を外さないで彼女を見返した。
「……言っても笑わない?」
「笑わないよ!ウチがあんたの話で笑ったことないじゃん」
「嘘言わないで、さっきまで私の恋バナで大はしゃぎしてたでしょ!……はあ。ホントに、ぜんぜん大それたことじゃないんだよ」
カーラは保険のように前置きをしてから、オンパロスでは黄金裔たちが世界の終末に立ち向かってたでしょう、とぽつんとつぶやいた。至極当然の言葉に、なのかも星も頷く。輝く英雄たちのいた、物語られる星。いつかの新生を待つ、星の名前。
「それ自体は、ああ、皆頑張ってるんだなあ……って、それだけだったの。今までの旅の中でも、いろんな星のいろんな形の危機に立ち向かう人に、たくさん出会ってきたしね。それと同じように、彼らの努力や献身が報われるものであってほしいと思ったし、そのために力も貸せると思った。ただ……離脱して列車に戻った後、ミス・ヘルタが永劫回帰の回数を数えてさ」
──3355,0336回。
──よくも、まあ……。
銀河に名だたる天才は、呆れたような声で何かを言いかけて、口をつぐんだ。カーラは己の頭脳の貧弱さに自信があったが、この時ばかりは天才の頭に浮かんだ感情を察することができた。埒外の数字を目にしたとき、生まれる感情は驚愕ではない。見たことも、聞いたことも、体験したことも──想いを馳せることすら遠すぎる数だった。完全数の輪廻。ファイノンが耐え忍び、繰り返し繰り返し歩み続けた歳月の果てしなさに、カーラは呆然とした。
──しかも、一回の回帰につきオンパロス内部の時間は、少なく見積もっても1000年以上。宇宙が生まれてから今に至るまでより、なお長い時間を耐え切ってみせたわけ。認めるよ、あの無名の英雄の忍耐は、本当に類まれなものだったって。
カーラは計算がものすごく苦手だ。だから、端末の電卓アプリに、すこし震える手で打ち込んだ。33550336×1000。桁が良く分からなくなったから、一の位から順に数える。百、千、万、百万、千万、一億、百億……おおよそ300億。
端末の無機質な数字から視線を上げて、無限のかたちに炯々と輝くオンパロスを、カーラは車窓から口を開けて見るほかになかった。そして、その只中にいる星に、丹恒に、あらゆる誰かに祈った。彼のあまりに長く、果てしない時間の先にあるものが、徒労に終わらないように、と。そうして、祈りながらカーラはふと、思った。
「──ファイノンと同じ立場にいたら、同じ選択ができたかなって。一度も投げ出さないまま、かつての仲間と戦いながら途方もない年月を過ごせたかなって……考えて、無理だと思った。私にはきっと耐えられない」
どこかの段階で、震えながら手を放すことを選んだだろう。すべてが台無しになることを知りながら、きっと世界の端っこで謝罪を口にしながらうずくまることを選ぶのが、きっとカーラという人物だ。
でも、ファイノンは違った。彼は投げ出さなかった。その年月の中で幾千万、幾億もの絶望に晒され、すり減りながらオンパロスの明日を決してあきらめなかった。あの日、列車がオンパロスに墜落する日まで、彼は見事に走り切ってみせた。カーラは窓の向こうに、光る彼の背を幻視する。その身を薪にして、燃えながら走った英雄の後ろ姿を。
(──あ、)
何か、カーラの胸の内で痛みながら膨んでいくものがあった。取り返しのつかないほどの高温を放つ、何かが。それが手に取るようにはっきりと理解できた。
「……ほんとうに……陳腐な言葉にしかならないけど、彼、そうまでするほどにオンパロスを想ったんだなって……なんだかそう思うと、私って何やってるんだろう、とふと我に返ってさ」
傷の残っていない、不死身の体。結局半神にはならなかったから、背負わなかった労苦。宇宙を映す暗い窓には、三つの目を持つぼんやりした顔つきの女が映り込んでいる。
苦難を自他で比較することは決してできないが、それでもなお、ファイノンの味わってきた忍耐をものさしにすれば、カーラは自分が何の責任も苦労も背負っていない存在に思えて、彼女はその身軽さを恥じた。
「べつに、そんなことを思う必要はないんじゃない?3000万回の輪廻と、ロストエントロピー症候群のどっちがしんどいかなんて、誰にも比べようがないでしょ。より苦しい方が偉いわけでもないんだからさ」星の言葉に、カーラも肩をすくめた。
「まあ、そうだよね。ただ、私は……彼の苦難を見てると、なんだか、自分の恐れているものが、実はそんなに恐ろしいものでも大したものでもないんじゃないかって、考えたりしたの。サガルマートにいた頃に、たくさんのことがあったから、いつか帰らなくちゃと思うのと同じくらい、帰るのが怖かったんだけど。あんまり身構えて怖がらずに帰ったっていいのかもしれない、私の生まれ育った星なんだから……って。だから、この決心が鈍らないうちに、帰りたくて」
カーラは、いつもの人好きのする笑顔をひっこめて、なんとも形容しがたい顔をしていた。過度に自分を卑下するような口ぶりではないが、帰郷を楽しみにしているというふうでもない。静かで、肩の力が抜けたような決意や……あるいは、遠い日の名残りを視線の先に探すような、波のない目をしていた。
「良い理由だと思うわ、誰もあんたを笑ったりしない。……帰ってしたいことがあるんでしょう?」
ことんと、三人が身を寄せ合うソファー席のローテーブルに、ほとんど無音に近い動きで3つのコーヒーカップが置かれた。若干の刺激臭が伴えど、湯気の立ち昇るコーヒーは淹れた人間の気遣いと温かみを十二分に伝えている……誰も手をつけることはしなかったが。
「……うん。もしかして、戻ったらもう手遅れかもしれないし、私ができることなんて何もない可能性もある。でも、帰って、自分の目でそれを確かめてみたい」
「そう。ところでカーラ、今のサガルマートの情勢については、もう調べたの?」
「?いや、特には。……うそ、憂鬱なニュースがあったりしたらどうしようと思って。あんまり調べなかったの」
あんたはそういうところがあるわよね、と少し呆れた顔の姫子は、自身の端末を差し出した。画面に映っているのは、スターピース・カンパニー系列の報道機関による記事だ。見出しには「サガルマート歴史上初の試み──『旭光の晶化』計画、完遂間近」と書かれ、すぐ下の写真には恐らく政府の高官と思わしき人物たちがにこやかに、よそ行きの顔で口元に笑みを刷いている。
「旭光の、晶化…………?」
端末を受け取って、カーラは首を傾げる。意味はまったく分からなかったが、他の惑星と比べて遥かに危険な夜を恐れなくてはならない故郷においては、この名前が示すものは重い意味を持つのだろうということだけは見当がついた。
──サガルマート諸都市連合・スターピースカンパニー市場開拓部の共同プロジェクト、『旭光の晶化』計画、いよいよ試運転まで秒読み!
銀河に存在する諸世界の中でも、有数の鉱床として名高いサガルマートは、それと同時に豊穣の民のひとつ夜泳人との戦争に長く身を置いていることでも知られている。不死にして知的生命体の血を啜る怪物たちは、過去においてはサガルマート人を抑圧し星の覇権を握っていたが、その歪んだ栄華は700年前を境に衰退の一途を辿っている──が、今なおその脅威は健在だ。その積年の悩みを根絶するべく、スターピースカンパニーから『旭光の晶化』計画の提案がなされたのは5年前に遡る………
(中略)
プロジェクトの発足人であるチタニア・ボトム総監からは、発端は人工衛星「
そこに、技術開発部からの意見を取り入れ、同総監は「
改修した「
『月がふたつめの太陽になり、夜を昼へと変える………これまで我々を苦しめ、恐れさせてきた夜が消え去ることを歓迎しないサガルマート人はいません!サガルマート人類はこのプロジェクトによって、大きく前進することになるでしょう……』
連合の議員からも上記のようなコメントが上がっている。唯一、環境庁及び農水林協同組合からは、「改良した『奇跡』の運用には慎重になるべき。夜をこの惑星から無くす上で、無視できない環境への悪影響が予想される」との声もあり、運用方法については今年度の第6期答弁までに議論を重ねたいとのこと。また同衛星の改修工事はもう間もなく終了予定であり、完成の際には技術開発部や長年の旧交のある仙舟同盟をはじめとした面々を招いてのセレモニーを開催する見込みだ。長きに渡る夜泳人との戦争に終止符を打ち、永遠の白昼へと踏み出そうとしているサガルマートの前途はますます輝かしいものとなるだろう………
長々とした説明に、少しばかり視線を泳がせながら文章にざっと目を通したカーラは、口を引き結んで姫子を見上げた。
「これ……」
「中々壮大なプロジェクトよね。最近の銀河は鉄墓で持ち切りだから、こっちはトップニュースとして取り上げられてないみたいだけど。人口の疑似恒星を作って、」
「よ、夜をサガルマートから無くすって………本当にそんなことできるの?」
姫子の言葉を引き継ぐように、なのかは誰に問うでもなく疑問を口にした。一日の半分を占める「夜」。どの惑星にも存在する──しなくてはならない普遍的な現象を消し去ることなんてできるのだろうか、という素朴な疑問は、やたら文字数の多い記事にちんぷんかんぷんなカーラや星の脳裏にも当然のごとく浮かんだ。その疑問も、あっさりとした説明に氷解する。
「可能か不可能かで申し上げるなら、可能でしょう。夜、とは何も特定の時間帯や空が暗くなる、というような現象だけを指す言葉ではありません。このように……」
静謐な声で、後ろにいたすらりと背の高い天環族の青年は、手近なところに置かれた丸っこい花瓶を持ち上げた。そのまま、デスクライトに近づけると、花瓶のライトに近い部分だけがはっきりとしたオレンジ色の光に照らされ、逆側は影になっている。
「こちらの花瓶における、ライトの当たっていない部分が『夜』です。ですので、夜とは単に『惑星の中で、恒星の光が当たっていない場所』のことなのです。当然、影になっている場所に恒星とは別の光源を用意して照らすことができれば、その場所もまた夜ではなくなる……というのが『旭光の晶化』計画かと。割り込んでしまい申し訳ありませんが、そのような認識で間違いないでしょうか、姫子さん」
サンデーは、花瓶の『夜』を照らしていた携帯端末のライトを、ぷつりと消す。その動作とともに、花瓶の表面には再び夜が訪れた。
「これ以上ないほど適切な例えだったわ。ありがとう、サンデー」
「礼などとんでもありません……しかし、言うは易く行うは難きもの。理論としても非常にシンプルですが、実現に当たっては惑星の半分を照らすだけの光量の維持や、燃料問題、軌道の計算など難易度の高いプロジェクトには違いないでしょう」
「それを実際に成し遂げる直前まで来ているわけだから……スターピースカンパニーの技術力の高さには改めて感心するわね」姫子とサンデーのかみ砕いた説明に、星たちは分かったような分からないような顔で、適当な相槌を打った。
「へえ…………すごい規模のプロジェクトだね。夜とか寝にくくならないのかな」
「そりゃ、なるでしょ。だからみんな遮光カーテンを閉めて寝ないとだめなんだよ。まあ、快適な睡眠以上に夜泳人との戦争が大事ってことじゃない?」
ひそひそ。いまいちシリアスではないコメントを手で制して、姫子は言った。
「ともかく。今後のサガルマートがどんな未来を迎えるにせよ、これはきっと惑星における大きな転換点になるでしょう。そうよね?」
「……うん。もう何年も帰ってないけど、断言できるよ。きっと……サガルマートは『旭光の晶化』計画の以前と以後で分けられることになるだろうね。人類にも──私たちアスラにも」
「ええ。それで──その大きな転機に際して、サガルマートの政府は完成を祝うセレモニーをすると、この記事には書いてあるわ。ねえ、カーラ。もしあんたがその主催なら……銀河の中から誰を招待するのがふさわしいと思うかしら?」
カーラは端末から視線を上げて、長らくの友人の顔を見上げた。よくわからないというか、彼女にしてはめずらしい、脈絡もなければ文脈の前後もおかしな問いだと考え──その唇の端がいたずらっぽく、きゅっと持ち上がっていることにはたと気が付いた。姫子は時々こういう顔をするときがある。分かり切っている問いに頭をひねる、まだ幼い子供を見る教師のような顔。背後でやわらかに光るパーティー車両の照明を受けて、友人の顔はひどく楽しそうだった。ただの、カーラの故郷の話なのに。まるで、自分事のように。
まさか。
「え。もしかして」
「そのもしかして、よ。そう、私たち星穹列車も、サガルマートの『旭光の晶化』計画の完成セレモニーに招かれているの。もっとも、銀河で著名な──なおかつ、カンパニーとそこそこ友好的な勢力を、相当数招いているみたいだから、私たちだけ特別というわけじゃない。それに、参加するかどうかは今後の航路会議の結果次第になるけどね」
にっこりと。これ以上ないほど楽し気な姫子の笑みに、カーラはずるずると力が抜けてソファーに預けていた背を滑らせた。
サガルマートに、姫子たちが訪れる。かもしれない。それは帰郷を決意したときにはまるで予想だにしていなかったことだった。故郷へ帰る道は自分ひとりで、そして辿り着いた先に待つ未来にも、彼女たち友人の姿を描いたことはない。サガルマートという星は常に、カーラの中ではこの星々を巡る列車の乗客たちとは縁のない、結びつかないものだった。
でも、来るかもしれない、と姫子は言う。だから、結びつくかもしれないのだ。あの、忌まわしく……想うだけで痛むほどに懐かしく愛しい故郷の、丸く膨らんだ屋根の連なりや水晶の頂を持つカイラス山、無限に続く彫刻が彫られた岩肌……そういう故郷の景色と、この友人たちが。
カーラはぽかんと口を開けて、それから慌てて閉めた。純粋な驚きが先だって、それから雷光に追いつく音のように、遅れて嬉しい、と思った。彼女はその時になって初めて、自分が誰かに故郷を案内してやりたかったのだ、と思っていたことを知ったのだった。