️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~   作:月影 流詩亜

1 / 19
ハーメルンでは三作品目です。

一話 2500~ 3500文字と短めですが、よろしくお願いします。

執筆にあたり、物語の構成上、ピクシードラゴンの「ドラちゃん」をはじめ、男神様、鍛冶神ヘフィストス様、そして戦神ヴァハグン様といった魅力あふれる面々を登場させることができませんでした。彼らの活躍を期待されていた読者の皆様には、深くお詫び申し上げます。

全 19話 5万字くらいの中編小説です。
下書きは完結まで書いてあるので、改稿しながらの公開になりますが、よろしくお願いします。


第1話:風の女神、唐揚げの誘惑に敗北す

 

 ◇ 退屈な楽園の甘い毒 ◇

 

 神界。そこは下界の定命の者たちが、現世の苦行の果てに辿り着くことを夢見る究極の楽園である。

永遠に枯れることのない花々が咲き乱れ、清らかなる光が降り注ぎ、老いも病も存在しない停滞した黄金郷。

 

 だが、その楽園の主の一人である風の女神、ニンリルにとって、そこは今や「あまりにも退屈で、刺激の足りない檻」と化していた。

 銀糸のように細く、月の光を織り込んだような美しい髪を揺らし、ニンリルは至福の表情でフォークを動かしていた。

 

「ふむ……。やはりこの『不三家』という店の『ショートケーキ』、何度食べても飽きぬのう。この白い山を崩す瞬間の背徳感、たまらぬわ」

 

 彼女の目の前には、下界から転送されてきたばかりの白磁の皿。その上には、純白の生クリームと真っ赤なイチゴが鎮座する、異世界の芸術品のようなケーキが乗っている。

 

 「ぱくり」と一口。

 

 舌の上で雪のように溶けるクリーム。乳脂肪の濃厚なコクが広がり、後を追うようにイチゴの鮮烈な酸味が弾ける。

 

「んんん……。これぞ神の食し物。いや、神界にはこのような美味は存在せぬから、皮肉なものじゃがのう」

 

 ニンリルが鎮座する神殿の奥の間は、今や異世界の文明に汚染されきっていた。優雅な大理石の柱の影には、『カトレーゼ』の菓子折りの空き箱が山積みになり、本来は神託を授けるための祭壇には、『不三家』の包み紙が散乱している。

 

 もし、彼女を熱狂的に崇拝する信者たちがこの光景を見れば、信仰心が音を立てて崩壊し、絶望のあまり異端に走ることは間違いないだろう。

だが、今のニンリルにとって、神としての体面など二の次、三の次であった。彼女の全神経は、異世界から召喚された男・ムコーダが定期的に捧げる「異世界の甘味」にのみ注がれていたのだ。

 

 

「甘味はよい。甘味は正義じゃ。じゃがのう……」

 

 ニンリルは最後の一口を名残惜しそうに飲み込むと、空になった皿を見つめて、深く、重いため息をついた。その溜息には、贅沢ゆえの渇きが混じっていた。

 

 

「……何かが足りぬ。……そう、決定的に何かが足りぬのじゃ」

 

 それは、砂糖の調べでは決して埋めることのできない飢え。

 

 もっと野性的で、もっと暴力的な刺激。

 

 喉を焼くような塩気。

 

 唇をテカテカに濡らす脂。

 

 そして、鼻腔の奥まで侵食してくる、あの「茶色き誘惑」の香り。

 

 ニンリルは、以前ムコーダが旅の空の下で食べていた、あの香ばしい光景を思い出していた。彼女が今求めているのは、神の品位を泥靴で踏みにじるような、圧倒的なまでの「ジャンク」な快楽であった。

 

「……見てみるだけなら。……そう、観察するだけなら、罪にはなるまい」

 

 ニンリルは重い腰を上げ、空中に白く細い指を走らせた。目の前の空間が波打ち、淡い光を放ちながら水鏡が現れる。そこに映し出されるのは、彼女の唯一の娯楽であり、最大の誘惑の源泉――ムコーダの現在地である。

 

 

 ◇ 水鏡に映る「黄金の暴力」 ◇

 

「ほう……。今日は野外ではないのか」

 

 水鏡に映ったムコーダは、どこかの街のギルドが所有する調理場を借りているようだった。彼は鼻歌を歌いながら、手際よく準備を進めていた。

 

「何を作るつもりじゃ? お主、まさかまた(わらわ)を悶絶させるような代物を作るのではあるまいな?」

 

 ニンリルは身を乗り出し、水鏡に顔をくっつけんばかりに近づけた。ムコーダが取り出したのは、新鮮で艶やかな若鶏の肉だ。彼はそれを一口大に切り分け、ボウルの中でニンニクと生姜、醤油、そして仕上げに「秘伝の粉」を惜しげもなく投入した。

 

「なんじゃその白い粉は! 魔薬か!? 肉が怪しく白く染まっていくぞ……」

 

 ムコーダが肉を揉み込むたびに、ニンニクの強烈でパンチの効いた香りが、画面越しに伝わってくるような錯覚に陥る。

 ニンリルは無意識のうちに生唾を飲み込んだ。

「ごくり」と、静かな神殿に似つかわしくない音が響く。

 そして、ムコーダが火にかけた鍋の中には、なみなみと透き通った油が満たされていた。

 ムコーダが一切れの肉を投入した。

 

ジュワァァァァァァァァッ!!

 

 水鏡から、暴力的なまでに心地よい「揚げ音」が鳴り響いた。

 ニンリルは、あまりの衝撃に「ひゃうっ!?」と情けない声を上げて飛び上がった。

 肉が油の海で激しく踊り、次第に調理場は、揚がる油の勇壮なオーケストラと、醤油の焦げる香ばしい「色」に支配されていった。

 

「……黄金色。なんという、美しき黄金色じゃ。神界のどの宝石よりも、あの肉の衣の方が輝いて見える……」

 

 ムコーダが菜箸で肉を持ち上げると、軽快な音と共に油が切られる。

 

 そしてムコーダは、耐えきれないといった様子で、一番カリッとしていそうな唐揚げを一つ摘み上げた。

 

『サクッ……ジュワッ……』

 

 ムコーダがそれを咀嚼した瞬間、溢れ出した肉汁が口端から一筋こぼれ落ちる。

 

「……許さぬ」

 

 ニンリルの喉が、大きく上下した。胃袋が、これまでにないほど激しい自己主張を始めた。

 

「きゅるるるるるぅぅぅ……」という情けない音が、荘厳な神殿に虚しく響く。

 

「許さぬぞ、ムコーダ! (わらわ)がこれほどまでに塩気を求めておるというのに! お主一人で、そんな美味そうな黄金の塊を、独り占めするなど……! ズルい! ズルすぎるぞ!」

 

 さらに追い打ちをかけるように、ムコーダはキンキンに冷えた缶ビール『プレミヤム・マルツ』を「プシュッ」と開けた。

 

『くぅぅぅぅ!! 唐揚げにビール、これ以上の贅沢があるか?』

 

「なんじゃ、その黄金色の聖水は! 泡が立っておるではないか!(わらわ)にも寄越せ! その肉を、その泡を、(わらわ)の喉にも流し込ませろ!!」

 

 お供えリストに「甘味」としか指定しなかった過去の自分を、ニンリルは全力で呪った。今更リストを更新して念話を送ったところで、届くのは数日後。その頃には、あの揚げたての最高の瞬間は失われているのだ。

 

「待てぬ。一分、一秒たりとも待てぬのじゃ!!」

 

 

 ◇ 禁断の秘術と、女神の陥落 ◇

 

 

 ニンリルは半狂乱になりながら神殿を飛び出し、禁断の書庫へと走り出した。

 

「あった、これじゃ! 『分御霊・受肉の法』!」

 

 それは、神の力の極一部を切り離し、現世の物質を核にして少女の肉体を作り出し、自らの意識を降臨させる禁忌の術。もし創造神にバレれば、どのような重い罰が待っているか。

 

「……そんなもの、唐揚げの美味に比べれば些細なことじゃ!!」

 

 ニンリルの神としての理性は、食欲という名の原始的な衝動によって、木っ端微塵に粉砕されていた。

 

 彼女は狂ったように魔力陣を床に描き始めた。

 「リスクなど知らぬ! 妾は……妾は、あの肉を食うのじゃ! 揚げたての、あの油ギトギトの、ニンニクの効いた黄金の肉をのう!!」

 

 術式が起動し、神殿が激しく振動する。ニンリルの視界が歪み、神界の光が遠のいていく。

 

「おお……。匂う。匂うぞ……。下界の、むせ返るような命の匂いが……!」

 

 降臨のプロセスが加速する。

 

 風の女神としての権能を無理やり圧縮し、小さな少女の肉体へと押し込めていく。それは神にとって苦痛を伴う作業のはずだが、今のニンリルには、それが唐揚げを食べるための「調理時間」にしか感じられなかった。

 

「待っておれぇぇぇ! 黄金の肉ゥゥゥゥ!! 妾が今、直接食らいに行ってやるわぁぁぁ!!」

 

 夜空を切り裂く、一筋の流星。

 

 一方、下界……揚がったばかりの山盛りの唐揚げを前に、腰を下ろしたムコーダ。

 

 彼の真上から、わがままな風の女神が、音速を超えて迫っていた。

 

「……ん? 何か、空から叫び声が聞こえるような?」

 

 ムコーダが不思議そうに見上げた瞬間、彼の平穏な旅路は、一人の女神の降臨によって、決定的な「崩壊」へと舵を切ることになる。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。