️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~   作:月影 流詩亜

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第12話:フェルの限界と、女神のなけなしのデレ

 

 ◇ 最強の魔獣、沈む ◇

 

 常緑の迷宮からの凱旋。ムコーダ一行は、予定を遥かに上回る魔石と素材を手にカレリーナの街へと戻った。ギルドでの換金を済ませ、懐が温かくなったムコーダは、意気揚々と宿の厨房を借りて「打ち上げ」の準備に取り掛かっていた。

 

「よし、今日は奮発して『オーク・ジェネラルのカツレツ』だ! ニンニンちゃんがダンジョンで獲ってくれた極上の肉だよ」

 

 黄金色に揚げ上がった、顔の大きさほどもある巨大なカツ。サクサクの衣に包まれたジューシーな肉の香りが、食卓を満たしていく。

だが、いつもなら「よし! 出せ!」と一番に吠えるはずのフェルが、今日は動かなかった。

 

「……フェル? どうしたの、食べないの?」

 

 ムコーダが不思議そうに声をかける。フェルは床に伏せたまま、力なく鼻を鳴らしただけだった。

 

『……む。……主よ。……今は、肉の匂いが、少しばかり……きついのだ』

 

「ええっ!? フェルが肉を拒否するなんて、明日、槍でも降るんじゃないか!?」

 

 ムコーダは慌ててフェルの傍らに駆け寄り、その大きな頭を撫でた。熱はないようだが、心なしか黄金の毛並みが元気を失い、パサついているように見える。

 

「……ふん。呪いなどではない。ただの『知恵熱』じゃ」

 

 隣で既に自分のカツレツを半分平らげ、口の端にソースをつけたニンニンが、冷淡な声で言い放った。

 

「知恵熱? フェルが?」

 

「そうじゃ。お主のために魔物を狩り、余の隠蔽魔法を維持し、さらに神界の連中……いや、余の『親戚』からの念話という名の罵声を、中間で受け止めておったのじゃからな。精神的な胃痛、といったところか」

 

 ニンニンは、他人事のように最後の一口を飲み込んだ。だが、その瞳は、伏せったままのフェルを盗み見るように、僅かに揺れていた。

 

 

 ◇ 献身と、深まる「聖なる誤解」 ◇

 

 

 その夜。宿の部屋は、これまでにないほど静まり返っていた。ムコーダはフェルのために、肉を一切使わない「消化に良い卵雑炊」を特別に作った。ネットスーパーで『紀州南高梅』を取り寄せ、出汁の香りを優しく立たせた一品だ。

 

「フェル、これなら食べられるかな? 無理しなくていいからね」

 

『……うむ。……すまぬ、ムコーダよ』

 

 フェルは、ムコーダがスプーンで運ぶ雑炊を、ゆっくりと口にした。

 

 そんな一人と一匹の温かな輪から少し離れた場所で、ニンニンは独り、窓の外の月を眺めていた。

 

(……なんじゃ。あやつら、余をのけ者にして。……フェルめ、たかが少し中てられたくらいで、ムコーダに甘えおって。……情けないのう)

 

 ニンニンは、手に持っていた『ヨネ・コーラ』を一口飲んだ。だが、いつもは刺激的で美味しいはずの炭酸が、今はひどく味気ない。

 

 自分がわがままを言い、神界との板挟みにさせ、さらにはダンジョンで暴れた。そのしわ寄せが、この不器用な魔獣に行っていたことに、彼女は気づいていた。

 

 

「……ふん。余は先に寝る。……ムコーダ、明日の朝食はパンケーキを五枚重ねにするのじゃぞ。わかったな」

 

「あ、ああ、お休み。……ニンニンちゃん、本当は心配してるんだよね?」

 

「……知らぬわ!」

 

 ニンニンは毛布を頭まで被り、背中を向けた。

 

(……やっぱり。ニンニンちゃん、本当はフェルを心配してるんだ。でも、自分の気持ちを素直に言えない……。きっと、故郷じゃ弱音を吐くことも許されない、厳しい環境だったんだろうな……)

 

 ムコーダの脳内では、またしてもニンニンの不遇な過去が「介護に明け暮れる幼少期」へと書き換えられていた。

 

 

 ◇ 深夜の「風の癒やし」 ◇

 

 

 深夜。ムコーダが寝息を立て、スイもマジックバッグの中で丸まって眠りに落ちた頃。

 

 ニンニンは静かに毛布を剥ぎ、月明かりの下、フェルの傍らに歩み寄った。

 

 フェルはうなされていた。微かな唸り声は、次元の壁を越えて飛んでくるアグニたちの罵声を、無意識に追い払おうとしているかのようだった。

 

「……まったく。お主は、我慢強いのか、それともただの阿呆なのかのう」

 

 ニンニンは膝を突き、フェルの額に白く細い手をそっと置いた。受肉している今の彼女には、本来の神力の極一部しか残っていない。だが、それでも彼女は「風の女神」である。

 

 

「……風よ。彼の者の内にある淀みを、濁った気を、全て空の彼方へ運び去れ」

 

 ニンニンの手から、淡いエメラルドグリーンの光が溢れ出した。それは傷を癒やすためのものではなく、魂の疲労を洗い流し、安らぎを与えるための「風」であった。

 

 数分後。フェルの呼吸が穏やかになり、険しかった表情が解けていく。ニンニンは満足げに鼻を鳴らすと、懐から「あるもの」を取り出した。

 

「……これ、明日のおやつにしようと思っておったのじゃがな。特別じゃぞ。本当に、今回限りじゃからな」

 

 彼女がフェルの枕元に置いたのは、ネットスーパーでも人気の『特選・生クリームプリン』であった。

 

 

 ◇ 雨降って地固まる ◇

 

 

 翌朝

 

「……んおっ!? 身体が……軽いぞ!!」

 

 フェルの咆哮が宿中に響き渡り、ムコーダは飛び起きた。

 

「フェル!? 治ったの!?」

 

『うむ! 胃の重みも、あの五月蝿い声も、綺麗さっぱり消えておる! むしろ昨日よりも力が漲っているほどだ! ムコーダ、肉だ! カツレツを五枚持ってこい!!』

 

「良かったぁ~! やっぱり卵雑炊が効いたんだね!」

 

 ニンニンは、部屋の隅で欠伸をしながら、その光景を冷ややかに見守っていた。

 

「……やかましいわ。朝から獣が吠えるでない」

 

『……ニンニン(ニンリル様)

 

 フェルが、ニンニンの方を見た。その視線は、枕元の「空になったプリンの容器」と、彼女の僅かに寝不足な目を行き来した。

 

『……礼を言っておこう。あの、冷たくて甘い「ぷりん」というやつ、案外悪くなかったぞ』

 

「……はぁ!? 何のことじゃ! それはムコーダが勝手に置いたのであろう!」

 

「え? 俺、プリンなんて出してないけど……」

 

 ムコーダが不思議そうに首を傾げた瞬間、ニンニンの顔が爆発したように真っ赤になった。

 

「……し、知らぬ! 妾……余は知らぬ! きっと、故郷の家族が間違えて転送してきたのじゃ! お主、そんなゴミをいつまでも見ておるでない!」

 

 ニンニンは風の魔法で強引にプリンの容器を窓の外へ吹き飛ばし、プイッとそっぽを向いた。

 

(……ああ。ニンニンちゃん、自分の大切なおやつをフェルにあげたんだね。自分はパンケーキ五枚なんて言っておきながら、実はフェルを一番に考えて……。なんて健気な子なんだ!)

 

 ムコーダの「聖なる誤解」は、もはや止まることを知らなかった。ニンニンが「ダメ女神」であることを示す証拠さえも、彼のフィルターを通せば「不器用な愛」へと変換されてしまう。

 

「よし! フェルの快気祝いだ! 今夜は豪華なバーベキューにするよ!」

 

『うむ!』

 

『わーい!』

 

「……ふん。余のパンケーキも忘れるなよ」

 

 銀髪を揺らしながら歩き出すニンニンの口元は、ほんの少しだけ、緩んでいた。

 

 

 

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