️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~   作:月影 流詩亜

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第13話:ノイズ混じりの日常、崩壊のカウントダウン

 

 ◇ 潤いを求める水の女神 ◇

 

 神界、清冽なる水のせせらぎが絶えない神殿。その奥深くで、水の女神キシャールは苛立ちを露わにしていた。彼女の前には下界を映し出す巨大な水鏡が浮かんでいる。

 

「……信じられない。ねえ、見た? 今のニンリルちゃんの肌の艶」

 

 キシャールは自身の滑らかな頬に手を当て、鏡の中のニンリルを睨みつける。彼女の目的は、ムコーダがもたらす異世界の「美容品」……そして、現地直送の「栄養」であった。

 

「あのニンリルちゃんが、異世界人くん(ムコーダ)の作る『コラーゲンたっぷりの手羽先』を直接摂取している……。だからあんなに瑞々しいのね! 私だって、あのプルプルの宝石を肌から、そして喉から堪能したいわ!」

 

 キシャールは嫉妬に燃え、禁じられた神力を指先に集中させた。

 

「ニンリルちゃんの『分御霊』……少しばかり魔力の供給を不安定にしてあげましょう。

器が揺らげば、交代のチャンスが生まれるもの。ふふふ、待っていなさい、異世界人くんの手料理。私がすぐに行ってあげるわ」

 

 

 ◇ すり抜ける指先 ◇

 

 

「……ん? ニンニンちゃん、どうかした?」

 

 馬車が街道をゆったりと進む中、御者台のムコーダが隣を振り返った。ニンニンは、先ほどから自分の右手をじっと見つめ、何度も握ったり開いたりしている。

 

「……いや。なんでもない。ただ、少しばかり手が痺れただけじゃ」

 

 ニンニンはいつもの尊大な口調で答えたが、その内心には冷たい汗が流れていた。先ほど、ムコーダから渡された『ロット・テッポ』の袋に手を伸ばした瞬間。彼女の指先が、一瞬だけノイズのように「チラつき」、お菓子の袋をすり抜けたのだ。

 

(……器が不安定になっておる。まさか、キシャールめ、余計な干渉をしおったか)

 

 ニンリルは、自分の身体がバグったゲームのキャラクターのように僅かに点滅しているのを隠すため、深くフードを被り直した。

 

 だが、ムコーダの「認識阻害」フィルターは、この異変を「最悪の形」で解釈した。

 

(……え? 今、ニンニンちゃんの手が透けなかったか……? いや、まさか。でも、最近仕送りの量が増えてるし、自分の食べる量を極限まで削ってるって言ってた……。もしかして、栄養失調で体が消えかかってるのか!?)

 

 ムコーダの脳内で、ニンニンの不遇な生い立ちが「自分の命を削って家族を養う聖女」へと昇華された。

 

 

 ◇ フェルの警告と不浄な闇 ◇

 

 

「ニンニンちゃん! これ、おやつ! 『チョコパイ』の贅沢いちご味だ! 遠慮しないで全部食べて!」

 

「……っ、う、うむ。かたじけない」

 

 ムコーダの必死すぎる形相に、ニンニンは気圧されながらもそれを受け取った。一口(かじ)ると、しっとりとしたケーキ生地とイチゴクリームの香りが広がる。いつもなら身悶えするところだが、今の彼女には、その甘みすらも「実体をつなぎ止めるための燃料」に感じられた。

 

 夕闇が迫り、一行は森の開けた場所で野営を始めた。ムコーダは大きな鍋を取り出し、鶏を丸ごと一羽、餅米やニンニクと共にコトコトと煮込み始めた。

 

「今日は『参鶏湯(サムゲタン)』風の煮込みだよ。ニンニンちゃん、これ、絶対体にいいから。スープの一滴まで残さず飲んでね」

 

「……うむ。温かいのう。身体の節々に、力が戻っていくのがわかるわ」

 

 濃厚なスープを(すす)り、ようやく存在が安定し始めたその時。

 フェルが突然立ち上がり、低い唸り声を上げた。

 

『…………主よ。構えろ。不浄な風が吹いておる』

 

「え……フェル? 何か来るの?」

 

『……この臭い。覚えがある。神界の掃き溜めに封じられていた、古の塵どもの臭いだ』

 

 森の奥から、腐った肉を焼いたような、凄まじい悪臭が漂ってきた。木々が黒く枯れ果て、地面が腐食していく。

 

 

 ◇ 接近する「災厄」 ◇

 

 

 黒い霧の中から、巨大な、あまりにも巨大な影が姿を現した。

 それは、竜の形をしていた。だが、そこにあるのは高潔な竜の姿ではない。肉は剥がれ落ち、肋骨が剥き出しになり、眼窩には紫色の不気味な炎が灯っている。

 

 

『腐食の邪竜(カース・ドラゴン)』

 

 

 神々がかつて境界の果てへと放逐した災厄の化身。それが、ニンリルの神気の揺らぎに引き寄せられ、現世へと這い出してきたのだ。

 

 

『……見ツケタゾ……風ノ女神ノ……匂イ……』

 

 

「な、何なんだよ、あれ……! フェル、結界を!」

 

 ムコーダは腰を抜かさんばかりの恐怖に襲われながらも、震える手でニンニンの前に立ちはだかった。

 

(……あんな化け物が、ニンニンちゃんを連れ戻しに来たのか!? あの『悪い親戚』は、あんな怪物を差し向けるほど彼女を執着してるっていうのか!?)

 

「ニンニンちゃん、逃げて! あれ、君がどうこうできる相手じゃないよ! 俺とフェルでなんとかするから!」

 

 ムコーダは、消え入りそうな(と思い込んでいる)ニンニンの腕を引こうとした。

 だが、ニンリルは動かなかった。

 

「……ムコーダよ。安心せよ」

 

 彼女の横顔から、いつもの「残念な食いしん坊」の面影が消える。

 

「……お主には、まだ明日の朝食の『厚切りトースト』を作ってもらわねばならんからな。あのような骨に、お主を渡すわけにはいかぬのじゃ」

 

 銀色の髪が、夜の闇の中で神秘的な光を放ち始める。

 

 ムコーダの安寧を守るため、風の女神がその「逆鱗」に触れようとしていた。

 

 

 

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