️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~ 作:月影 流詩亜
◇ 賢者タイムと絶望の通帳 ◇
邪竜が消滅し、夜の静寂が戻った森。先ほどまでの絶望的な死闘が嘘のように、キャンプ地には甘い香りと、ビール缶が開く「プシュッ」という軽快な音が響いていた。
「……ふぅ。やはり、危うい命を拾った後の『不三家・特選ホールケーキ』は格別じゃのう。生クリームが五臓六腑に染み渡るわい」
ニンリルは、地面にどっしりと胡座をかき、フォークどころか手掴みに近い勢いでケーキを頬張っていた。消えかけていた半透明の身体はどこへやら、今の彼女は月光を弾くほどツヤツヤと輝いており、神々しいというよりは「健康優良児」そのものだった。
その傍らで、ムコーダは焚き火の火をぼーっと見つめ、魂が抜けたような顔をしていた。彼の手には、ネットスーパーの購入履歴と残高が表示されたウィンドウが浮かんでいる。
(……消えた。一瞬で、金貨の山が……)
ムコーダの脳内で、算盤が弾ける音がする。邪竜戦での防御アイテムの乱打。そして、ニンリルを繋ぎ止めるために「大人買い」した高級メロン、ホールケーキ、酒、ブランド牛の詰め合わせ……
カレリーナのダンジョンで命を削って稼いだ金貨が、文字通り一晩で半分以下にまで目減りしていた。
「……ニンニンちゃん。俺、今ならわかるよ。邪竜よりも、君の食欲の方が……よっぽど恐ろしいってことが」
「なんじゃムコーダ、そんな顔をして。
◇ 居座りのための「大根役者」 ◇
「さて。……とりあえず、身体も元に戻ったみたいだし、ニンニンちゃんも、そろそろ『故郷』へ帰る準備をしないとだね」
ムコーダが、かすかな期待と寂しさを込めて尋ねた。もし彼女が帰れば、食費は元のサイクルに戻る。財布の出血を止めるには、これしかない。
その言葉を聞いた瞬間、ニンリルの動きがピタリと止まった。口の端に生クリームをつけたまま、エメラルド色の瞳が泳ぐ。
(……帰る? 冗談ではない! 神界に戻れば、この『揚げたての唐揚げ』も、『新作のアイス』も、全てあの不自由な「お供え」越しになってしまうではないか! しかも戻ればアグニたちに分捕られるのは明白……!)
「……う、ううっ……!!」
突如、ニンリルが胸を押さえて倒れ込んだ。
「ええっ!? ニ、ニンニンちゃん!?」
「……お、重い。……身体が、重いのじゃ、ムコーダ……。やはり、無理に神力を引き出した反動が……今、来たようじゃ……」
ニンリルは、力なく手を震わせ、目元を潤ませてムコーダを見上げた。
「……器の核が……ひび割れておる。……このまま帰れば、
「三、三年!? そんなに!?」
『……おい。主よ。騙されるな。こやつの魔力、既に満タンだぞ。……さっさと引き摺り落としてやろうか?』
フェルが、冷ややかな目でニンリルを見下ろした。
「な、何を申すか、この毛玉! お主には見えぬのか、この儚げな光の揺らぎが!」
◇ 加速する「聖なる誤解」 ◇
「……フェル、やめてあげてよ! ニンニンちゃん、本当に辛そうじゃないか!」
ムコーダは、パニックになりながらニンリルの背中をさすった。認識阻害のフィルターは、ニンリルの見え透いた演技を、「命を燃やして俺を救った少女の、悲痛な後遺症」として脳に焼き付けていた。
(……なんてことだ。三年も療養が必要なほど、彼女は自分を追い込んで……。それなのに、最後まで『おやつが食べたい』なんて明るく振る舞って、俺に気を使わせないようにしてるんだ……っ!)
「わかった、わかったから! ニンニンちゃん、消えるなんて言うなよ! 好きなだけ、何年でもここにいていいから。俺が責任を持って、君に『濃厚な栄養(ジャンクフード)』を食べさせ続けるよ!」
「……ム、ムコーダ……。お主、やはり良い奴じゃのう……。ならば、安静にするために……あそこの『プレミヤム・マルツ』の残りを……持ってきてたもれ……」
ムコーダの「聖なる誤解」という名の財布の紐は、もはや塵となって消え去っていた。
◇ 【三女神の咆哮】 ◇
その頃、神界。ニンリルの「仮病による残留」を水鏡で見ていた三女神は、神殿が揺れるほどの衝撃を受けていた。
『……ああああああ!? 何だよあの三流芝居は! あんな嘘に騙されるなんて、ムコーダの野郎、お人好しにも程があるだろ!!』
アグニが怒りのあまり戦斧を床に叩きつける。
「……ずるい。……残留。……私も、残る。……カツレツ、現地で、食べたい。……もう我慢、しない」
ルカが、虚空から取り寄せた巨大なフォークを研ぎながら、ボソリと呟いた。
「私も同感だわ。ニンリルちゃんだけあんなに瑞々しくなっちゃって……。ふふ、決めましょ。誰が次に『調査』という名目で降りるか」
キシャールが妖艶な笑みを浮かべ、下界へのゲートを開こうと神力を練り始めた。
神界の欲望という名の嵐が、ついに実体を持って動き出そうとしていた。しかし、そのさらに上。世界の創造主である「あのお方」が、密かに鼻をひくつかせていることに、まだ誰も気づいていなかった。
「……ほう。あの『やきとり』というもの……実に、香ばしい匂いじゃのう……」