️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~ 作:月影 流詩亜
◇ 嵐の前の、不穏な静寂 ◇
邪竜との死闘から数日。ムコーダ一行は、次の目的地へと向かう街道の途中にあった、風光明媚な湖畔で野営をしていた。
ニンリルの「核がひび割れておる(大嘘)」という訴えにより、旅のペースは極端に落とされ、食事の質は逆に跳ね上がっていた。
「はい、ニンニンちゃん。リハビリ用の『ふわふわフレンチトースト・メープルシロップがけ』だよ」
「……うむ。……かたじけない。……ああ、やはりこの甘みが、余の砕け散りそうな魂を繋ぎ止めてくれるわ……」
ニンリルは、痛む胸を押さえるような仕草をしながら、一口食べると瞬時に「んんん~~~ッ!!」と身悶えした。卵液が芯まで染み込み、バターで香ばしく焼かれたパンから、高級メープルの香りが溢れ出す。
『……おい。主よ。いつまであの大根芝居に付き合うつもりだ。我の鼻は、こやつから「健康そのもの」の脂っこい匂いしか嗅ぎ取れぬぞ』
「まあまあ、フェル。元気そうに見えても、神様の体はデリケートなんだよ。……あ、スイ、おかわりあるからね」
(……本当に、命懸けで俺を守ってくれたんだから、これくらい当然だよな。でも、ニンニンちゃん、食べる時だけは本当に元気そうだな……)
◇ 神界の女子会(物理的衝突) ◇
「……もう限界。限界だ!!」
神界、ニンリルの留守を守る三女神。アグニが、水鏡に映るフレンチトーストを見て、神殿の床を戦斧で叩き割った。
「……おい! 見ろよ、あのニンリルの野郎! 俺たちに送ってくるのは、昨日の残りのような乾き物ばかりなのに、自分は現地で「ふわふわ」なもん食ってやがる! 許せねえ、俺も今すぐ降りて、あの異世界人の野郎に特製の「バーベキュー」を焼かせてやるぜ!」
「……ずるい。……私も、降りる。……デミ様には、適当に言っておく」
「私も同感だわ。ニンリルちゃんだけあんなに瑞々しくなっちゃって……。決めましょ。誰が次に降りるか」
神界を揺るがすような神力の激突。だが、その結末が出る前に、神殿の空間が「メリメリ」と音を立てて歪み始めた。
◇ ニンニルの受難と、中間管理職の悲哀 ◇
「……ぐふっ!?」
湖畔で優雅にフレンチトーストを堪能していたニンリルが、突然パンを吹き出してのけ反った。
「ニンニンちゃん!? また発作!?」
「……ち、違う……。三女神……あやつら、ついに強行突破を……っ!!」
ニンリルの脳内に、三方向からの強烈な「怪電波」が届く。
『ニンリル! 今すぐそこを退け! 俺が「火の用心棒」として交代してやる!』
『……ニンリル、チョコ。……チョコ、寄越さないなら、お前の寝床を蟻地獄にする』
「や、やめよ! お主ら、ここに来たらムコーダの財布が爆発する! それに、デミ様に見つかったら全員で農場送りじゃぞ!!」
(……え、化け物が三人!? またあの邪竜みたいな奴らが攻めてくるのか!?)
ムコーダの「認識阻害」は、三女神のわがままな要求を「武装した強欲な親戚三姉妹の襲来」へと変換し、彼は恐怖に震えながらネットスーパーを起動した。
◇ 創造神、降臨 ◇
ムコーダが次々と段ボールを生成し、ニンリルが半狂乱でゲートを閉じようとした、その時だった。
キャンプ地の空気が、一瞬にして「絶対的な静寂」に支配された。
風が止まり、湖の水面が鏡のように固まり、フェルが地面に鼻を擦り付けるように平伏した。
『……っ!? しゅ、主よ……。伏せろ……。……御方が、お見えになる……』
「……えっ?」
天から、まばゆいばかりの黄金の光が降り注いだ。そこから現れたのは、小さな、どこにでもいそうな好々爺であった。
(……え? おじいちゃん? まさか、ニンニンちゃんの故郷の……一番偉い長老様?)
認識阻害の極致により、ムコーダの目には、世界の創造主が「厳格だがお腹を空かせた親戚の最年長者」に見えていた。
「……やれやれ。騒がしいのう、お前たち」
デミウルゴス。この世界の創造主にして絶対神。彼は宙に浮いたまま、地上に散乱する段ボール――中身が丸見えの『プレミヤム・マルツ』と『焼き鳥セット』を、じろりと眺めた。
「ひ、ひぃぃぃっ! デミ様! な、なぜこちらに!?」
ニンリルは、フレンチトーストの皿を隠しながら、地面に激突せんばかりの勢いで土下座した。
「ニンリル。お主、仮病を使って居座っておるな? ……そしてアグニたち。お前たちも、神界からこれほど不浄な欲望(おやつへの執着)を垂れ流すでない」
空に向かってデミウルゴスが告げると、神界からの喚き声がピタリと止まった。
◇ 創造神の「お裾分け」交渉 ◇
「……ムコーダ君、と言ったかな。お主には、随分と苦労をかけるのう」
デミウルゴスは地上に降り立つと、震えるムコーダの肩にポンと手を置いた。
「……あ、あの、おじいさん。ニンニンちゃんを連れ戻しに来たんですか……?」
「おじいちゃんでよい。……さて、ムコーダ君。お主がニンリルたちに捧げている、この『やきとり』というもの……。特にこの『ネギマ』というやつ。……ワシも、一つ食べてみてもよいかな?」
「……は、はい! 喜んで!!」
ムコーダはパニックを通り越して無心になり、カセットコンロで焼き鳥を焼き始めた。
デミウルゴスは焼き上がった一本を手に取った。
「……ほう。この、醤油の焦げた香りと、肉の脂……。美味い。実に美味いぞ」
創造神が焼き鳥を一本、至福の表情で食べ切った。
「……ニンリル。お主が帰りたくない理由が、今、完全に理解できた。……ワシなら、一日で世界を滅ぼしてでも、これのレシピを奪いに行っておったところじゃ」
デミウルゴスは満足げに口を拭うと、空に向かって宣言した。
「アグニ、ルカ、キシャール。聞こえるか。……お前たちの降臨は断じて許さぬ。……ただし、ムコーダ君の負担にならぬ範囲で、週に一度の『お裾分け』を受け取ることは許可しよう」
神界から、三女神の「やったぁぁぁ!」という歓喜の声が漏れ聞こえた。
「その代わり、ニンリル。お主、いつまでも仮病を使って甘えるな。しっかり働くのじゃ。……そして、ワシの分も、月に一度、あの『大吟醸』という酒を忘れるなよ?」
「……は、はい!! 喜んで、デミ様!!」
ニンリルの「残留」が、公式に、しかも創造神の命令(という名の共犯関係)として認められた瞬間であった。
デミウルゴスは、ムコーダに優しく微笑み、焼き鳥のタレを一本だけお土産に持って、光の中へと消えていった。
「……ムコーダよ。……余、助かったのか?」
「……多分。……でも、ニンニンちゃん。あのおじいちゃん、焼き鳥一本で帰ってくれたね。やっぱり、君の家族はみんな食いしん坊なんだね……」
ムコーダは、空になった焼き鳥の串を見つめ、さらなる「聖なる誤解」を深めるのであった。