️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~   作:月影 流詩亜

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第2話 胃袋への着地、あるいは女神の咆哮

 

 ◇ 衝突の一秒前 ◇

 

 夜の帳が下りた宿の裏庭。そこには、およそこの異世界のものとは思えない「平和」が漂っていた。レンガを積み上げた即席のコンロの上で、大量の鶏肉が黄金色の衣を纏い、湯気を上げながら山となって積み上げられている。

 

「よし。これで最後だな」

 

 ムコーダは、パチパチとはぜる油の音を背に、満足げに額の汗を拭った。

 その傍らでは、伝説の魔獣フェンリルことフェルが、その巨大な体を横たえ、喉をごろごろと鳴らしながら山盛りの唐揚げを凝視している。

 

『主よ……待たせすぎだ。香りが強すぎて、我の鼻が狂いそうだぞ』

 

「悪い悪い。でも、二度揚げしないとこの『カリッ』とした食感が出ないんだよ。さあ、冷めないうちに食べよう」

 

 ムコーダは、キンキンに冷えた『プレミヤム・マルツ』のプルタブを引き、この油と肉の饗宴に身を投じる準備を整えた。

 

 ……だが、その時である。

 

 平和な夜気を切り裂くような、甲高い咆哮が天から降り注いだ。

 

「待っておれぇぇぇ! 黄金の肉ゥゥゥゥ!!」

 

「え……?」

 

 ムコーダが顔を上げた瞬間、視界を真っ白な光が覆った。

 

 それは流星だった。いや、流星にしてはあまりにも「人の形」をしており、そして何より、その殺気の向かう先が、揚げたての唐揚げの皿一点に集中していた。

 

『ぬおっ!? 主、下がれ!』

 

 フェルが瞬時に反応し、ムコーダの襟首を咥えて後ろへ跳んだ。

 

 直後――ドォォォォォォォォォン!!

 

 爆発的な風圧と共に、裏庭の地面が大きく陥没した。もうもうと立ち込める砂埃。ムコーダは砂を吐き出しながら、目を見開いた。

 

「な、なんだ!? 敵襲か? 暗殺者か!?」

 

『……いや、違う。この神々しくも、どこか残念な気配……。まさか……』

 

 フェルが低く唸り、黄金の毛を逆立てる。砂埃がゆっくりと晴れていく中、クレーターの中央に、一人の少女が立っていた。

 

 

 ◇ 降臨した「飢えた風」 ◇

 

 そこにいたのは、透き通るような銀髪を背中まで流した、十代半ばに見える可憐な少女だった。

 絹のように白い肌、エメラルドのように輝く瞳。本来なら、その神々しさは「女神」と呼ぶにふさわしい姿……のはずだった。

 

 だが、彼女が立っている場所が、最大の問題だった。

 

「……あ、俺の唐揚げ……」

 

 ムコーダの声が震えた。

 

 少女が着地したのは、あろうことか「揚げたての唐揚げが山盛りになった大皿」の真上であった。

 

 彼女の小さな両足は、秘伝のタレを吸い込んだ黄金の衣を容赦なく踏みしだいている。

 

「……むっ。少し狙いが逸れたか」

 

 少女――受肉したニンリルは、ふらつく足取りで一歩、皿の外へと踏み出した。彼女の足元からは、カリッ、ジュワッという、ムコーダが心血を注いだ「咀嚼音(そしゃくおん)」が、無情にも「踏みつける音」として響いた。

 

 

「お、お主がムコーダか?」

 

 ニンリルは、ドレスの裾に付着した油を気にする素振りも見せず、ムコーダを指差した。その瞳は、極限まで空腹に追い詰められた野獣の輝きを宿している。

 

「は、はい。そうですけど……どちら様で……?」

 

「妾こそは、風の女神、ニンリルである! 下界の民よ、首を垂れて余を敬うがよい!」

 

 ニンリルは胸を張り、高らかに宣言した。

 

 だが、今の彼女からは唐揚げの「ニンニク醤油」の香りが全身から漂っており、威厳というよりは「美味しそうな匂いのする家出少女」にしか見えなかった。

 

『……ニンリル様! そのお姿、一体どういうことですか!』

 

 フェルが信じられないものを見る目で、一歩前に出た。彼はニンリルから加護を授かっている身。その気配を間違えるはずがないが、目の前の状況があまりに異常だった。

 

「おお、フェンリルではないか。久しいのう。相変わらず無愛想な面をしておる」

 

『久しいではない……ですよ! 神界の住人が実体を持って降臨するなど、デミウルゴス様への叛逆ですよ! 何を考えているのですか!』

 

「う、うるさい! 叛逆ではない、これは……『現地調査』じゃ! 神として、下界の食文化を正しく把握するための義務である!」

 

 ニンリルは鼻を鳴らしたが、その視線はすでに、ムコーダの背後に残された「無事な方の唐揚げ」に釘付けになっていた。

 

 

 ◇ 魅惑の唐揚げ、実食 ◇

 

 

「あの……ニンリル様? 本当に女神様なんですか?」

 

 ムコーダは困惑していた。いつも自分に甘いお菓子をねだってくる、あの自称・女神。脳内イメージではもっとおしとやかな女性を想像していたのだが、目の前の少女からは「食い意地」のオーラしか感じられない。

 

「いかにも! ムコーダよ、今すぐ……今すぐ、あの『黄金の塊』を(わらわ)に捧げよ! 胃袋へ叩き込めと言っておるのじゃ!」

 

 ニンリルの剣幕に、ムコーダは気圧されて一歩引いた。だが、そこで異議を唱えたのはフェルだった。

 

『待ってください。それは我の分です。主は、我のためにこれを作ったのだ。いかにニンリル様でも、ルールを破って降臨した挙句、我の肉を奪うのは許されん』

 

「な、なんじゃと!? お主、この風の女神に向かってなんという不敬を! その肉は妾の生存本能が求めておるのじゃ!」

 

「あの、二人とも落ち着いて……。作ります! 今すぐ追加で作りますから!」

 

 ムコーダの必死の叫びに、二人が同時に振り向いた。

 

 

「「……本当か?」」

 

 それから十分後。ムコーダのコンロはフル回転していた。

 

「はい、お待たせしました。揚げたての鶏の唐揚げ、醤油ニンニク味です」

 

 新しい皿に盛られた、山盛りの唐揚げ。

 それを目の前にしたニンリルは、震える手で唐揚げを一つ摘み上げた。

 

 

「……いただきますのじゃ」

 

 彼女は小さな口を大きく開け、その塊を豪快に放り込んだ。

 

「サクッ!!」

 

 夜の静寂に、完璧な咀嚼音が響き渡った。

 歯が衣を突き破った瞬間、閉じ込められていた熱い肉汁が溢れ出す。

 

「……ん、んんんんんん~~~~!!」

 

 ニンリルは頬を押さえ、身悶えした。

 神界の、あの淡白な「神気」とは対極にある、圧倒的なまでの「生の充足」。

 

 

「美味い……。美味すぎる。なんじゃこれ。神界の食事など、これに比べれば砂を噛むようなものじゃ……」

 

「ムコーダ! この黒い水も寄越せ! 泡の立つ、冷たいやつじゃ!」

 

「あ、はい、プレミヤム・マルツですね」

 

 ムコーダがコップに注いで差し出すと、ニンリルはそれをひったくるように受け取り、一気に煽った。

 

「ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……ぷはぁぁぁぁぁぁぁ!! なんという悪魔の組み合わせじゃ……。唐揚げを食べて、ビールを飲む。これは、無限の喜びの連鎖ではないか!」

 

 

 涙を浮かべながら唐揚げを頬張り続ける女神。その姿を見て、フェルは深いため息をついた。

 

『……呆れたものだ。だが、主の作るこの料理が、神の理性を破壊するほどのものであることは、認めざるを得んな』

 

「ははは……。喜んでもらえて何よりですけど」

 

 ムコーダは、空になったビール缶を見つめながら、遠い目をした。まさか女神が自分の裏庭で唐揚げを爆食いする事態になるとは。

 

「ムコーダよ、妾は決めたぞ。しばらくは、この『ニンニン』として、お主の旅に同行してやる! 感謝せよ!」

 

「ええっ!? 困りますよ!」

 

「女神の名をそのまま名乗るのは、デミウルゴス様にバレるとまずいからな。偽名じゃ! 可愛かろう?」

 

 ニンリル、改めニンニンは、満足げに自分の胸を叩いて笑った。

 

 こうして、一人と一匹に、新たに「残念な女神」が加わった、騒がしい美食の旅が本格的に幕を開けることとなった。

 

 

 




アニメや漫画を見た記憶から創作しているので、原作と設定などに齟齬《そご》が出たらごめんなさい、
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