️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~ 作:月影 流詩亜
出来るだけ、間が開かないように更新したいと思っています。
◇ 神罰か、あるいは慈悲の忘却か ◇
一夜明けた宿の裏庭。昨夜の喧騒が嘘のように静かだが、漂う微かな「揚げ物の残り香」が、起きたばかりのムコーダの胃を刺激した。
目の前には、銀髪を乱したまま、昨夜の残りの唐揚げを「ふみゅ……」と寝ぼけながら咀嚼している少女がいる。
「……さて。どうしたものかな」
ムコーダは困惑していた。昨夜、彼女は確かに「風の女神ニンリル」と名乗ったはずだ。だが、その名を聞いた瞬間に、彼の脳内で奇妙なノイズが走った。
「あの……ニンリル、様?」
ムコーダが恐る恐る呼びかけると、少女は不機嫌そうに顔を上げた。
「……なんじゃ。その呼び方は堅苦しい。
その瞬間だった。
ニンリルの指先から、目に見えない微弱な風がムコーダの鼻先を掠めた。それは神が下界に馴染むために無意識に放つ、強力な【認識阻害の権能】。
「(……あれ?)」
ムコーダの脳内で、パズルのピースが強引に組み替えられた。
(俺、さっきまで何を言おうとしてたんだ?
ニンリル……? いや、そんな高貴な女神様が、こんなに口の周りをテカテカにして唐揚げを貪るわけがない。この子は、ええと……そう、ニンニンちゃんだ)
ムコーダの記憶の中で、「降臨した女神」という事実は、「どこか複雑な家庭事情を抱えて、お腹を空かせて飛び出してきた銀髪の家出少女」へと完全に書き換えられた。
◇ 八百長の交渉 ◇
「……ニンニンちゃん。本当に、俺たちの旅についてくるつもりなの?」
ムコーダは真剣な表情で向き合った。彼の目には、昨夜の神々しい女神の影はもうない。ただ、
「当然じゃ! お主の作るあの『唐揚げ』、そして昨夜飲ませた『黄金の聖水(ビール)』。あれを妾……余に毎日供え……提供する義務がお主にはある!」
『……主よ。案ずるな。このニンニン、魔力だけは一人前だ。旅の護衛には役立つだろう。……我の毛皮をモフろうとするのは閉口するがな』
フェルはニンニンの正体を知っている。しかし、彼女から「ムコーダに正体をバラせば、お主の加護を剥ぎ取り、一生『野菜生活』に処す」という強烈な念話(脅迫)を受けていたため、沈黙を守るしかなかった。
「……フェルがそう言うなら。でも、ニンニンちゃん。俺の旅は地味だし、贅沢な生活はさせてあげられないよ?」
「よい! お主が時折、あの光る板(ネットスーパー)の中から不思議な甘味を出してくれれば、余はそれだけで満足じゃ!」
(……やっぱり。よっぽど貧しい村で、甘いものも食べられずに育ったんだな。こんな小さな子が……)
ムコーダの心に、深い同情の念が芽生えた。
◇ ステータス偽装の完成 ◇
旅立ちの前、ギルドへの登録を考慮し、フェルがニンニンのステータスに「隠蔽」の膜を張った。
『……よし。これで、どんな鑑定スキルを通しても「少し魔力が高いだけの風来坊の少女」にしか見えんはずだ』
「恩に着るぞ、我が眷属……もとい、フェルよ」
ムコーダは試しに、自分の鑑定スキルを使ってみた。
【名前】 ニンニン
【種族】 人族(?)
【年齢】 15歳(外見)
【職業】 風来坊
【スキル】 風魔法・極、食い意地(神級)
「……食い意地(神級)って。ニンニンちゃん、君、本当に苦労してきたんだね……」
ムコーダは目頭を熱くした。「食い意地が神級」というステータスを、「飢えに耐えてきた生存本能の現れ」だと、これ以上ないほど好意的に解釈したのだ。
「な、なんじゃその憐れむような目は! 余はただ、美味いものが食べたいだけじゃ!」
「わかってる、わかってるから。さあ、出発しよう。今日は移動中に『ポテトチップス』をあげるよ」
「ぽ、ぽてと……? 昨夜言っていた、あの禁断の薄い芋か!? 早く、早く出すのじゃ!!」
◇ 神界の影と、加速する誤解 ◇
移動の合間の休憩時間。ムコーダは、ネットスーパーで購入した『不三家』のシュークリームをニンニンに手渡した。
「ほら、これ。おやつだよ」
「……っ!! なんじゃ、この柔らかな感触は! 噛んだ瞬間、中から溢れる黄金の泥……! む、ムコーダ、お主、さては魔法使いか!? こんな至宝、普通は王族でも口にできぬぞ!」
(王族でも口にできないって……。やっぱり、よっぽど厳しい閉鎖的な場所で育ったんだな。お風呂も冷たい水で、おやつなんて石ころみたいな硬いパンだったんだろうな)
ムコーダの脳内では、ニンニンの生い立ちが「悲劇のヒロイン」として凄まじい勢いで補完されていった。
一方、神界…もぬけの殻となったニンリルの神殿に、三女神――アグニ、ルカ、キシャールが乗り込んでいた。
「……おい、ニンリル! 結界を張ったつもりだろうけど、筒抜けだぞ! 自分だけ下界で『シュークリーム』なんて食べてるんじゃねえぞ!」
アグニの怒声が響く。
「……ずるい。……私も、あまいの、食べたい。……ニンリル、裏切り者」
ルカがボソリと呟く。
彼女たちは知らない。
ニンリルが、ムコーダという「お人好しなパトロン」の記憶を書き換え、着々と「養われ女神」としての地位を確立していることを。
「ムコーダよ、次はあの『黒いシュワシュワ』を所望する! 妾の……余の喉が、あの刺激を求めておるのじゃ!」
「はいはい、ヨネ・コーラだね。飲み過ぎないようにね、ニンニンちゃん」
馬車は、新たな「大食漢」を乗せて、賑やかに走り出す。
ムコーダの「聖なる誤解」という名の財布の紐が、音を立てて緩み始めた瞬間であった。