️風の女神は我慢できない ~お供え物だけじゃ足りないので、分御霊になって直食いしに来ました~ 作:月影 流詩亜
◇ 舗装なき道の受難 ◇
「……もう限界じゃ。ムコーダよ、この揺れは嫌がらせか? 余の尻が、熟れすぎた果実のように潰れてしまうぞ!」
御者台の隣で、ニンニンが半べそをかきながら訴えてきた。街を出て数日、街道は未舗装の悪路が続き、馬車は絶え間なく上下に振動している。
風の魔法で自分を浮かせれば済む話なのだが、本人は「魔力の無駄遣いじゃ、お主がなんとかせよ!」と言い張り、ひたすらムコーダに文句を垂れ流していた。
「仕方ないよ、ニンニンちゃん。ここは辺境なんだから。……というか、フェルの背中に乗せてもらえば? 全然揺れないよ」
『……断る。我はニンリル……この小娘を乗せるくらいなら、溶岩の上を歩く方を選ぶ』
馬車の横を歩くフェルが、冷たく言い放つ。ニンニンはフェルの背中を羨ましそうに見つめながらも、「ふん、毛玉の背中など、ノミが移りそうだから願い下げじゃ!」と強がってみせた。
「あるじー、スイは平気だよー。ぷるぷるー」
鞄の中でスイが楽しそうに跳ねる。スライムには振動など関係ないらしい。
「あー、もう……。わかったよ、ニンニンちゃん。少し休憩にしよう。ちょうど昼飯には早いけど、小腹が空いたしね」
「……ッ! その言葉を待っておった!」
「休憩」という単語よりも、「小腹が空いた」というフレーズに反応し、ニンニンの瞳が瞬時に見開かれた。その変わり身の早さは、もはや神速の域である。
◇ 異世界の「パーティ」開き ◇
馬車を木陰に止め、フェルが周囲の警戒に森へ消えると、ムコーダはネットスーパーのウィンドウを開いた。
「さて、今日は少し趣向を変えて……。旅の疲れには、これが一番効くんだ。はい、これ」
ムコーダが取り出したのは、銀色に輝く大きなアルミ袋。そして、赤いラベルが巻かれた、黒い液体が入った大きなボトルだ。
「……なんじゃ、その派手な包みは。ムコーダ、それは魔除けの法具か? あるいは、爆発物か?」
ニンニンが、一メートルほど距離を取って警戒する。
「これは『ポテトチップス』。ジャガイモを薄く切って揚げたお菓子だよ。それと、こっちは『ヨネ・コーラ』っていう飲み物だ」
「ぽ、ぽてと……? あの、土の中に埋まっておる地味な野菜か? お主、余を担いでいるのではないか?」
「まあ見ててよ。これが、異世界の『パーティ』の基本なんだから」
ムコーダは袋の両端を掴み、力を込めた。
パシュッ!!
小気味よい音と共に袋が弾け、中から「揚げ油とジャガイモ、そして暴力的なまでの塩気」が混ざり合った、抗いがたい香りが溢れ出した。
「なっ……!? なんという……なんという扇情的な匂いじゃ!!」
ニンニンの鼻腔がピクピクと動き、喉を鳴らす音が聞こえてきた。
ムコーダは袋を広げ、中から一枚の黄金色の薄い片を取り出した。
「はい、食べてみて。手で直接いっていいから」
「……う、うむ。毒見は余の義務じゃからな。仕方なく食してやる」
震える指先で、ニンニンがその薄い破片を摘んだ。
◇ ポテチという名の魔薬 ◇
「パリッ、サクッ……」
静かな森の空気に、乾いた咀嚼音が響いた。その瞬間、ニンニンの動きが完全に停止した。
(…………ッ!!)
脳内に衝撃が走った。歯を立てた瞬間に砕け散る、繊細な食感。舌の上に広がる、ジャガイモの素朴な旨味。そして、それを極限まで引き立てる塩の加勢。
「……美味い。……美味すぎる。……なんじゃこれ。なんじゃこれぇぇぇ!!」
ニンニンは、自分の頬を押さえて絶叫した。
「この食感……まるで雲の欠片を噛み砕いているかのようじゃ! 噛むたびに、幸せの波が脳を洗っていくのじゃ!!」
「あはは、気に入ったみたいだね。……あ、スイも食べる?」
『スイもー! ぱりぱりしたーい!』
スイが触手で一枚受け取り、体内に取り込む。
『わあー! あるじー、これ、おもしろいー! ぱちぱちするー!』
ニンニンの手は、すでに二枚目、三枚目へと伸びていた。もはや「毒見」という建前すら消え失せ、彼女は袋に顔を突っ込まんばかりの勢いでポテトチップスを貪り始めた。
「止まらぬ……! 手が勝手に動くのじゃ! ムコーダ、お主、この芋に何か禁断の術式を施したな!? 意志の力では抗えぬ魔法がかけられておる!」
「いや、ただの塩味なんだけど……。それを人は『やめられない、とまらない』って言うんだよ」
(……やっぱり。塩気のあるものなんて、お祭りの時にしか食べられなかったんだろうな。指についた塩まで舐めて……本当に不憫な子だ)
ムコーダの「認識阻害」は、ニンニンの食欲をすべて「過去の飢え」に変換していた。
◇ 黒い聖水(ヨネ・コーラ)の洗礼 ◇
「
ムコーダが、キンキンに冷えた『ヨネ・コーラ』をコップに注いで差し出した。
「……ムコーダよ。お主、ついに正体を現したな」
ニンニンが、冷ややかな目でコップを見つめた。
「これは、魔界の奥底にある『毒沼』の水を汲んできたのであろう。沸騰しておるではないか。これを飲ませて、妾を亡き者にするつもりか」
「いや、違うから。これは『炭酸』っていうガスが含まれてるだけで、冷たいんだよ」
ニンニンは恐る恐る、目を閉じてコップの中身を喉に流し込んだ。
「…………ぐぶっ!? 痛いッ!! 舌が……舌が爆ぜた!! 喉が焼ける!!」
「あ、最初はびっくりするよね」
ニンニンはコップを放り出しそうになりながらも、口の中に残る刺激と、その後にやってくる爽快感に目を見開いた。
「……なんじゃ。この刺激……。痛いのに……もう一口、確認のために、もう一口飲みたくなってしまう……」
彼女は再びコップを掴み、今度は慎重に、しかし力強く飲み干した。
「……ぷはぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その直後、「ゲプッ」という、森の静寂を切り裂くような盛大な音が響き渡った。
「…………あ」
ニンニンは顔を真っ赤にして口を押さえたが、すぐに居直った。
「……こ、これは、余の体内の穢れを、この黒い聖水が浄化して排出したのじゃ! そう、聖なる音じゃ!」
「はいはい、聖なるゲップですね」
休憩を終え、再び馬車が走り出す。ニンニンは大切そうにポテトチップスの袋を抱えていた。
「……ムコーダよ。お主の故郷は、これほどまでに素晴らしい食事が溢れておるのか?」
「まあ、これくらいはどこでも買えるけどね」
ニンニンは、遠い目をしてポテトチップスを眺めた。彼女の脳内では「神界の食事がいかに貧相だったか」という悲しい比較が行われていたが、ムコーダはそれをまた勘違いした。
(……そんな悲しい目で見なくても。これからは毎日おやつをあげるからね、ニンニンちゃん)
ムコーダの優しさが、ニンニンの「ダメ人間(女神)化」をさらに加速させていく。
一方、神界……
「ちょっと! ニンリル! 今のゲップ、聞いたぞ! 何が聖なる音だ! 自分だけポテトチップスなんて……ズルい、ズルすぎだぞ!」
アグニの怒号が、虚しく神界に響き渡っていた。