人類総TS依存症だけど俺は絶対にハマらない。絶対に!   作:なほやん

4 / 6
第四話 夜勤

 

 溶かし屋(とかしや)さんの存在は、国連を混乱させた。

 

 最終防壁(ラストウォール)計画は失敗だったのではないか——そう公言する関係者もいた。人類の最後の砦として選ばれた四人のうち、二人がTSO(地球TS協会)の刺客に堕とされた。ヴォルコフ大佐は今やTSOのワールドで「アレクちゃん」と呼ばれている。デュポン博士は夫と一緒にログインしたきり、三日間戻ってこない。

 

 残った壁は、二枚。

 

 ウォレス元副大統領は、ワシントンの自室から出てこないらしい。「溶かし屋さんは身近な人間がなる」——その情報だけで、あの強硬派が自分の部屋に閉じこもった。誰にも会わず、誰とも話さず、壁の向こうで一人、戦略を練っているのだろう。

 

 俺は——ただ、自堕落に過ごしていた。

 

 

  ・・・

 

 

 最終防壁の全権は、想像以上だった。

 

 タワマンの最上階。高級食材。専用の護衛。無制限の予算。

 

 護衛の山田さん——本名は知らない、俺が勝手にそう呼んでいる——が、毎朝ドアの前に立っている。元自衛官らしい。厳しい顔をしている。が、目の下に隈がある。

 

「山田さん、ちゃんと寝てます?」

「……佐久間さんこそ、今日も出勤ですか」

 

 山田さんの目が、かすかに曇った。気持ちは分かる。

 

 でも、なぜかバイトをやめる気にはならなかった。

 

 

  ・・・

 

 

 コンビニの夜勤は、午後十時から翌朝六時まで。

 

 レジに立つ。「いらっしゃいませ」と言う。バーコードを読む。「袋いりますか」と聞く。「ありがとうございましたー」と言う。

 

 それだけのことが、今の俺には必要だった。

 

 最近、VRヘッドセットをつけたまま来店する客が増えた。今や半数以上がそうだ。ヘッドセットの向こうで美少女をやりながら、現実の手でおにぎりを掴み、現実の足でレジまで歩いてくる。会計はスマホの自動決済。言葉を交わす必要もない。

 

 自動ドアが開いた。

 二人連れ。ヘッドセット着用。

 手を繋いでいた。

 プリンを二つ、カゴに入れた。おそろいの。同じ味の。

 

「いらっしゃいませ」

 

 次の客も、その次の客も、ヘッドセットの向こうで誰かと笑い合っている。俺には聞こえない笑い声。俺には見えない世界。

 

 深夜二時。客足が途絶える。

 

 暇だった。

 

 スマホを開いた。匿名掲示板。最終防壁のスレッドは毎日伸びている。

 

『ヴォルコフ大佐のTS姿、想像以上にかわいかった件』

『デュポン博士、旦那と一緒に堕ちたのエモすぎない?』

『残り二人いつ堕ちるの? 副大統領と……誰だっけ、コンビニの人?』

『あーあのモブ枠ね。TS星人に指名されたやつ。何もしてないらしい』

『税金の無駄すぎて泣ける』

 

 ……うん、知ってる。

 

 俺は、名前を伏せたままスレッドに書き込んだ。

 

『大富豪だけどコンビニの夜勤やってる』

 

 三秒で返事がついた。

 

『嘘乙w』

『設定盛りすぎじゃない?w』

『いいじゃんVRなんだから好きな設定で生きなよ〜』

『わたしなんか大統領やってるよ!』

『私は猫耳メイドで時給八百万ドルだけど?』

 

 全部本当なのに。

 誰にも信じてもらえない本当と、誰にでも信じてもらえる嘘。世界はもう、そっち側にできている。

 

 スレッドをスクロールしていると、一つだけ毛色の違うレスが目に入った。

 

『でもお前、楽しそうじゃないな』

 

 返せなかった。

 

 スレッドを閉じた。指がトレンドに触れた。

 

『お砂糖の子と初めて手を繋いだ。指が震えた。向こうも震えてた』

『わかる 最初の接触まじで電気走る』

『手繋ぎで泣くとか中学生かよ……わたしもそうだったけど……』

『お前ら手繋ぎで何スレ消費するつもりだ』

 

 別のスレッド。

 

『もう現実の顔わからん。鏡見ても「これ誰?」ってなる』

『VRの方が呼吸楽なのマジで何? 現実の体窮屈すぎん?』

『怖いけど嬉しい。どっちだろ。——両方だ』

『両方ニキかっこいい』

『人類やめた感想が「怖いけど嬉しい」なのもう文学だろ』

 

 楽しそうだった。幸せそうだった。

 指が止まらない。一つ読むたびに、胸の奥で何かが疼いた。

 

 ——羨ましいのだと、気づくのに時間がかかった。

 

 スマホを伏せた。

 

 ——震えた。

 

 通知。見覚えのないアプリ。インストールした記憶がない。

 ピンクのアイコン。猫耳のシルエット。

 

『はじめまして♪ ナビ子です!』

 

 画面いっぱいにキャラクターが表示されていた。ピンク髪。デフォルメされた大きな目。やたらと可愛い。

 

 広告か。閉じようとした。

 

『待って待って! 閉じないでっ!』

 

 指が、止まった。

 

『佐久間さんだけの特別キャンペーンのお知らせだよ♪ TS体、初回体験が今なら完全無料! しかもカスタマイズオプション全開放! 佐久間さんの好みに合わせて、世界でたった一人のアバターを——』

 

 名前を知っている。ターゲティング広告か。

 

『ねえねえ、興味ない? みーんなハマってるよ? 四十二億人が遊んでるんだよ?』

 

 四十二億。正確だな。

 

『あのね、佐久間さん。ナビ子、一つだけ聞いていい?』

 

「……」

 

『さっき掲示板見てたでしょ? お砂糖スレ』

 

 背中が冷たくなった。

 

「……見てたのか」

 

『見てないよ! 佐久間さんのことが気になってるだけ♪ ——あ、今日もコンビニお疲れさま♪』

 

 コンビニ。どこにも書いていない。掲示板にも、国連のデータベースにも。——こいつ、なぜ知っている?

 

「……お前、何者だ」

 

『ナビ子はナビ子だよ♪』

 

「…………」

 

『TS体ってね、一人でも楽しいんだよ? お砂糖相手がいなくても。自分の体が好きになるだけで、世界が変わるの。鏡を見て「これが私だ」って思える。それだけで——泣けるくらい、気持ちいいんだよ?』

 

 閉じろ。今すぐ閉じろ。

 

『佐久間さんは、自分のこと好き?』

 

 閉じた。

 

 一秒後、通知が来た。同じアイコン。

 

『ナビ子はいつでもどこでも会えるから♪ また来るね♪』

 

 今度こそスマホを伏せた。

 

 

  ・・・

 

 

 深夜三時。

 

 コンビニの自動ドアの外に、星が見えた。

 

 東京で星が見えるのは珍しい。だがインフラを支える人間の半分がログイン中だ。文明が傾いた分だけ、空が綺麗になっていく。

 

 子どもの頃から、星が好きだった。

 

 図書館で借りた宇宙の図鑑。表紙がボロボロになるまで読んだ。土星の環。木星の大赤斑。アンドロメダ銀河までの距離、二百五十万光年。数字の意味は分からなかったけど、その大きさに胸が震えた。

 

 宇宙飛行士になりたかった。

 

 無理だと分かったのは中学の時だ。視力が足りなかった。それでも宇宙を諦めきれなくて、大学は物理学科を選んだ。宇宙物理学。

 

 そこで——戸塚教授に会った。

 

 白髪交じりの痩せた男。口数は少ないが、宇宙の話になると止まらなくなる。研究室に入り浸って、二人でコーヒーを飲みながら赤方偏移の計算をした。教授が式を書き、俺がそれを追う。追いつけないことの方が多かった。でも楽しかった。

 

 教授。

 

 あの人は、最後に何を言っていた?

 

 ——宇宙は、ピンクの森林だ。

 

 何が何だか分からない。

 

 ピンクの森林。

 

 この星空のどこかに、TS星人がいる。俺たちに信号を送り続けている。

 

 その信号の中に、教授は何を見たのか。

 

 ——そもそも、なぜ俺が最終防壁に選ばれた?

 

 ヴォルコフは世界最強の軍人。デュポンは脳科学の権威。ウォレスは核のボタンに最も近い政治家。

 俺は、宇宙物理学科の院を中退したコンビニのバイトだ。

 

 モブ枠。掲示板はそう呼んでいる。俺もそう思う。

 

 だが、TS星人が無意味な指名をするだろうか。四十二億人を堕とした知性が、一枠をモブに使うか?

 教授の弟子だから。それしか思いつかない。教授が何かを見つけて、俺がその続きを知っている可能性に、あいつらが賭けた。

 

 

  ・・・

 

 

 タワーマンションに戻り、シャワーを浴びた。護衛の山田さんが淹れてくれたコーヒーに口をつけ——ふと、教授のコーヒーを思い出した。研究室で飲む薄いインスタントコーヒー。あっちの方がうまかった。

 

 国連の連絡端末を手に取った。

 

 最終防壁専用の回線。他の三人は、これを使って軍隊を動かし、研究施設を建て、国際条約を書いた。

 

「最終防壁・佐久間健吾です。一つ、お願いがあります」

「なんなりと、佐久間さん」

 

 担当官の声は丁寧だった。丁寧すぎた。期待していないのだ。

 

「衛星を。できる限り」

 

 沈黙。

 

「……衛星、ですか」

「はい。宇宙が好きなので」

 

 通話の向こうで、誰かが額を押さえる音がした気がした。

 

「……用途を、もう少し具体的にお聞きしても——」

「最終防壁の真の戦略は、本人の頭の中にだけ存在する。——そうでしたよね?」

「……承知しました。手配いたします」

 

 通話が切れた。

 

 端末を置いた後、国連本部の会議室で何が起きているか、想像がついた。「やはりあの四人目は使えない」——。

 

 構わなかった。

 

 窓の外。朝の東京。ビルの隙間に空が覗いている。

 

 教授が見たものが、あの空の向こうにある。

 

 テーブルの隅で、アタッシュケースの留め金が俺の顔を写している。

 

 溶かし屋さんは、身近な人間がなる。

 ヴォルコフは氷雨に。デュポンは夫のコゼットに。ウォレスにも、いずれ誰かが来るだろう。

 

 俺には、誰もいない。

 だから安全だと思っていた。

 

 違う、俺の溶かし屋さんは、俺自身だ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。