帰宅したとき、部屋の様子が少し違った。
玄関に足を踏み入れた瞬間、何かがいつもと違うとわかった。匂いでも音でもない。ただ、微かに、空気の厚みが変わった気がした。
「おかえりなさいませ、シノミヤ様」
セラがいつも通り出迎える。いつも通りの顔で、いつも通りの立ち方で。
「あ。花、買ってきたんだ」
大和は靴を脱ぎながら、部屋の奥を見た。何が増えているのか、すぐにわかった。
テーブルの端に、小さな花瓶が置いてあった。
淡い紫の小さな花が数本、短く切って挿してあった。名前はわからない。
「職務ですので」
「そっか」
大和はコートを脱ぎながら、もう一度花を見た。
このボロアパートにはお世辞にも似合うとは言えなかったが。しかし――悪い気はなかった。
*
その日の夕食は、鶏と根菜の煮物だった。
地味な見た目ではある。しかし食べると、じんわりと出汁が体の芯に染みる。
大和は箸を止めずに食べ続けた。セラは何も言わなかった。
「うん、美味い」
「それはようございました」
褒めても喜びを表に出さない。いつも通りだ。
大和は箸を止めずに煮物を口に運びながら、花瓶の小さな花に目をやった。夕食の灯りの下で、淡い紫がひっそりと色を持っている。
「セラさん」
「はい」
「花屋、どうだった? 昨日は音に気を取られたって言ってたけど」
セラは箸を置いてから答えた。
「今日は、大丈夫でした」
「慣れた?」
「……少し」
端的な回答。大和はそれ以上聞かなかった。
その言葉で十分だった。
*
食後、セラが洗い物をしている間に大和はソファに座ってスマホを取り出した。
花瓶に活けられた花を見ながら、検索バーに「紫 小さい花 花束」と打ち込む。
画像がいくつか出てきた。似たような花が画面いっぱいに並んでいる。
スクロールしながら見ていくと、ほどなくして目の前にある花と一致するものが見つかった。
「――スターチス、か」
画像をタップし、サイトに飛び。読み進める。
地中海原産。乾燥に強く、ドライフラワーにも向く。花屋でも安価で手に入りやすい花だという。
画面をスクロールしていく中、ふと、花言葉の項目が目に入った。
――『永遠に変わらない。途絶えぬ記憶』。
大和はしばらく画面を見ていた。
台所では、規則正しく水の音がしている。
*
「セラさん」
洗い物が終わりかけた頃、大和は声をかけた。セラが振り返る。
「その花、スターチスって言うんだって」
「……スターチス」
「ああ。乾かしてもそのまま形が残るらしい。ドライフラワーって言うんだけど」
「……そうですか」
セラは花瓶の方を、少し見た。それから視線を戻して、また洗い物を続けた。
「知っていて選んだの?」
少し間があった。
「いいえ」
「そっか」
「ただ、小ぶりで、うるさくない花がいいと思いました。この部屋には」
大和は花瓶を見た。確かにうるさくないし主張しない。しかし確かにそこに在った。
「良い選択だと思うよ」
セラは何も言わなかった。代わりに、最後の食器を丁寧に拭いて棚に戻した。
*
セラが自室に引き取った後、大和は一人でスターチスを見ていた。
「永遠に変わらない。途絶えぬ記憶……ねぇ……」
セラが知らずに選んだ花言葉だ。職務として選んだ、うるさくない花。
大和は、それがおかしいとも、出来すぎているとも思わなかった。ただ静かに、その言葉を自分の中に置いた。
「だからこそ、形が残る花……か」
乾いても、色が褪せても、形だけは残る。
外の風が、花瓶の花を微かに揺らした。
大和は目を閉じた。
今夜も、眠れる気がした。