東方亡霊侍   作:泥の魅夜行

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本編
亡霊さん、目覚める


 私は誰で何者なのか。

 自分は今、何処で何をしているのか。

 そもそも私とは誰だ?

 そう考えるのは何度目だろう。

 動けない体、ただこうして考える事しか出来ない意識。かつて、自分が人であった事は意識が生まれた時から理解できた。

 理解できただけで、そのかつての記憶などと言う物は無く、自分がどこの誰であったかなど覚えてもいない。自分が何なのかもわからない。

 生前の知識はあった。だが、それも過去の物。今の自分にこうして考えていること以外の物を覚えているかは怪しいくらいだ。

 ただ、私は何もない。闇しかないこの場所で動けぬ意識を消さぬようにこうして思考を続けていた。

 ここは地獄なのか。何もない闇なのかで独り存在して思考し続けるのが私への罰なのか。

 ならば、私、否、かつての私はどのような大罪を犯したのだろう。

 八大地獄のように燃やされる、刺される、食われると言ったものとこの私の境遇はどちらがマシなのか。

 そんな私だが、恐怖に怯えないと言う事も無い。

 かつてここに何もなくあまりにも暇なので発狂なり、泣き叫んでみたりもしたことがあった。その結果私は自分の中の恐怖に気付いた。思い出した、とこの場合は言うべきなのだろうか?

 火だ。

 私は思いつく恐怖で自分を怖がらせてみようと思い最初に思い出したこの火と言う存在に恐怖した。

 肉体があるのなら私は全身を震わせていた。あの時は何故、そんなバカげたことをしたのか、本気で自分に後悔したくらいだ。今も私はその火が怖い。

 熱く、触れば焼けてしまうあの火を私は心の底より恐怖している。

 焼け死んだのか、それとも何か大切なのモノを火によって無くしてしまったのか。

 今では確かめる術も、思い出す事も出来ない。しかし、思い出していいのか? とも思う。

 記憶すらない自分でさえ、こうして火と言うだけで恐怖に震えてしまっているのに、それを思い出して何になる? 

 いや、それすらもどうでもいいことなのかも知れない。

 そもそも、自分がこうして存在している事すら解らないのだ。この闇の中、その恐怖を思い出して独り震えるだけに何の意味がある。

 消えたいと思っても消えることが出来ず、時間さえも感じることが出来ないこの深淵のそこで私はこうしてただ思考を続けているだけ。

 誰か教えてくれ。私は一体誰なのだ。

 

 

 

 

 

 

 日本のどこかの山のもう誰も寄り付かない、覚えている者などもういない奥の奥。

 時が経ち木々や苔、森に生きる者達が暮らす場所にそれはあった。

 草と花が周囲に芽吹き、周囲の地面より少しだけ多く土が積もった場所。

 子供が作った程度のほんの小さな土の山の上にその苔が生えた石が垂直に立って埋まっていた。

 小さな、名前すら刻まれていない墓だ。だが、この石はこの数日続いた嵐によってついに墓標としての寿命を終えようとしていた。

 石が立てられて何百年、風雨に耐え続けて来た石の墓標はとうとう倒れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 何だ?

 私は私が生まれて始めての感覚に戸惑った。

 引っ張られる。私という存在が上へ上へと引っ張られる。

 なんだこれは? 私は何処へ行くのだ?

 ここが地獄なら刑期が終わったのだろうか?

 そんな考えに苦笑しつつ、私はその上昇へ身を任せた。

 初めてだ。この先にあるのが消滅でも別の地獄への道でもいい。

 こことは違う場所へ行けるのなら、何だっていい。

 だが、未練と言うのだろうか?

 私が生まれてから持って、今まで消えることが無かった一つの想いがある。

 火への恐怖と共に、私がこうして自分を保っていた理由の一つ。

 守らなくては、――――を護らなくては。

 この想い。誰を護ればいいのかを思い出したかった。

 

「……これは」

 

 私の耳に届く疑問の声は恐らく私の声だ。

 自分の声を聴くのは初めてだが、声の低さからして男だろう。

 次に私が感じたのは体を撫でる冷たい風の感触だ。

 それを皮切りに五体に様々な世界の情報が刻み込まれている。

 空気の匂い、地面の感触、自分が居た闇とは違う、星が輝く夜の闇。

 綺麗だ。何もかもが綺麗だ。

 

「知識ではない、本物の世界。……綺麗だ」

 

 かつての私もこの世界を見ていたのだろうか。

 私は一歩足を踏み出した。

 体は私の意思に従って一歩踏み出した。

 

「おお……」

 

 思い通りに動く体に感動した。そうか、これが自由と言うのか。

 自分の意思で決めて自分で動く、なるほど自由だ。

 他にも手や首と体を一通り動かしてみる。全てが自分の意思通りに動いてくれた。

 

「素晴らしい……」

 

 とは、言いつつも感動してるだけでは意味がない。自分は何故、世界に居るのか。此処は何処なのか疑問は尽きないが、ともかく歩いてみよう。

 周囲を歩いていると、私はある感覚を持った。

 それは、蝶が花に吸い寄せられるように私はそれに吸い寄せられるように歩き始めた。

 真っ直ぐに、木々を掻き別け、一直線にそこへ向かって進む。

 空に浮かぶ星々が消え始め、東の空より朝を告げる陽が昇り始めた明朝の時、私は漸くその場所へ行き付くことが出来た。

 そこは森だ。

 何の変哲もない、今まで歩いた場所と同じ森だった。

 だが、此処で良い。私の目的地は此処で良いのだと根拠無いのに確信してしまった。

 

「これは……」

 

 私は手を虚空へ伸ばす。

 手を伸ばすとそこに何かがあった。

 壁と言えばいいのだろうか。その壁が此方と向こうの境界のようになっている。

 私は意を決してその壁に触れてみた。

 壁は私の手を拒む事無く、私の手を内側に取り込んだ。

 この壁は私を拒絶するどころか、私を受け入れようとしている。

 

「さて……」

 

 このまま、一息に突っ込んでみるか、それとも無視するか。

 先程まで吸い寄せられて此処まで来たが、ここにきて私の心中に微かな躊躇いが生まれてしまった。

 この先に何があるかは解らない。だが、私は自分が誰で何者なのか知りたいのだ。とは言え、この壁をくぐった先に答えがある保証は無い。同時に、この周囲に自分の答えがあるとも言えない。

 

「どうしたものか……」

 

「あらあら、入らないのですか?」

 

 私以外の声がした。

 声色は女性のモノ。そしてその声は私の勘違いでないのなら、私に声を掛けた。

 私は声のした右へ顔を向けた。

 

「少し早いけど、おはようございます」

 

「おはようございます」

 

 自然と挨拶を交わしたその女性は変わっていた。

 私の知識では金色と言えば良いのか、髪の毛は金色だった。僅かに森に差し込む光によってその髪の毛は美しく輝いていた。

微笑みを作る整った顔立ちは髪と合わさり世の男性を軽く魅了できるだろう。

 だが、体が上半身しかなく、下半身はよくわからない不気味な何かの中にあり見えない。美しさと不気味さが滞在している女性だ。と言うか、人間では無いな。

 それを見て驚かない自分にも驚いていた。何故だろうか? やはり独り闇の中に居たせいだろうか?

 

「驚かないのですね。こんな風に声を掛ければ悲鳴の一つでも上げるのですのに」

 

「すまない。驚くことが出来ず」

 

「いえ、別に謝る事では無いのだけれど」

 

 何故か、女性は戸惑っている。何故戸惑っているのかはわからないが。

 

「それは兎も角、入らないのですの? 亡霊の殿方さん?」

 

「亡霊? 私は亡霊なのか?」

 

 その女性は私の正体をあっさりと答えて見せた。そうか、私は亡霊なのか。

 ならば、かつての私とは生前の私の事であったと言う事か。

 ならば、あの闇は土の中だったのか。

 自分の事がいくつか分かり私の心が幾分か和らいだ。

 

「ありがとう。えっと……美しい姫」

 

 女性の美称だったと記憶していたので、使ってみると女性は顔を綻ばせた。

 

「あら、あらあらあらあら。お上手ですこと。ですが、私の名前は八雲紫ですわ」

 

「そうか、八雲姫」

 

「…………」

 

 顔を俯かせてしまった。はて、何が悪かったのだろうか?

 

「わざとですの?」

 

「姫は女性の美称ではないのか? 貴女に使うのは適切と思ったのだが」

 

「……一分程お持ちください」 

 

 そう言って八雲姫はずぶずぶと不気味な何かに入って行った。

 しばらくすると再び八雲姫が出て来た。

 

「ごほん、では、改めて亡霊の殿方は此方へ来ないのですか?」

 

 先程より顔が赤くなっていたが真剣な表情の問いだ。それに彼女の言葉が気になった。

 

「此方……つまり、八雲姫はこの先に住んでいるのか?」

 

 何故か、激しく頭を振り出した。行き成りの事に私は驚くばかりだ。

 

「え、ええ。この……先の世界の管理者のような……事、をしていますわ」

 

「この先に世界があるのか」

 

「どうやら、亡霊さんは記憶が無いようですね。私が色々と教えて差し上げましょうか?」

 

 願っても無い事だ。つい先ほどまで闇なかで思考するしかなかった私は無知と言ってもいい。

 有難く、教えを乞うとしよう。

 

「有難う、八雲姫。君に会えて本当に私は幸運だ」

 

 何故か、今度は虚空に向かって拳を撃ち始めた。

 

「どうしたのだ?」

 

「お気になさらず!! 自分の中の何かが!! どうしようもなく!! 疼いているだけ!! ですわ!!」

 

「そうか」

 

暫くすると八雲姫が落ち着きを取り戻したので、改めて私は欠けている知識や、この壁の先にある世界を教えて貰う事になった。

 

「つまり、この先には幻想郷と言う異世界がある。そして、此処は私が生前生きていたであろう私の知識として知っている世界と言うことか」

 

「ええ、その通りのはず」

 

「もし、私がこの世界へ行かない場合はどうなるだろう?」

 

「外の世界は私達のような存在は生きるのが難しい世界です。無論、生きることも出来ますが、生き辛いでしょうね。人と妖怪が生きた昔ならば問題は無いでしょうが、今は下級は直ぐに消えてしまいます」

 

「分かった。私は君の世界に入る事にしよう」

 

 私は自分が解らない。八雲姫が言うには、亡霊は未練か自身の死体が供養しなければ消えないと言う。

 ならば、こうして亡霊として動けるようになったのか、そして自分は誰を護りたかったのか、それを思い出すまでは閻魔様には悪いが成仏をする訳にはいかない。

 まずは、幻想郷で探してみるとしよう。見つからないなら、外の世界へ行って探してみるとしよう。それでも無理だったら、消えるか、閻魔様に裁かれるとしよう。

 

「では、一思いにその結界を潜ってくださいな。向こうで再び会えるのを楽しみしています。ですが――――」

 

 八雲姫の表情が変わる。

 この表情は一言恐ろしいと思えた。

 

「幻想郷は全てを受け入れますわ。無論、貴方も。しかし、それはとても残酷な事ですわ。そして、私は幻想郷に仇名す者を許す気は無い」

 

「……分かった。よく覚えておこう。心配してくれて感謝する」

 

「……警告なのよ、これは」

 

「すまない。どうも、相手の機微に疎いようだ」

 

「本当にその通りよ。貴方は」

 

八雲姫に頭を下げ、私は今度こそ壁、ではなく結界を通っていた。




「姫……姫……えへへ」


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