英雄の軌跡   作:時雨ユキ

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夢の結晶

『青い空を守りきったファンの切なる願いは、クラシックという銀河に巨星の煌めきを求めます。クラシックレースの祭典、究極の18人による72回目のダービーデイです』

 

 響めきが渦巻く場内。各ウマ娘達がゲート前に立ち、ゲート入を待っている。

 

 場内の盛り上がりが最高潮になる。それに合わせるようにスターターが赤い旗を振った。

 

 鳴り響く手拍子。それに合わせて奏でられる管楽器が、勇壮と鳴り響いて観客の熱を煽る。

 

 関東G1のファンファーレが鳴り響き終え、各ウマ娘達がゲートへと向かう。

 

「さて、君に続く72人目を共に見守ろうじゃないか」

 

 スタンド席から見下ろす一人のウマ娘。シンボリルドルフ。そしてその隣に居るのは71回ダービーウマ娘のアレクサンドロス。

 

「君の展開予想を聞かせてくれないか?」

 

「プリンシパルステークスで逃げた8番が先行するのではないかと。今回はハイペースというのは考え辛いでしょう。面子的にも脚を溜めるタイプが多い。勝負は最終直線、皐月賞と同様の勝負をするなら内枠を引いたディープインパクトはどこかで外に持ち出す必要があるかと」

 

「流石はレコードホルダー。君の分析力には私も精励恪勤せねばと思わされるよ」

 

「痛み入ります。ですが……」

 

「ああ」

 

 短い返事だけを返してルドルフの目は鋭く一人の少女に向けられる。

 

『人で埋め尽くされた場内で、威風堂々の姿を見せるこの年の主役ディープインパクト。しかし二番人気も勝ちを諦めてはいません、7番アウトレガシー。さあ最後に18番がゲートに入ります』

 

 場内が押し黙る。皆が緊張し、見据える。そして……

 

『スタートしました!』

 

 皆が一斉に飛び出す。

 

 しかしディープインパクトはいつも通り最後尾を追走する形に持って行こうとする。が

 

(させないわよ!)

 

(弱点は分かってるんだ!)

 

(好き勝手させるか!)

 

(簡単には勝たせない!)

 

 スタートが遅れるのは既に読まれていた。スタートして早々、行足を付けないディープインパクトを四人のウマ娘がマークし囲む。

 

 各々で勝利を目指す為の作戦が、奇しくも四人とも同じものとなり、まるで示し合わせたかのような連携になる。

 

 そしてディープインパクトの自由を効かせないまま、第二コーナーを抜けて向正面へと入る。

 

(?)

 

 だが四人の内一人が気が付く。追い詰められ、自分のペースで走れない筈のディープインパクトが口元に笑みを浮かべているのに。

 

(何をそんな余裕で……)

 

 とそこでそのウマ娘も気が付く。もうじき1000メートルだと言うのに、足の負担が少ない事に。

 

 その時だった。

 

 追いやられるように最内を走っていたディープインパクトが加速する。

 

「しまった!」

 

 そこで遅れて気が付く。レースのペースが想像よりもずっと遅い。その上ディープインパクトは内ラチギリギリを走って最短路を走っていたのだ。他のウマ娘よりもずっとロスは少ない。

 

 そして更に、そのスローペースを作っているのは先団グループなのだから、1000メートルの仕掛けで早めに進出を開始する。

 

 それを見てから追う後方は、必然的に反応が遅れて中団辺りには隙間が生まれるのだ。

 

 そのまま加速したディープインパクトは3コーナー入口を回る遠心力を利用し、広がった隙間から外に抜け出しながらコーナーを曲がって行く。

 

「クソォォォ!」

 

 ペースを上げるが全く追い付けない。

 

 そして4コーナーを曲がる頃にはディープインパクトを遮るものは何も無い。

 

 加速してより強くなった遠心力をそのままに、トップスピードを維持して更に膨らみながらディープインパクトが最終直線に入る。そこは大外、進路上に邪魔する物は何1つ無い。

 

「ハァァァァァ!!」

 

 ディープインパクトがスパートをかける。通常のウマ娘ならロスで絶対走る事の無いコースのど真ん中を、ただ彼女一人だけが駆けた。

 

『ディープディープ! 上がって来ているのはディープインパクト! 体勢全く変わらない! このスピード!そしてこの強さぁぁぁ!!』

 

 熱くなる実況とそれを掻き消さんばかりに湧き上がる歓声。その中を彼女は悠然と走り切り、そして独壇場とも言わんばかりの姿でゴールラインを切った。

 

 ディープインパクトはペースを落として行く。そんな中掲示板にタイムが表示され、場内が再び歓声を上げた。

 

『なんとタイムは去年のアレクサンドロスのレコードとタイ、2分23秒3です! やはりもの凄い衝撃をまたも見せてくれました!』

 

 ディープインパクトは足を止める。そして正面スタンド、ある一点を見つめて腕を掲げる。

 

 再度観客が沸き立つ。彼女は二本の指をルドルフ達に突き付けていた。

 

「本人に伝えていなかったが、気付かれていたようだな」

 

「はい。ですが、あのパフォーマンスはやはり様になりますね」

 

「お手柔らかに頼むよ。改めて言われると少し気恥しい。君こそ、彼女の記録に並んでいるのだから誇ったら良い」

 

「そうですね。……願わくば彼女と肩を並べて走りたかった」

 

 アレクサンドロスの最後の言葉に、シンボリルドルフはあえて何も語る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

――――後日

 

「改めてダービー勝利おめでとう」

 

 トレーナールームで椅子にかけるプイに告げる。G1ですら彼女にとっては大した苦ではなかったらしく、いつも通りミーティングを行うも早く走らせてくれと目で訴えて来る。

 

「相変わらず疲労は無いみたいだな。足の調子は?」

 

「問題無いわ。ずっと外を走らされた皐月賞より、今回の方が楽だったわね。蹄鉄の調子も良かったし」

 

「その話なんだがな……」

 

 プイは皐月賞の後、実はスパートをかけた時に蹄鉄が外れて靴が破損していた。初めて見せた彼女の全開に、ランニングシューズの方が耐えられなくなったのだ。それでも難なく勝ってしまうのだから彼女の実力が改めて証明される。

 

 その為、ダービーでは彼女の為にと特注の靴と蹄鉄を用意した。結果今回は彼女の蹄鉄は外れず靴の破損もなかった。そこまでは良かったのだが……

 

「地下道の壁を蹴ってたんだって?」

 

 会見の時、記者からそんな話を耳に挟んだ。

 

「何でそんな事を?」

 

「新しい蹄鉄が不安だったから確めたのよ」

 

 と本人は言っているが、実はかなり前から壁を蹴っていたらしい。

 

「だからって何で壁を蹴ったんだ?」

 

「硬そうだったから」

 

 その発言に思わず頭を抱えてしまう。

 

「何よ?」

 

「何って? 他にも聞きたい事がある。君パドックで跳ねて周ってたんだって?」

 

 これもその時初めて聞いた話だが、プイはパドック中に2メートル程の跳躍を繰り返していたらしい。別にパドックのなのだからそれぞれのパフォーマンスがある程度はあっても良い。あっても良いのだが……

 

「何が問題なのよ。早く走らせてくれないから発散してるのよ」

 

「プイ……前も言ったけど君は堪え性が無さ過ぎる。最初よりは良いってだけで、君のそれは他と比べたら常に浮いてる」

 

「別に良いでしょ? 準備運動くらい」

 

「良くないから言ってるんだ。走りたい気持ちはウマ娘として大切なものだが、それを抑えられてこそ一流なんだ。特に次のG1菊花賞はこれまでの距離とは比較にならない。そろそろ気持ちの抑え方を学んでくれ、覚えが良い方なんだから」

 

 それを耳にしてプイはムッと膨れる。童顔の顔立ちが更に幼くなるが、残念ながら可愛らしさなど微塵も感じる事は出来なかった。

 

「ケチトレーナー。せっかく走るのが楽しくなって来たのに」

 

「ケチか。ケチなりに北海道への遠征も考えてたんだがな」

 

「え?」

 

「君は体質もあって他のウマ娘と一緒に夏合宿に出れないだろう? だから7月から8月の夏の間、北海道でトレーニングを行うのはどうかと思ってたんだが」

 

「ホントに!?」

 

 と、尻尾を振りながら目を輝かせてプイは食い付いてくる。

 

「旅行じゃなくてあくまで合宿だからな?」

 

「北海道の何処に行くの!?」

 

 と、プイは聞く様子が無い。こうなると彼女は手強いのでもう話を合わせるしか無くなる。本当はもう1つ伝えたい事があったのだが……。

 

「札幌だ。ところで――」

 

「札幌! 良いわね! 何を食べに行くの!?」

 

 この様子では伝えるのはもう無理そうであった。

 

 

 

 

 

 

――――1週間後

 

 車に揺らされる事数時間。出発からプイは不貞腐れた顔で外を眺めていた。

 

「なあプイ、そろそろ着くんだが」

 

「…………」

 

「これから君の先輩ウマ娘に会うんだからそんな態度で接しないでくれよ?」

 

「北海道って随分近くにあったのね」

 

 トゲトゲしくプイは言い放つ。ちなみに今居るのは埼玉であり、北海道ではない。

 

「北海道には行くって言っただろ? その前にもう一箇所行きたい場所があったんだ。なのに君が全く聞く耳を持たないからこうなったんだ」

 

「はいはい私が悪うございました」

 

 と、不機嫌な彼女はいつも以上の悪態をついてくる。到底無敗で2冠を成した偉大なウマ娘とは思えない態度に最早言葉すら出なくなってしまう。

 

 そんなやり取りから程なくして目的の場所へと辿り着いた。

 

 

――――

 

 場所は移って浦和。地方のウマ娘達が集まるレース場である。

 

「あ、お久しぶりですトレーナーさん!」

 

 と、快く出迎えて来たのは桃色の耳カバーが特徴なウマ娘、ダンツフレームだった。

 

 彼女も過去トレセン学園に在籍していたウマ娘であり、担当した事は無いが何度か面識のあるウマ娘だった。彼女もまたG1宝塚記念を勝ったウマ娘である。

 

「久しぶりダンツフレーム。待たせたかな?」

 

「いえそんな事は無いです! ところでそちらは……」

 

「どうも」

 

 まだ機嫌が悪いのかプイは素っ気なく返す。

 

「こらプイ! ごめんこんな態度で。彼女はディープインパクト。様子から察するに名前は聞いた事があるみたいだね」

 

「聞いた事があるもなにも、有名人じゃないですか! 新たな時代を切り開くウマ娘、あのシンボリルドルフ会長を越える逸材だってテレビでも言っていましたから!」

 

 それを告げられて頬を赤らめるプイ。

 

「彼女はまだまだこれからだよ。大仕事が残ってるしね」

 

 すかさず告げるとプイは「フン!」と鼻を鳴らす。

 

「握手させてください!」

 

「あ」と声を上げたディープインパクトの手をダンツフレームは取る。

 

「こうして会えて嬉しいです。ディープインパクトさん。改めましてダンツフレームです」

 

 恭しい態度のままダンツフレームが頭を下げる。

 

「こちらこそどうも」

 

 と、プイも頭を下げて応える。

 

「プイ、実は君を彼女に合わせたのには理由がある。彼女、ダンツフレームは宝塚記念を優勝したグランプリウマ娘なんだ」

 

「え!?」

 

 と、目を丸くするディープインパクト。

 

「何かあるんだろうとは思っていたけどあなた宝塚記念を勝ったの!?」

 

「えへへ……」

 

 と照れて見せるダンツフレーム。しかしその笑顔はすぐに暗くなってしまった。

 

「けれど、私その後怪我で引退しちゃって……。せっかくファンの方々にあんなに喜んで貰えたのに。私はタキオンちゃんやポッケちゃんみたいにはなれなかった」

 

「でも凄いじゃない! あなたなファンの投票で選ばれて、そこで勝ったのでしょう!? 私からしたらそっちの方が無敗の三冠ウマ娘よりずっと凄い!」

 

「そそ、そんな言い過ぎだよ!」

 

 両手を突き出してブンブンを頭を振り回すダンツフレームに、興奮気味に声を上げるプイ。

 

 だがそれでも「けど……」と彼女の笑顔は翳りを見せる。

 

「私その後もファンのみんなに応えようと、トレセン学園を辞めて地方に来て、けれど結果が出なくて……。私引退する事を決めたんです」

 

「…………」

 

 ダンツフレームのその言葉にプイは黙り込んでしまう。

 

「なあダンツフレーム。君は舞台の端や後方であっても、命がけでいまの力で成し得る最良の結果を残しただろう?」

 

「え?」

 

「だから今日はそんな君を労いたいんだ。ディープインパクトと並走をお願い出来るかな?」

 

「!」

 

 驚きを隠せないダンツフレームは両手で口を覆う。

 

「ホント、何でいつも私に確認取らないわけ?」

 

 と、横目で睨んで来る。プイ。

 

「君が言わせてくれなかったんだ。それとも断るか?」

 

 その言葉をプイは「フッ」と鼻で笑って一蹴する。

 

「まさか。グランプリウマ娘相手なら、止めろと言われても走るわ」

 

 そうダンツフレームに目を向けるディープインパクト。

 

「改めてどうかな」

 

「……是非!」

 

 快い返事と共に彼女は強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 夕刻。帰路の車の中、満足気な顔でプイは外を眺めていた。

 

 だが不意にプイが口を開く。

 

「何で分かったの?」

 

「ん?」

 

「ダンツちゃんと並走しても黒い蝶が出ないって、何で分かったの?」

 

「ああ……」

 

 本人の前では言い出し辛かった話を口にする。

 

「君に見える蝶は、恐らくそのウマ娘への期待なんじゃないかと俺は思ったんだ」

 

「期待?」

 

 神妙な面持ちでプイが顔を向けて来る。

 

「そうだ。ウマ娘の力の源は、きっと期待なんだと思う。言うなれば“夢”かな。君は他のウマ娘への夢が見えてしまうんじゃないかと俺は思ってる」

 

「ならあの声は……」

 

「そのウマ娘への応援の声だろうな。そしてそのウマ娘を応援する声が、君の勝利を阻もうとしているんだろう」

 

「待って……じゃあダンツちゃんは」

 

「だから彼女は走れなくなったんだろうな」

 

 それでもプイと並走するダンツフレームはずっと笑顔だった。全盛期の力はとっくに無い。それでも抑えて走るプイに必死に喰らいつこうと、全力だった。

 

 寂しくもあるが、何か重荷が降りたような様子で駆けるダンツフレームは幸せそうにしていた。

 

 推測を裏付ける為に利用したようで気が引けてしまうが、プイの為にもダンツの為にもなるかと今日は遠征して来たのだ。

 

 結果は良いものだったかどうかは分からない。

 

 それでも、プイには初めてのウマ娘の友達が出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 7月、北海道。

 

「わーい!」

 

 地平まで続く草原をプイは駆け回る。白いワンピース姿に麦わら帽子を被ったまま、トレーニング並みの勢いで縦横無尽に駆け回る。

 

「転ぶなよ!」

 

「わー!」

 

 と、言ったそばから彼女は正面から芝生に滑り込んだ。

 

「プイ!……?」

 

「はははは!」

 

 しかし真っ白なワンピースを潰した芝生で緑色にしてしまいながらも、プイは嬉しそうに芝生をゴロゴロ転げ回る。

 

 あまりに無邪気なその姿は、13年ぶりの無敗の二冠馬の風格など微塵も感じさせない。

 

 着くなりこんな調子なので一周回って怒る気にもなれない。

 

「わぁぁぁ!」

 

 声を上げてプイが再び走り出す。

 

 あまりにはしゃぎ過ぎなので再び止めようか迷うも、こうしてトレーニングでもレースでもない、純粋な彼女の走りを見るのは新鮮な気持ちだった。

 

 そして改めてその走りの異質さに気が付く。

 

 歴代のウマ娘の中で、スピードの優れていた者は皆バネが強く体が柔らかいのが特徴的だった。普段のストレッチを見ていてプイの体が柔らかいのは良く知っていた。なんたって足癖が悪く、脚で頭の上の耳を掻く程の柔軟性を持っているのだ。

 

 だが彼女が最も異質なのはその柔軟性やバネではない。彼女はこうして遊んで走っていても、体が上下にブレる事が殆ど無いのだ。

 

 バネを活かして膝だけを使うウマ娘達と違い、彼女はそこに加えて自身の体重と重心をも推進力に変えている。これは正しく天性のものといって差し支えのないものだ。

 

「はぁ……」

 

 草塗れ泥塗れになりながら、プイは大の字になって天を仰ぐ。

 

「満足したか?」

 

 そんなプイの横に腰を降ろして尋ねる。

 

「全然」

 

 笑みを浮かべてプイは答える。そして

 

「私ね、昔膝が悪くて立てなかったの」

 

「初めて会った時に言ってたな」

 

「そう。それでね、私ずっと他の子達が走ってるのを遠くから見てるだけだったの。私も走りたいってずっとずっと思ってて、それでも我慢する事しか出来なくて。初めて走れるようになったのはここ最近の事だった」

 

「それであんなに走れたのか!?」

 

「ずっと見てたから、テレビでやってるレースや他のウマ娘達を。中でもグランプリレースが一番好きだった。凄いウマ娘達の中でも、より選び抜かれた頂上を決めるレース。けどレースよりも私の印象に残ったのは彼女だった」

 

「彼女?」

 

「異次元の逃亡者。あなたの昔の担当でしょう?」

 

 その言葉を聞いて胸が大きく脈を打つ。

 

「知ってたのか……最初から?」

 

「偶然よ。あなたがあの子のトレーナーだとは知らなかった」

 

 体を上げてプイは目を合わせて来る。

 

「こんなうだつの上がらないトレーナーだと思ってなかったけどね」

 

「一言余計だな君は」

 

 ふふふ、と笑いを漏らすプイ。

 

「はぁ」

 

 と思わず今度はこちらが芝生に横たわる。

 

「君は走るのが好きか?」

 

「大好きよ。けど……」

 

 プイの顔が僅かな翳りを見せる。

 

「けどトレセン学園に来てから、楽しさを感じる余裕なんて無かった。他の子と喋ったり、並んで走れないって分かってから、走るのがこんなに楽しいって事を忘れてた」

 

 再び倒れ込むプイ。

 

「日本ダービーで全部が思うようになって、私達の思い描いた通りのレースが出来た時、久しぶりにワクワク出来た。それで走るのって楽しいんだって、また思い出せた。ありがとう」

 

「そうか」

 

「そうかは無いでしょ。ここはもっと感動する所じゃない?」

 

 それを言われて、すぐに答えを返す事が出来なかった。何故なら彼女の言葉に胸が熱くなる事はなかったからだ。

 

 本当はこちらから感謝を伝えるべきだった。あれだけ避けて来たG1を、彼女と無事に走って勝利を手にする事が出来たのだから。もう今は、G1に対する恐怖心は無い。

 

 それでもこちらから感謝の言葉を素直に送れないのは理由があった。

 

「レースは楽しいか?」

 

「…………」

 

 案の定彼女からすぐに答えが返ってくる事はなかった。それもそのはず。彼女の体質はレースをする上であまりに不利過ぎる。

 

「レースなんてやりたくなーい!」

 

 重い空気を誤魔化す為か投げやりに彼女はそう言い放った。

 

「そっか」

 

 彼女の口から、それを聞けて満足だった。

 

「けど、グランプリレースはやっぱり獲りたいの。その為に積み上げた物を、ここで投げ出したくない」

 

「なら七つだ」

 

「え?」

 

「G1を七つ。残り五つ獲ったら引退しよう」

 

 それを告げるとディープインパクトは不適な笑みを浮かべた。

 

「また無理難題を突き付けて来るわね」

 

「無理じゃないさ、君なら出来る。きっと九冠獲るのだって夢じゃない」

 

「期待される身にはなって欲しいわ。……けどあなたが言って来た事は全部的中して来たものね。いいわ、七つだろうと九つだろうと獲って見せるわ」

 

 そう告げるディープインパクトの声に覇気はなかった。普通なら達成不可能な目標だが、彼女にはそれを実現出来る実力があるのを分かっているのだろう。だがそれを自覚していて尚、どこか悲しげに語る彼女の心中を推し量るのは無粋だと思った。

 

 

 

 

 

――――

 

「むー」

 

 難しい顔でスマホ画面に向かうプイ。これがプイの新しいトレーニングだ。

 

 彼女には掲示板サイトの彼女の応援スレを教えた。

 

 今人気絶頂な彼女はファンサイトに沢山の意見が寄せられているのを把握していた。今話題のウマスタなどでも良かったのだが、掲示板サイトというのは批判意見というのも目立つ場所だ。

 

 それを書き込まずにただ眺めるというのが彼女の抑える心を身に付けさせる為の訓練だった。

 

 これなら彼女は自主トレーニングを控えるようになるし、休養する時間にもなる。心の方が休まらないだろうが、そこは成長してもらう事にしよう。

 

「これファンにも何も言っちゃ駄目なの?」

 

「当然だ。君が直接書き込んだら大事になるっていうのもあるけど、ファンの中には推しとは適切な距離を置きたいと思っている人も居るんだ。何より堪えるトレーニングなのに書き込んだら何の訓練にもならないだろ」

 

「鬼畜トレーナー……」

 

 今までにない暴言を言ってくるも、言った事には素直に従うプイはそれでも画面と向き合う。

 

「ふふっ」

 

 と、怒ったり笑ったりを繰り返しているのを見ると、膨大な量の書き込みを一つ一つ読んでいるのが伺える。こういう所は真面目だなと感心しつつも、こちらはグルメレビューに目を通す。

 

 彼女があれだけ期待しているのだから、こちらもそれに答えようと、丁度良い料理を探していた。

 

 そして……

 

 

――――

 

「ジンギスカン! 分かってるじゃない!」

 

 目の前に並べられた料理を前にプイは舌鼓を打つ。

 

「クセがあるから苦手かなと思ったけど、大丈夫なのか?」

 

「クセなんて食べてみないと分からないでしょ! 何事も挑戦よ! 一度食べて見たかったのよこれ!」

 

 喜び勇む彼女は、あらゆる角度から並べられた料理の写真を撮る。

 

 こういう所は今時の女の子だなと思い、また食いっけの強いウマ娘としては珍しい方だと思った。大体の子は有無を言わさずに食べ始める。

 

 と、そこに次いで自分の料理が運ばれて来る。

 

 テーブルに全ての皿が揃うと彼女は声を上げた。

 

「食べて良い!?」

 

 そこでなるほどと思った。彼女はこちらの料理が来るのを待っていたらしい。

 

 それを微笑ましく思いながらも「いいぞ」と答えた。

 

「いただきます!」

 

「いただきます」

 

 と、二人で箸を進める。

 

 まずは添えられたジンギスカンのタレのスープで口を潤す。甘辛いタレを羊の骨と魚介の出汁で割ったスープは、ピリッとした刺激の先で濃厚な旨味が後を引く。そこに羊特有な匂いが後を引いて、舌の上に残ったスパイスと合わさり芳醇な風味を残した。

 

 言うまでも無く美味い。

 

 次いで二口目を口にしようと思ったその時だった。

 

「ご馳走様でした!」

 

 スープを口に入れていたら間違いなく吹き出していた。

 

「は?」

 

 見ると彼女の前の皿は全て空になっていた。

 

 ウマ娘は元来大食いである。それこそ大食いで有名なオグリキャップは食う量もさる事ながらそれを平らげる速度も早い。

 

 だが彼女のスピードはそれを越えている。大食いという話は学園内で聞いた事は無い。

 

 が、考えてみたら彼女が学園で飯を食べている姿を見た事が無いのが学園七不思議になってる、なんて噂をしているトレーナーが居たのを思い出す。

 

 まさかな、と眉唾話だと思っていたが、こんなに食べるのが早いならそれも合点が行く。

 

「きみ、食べるのもそんなに早いのか?」

 

「普通でしょ? 食べるのが早ければそれだけ休憩も練習も増やせるんだから」

 

 それを普通と言ってのけるのだからやはり彼女は天性のものがある。まあこの場合天性というより天然なのだが。

 

「……まだ食べるか?」

 

「いいの!?」

 

「まあせっかくの遠征だし、菊花賞に向けてスタミナも着けたいからな」

 

「そう! なら頂くわ!」

 

 と、彼女は先程と同じものを先程と同じ量頼む。

 

 本来ならバランスを計算しているから、あまり食事量を増やすべきではない。だが、興味があった。どうやってあんなにも早く食べているのか。

 

 と、こちらも食べ進めていると彼女の料理が届く。

 

「いただきます!」

 

 と、彼女が告げた瞬間だった。

 

 まず彼女の箸が肉を掴む。そのまま器用に副菜のサンチュを掴み、口に運ぶ。そして次に持っていた茶碗のご飯を口に掻き込む。最後にスープでそれを流し込んでいた。

 

 この間約0.3秒。そのサイクルを矢継ぎ早に四度繰り返す頃には彼女の皿は空になっていた。

 

「ご馳走様でした!」

 

 ディープインパクトは飯を食べない。そんな学園七不思議の正体がこれであった。

 

「それちゃんと美味しいのか?」

 

「美味しかったわ。久しぶりに満足出来る食事だったわよ」

 

 と、何とも信じられない言葉を彼女は告げる。あれでどう味わっているんだ?

 

「クセがあるって聞いてたけど、私はこのクセ好きだわ。パクチーみたいって言ったら良いのかしら? 好きな人には好きなクセね」

 

 本当に味わって食べているらしい。

 

 何とも常識外れな食事に何も言えなくなってしまう。

 

 食事ですら彼女はインパクトに事欠かない。

 

 

――――

 

 夜、近くの旅館を予約して温泉を満喫した。

 

 先に風呂を済ませてマッサージチェアにかけてプイの帰りを待つ。

 

 日々の疲れが取れて行く。プイの為の遠征でもあるが、こういう時間を作れるのもトレーナー冥利に尽きるな、と思っていた時だった。

 

「オッサンくさ」

 

 辛辣な言葉で現実に返される。

 

「君は温泉すらも出るのが早いのか」

 

「長湯が好きじゃないのよ。って言うかデリカシー無いわよねあなた」

 

「お互い様だ。多分君に似たんだ」

 

「何それ」

 

 と、プイは目の前から去って行く。旅館の浴衣姿で新鮮な気持ちになるが、そんな事よりも目を引くものがあった。

 

「ちょっと待てプイ」

 

 と思わず呼び止めてしまう。

 

「何よ?」

 

「何でスリッパ履いてないんだ?」

 

「スリッパ嫌いだから」

 

「そうか」

 

「珍しいわね、怒らないの?」

 

「足を怪我するとか、言いたい所は色々あるがプライベートのことなんだから言及しないさ。まあ履いて欲しいのが本音ではあるけど。それよりもう1つ良いか?」

 

「なに?」

 

「何でつま先立ちなんだ?」

 

 そう、彼女はずっと踵を浮かせて立っているのだ。無理をしている様子はないので恐らくは癖なのだろう事が伺える。実際彼女の体幹は一切のブレを見せていない。

 

「…………から」

 

「え?」

 

 ボソッと彼女が何かを呟く。彼女がハッキリと物を言わないのは非常に珍しい。

 

「背が低いと思われたくないから!!」

 

 が、そう声を上げてからプイは走り去って行く。

 

 なるほどと色々理解した。背が低いのがコンプレックスに思っているのに初めて気が付いた。だから彼女は普段からずっと背伸びをして過ごしているのだろう。

 

 あの体幹の秘密はそこにあった。普段からつま先立ちで過ごしているのだから、常時体幹と足の指を鍛えていることになる。それが彼女にしか無い強みの正体だったのだ。

 

 だからこそ、普通なら転倒してもおかしくない皐月賞でも体制を立て直す事が出来たのだろう。

 

(天才というかなんというか……)

 

 普段賢い彼女だけに、意外な事が抜けてるという印象を受ける事が多い。それが全て彼女の強さに繋がっているのだから、余計に天性というものが何なのかを考えさせられてしまう。

 

 奇跡のウマ娘。まさにそんな言葉が彼女にはピッタリなのかも知れなかった。

 

 

 

 

 

 

 そんな日々を過ごしながらも遠征トレーニングは順調だった。

 

 事も無く日々が過ぎ、プイも徐々に気持ちの抑え方を学んでいく。

 

 そのままひと月半が経過し、トレセン学園に戻る。

 

 だが帰ってすぐにその凶報は飛び込んで来た。

 

 

 

 

 

 

――――8月28日

 

 ダンツフレームが意識不明のまま目覚めなくなってしまったというニュースが流れた。

 

「ダンツフレームって誰だっけ?」

 

「あれだろ? 確か宝塚記念記念勝った」

 

「タキオンやジャンポケ世代のウマ娘だったっけ?」

 

「そんな子居たか?」

 

 世間の反応はあまりにも残酷なものだった。

 

「そんな事よりディープインパクトだよ! 次走は神戸新聞杯だろ!? 楽しみだなぁ」

 

「無敗の三冠間違い無しだものね!」

 

「けど皐月賞3着のフソウが凄く仕上がりが良くなって来てるってさ!」

 

 ダンツフレームの事よりも、世間はディープインパクトの話題で溢れかえっていた。

 

 

 

「ねぇトレーナー」

 

「ん?」

 

 病室。横たわったまま目を覚まさないダンツフレームを前にプイは尋ねて来る。

 

「私に負けたウマ娘達は、みんなこんな扱いを受けるの?」

 

「………………」

 

 答える言葉が浮かんで来なかった。

 

 勝者よりも敗者の方が圧倒的に多いこの世界。語られるのは勝者のみで、負けた者はその名を遺す事すらも叶わない。

 

 それでもダンツフレームは勝者側のはずだった。だが時に勝者すらも、圧倒的な存在の前には語られる事無く歴史に埋没してしまう。

 

 それが今、当事者であるプイの目の前で起きていた。

 

「ダンツちゃん、頑張ったんだよ? ずっとずっと頑張って、ようやく宝塚記念で主役になれたのに、なんで誰も彼女の事を覚えてないの?」

 

「………………」

 

「私のせいなの?」

 

「…………それは違うさ」

 

「じゃあ何で誰もダンツちゃんの事覚えてないの!?」

 

 激情して振り返るプイの目には涙が浮かんでいた。

 

「誰も……」

 

 涙が溢れそうになるのを堪えながら答える。

 

「誰も彼女を語り継げなかったからだ。彼女はずっと努力してた。走れなくなっても、彼女だけは世代を語り継ごうと頑張り続けた。結果としてアグネスタキオンやジャングルポケット、そしてマンハッタンカフェが今も語り継がれている。だが、それを語り継ごうと努力した彼女だけが……誰にも語り継がれる事がなかった。彼女は1人で頑張り過ぎたんだ、その重荷を……重荷だからこそ、誰かに託す事が出来なかったんだ」

 

「そんなの……」

 

「君だけは分かってあげてくれ。最後に彼女と走ったのは君だったんだから」

 

 そう告げると、ゆっくりとプイは前を向く。そして横たわったダンツフレームの手を取った。

 

「なら私が語り継ぐから……」

 

 ダンツフレームの手を握る手に、彼女の涙が落ちる。

 

「見ててダンツちゃん。私絶対勝つから。勝って、みんなに知らしめてやる。ダンツフレームは……グランプリウマ娘ダンツフレームは凄いウマ娘だったんだって!」

 

 応えないダンツフレームに対してディープインパクトは誓いを立てる。

 

 そして……

 

 

 

 

 

 

――――9月

 

『六甲の山の方から非常に強い西風が吹き付けています。初秋の野分と言った感じの阪神競馬場。三冠物語のいよいよフィナーレを迎えようとしています、その前哨戦。第53回神戸新聞杯G2です』

 

 各ウマ娘達が闘志を秘めた目で一点を見る。その先にはただ一人。ゆっくりとした足取りでディープインパクトがゲートへと歩んで行く。

 

『ディープインパクト圧倒的人気ですが、一夏を経て一変した様相を見せています。その鋭い目付きで見据えるのは無敗の三冠への道ただ一筋。ダービーから持ち越された衝撃は果たしてどんなレースを見せてくれるのでしょうか』

 

 威風堂々の雰囲気を纏ったディープインパクトは、真っ直ぐにゲートへと入って行く。

 

 それに続いて続々と他のウマ娘達もゲートへ入って行った。

 

 ……そして

 

『スタートしました!』

 

 ゲートが開き、全てのウマ娘達が一斉に飛び出す。

 

 ほぼ横並びのスタート。しかしディープインパクトはいつも通り行き足を付けないで後方に位置づける。

 

 そのまま縦長の展開。ディープインパクトは10~12バ身ほど後ろの後方2番手で第一コーナーを抜ける。

 

 ダービーと違いやや外を走るディープインパクト。それは何処からでも仕掛けられるぞという圧を先団グループに抱かせる。

 

そのまま向こう正面を迎え、第3コーナーへと入った。

 

『さあ半マイル標識。あとゴールまで800メートルで、ディープインパクトどこから動いて行くのか。先頭まではあと10バ身あります。フソウは三番手、中団サードアイが上がって行きます』

 

 その時、ディープインパクトは体制を低くして一気に蹴り出す。ディープインパクトの進出に合わせて、場内の歓声が一気に巻き起こる。

 

 そのまま3コーナーから先団グループを薙ぎ払い、大外から4コーナを抜けてバックストレートに立つ。

 

『外からディープインパクト! 外からディープインパクト! あっという間に抜け出した!』

 

 歓声の熱に煽られ実況も勢いを増す。だが

 

(お前ばかりに良いカッコさせるかよ!!)

 

 その内にいたサードアイがディープインパクトを追って並び掛けようとする。が……

 

「なっ」

 

 その差はまるで埋まらない。完璧なレース運びをしたサードアイに脇目も振らず、ディープインパクトは際限なく加速して行き無慈悲にもその差を広げて行く。

 

『ゴール前余裕がある! 3バ身! 4バ身! 5バ身! 三冠へ向けて圧勝!!』

 

 圧倒的な力を見せ付けてディープインパクトはゴールした。その強さに場内もどよめいていた。

 

 三冠を確勝するかのようなその走りに、そしてまだまだ成長しているディープインパクトに誰もがその勝利を疑う事はなかった。

 

 そしてそのままディープインパクトは菊花賞へと向かう。

 

 

 

 

 

――――

 

「遂に来たな、この日が」

 

 控え室で座るプイにそう声を掛ける。

 

「………………」

 

 しかしプイは答えることはない。

 

 集中している、というには様子がおかしい。それはダンツフレームが眠りについたあの日からだった。

 

 練習はいつも通り、そして無理なトレーニングをする事も、抑えが効かなくなって暴れるという事もここ最近は無かった。

 

 だからこそ余計に心配になる。彼女は入れ込み過ぎている。

 

「プイ」

 

 椅子に座るプイの正面に立ち、両肩を掴んで目線を合わせる。

 

「入れ込み過ぎるな。君は君のレースをするんだ」

 

「……分かってるわよそんなの」

 

 そう冷たく言い放ち、プイは肩にかけた手を振り払う。

 

「絶対勝たなきゃいけないんだから」

 

「プイ……」

 

 何を言っても通じる気がしない。今の彼女の頭の中にはダンツフレームの事しか無いのだろう。

 

 インタビューも皆、プイの意気込みや目標だけを取り上げて来た。ダンツフレームの事など誰も気に止めない事を気に病んでいる事も、だからこそ余計に気負ってしまうのも分かっている。だからこそ……

 

「今は自分のレースをするんだプイ。ダンツフレームの事は考えなくてもいい」

 

 そう告げた瞬間プイが目を鋭くしてこちらを見て来る。

 

「あなたまでそんな事を言うの?」

 

「そうじゃない! 君は……」

 

 トントン、と扉を叩く音がする。

 

「もう行くわ」

 

 素っ気なく告げてプイは控え室を後にする。

 

「プイ……」

 

 その背を追う事を、彼女は許してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

――――

 

『日本中のファンが、あるいは世界のトラックマンが、池のスワンまでもが注目する第66回、歴史に残る菊花賞のゲートインが始まります』

 

 歓声冷めやらぬ状況。場内の熱は始まる前から上がり切っていた。

 

「ゲストのシンボリルドルフさん、今日のディープインパクトの様子と言ったものはどう映るでしょうか?」

 

「ディープインパクトは堂々としています。夏が明けてから彼女は精神面で大きく成長を見せました。何より威圧というものがこの放送席まで伝わって来ます」

 

「なるほど。参考までにもしディープインパクトと戦うとしたらどんな作戦を練りますか?」

 

「ふっ……」

 

 鼻を鳴らしてシンボリルドルフは答える。

 

「全身全霊を持って全力で立ち向かいます」

 

 ディープインパクトの気迫に煽られてか、シンボリルドルフでさえも威容を纏ってそう答える。

 

 若干気圧されそうになるも、再び巻き起こる歓声にアナウンサーが気を取り直す。

 

『さてディープインパクトはゲートに入りました。3000メートルの先に栄光の瞬間が待っています。新しい歴史の扉が開かれようとしています。テレビの前のあなたも、歴史の目撃者です』

 

 全ウマ娘のゲートインが完了する。

 

『ゲートインが終わりました。いざ……スタート!』

 

 各ウマ娘並んでのスタート。

 

 いつも後方に控えるディープインパクトも、絶好の行き足で先団に取り付く。

 

(やはりいつものレースが出来ていない……)

 

 不安が的中する。プイの頭の中は、やはりレースの事など考えていなかった。恐らく考えているのは……

 

 

――――

 

(絶対に勝つ!)

 

 勝つ気が先行したディープインパクトは、そのまま第1コーナーに差し掛かってペースを落とす。ディープインパクトは中団の位置。

 

【走れ!】

 

 外を走るウマ娘が並びかけて上がって行く。そのせいでいつもの声が聞こえ始めた。

 

(うるさい黙れ! 私の邪魔をするな!)

 

 そのまま並び掛けたウマ娘を追い抜く勢いでディープインパクトは加速する。

 

 だが彼女の弱点が周知されているのか、2コーナーを抜けて1度目の正面スタンドに立つも、ディープインパクトは抜け出せない。外に持ち出すにも3000メートルではロスが多すぎる。

 

(だったら!)

 

 ディープインパクトは内に切り返す。内ラチ沿いを掛け抜けながら、バ群の中へと入って行った。

 

 

――――

 

 正面スタンドを越えて歓声が増す。皆が声援を送る中、それを同じ気持ちでは見ている事が出来なかった。

 

(強引過ぎる!)

 

 今まで彼女がフィジカルに任せてレースを行って来た事は何度もあったが今日のはそれと比にならない。ハイペースな上に息が全く入っていない。

 

 入れ込み過ぎてゴールと勘違いしたのか。とにかく彼女のペースは前半にしては早すぎる、きっと体内時計ももう役には立たない。

 

 だがそれを理解したのか、いつもの天性の勘なのか、彼女は無理やりバ群の中に入ってペースを合わせようとしている。しかしそれは今までやった事が無いその場の思い付きであり更には……

 

(!?)

 

 黒い影が彼女にチラつくのが見える。そしてそれが幾つも現れたかと思うと、今回はハッキリと見えた。

 

 彼女の周りを無数の黒い蝶が飛んでいる。そしてバ群の中に居れば居る程、その数は増えて行った。

 

「プイ……」

 

 勝ち負けなんてどうでも良い。ただ彼女に無事に戻って来て欲しい。

 

 ダンツフレームの姿を見てしまった手前、そんな事を思わずにはいられなかった。もし彼女が同じ姿になってしまったらと、その不安を拭えない。

 

 

 

 

――――

 

「くっ!」

 

 苦しい展開に思わず苦悶を浮かべるディープインパクト。

 

(前が……)

 

 目の前を蝶が邪魔して見えない。だが勝つと決めた。ずっとずっと前から勝利を目指してここに居る。やれる事の全てを持って、その積み上げたものの全てを使ってここを勝つ。

 

 バ群に入ればこうなる事は想定していた。だからこそプイは内ラチに目を向ける。

 

 ここなら前が見えなくても内ラチに沿って走れる。耳を傾ければ前後のウマ娘との距離が分かる。恐らく今は向正面。そしてそろそろ……

 

『さあそろそろ、第3コーナーの勝負どころ!』

 

 上り坂へと差し掛かる。脳裏に描いたコース通りの場所を走れている事を確認しながら、ディープインパクトは僅かに外に持ち出して加速する。

 

 視界が僅かに開ける。チラチラとだが目の前が確認出来た。

 

【行け!】

 

【勝て!】

 

(分かってるわよ!)

 

 邪魔な声を置き去りにしようと進出を始めるディープインパクト。

 

 だが今日の声はやけにしつこく追い掛けてくる。今までならこれで置き去りに出来たのに、今日はそれでも視界を塞ごうとして来る。

 

『800の標識を越えて坂を下る。先頭は以前として8番のドアトゥダークネス、2番手にフソウ!』

 

「しつこい!」

 

 声を上げて下りの勢いを乗せる。だがそれでも視界はまだ晴れない。

 

 ディープインパクトと先頭との距離はまだ10バ身程もある。

 

 それでもその差を埋めんとする勢いで第4コーナーをディープは抜けて行く。

 

 そのまま内側のウマ娘達を振り切り、大外から正面スタンドに立つディープインパクト。

 

(勝つんだ! 絶対に! ダンツちゃんの為にも、あの人の為にも!!)

 

 先頭は代わってフソウ。完璧な走りで先頭に躍り出る。その行き足もまだまだ残っている状態。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 気迫の声を上げてディープインパクトはスパートをかける。視界は開けないがどうでも良い。大外なら前が見えなくても関係ない。

 

 このままゴールまで、全力全開で駆け抜ける。

 

『フソウ逃げる逃げる! 一番外から、一番外からディープインパクト!』

 

 心臓が破裂しそうな程高鳴る。息も続かない。脚も感覚が無くなって来た。それでも止めない、止まれない。

 

『捉えた捉えた! 捉えましたあと100メートル!! フソウ粘る! しかし先頭はディープインパクトだ!!』

 

 交わした事など分からない。暗い視界の中で走り続ける。

 

『世界のトラックマンよ見てくれ! これが、日本近代レースの結晶だ!!! ディープインパクトォ!!!!』

 

 その瞬間視界が開ける。並ぶ者は何も無い。

 

 それを確認してディープインパクトはゆっくりとペースを落として行く。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 そのままディープインパクトは膝に手をついて息を整える。

 

 が、息を整える前に、自分にはやらなければならない事があるのを思い出した。

 

 息も絶え絶え、重い体を持ち上げて正面スタンドを向く。

 

 そして三本目の指を掲げながらディープインパクトは勝利をアピールした。

 




4月12日追記
石神騎手とオジュウの話誰か書いてください
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