銀鏡の反逆   作:柚葉

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全3話となります。
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銀鏡の掃除屋

冬の夜の静寂を切り裂くように、その少女は現れた。

 

新都、冬木大橋へと続く交差点。

街灯の光が届かない闇の向こうから、鈴を転がすような、幼くも残酷な声が響く。

 

「――こんばんは、お兄ちゃん」

 

衛宮士郎の隣で、セイバーが即座に不可視の剣を構えた。

現れたのは、雪のように白い髪を持つ幼い少女。

アインツベルンの名を冠する「小聖杯」、イリヤスフィール。

 

だが、セイバーの「直感」が警告を発したのは、その少女に対してだけではなかった。

イリヤの背後、一歩引いた影の中に、もう一人の人影が立っていた。

 

「…あら。お姉様の挨拶を無視するなんて、感心しませんね」

 

影が、ゆっくりと光の下へ歩み出る。

士郎は息を呑んだ。

現れたのは、イリヤと同じ銀髪を持ちながらも、代行者を思わせる機能美に満ちた白銀の戦装束を纏った少女。

年の頃は士郎と同じか、あるいは少し上。端正な顔立ちは、かつて第四次聖杯戦争を戦った「アイリスフィール」の面影を強く残していた。

 

「サーヴァント…じゃない? 人間か、それとも――」

 

士郎の問いに、その少女――エリスフィールは、完璧な角度のカーテシーで応えた。

指先一つ、スカートの揺れ一つに至るまで、アインツベルンの千年の執念が結晶化したような、病的なまでに優雅な所作。

 

「私はエリスフィール。お姉様の護衛(スペア)にして、アインツベルンの汚れ仕事を一手に引き受ける『掃除屋』です。以後、お見知りおきを、お兄様」

 

(…ったく、吐き気がする。この言い回し、このドレスの感触。じい様の洗脳プロトコールってのは、本当に趣味が悪い)

 

その内側で、前世――「男」であった魂が毒づく。

だが、その毒とは裏腹に、彼女の48本の魔術回路は、戦闘開始の合図を冷徹に告げていた。

 

「エリス、やっておしまい。バーサーカーが手を出すまでもないわ」

「御意のままに、マ・スール(お姉様)」

 

刹那、空気が爆ぜた。

「速い…ッ!」

セイバーの叫びと同時に、エリスの姿が消える。

 

魔力による強化ではない。

ホムンクルスとしての純粋な筋力と、一切の予備動作を排除した「殺しの歩法」。

それは、数多の修羅場を潜り抜けた代行者ですら到達し得ない、純粋な暴力の極致。

 

ガギィィィィン!!

 

火花が散る。

エリスが振るったのは、実体のない白銀の魔力の弦。それがセイバーの不可視の剣と正面から衝突し、周囲のアスファルトを木っ端微塵に砕き散らした。

 

「…信じられぬ! 身体能力だけで、サーヴァントと打ち合うというのか…!?」

驚愕に目を見開くセイバーを、エリスは冷めた黄金の瞳で射抜く。

 

特性【運命】の自動発動。

エリスの視界には、セイバーが次に繰り出す斬撃の軌跡が、金色の残光としてあらかじめ焼き付いている。

 

(悪いな、セイバー。アンタがこの後、どれだけ苦悩して、どれだけ尊い選択をするか、俺は全部知ってる。…だからこそ、ここで死なせるわけにはいかないんだ)

 

「無駄ですよ。貴方の剣が私を捉える『運命』は、この戦場には一分(いちぶ)も存在しない」

 

エリスは流れるような動作で剣筋を回避し、がら空きになったセイバーの胴へ、掌打を叩き込む。

それは魔術師の戦いではない。

一人の戦士としての、泥臭く、それでいて神速の「詰め」だった。

 

吹き飛ぶセイバーを横目に、エリスは士郎へと視線を移した。

その瞳の奥には、アハト翁の洗脳でも、ホムンクルスの使命でもない、前世の男としての「諦念」と、わずかばかりの「期待」が同居していた。

 

「さて…衛宮士郎。貴方の『正義』がどれほどのものか、まずはその身を削って、私に証明してみせなさい」

 

銀髪を夜風に靡かせ、エリスは再び地を蹴った。

それが、冬木の運命を、そして彼女自身の五年を賭けた、地獄のような聖杯戦争の幕開けだった。

 

「…何をしているんです、士郎。その程度ですか?」

 

エリスの冷徹な声が、夜の住宅街に響く。

彼女が振るう白銀の弦は、士郎の肩を、脚を、まるで外科手術のような正確さで浅く刻んでいた。

致命傷は避けている。だが、その一撃一撃には「戦う意志のない者は死ね」という冷酷なまでの選別が込められていた。

 

「が…っ、あ…!」

 

士郎は震える手で強化された木刀を構え直すが、膝が笑っている。

セイバーはバーサーカーに釘付けにされ、救援は絶望的だ。

 

「無意味な抵抗はやめなさい。貴方の積み上げた付け焼き刃の魔術など、私という『完成品』の前では塵に等しい。…貴方はここで、お姉様に跪き、その命を供じる。それが、この場に編まれた唯一の正解です」

 

エリスは流麗な動作で間合いを詰め、士郎の胸元を狙って掌を繰り出した。

アインツベルンの流儀に従うなら、ここで彼の肋骨を一本残らず砕き、戦意を完全に喪失させるのが「正解」だった。

 

だが。

 

「…る…せ…」

 

「何です?」

 

「…守るって…決めたんだ…! イリヤを…アイツを、一人にするもんか…!」

 

士郎が、血反吐を吐きながらも、エリスの瞳を真っ向から見据えた。

その、あまりにも馬鹿正直で、後先を考えない「正義の味方」の眼。

 

その瞬間、エリスの脳内に、アハト翁の不快な愚痴がフラッシュバックした。

 

『――衛宮の男はいつもそうだ。理屈に合わぬ夢を追い、我らの理を乱す…』

 

(…ああ、そうだよ。じい様の言う通りだ。こいつは救いようのない馬鹿だ)

 

エリスの動きが、一瞬だけ止まる。

(だが…俺が前世で、この『Fate』って物語を好きになったのは…この、救いようのない馬鹿を見たからじゃなかったか…?)

 

回路が加熱する。

洗脳が命じる「冷徹な処刑」と、前世から魂が叫ぶ「共感」が衝突し、彼女の制御を内側から食い破った。

 

「――ッ! あ、あああああああ!!」

 

エリスは叫び、掌打の軌道を強引に逸らした。

空を切った衝撃波が、士郎の真後ろにある石壁を粉々に粉砕する。

 

「エ、エリス…?」

 

呆然とする士郎の前で、エリスは荒い呼吸を繰り返した。

その顔からは、あの完璧な「人形の微笑」が剥がれ落ち、代わりに剥き出しの、酷く苦々しい男の表情が浮かび上がっていた。

 

「…チッ、やってらんねぇよ…!」

 

「えっ…?」

 

士郎が耳を疑う。

今、彼女の口から出たのは、淑やかな令嬢の言葉ではなく、どこかぶっきらぼうな青年の吐き捨てだった。

 

エリスは乱暴に自分の前髪を掻き上げ、士郎に背を向ける。

 

「…おい、衛宮士郎。二度と言わねえからよく聞け。お前が死ねば、イリヤ姉様がどれだけ悲しむか、少しはその足りない頭で考えやがれ…です!」

 

語尾だけを無理やり敬語に押し戻すが、もはや手遅れだった。

エリスは拳を握りしめ、天を仰ぐ。

 

(…やらかした。完璧に地が出た。じい様が見てたら卒倒して死ぬだろうな。…まあ、死ねばいいんだけどさ)

 

「エリス? どうしたの、急に手を止めて…」

 

不審そうに歩み寄るイリヤに対し、エリスは即座に仮面を再構築しようと試みる。

 

「…申し訳ありません、お姉様。…少し、この男のあまりの無様さに、当家の回路が拒絶反応を起こしたようです。仕留める価値もありません」

 

そう言って深々と頭を下げるエリスの耳元は、屈辱か、それとも照れ隠しか、わずかに赤く染まっていた。

 

士郎だけは、その瞬間の彼女の瞳に――自分と同じ、どうしようもないほどの「人間臭さ」を見ていた。

 

 

 

冬木の森、アインツベルンの城は、正体不明の「黒い影」に呑み込まれようとしていた。

 

「エリス、どうしましょう…! 城が、じい様の作ったお城が…っ!」

 

怯えるイリヤを、エリスは片腕で抱き寄せ、もう一方の手で白銀の弦を振るい、迫りくる影の末端を浄化し続けていた。

 

(…クソ、計算が早すぎる。間桐の爺か、それとも言峰か。どっちにしろ、このままじゃイリヤ姉様が汚染される。拠点を捨てるしかない)

 

回路が焼き切れるような高熱を発する中、エリスの脳内にアハト翁の通信が響く。

 

『エリスフィール! 何をしている、聖杯を、器を守れ! 逃げるなどアインツベルンの恥辱…!』

 

「――うるさいんだよ、クソじじい!!」

 

エリスは通信を物理的に遮断した。

プロトコールが「不敬である」と警告を発するが、知ったことではない。

今の彼女を突き動かしているのは、洗脳された使命感ではなく、前世から持ち越した「一人の男」としての決断だった。

 

「お姉様、失礼します…っ!」

 

エリスはイリヤを横抱きにすると、代行者顔負けの身体能力で城の窓を突き破り、冬の森へと跳んだ。

目指す先は、たった一つ。

 

(…不本意だが、あそこしかない。この状況で、イリヤを『人間』として匿える場所なんて――!)

 

衛宮邸・深夜

 

「――頼む、入れてくれ(・・・)!!」

 

深夜の静寂を切り裂いたのは、衛宮邸の門を叩く、悲痛な、そして酷く「男らしい」叫び声だった。

寝巻き姿で飛び出してきた士郎とセイバーの前に、ボロボロになったエリスと、その腕の中で眠りこけるイリヤがいた。

 

「エリスフィール!? それにイリヤ…どうしたんだ、その怪我!」

 

「…説明は後です、士郎。一晩…いや、事態が収束するまで、私たちをここに置け。…です!!」

 

プロトコールの修正に語尾修復が追いつかない。

エリスは肩で息をしながら、士郎の胸倉を掴むような勢いで詰め寄った。

 

「断るなら力ずくでも…と言いたいところですが。…頼みます。お姉様を、安全な場所に」

 

その瞳は、冷徹なホムンクルスのそれではなかった。

大切な家族を守るために、プライドも使命もかなぐり捨てた、一人の「男」の眼だった。

 

「…分かった。上がれよ、二人とも」

 

士郎のその言葉を聞いた瞬間、エリスの緊張の糸が切れた。

同時に、一時的に停止していた「アインツベルンの礼儀作法」が再起動する。

 

「…痛み入ります、衛宮士郎。貴方の寛大な処置に、アインツベルンを代表して…感謝を…」

 

優雅に頭を下げようとして、そのままエリスの膝が崩れた。

士郎が慌ててその肩を支える。

 

「おい、エリス!」

「…触るな、軟弱者が。…いえ、失礼。少し、回路がオーバーヒートしただけです。…それより、お姉様を、暖かい布団に…」

 

真っ赤な顔で士郎を突き放しつつも、彼女の意識は深い闇へと落ちていった。

 

目が覚めると、エリスは衛宮邸の居間にいた。

隣には、すっかりこの家に馴染んで士郎に我儘を言うイリヤ。

目の前には、不審そうな顔でこちらを見つめるセイバーと、おたまを持った士郎。

 

「…おはよう、エリス。気分はどうだ?」

 

「…最悪です。まさか、宿敵の家に身を寄せる羽目になるとは」

 

エリスは頭を押さえ、深いため息をついた。

(やってしまった。逃げ場所なんていくらでもあったはずなのに、無意識にここを選んじまった。…いや、違うな。俺が、ここなら『イリヤを救える』と知っていたからだ)

 

「エリス、顔が赤いわよ? まだ熱があるのかしら」

 

イリヤが心配そうに顔を覗き込んでくる。

エリスは反射的に、インストールされた完璧なメイドの顔を作った。

 

「いいえ、お姉様。…ただ、これからの『同居生活』を想像して、少し眩暈がしただけですわ」

 

こうして、銀髪の掃除屋と、正義の味方の、奇妙で「男臭い」共同生活が幕を開けた。

 

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