翌日、食卓の空気は重苦しいものとなった。
「英二様、お味がお気に召しませんでしたか?」
「……そういうんじゃねぇよ。気にするな」
……原因は主に英二の態度にある。
十中八九昨日の一件を引き摺っているんだろう。
不機嫌を隠す事もせず、不遜に食事へ手を付けるばかりだ。
「英二さん、何があったか……知ってますか?」
「さあな。いっその事訊いてみるか?」
「それは……やめて、おきます」
みんな何かあったのは察している。
とはいえ下手に触れば何が飛び出すか分からず。
結果、腫物を扱うように接するしかない。
本当なら和やかな食事がいいだろうに、なし崩し的に静寂が食卓を占領していた。
「…………」
一方で音羽さんといえば、まだ英二との一件を気にしているようだ。
もう温情を掛けるなと忠告したのに……
中々人を見捨てられないのは彼女の美点と見るべきか、欠点と見るべきか。
ただ俺はこれ以上、二人の間に介入する気はない。
あまりいらぬお節介を掛けてしまえば、玲矢の耳に入って俺の行動を怪しまれる。
なので深入りしないのがベスト。面倒に巻き込まれない為に、リナやリオにも注意させた方がいいか。
「なら無視した方が身の為だ。リナもよく覚えておいて……」
「……」
「おい、聞いてるのか?」
と思いきや、何やら不機嫌に顔を逸らしている。
……まさか拗ねてるのか?
昨日の事を引き摺って、まだ俺に怒りを覚えてるらしい。
「リナ、一旦話を聞けって」
何とも子供っぽいというか、しょうもないというか……。
いくら呼び掛けても彼女は振り向こうとしない。
寧ろより態度を頑なに、食事へ手を付けるばかりだった。
……そうかそうか。君はそういう態度をとるんだな。
なら、無理矢理にでもこっちを向かせてやる。
「っ、あーー!? あたしのオムレツーー!!」
「いらないんだろ? なら俺が貰う」
「最後にとっておいたんですよ! なのに……このっ! このっ!」
丁度残していたオムレツを切り取り、リナの皿から奪い取る。
これにはリナもご立腹で、怒りのあまり俺の腕を叩いてきた。
が、女子のパンチなんて俺には痛くも痒くもない。
どこ吹く風で知った事かと、そのままオムレツを食べた。
「お、大人げない……」
「ハハハ! 可愛らしい喧嘩じゃないか!」
「そ、そうでしょうか……」
外野の声も煩いが構わず無視。
リナの唸り声をBGMに、俺達の朝食は喧噪を取り戻していった。
やがて食事も終わり、場は自由解散となる。
俺も部屋に戻ろうとしていたのだが、この屋敷はトラブルに事欠かないらしい。
「い、いつまで見てるのよ。もう十分でしょう?」
この声……聞き間違いじゃなければ鈴香さんか?
まさかもう玲矢が事を起こした訳じゃあるまい。
では何かと耳を済ませれば、もう一人男の声も拾える。
「まだだ。この辺りに……」
「ちょ、ちょっと!」
……どうもただの世間話、という訳じゃないようだ。
足は自然と声のする方へ動いていく。
そうして二階へ上がると階段と廊下の繋ぎ目にて、今度は角の向こうを覗いている人物がいた。
「ッ……!」
そっと近付いて肩を叩いてみれば、その人物は驚きを顕わにこちらへ振り向く。
「……今、誰かの足音が聞こえたわよ」
「な、なに?」
それで起きた物音に鈴香さんも気付いたらしい。
何者かにも知らせたようだが、そいつは俺達を見つけられなかったようだ。
「日記は返してくれるの?」
「ふざけるな! 教師を騙すような生徒に返す物などないわッ!!」
「そう言うと思ったわ……」
覗いていた者にジェスチャーで喋らないよう伝える。
その上で角から覗いてみれば、やはり看過できない光景が広がっていた。
そこにいたのは鈴香さんと鷹峰だ。
彼女達は人目がないか気にしつつ、鷹峰が迫る形で鈴香さんを壁に追いやっている。
では何をしているのかといえば…………鈴香さんはボトムスを履いていない。
そんな彼女の股に鷹峰は手を忍ばせている。
こうも露骨な状況だと……二人は淫行に及んでるのか?
「どっちの方の立場が上か、よく考えるんだな?」
しかしそうなると、問題は会話の内容だ。
そして鈴香さんの明確に敵意を感じる表情から、合意の下とは思えない。
その証拠に鷹峰が立ち去っていくと、鈴香さんは力無くその場へ崩れ落ちた。
……鈴香さんは声を押し殺している。
俺の目は、彼女の瞳から零れる雫を鮮明に捉えていた。
「……」
この状況を黙って見ていた意図は何なのか、確認する必要があるだろう。
俺は覗きの下手人を睨む。
鈴香さんの弟────真っ先に助けに行くべき雪斗は、居心地悪げに視線を逸らしていた。
流石にあのまま廊下で事の次第を問い詰める訳にもいかない。
なので俺は雪斗を伴い、展望室へと足を運んでいた。
「話せ。何があった?」
「それ、は……」
そうして俺達以外誰もいない場で、俺は雪斗を問い詰める。
最初は言い辛そうに押し黙るだけだった。
しかし全てを語るまで俺が諦めないと察したのだろう。
次第に雪斗はここまでの経緯を語り始めた。
まず鈴香さんと鷹峰は以前から関係に難があった。
自己中心的な鷹峰に、鈴香さんは生徒会長として度々対立していた為だ。
それでも生徒と教師という線引きは弁えていたのだが、鷹峰はその境界線を破ったらしい。
奴は鈴香さんを服従させるべく、彼女の弱みを探し始めた。
そして鈴香さんに割り当てられた部屋に侵入し、彼女のノートを盗んだのだと言う。
そのノートには家族にさえ隠したい秘密があった。
もしこの件で自分を訴えれば秘密をバラすと脅され、鈴香さんは苦渋の末に奴の要求を呑んだ。
「……何故、見ているだけだった? 雪斗ならいつでも助けられる立場にいた筈だ」
その結果が、あの強姦未遂か。
ならばこそ雪斗は鈴香さんを助けるべきだったろう。
あのままいけば、鷹峰は本格的に彼女を襲いかねない。
「なら当ててやろうか?
────興奮してたんだろ。鈴香さんの身体に」
だというのに雪斗は黙ったまま。
ならばと俺が答えを提示すれば、雪斗は目を見開いて俺を凝視した。
「お前はもっと正義感に溢れる男かと思っていたが、勘違いだったか?」
それでも彼の口から否定の言葉は飛んでこない。
……これは確定、か。
出来れば否定してほしかった。
それでもこの様子を見るに、
てっきり玲矢が自分を正当化する為の方便と思ってたんだがな。
この様子じゃ奴の言っていた『血の呪い』というのも、あながち嘘じゃないのかもしれない。
「俺は……」
相変わらず雪斗は黙ったままだ。
鈴香さんに対する罪悪感がそうさせるのか?
いや……もしかすると、本心を語る事が怖いのかもしれない。
「まさか心の底から、お前の知人や家族……好きな人も。鷹峰のような奴に襲われてもいいと思っていたのか?」
「違う!!」
それがお前の望みなんだろう?
そう問いかければ、雪斗はようやく否定の叫びを挙げた。
「そんな事思ってない! ……思って、ないんだ…………っ」
その様は、彼自身も苦しんでいるように見える。
ならばまだ、肉欲に全てを任せてはいないらしい。
……己を責める理性が、まだ雪斗の中には残っている。
「法を語るお前と、欲に負けたお前……どっちが本当の哀沢雪斗なんだろうな」
玲矢は既に……否、最初から己の本能に身を任せていた。
雪斗は果たしてどうなるのだろう。
奴と同じところまで堕ちるのか。
それともここで踏ん張ってみせるのか。
「それが決められなければ、お前は空っぽになるぞ。
友情も、信頼も、受け取る筈だった愛も……全て無くした抜け殻に」
その答えが出せなければ、哀沢雪斗は全てを失うだけだ。
「矜児はどうなんだ? ……自分の欲に負けずにいられるのか?」
今ここで答えを期待してた訳じゃない。
しかし雪斗の返しは、俺も想定外のものだった。
「……俺は、もう遅いよ」
お前はどうなんだと問われれば、俺はそう答えるしかない。
欲に任せず理性で動けるなら…………俺はこうなってないから。
「矜児……っ!」
……彼女達に誇れる自分、ね。
思わず笑ってしまうそうになる。
俺はどんな立場でそんな事を言ってるんだ。
「……負けるなよ。彼女達に誇れる自分でいたいなら」
自分の偽善ぶりに辟易しつつ踵を返す。
これ以上答える気はないと言外に示す為に。
いずれは殺す相手。どうせ意味のない行為ではある。
だとしてもこの件がバレれば、玲矢は嬉々として鈴香さんを絶望させる材料に使うだろう
────お前の弟は自分の姉すら見捨てた鬼畜なのだと。
たとえ矛盾しているとしても、必要以上の苦しみを彼女達に与えたくない。
それを見過ごせれば、きっと琴美ちゃん達も殺せただろうに。
矛盾した己を止める事も出来ず、俺の心は沈んでいくばかりだった。