琴美は他作品で言うと『ひぐらしのなく頃に』の富竹みたいな立ち位置です。
残念な事に専用ルートもない確定死亡枠であり、本番シーンも玲矢に殺される直前のかわいそうな場面しかない……〇uck
俺は自分の家が大嫌いだった。
人を脅し、傷つけ、奪い去り。
それでいて誰かを踏み台にして生きる事に何の呵責もない。
うちの組……吉良連合会というヤクザはそういう連中だ。
この世界に生まれ落ちてから、俺はそんな屑共の嘲う姿を何度も見てきた。
ただ、俺も最初から吉良の家を嫌悪していた訳じゃない。
寧ろそれが素晴らしいモノと幼い頃から教育されてきたが……本当はおかしいと気付いてしまえば、全てが変わって見えた。
奴らが良い思いをする度に、誰かが食い物にされて苦しんでる。
奴らが自慢げに話す武勇は、全て他人を傷つけてきた証。
世間で言う正気になってしまえば、吉良連合会はあまりにも狂った世界だったんだ。
当然抜け出したいと願う。誰かに頼ろうとした事も一度や二度じゃない。
けれど俺の背負った『ヤクザの息子』という肩書は、俺に一般社会で生きる道を悉く潰していった。
友達を作ろうと思っても遠巻きにされる。
大人を頼ろうとしても、その人が数日後には死体で挙がっていた事もある。
挙句はある事ない事噂されて、まるで極悪人のように煙たがられた時期すらあった。
残ったのは絶望だけ。
もう吉良という呪いからは抜け出せないんだと、己の生すら諦めかけた。
……そんな時にあの男と出会ってしまったんだ。
伊能玲矢────女を弄び、他者の命を弄ぶ事に悦楽を見出す悪魔。
奴は吉良連合会と同じ。本当なら関わる事すら拒絶したい犯罪者でしかない。
それでも他者を頼る道を潰されてきた俺には、奴の誘いは最後のチャンスにすら思えた。
今回の短期旅行で玲矢の殺人に手を貸せば、俺は吉良連合会と本当に縁を切れる。
奴は腐っても日本最大手の銀行を束ねる一族の御曹司。いくら裏の社会で顔を効かせるヤクザでも、
だから願いを叶える為に、俺は人を殺す。
裏社会から抜け出す為なら、どんな悪事にだって手を染めてやる。
……そう覚悟を決めてきた…………筈、だったのに────
振り下ろしたナイフは、肌に触れる寸前で止まった。
……いや、止めてしまったんだ。
彼女達の顔に、視線を奪われてしまったから。
「なんて顔してるんだよ……」
リナとリオの寝顔はすっかり緩んだものだった。
これから殺されるとは欠片も考えていない。相手に己の全てを委ねるような力の抜け具合。
「俺は君達を、殺すんだぞ……ッ」
意識なんてない筈なのに。
俺の言葉に応える筈ないのに。
息遣い一つが俺の殺意を奪っていく。
悪意を知らない寝息が、固めた決意を砕いていく。
……違う。そもそも決意なんて出来てなかったんだ。
どれだけ取り繕っても、胸の痛みは消えてくれない。
彼女達を殺してしまえば、俺は必ず癒えない傷を背負う事になる。
それでも自由になるのを諦めきれない。
ならばいっその事、自分の手で終わらせようと……そう、思っていた……のに……────
どれだけ力を込めても、それ以上は振り下ろせそうになく。
やがてナイフを落としては、リナ達を前に立ち尽くす事しか出来なかった。
……どれだけ時間が経っただろう。
夜も更けて、静寂に包まれた俺の部屋に一人の人物が押し入ってきた。
「……何の用だ? 俺の仕事は終わった筈だが?」
「単刀直入にお伝えします。琴美様の行方をご存じですか?」
彼女は玲矢に仕えるメイドの『ほのか』。
ナイジェルと同じく玲矢の共犯者で、実行犯の役割も担う殺人鬼。
……そんな彼女が何の用かと尋ねれば、どうやら琴美さんを探しているらしい。
当然か。今日の偽装工作も、玲矢の告白も、全ては彼女を殺す為の仕込みだったんだから。
「一度ここに寄ったがまた出て行ったよ。それがどうかしたか?」
部屋に立ち寄った事だけは伝えつつ、嘘の情報を伝える。
するとほのかは一瞬目を見開き、すぐに眉根を寄せて俺を睨みつけてきた。
……この反応、あからさまに怪しんでるな。
「まだこの部屋にいるのではないですか?」
「何故そう疑う。確かもう時間的に始末はついている筈だが……まさかいないのか?」
逆に問い返してみれば、ほのかは言いにくそうに視線を下げる。
このままでは第一の殺人は失敗してしまう。そうなった場合、自分へどんな処罰が下されるか察しているのだろう。
「彼女は寝室におりませんでした。現在、私とナイジェル様で捜索中です」
「だからといって俺を疑うのはなんだ。さっきも言った通り、彼女はもう出て行ったぞ」
「では、そのお二人はなんでしょう?」
故にこそ琴美さんの捜索にも熱が入る。
今回は関係ない二人……ベッドの上に眠るリナとリオを槍玉に挙げるくらいには。
「貴女も話は聞いていただろう? 遅くまで話し込んでいたのが、眠気に負けてこうなったんだ」
「ですがタイミングとしては、琴美様とお二人が出くわしてもおかしくありません。
もしも琴美様が、リナ様とリオ様のように眠っていらっしゃるのでしたら……」
発想は鋭いと言える。しかし実際に琴美さんが見つからない限りは推測の域を出ない。
現に部屋を見渡してみれば、それらしき影はどこにもないのは明白だった。
「そこまで疑うなら調べればいい。どこを調べたところで、琴美さんは出てこないぞ」
納得いかないのなら探せと、俺は誘うように部屋へ通すようなジェスチャーをする。
自信あり気な所作が癇に障ったのか、ほのかはすぐに部屋の捜索を開始した。
クローゼットにトイレ。物陰にカーテンの裏など……
およそ人の隠れられそうなスペースは全て確認していく。そして最後にリナとリオに掛けられた布団を捲って
「それで全部なら他を当たってくれ。俺は必要以上にあんた達の犯行に関わる気はない」
────それでも琴美さんの姿はどこにもなかった。
納得いかないのがありありと伝わってくる。
しかし目ぼしい場所は全て探した。見つからない以上、ここに留まる意味はないとほのかも分かっているようだ。
「……失礼致しました」
不承不承といったのが分かる様子で、ほのかは部屋から出て行った。
それからこっそりとドアの前まで近づく。
外に気配がないのを確認し、少し経ってから廊下の様子まで覗き込む。
……完全に姿を消したらしい。気配を殺してこちらの様子を窺っている、という事もなさそうだ。
「はは……馬鹿だなぁ。こんな事をして……」
警戒を解けば、自分のやった事に笑うしかなかった。
タンスの前に立つ。そうして上置と下置の部分を取り外すと
────そこには毛布に包まって寝息を立てる琴美さんの姿があった。
玲矢よりも先に琴美さん達を殺すと決めたのは、何も昨日今日の事じゃない。
なので屋敷へ来るにあたり、俺は事前に準備を重ねていた。
このタンスもその一つ。元からある物と同じ材質・同じ装飾の板を用意し、外見は同じで中身が空洞の物が作れるようにしていたのだ。
本来こいつは死体を隠す一時的な安置所のつもりだった。
…………こんな形で活用する気なんて、これっぽっちも無かったんだ。
「ここで生かしても、結局は……」
こんな事をしたところで、最期は玲矢に殺されるだけだ。琴美さんの寿命を少しばかり延ばしたに過ぎない。
けれどもう琴美さんを殺す気にはなれなかった。
それが己の手を汚さないだけだと理解していても、尚…………
それから何時間経っただろうか。
ほのかが来て以降、誰も来る様子はなく。静寂に包まれた夜闇の中で、琴美さんの声が部屋に木霊した。
「う、ううん……」
睡眠薬の効果が切れたようだが、微睡からは抜けきってないらしい。
眠そうに目を擦りながら、彼女はベッドから上体を起こした。
「あ、あれ……ここ、って……」
「おはよう、琴美さん」
「きょうじさん……っ、え! あ、あの……今、何時ですか……?」
今の今まで寝ていたと理解した琴美さんは、血の気の引いた顔で時間を尋ねてくる。
「深夜の三時だ。何か困る事でもあるのか?」
「……じ、実は玲矢さんに……部屋を抜け出して、会いたいって言われてて……」
「ん、んん……なに……ど、した……の?」
正直に答えれば、琴美さんは今にも泣きだしそうな顔で詳細を語ってくれた。
……やはり俺の予想通りだったか。
玲矢の奴は先んじて琴美さんを呼び出す算段をつけていたらしい。俺はそれを結果的に邪魔した形になる。
ならば奴に対してどう立ち回るか思考を巡らせようとした時、琴美さんの隣でリナが目を覚ましたようだ。
「……えっ? もうこんな時間……」
「おはよう、と呼ぶには早いかな。まだ眠いなら寝てても構わないよ」
「寝ててもいい、じゃないですよ……リオと3人で話そうって、約束してたのに……」
リナは俺が起こさなかった事にご立腹らしい。自分達との約束はどうしたと。
とはいえ眠らせた目的もそうだが、睡眠薬の効果もあって揺すった程度じゃ起きなかっただろう。
それを正直に話す訳にもいかず、適当に釈明する。当然納得する筈もなく、リナの機嫌は悪くなる一方だった。
「それに琴美ちゃん、どうかしたんですか? 凄い悲しそうな顔してますけど……」
「何でも玲矢と会う約束をしてたらしい。この時間じゃとっくにあいつも寝てるだろうな」
「そ、それは玲矢さんに内緒って言われてて……!」
……リナからの視線がますます鋭くなる。
琴美さんが約束を破る事になった。その責任、どうとるんだとでも言いたいのか。
参ったな……彼女達が起きる想定なんてしていない。この後の立ち回りなんて考えている筈なかった。
「心配しなくても、玲矢なら笑って許してくれるだろう。
ただ俺も正直に話すのは怖いからね。出来れば、ここを出た後迷った事にでもしないか?」
なので瞬時に思いつけたのは、何とも情けない言い訳だ。
「うわぁ……そこで庇ってあげないんだ」
それで矛を収めてくれるなら、そもそも怒ってないという話。
最早怒りを通り越して呆れ気味な視線が痛いが、俺は琴美さんを庇う事は出来ない。
……その理由が完全に自己都合な辺り、我ながら最低だがな。
「流石にこんな時間まで一緒にいましたじゃ、皆からどう思われるか分からないしな。
琴美さんも告白されて早々、他の男と寝てましたなんて噂にされたくないだろ?」
彼女の対面的な事情をつくと、追及の言葉がピタリと止む。
何せ既に玲矢との関係を広めた愉快犯がいるんだ。俺への悪感情もあって、今夜の事を知ればすぐに言いふらしていくだろう。
琴美さんも同じ事を考えたらしい。
俺を見上げるその表情は、まさに血の気の引いたという有様だった。
「それでも文句を言ってくるようなら流石に味方するよ。こんな暗い夜中に、女の子一人出歩かせた俺のせいだとね」
すかさずフォローを入れれば、彼女はほんの少し血色を取り戻す。
不安は消えていない。それでも任せてもいいと思える程度には、今の言葉を信じてくれたらしい。
「……その時はちゃんと、説明してくれますか?」
「ああ。約束しよう」
投げかけられた問いにも頷き、無事に琴美さんの口止めに成功した。
ただリナはそうもいかないようだ。
俺を見つめるその目は、未だ不満いっぱいという心境を隠そうとしていない。
「いい加減機嫌を直してくれないか。ここにいる間に埋め合わせはするからさ」
「それじゃ足りませんよ。今夜の事、結構楽しみにしてたんですから……」
一緒に時間を過ごす話は、あくまで不安を紛らわす為だった筈。
それが事実上霧散したとてそこまで怒るか? 結果的にここまで何もないのだから、安心こそすれ不機嫌になる理由が掴めない……
「せめて埋め合わせは旅行から帰った後にしてください。
ここには最初から遊びに来てるんですから、それでチャラにしようなんて甘いです!」
「それ、は……────」
そこで提示された埋め合わせの条件に、俺は即答する事が出来なかった。
だって彼女達には次が無い。
たとえここで殺さなくとも、玲矢の毒牙に掛かるのは時間の問題だから。
出来ない約束をしたところで、いざ死ぬ時に絶望を深めるだけじゃないのか?
それはあまりにも酷だろう。在りもしない希望をつくる事なんて、俺には…………
「きゃああああああああああ!!!」
しかし答えを出すよりも、リナが俺の様子を訝しむよりも早く
屋敷中に響き渡る絶叫が場の空気を一変させた。
「な、なに……?」
「これ、ほのかさんの悲鳴……」
これには只事ではないとリナと琴美さんも驚いているようだ。
そして今の大声に釣られて、ここまで寝ていたリオがようやく目を覚ました。
「お、ねえちゃん……どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ! 多分、ほのかさんに何か……!」
「慌てないで。様子を見に行くなら全員で行こう」
事態を把握できていないリオに、段々と怯えが見え始めたリナ達。
両者を宥め、俺は共に様子を見に行くよう提案した。
実際彼女達だけで事態を確認しに行くのは、時間帯も相まって心細いだろう。すぐに提案は受け入れられ、俺達は声の方角へと足を向ける。
そうして進んでいけば、ほのかの姿はすぐに見つけられた。
しかも傍らには雪斗がいる。彼はほのかを庇うように、彼女の前に立って何かを見据えていた。
「お兄ちゃん、何があったの……!」
「見るな!」
俺達の存在を認めると、雪斗は必死の形相で叫びを挙げる。
リナ達は思わず立ち止まってしまう。対して俺は敢えて制止を振り切り、その先にあるものを覗き見た。
「……裕明」
────それは事切れた死体。
ナイフに胸を貫かれ、目を見開いたまま絶命した犬飼裕明の姿だった。
「……」
未だ雪斗の影に隠れたほのかを見やる。
相変わらず怯えた様子……しかしそれが皆を騙す演技なのだと、俺には一発で判別がついた。
恐らく琴美さんの代わりに裕明を殺害したんだろう。
玲矢の罰を受けない為に。予定通りに連続殺人を演出する為に。彼はこの屋敷で最初の犠牲者へと変わり果ててしまった。
…………俺の、せいなのか。
俺が琴美さんを殺せなかったから。
俺が玲矢から獲物を奪ったばかりに、代わりに捧げられてしまったのか。
全身から熱が引いていく気がした。
覚悟していた筈なのに、目の前の現実に頭を打たれたような気がして。俺はただいなくなった友人を見つめ続けるしかなかった。