前世に忘れてきました。何を?人道とやらを 作:しらたまあんみつ
「遙太!!」
その大声は、図らずも呪霊を振り向かせた。ギョロリ、と瞳孔が縦に伸びた鋭い目が錦を見る。
「何なの、あの蛟は…!」
「いや、蛟にしては四肢がない。恐らく地元の伝承に基づくものだろう」
頭の中で似ているものを探すが、蛟とは似ているだけで別物だろう。蛟にしても中華と日ノ本で解釈が違うしな。多分、中華の蛟が朝鮮で変化したもの、と見るのが自然だ。
ふいに、ぽいっと呪霊が遙太を投げ捨てた。慌てて駆け寄り、勢いを吸収して受け止める。
「…なかなか、酷いね」
肩は食いちぎられ、ぎざぎざの傷からだくだくと血が流れ出している。
「忽那、この出血量はまずい。何か血止めは持っていないか」
「はぁ?持ってるわけないじゃん。ていうかぁ、別に良くなーい?そいつが死んでも」
もとよりそのつもりだったんでしょ?、と真顔で聞いてくる忽那にため息をついた。
「あのな。前には巨大呪霊、しかも未知。術式さえも分からない状態で突っ込む気か?遙太が死んでも良いってわけじゃないが、せめて情報だけでも引き出したい」
しゅるり、と。
呪霊が鎌首を高くもたげた。そうして、それに呼応するように周りの水も高く高く持ち上がる。
「…おいおい、マジかよ」
錦が呆然と呟いた瞬間、一斉に川が濁流となって襲いかかった。ダンっと地面を咄嗟に蹴り、その場から離れる。そのまま遙太を肩に担ぎ、全速力で足を動かした。死ぬ気で走っていたその時、ふいに水がズルズルと引きだした。
(なるほど、川から一定の距離を取ると制御できなくなるって感じかな)
その光景に目を細めつつ、チッと舌を打つ。
水を操る、か。多少の制約があると言えど、あの水量と勢いが直撃すれば死ぬ。遙太の傷を見るに、本体性能も相当に高いと見るべきだ。
「えぇ、アレほんとにどうすんのぉ…?」
「何とかするんだよ。おい遙太、寝てないでとっとと起きろ。んでアイツの弱点くらい教えろ」
ペチペチと雑に頬を叩けば、うめきながら遙太は目をうっすら開けた。そして、呪霊の姿を視界に入れて。
「嫌だ!!」
「…は?」
突然喚いた遙太に、錦は目を丸くした。
「嫌、嫌だ!もうあんな化け物と、ゲホ、戦いたくなんか」
「…あー分かった、戦わなくて良い。ただ情報だけでも」
「断る!僕は、こんなところで死にたくないです!!」
そう、口を挟む暇もないほど言い募り、手足をバタバタと動かした。
「おい動くなよ、傷が広がるだろ」
慌てて遙太の体を押さえ込んだが、何故か遙太はそれ以上の力で暴れ出し。するり、と錦の腕から抜けていった。
(ちくしょう、血で滑ったのか!)
「忽那、追え!」
「えー、嫌だけど」
一目散に駆けていく遙太を見送りながら、忽那は幼い顔を顰めた。
「戦意のない奴は邪魔でしょ?良いじゃん、逃げたいって言ってるんだしー」
「まあ、確かに…?」
ドバァ!!
錦たちめがけて噴き出した水流を避ければ、それはグルグルと周囲を渦巻き出した。そして、段々とその渦を狭めていく。完成したのは、呪霊がいる淵を中心とした水のリング。
「趣味悪っ」
「背水の陣、ということかな?」
「いやいや、どう考えても牢獄じゃない」
面倒そうにため息をついた忽那の肩に手を置いた。
「そう思うなら逃げたらどうだ?」
「え、逆に何で逃げないのー?」
そう、忽那は上目遣いで錦を見つめた。
「もしかしてさぁ、アレに勝てるとか思ってんの?うっわー、ないわー。どう考えても無理でしょ。見なよ、あの攻撃規模」
指を指された方を見れば、確かに水流が当たったところの地面が抉れている。ほら見ろとでも言わんばかりの忽那に、錦は首を傾げた。
「だから何だ?」
「…は?ボクの話聞いてた?死ぬっつってんの。お前が死んだら、詰められるのボクなんだけど」
「そもそも敗北を前提として話すなよ。戦う前に負けることを考えるバカがいるのか?」
「んじゃ戦う前に勝てるって思うバカもいないと思うけど」
バチリ、と二人の間に火花が散った。そうして、二人同時に相手から顔を背ける。
「あーあ、お前に友達になりたいとか言うんじゃなかった。とんだイカレ野郎じゃん。言っとくけど、ボクは絶っ対戦わないからねー」
「好きにしろ。お前がどうしようが私には関係ない」
そう吐き捨てて、錦は呪霊へと向かっていった。シュウ、と呪霊が舌を出し入れする。それに中指を立て、ついでにハッと鼻を鳴らす。
「さて、と。どう祓ってやるかな」
その言葉と同時に、再び激流が逆巻いた。
とぷりと帳が張られるのを見て、鹿紫雲は目を細めた。
「随分早いな」
「ね。意外に仕事早かばいね、あん子」
背後から掛けられた甘ったるい声を華麗に無視し、ザクザクと歩を進めた。
あれほど大規模な帳であれば、必ず巫堂たちも反応する。出てきたところを一網打尽にするーというのが、太閤軍から下された作戦だ。もちろん、呪霊を祓うのも重要だが、作戦の主眼はほぼ巫堂殲滅である。
そんな重要な役を任された鹿紫雲だが、彼にしては珍しく嫌気が差していた。それはひとえに相方である許斐のせいである。
やれ「一人は嫌や」だの、「うちゃ回復要員やけん守って欲しか」だの。お前も呪術師じゃねぇのかと怒鳴りたいのを何度思ったことか。それでも未だ帰れとは言っていないのは彼女の術式の有用性を認めているからに過ぎない。
「…来たな」
近づいてくる気配を二つ三つ感じ取り、鹿紫雲は独りごちた。
「
現れたのは、紅白のチマチョゴリを着込んだ三人の巫堂。その真ん中に立つ一人が、ひどく不快そうに言った。
「なんて言ってんのか知らねえが、一番強いのはお前か?」
「
「周りにいるのは護衛ってところか?いいご身分だな」
「
タン!!
巫堂が言い終わる前に、ピカッと電光が奔った。真っ直ぐに巫堂を狙ったそれは、けれども僅かに軌道を逸れた。最小限の動きで鹿紫雲を避けてみせた巫堂は、どこまでも無表情に告げる。
「
「へえ、結構やるじゃねえか」
「ちょっと、なんしよーと!?早よ仕留めんしゃい!アンタに、反応でくる奴らばい…」
楽しげにコキリと首を鳴らした鹿紫雲に、汗を浮かべた許斐が怒鳴る。が、その言葉の威勢はみるみるうちに消えていった。ちらりと、睨みつけるわけでもない一瞥。それだけだ。それだけで、許斐は一切の言葉を封じられた。
不意に、巫堂の一人が持っていた竹の縦笛に息を吹き込んだ。ピィー、という哀愁漂う音を皮切りに、ゆっくりともう一人が小型の鉦を鳴らし始める。それに合わせて、真ん中の巫堂がくるりと回った。
その様子を眺め、鹿紫雲はもう一度地面を蹴った。先ほどよりも更に早い突進に、真ん中の巫堂は容易く如意を受け止めた。手の中で如意を回転させ、鋭く首を突く。が、それも異様な反射速度で巫堂の持つ鈴を盾にされる。
「!」
(今の動き、反射というよりは…)
一瞬動きを止めた鹿紫雲に、巫堂が蹴りつける。咄嗟に如意でいなせば、足を軽やかに返した横蹴りが飛ぶ。ドッ、と凄まじい威力に目を見開くと同時に、鹿紫雲の体が吹っ飛んだ。衝撃を逃しつつ、ザッと受け身を取る。
ふと、巫堂の様子に違和感を覚えた。ほんの出来心で、如意を手放してみる。からん、と地面に転がっていくそれに、巫堂は何の反応も示さない。ぼんやりと、どこか恍惚とした笑みを浮かべて巫堂は舞い続けていた。
(ありゃ完全にトんでんな)
様子としてはイタコやらの口寄せに似たものか。確か
(さっきの威力は、多分霊力ってやつでの身体強化か?)
呪力で防御したはずなのに、それを突き破られた。恐らく霊力特有の性質だろう。そもそも自分の呪力は雷と同じ性質を持つはずなのに、それも効いていない。厄介だな、と鹿紫雲は未だ痺れる腕を軽く叩いた。
鉦と縦笛の演奏が、だんだんと速度を増していく。それに合わせて、巫堂の動きも緩やかなものから激しいものへと推移する。
カァーン、と一際高く鉦が打ち鳴らされた。
ほぼ同時に、巫堂と鹿紫雲が飛び出した。
腹を狙った蹴りを如意の旋回で跳ね除け、重い掌打をひらりと避ける。一方が攻撃すれば、一方の苛烈な反撃に遭う。まさに紙一重の攻防。
けれども、その表情は対照的だ。鹿紫雲が軽快に一歩を踏めば、巫堂はどこかぎこちない動きで後退する。だが、鹿紫雲の攻撃は一度たりともまともに巫堂に直撃していない。
「ハハ、面白ぇ!」
(動きは鈍ってきている、だが衰えない反射速度!やっぱコイツ、
初撃、そして今のせめぎ合い。巫堂は鹿紫雲の動きについて来れている訳ではない。それならば何故、彼の攻撃が当たらないのか。それは恐らく、巫堂の能力にある。
未来予知。今まで鹿紫雲も会ったことはないが、そういった術式が存在することは
(数秒か、あるいは遥か先まで視えているか。重要なのはそこじゃない。未来が視えるだけならば、必ず回避行動が僅かに遅れるはず!)
であれば、そこをー突く。
鹿紫雲は思い切り飛びさすり、巫堂から距離を取った。巫堂に手を向ける。パリ、と澄んだ空気を短い閃光が切り裂くーはずだった。
しかし。本来であればどんな相手でも必殺になりうる雷は、発動すらしなかった。それを意に介さず放たれた蹴りをいなし、歯噛みする。
「クソ、どういう絡繰だよ」
(
だが、巫堂は「未来予知」の能力では無かったのか?こちらの攻撃を無効にできるのであれば、最初から予知の必要などないだろう。そもそも、初めから攻撃無効を使えば良かったのでは?
(そうしなかったってことは、何らかの制約がある?)
例えば、命に関わるようなもののみ、だとか。
カンカンカン、と甲高い金属音。こちらをせき立てるようなそれに、思わず舌を打とうとして、ハッと気づく。
「音楽、か」
拍が速くなればなるほど、それに伴って巫堂の攻撃もより速く重いものになっている。心なしか、巫堂の周りで共に踊っている光ー霊力も輝きを増している。
仮定ではあるが、巫堂の術式はあの音楽と舞いの儀式を行うことで発動し、儀式が進めば進むほど手数が多くなるのではないか?そう考えれば、攻撃無効を今まで使わなかった理由も説明できる。
(問題は、巫堂の術式が予知に近いものだとして、攻撃無効は何だ?まさか二つの術式を持っているとでも?)
考えながら、鹿紫雲は自分の口角が上がるのを感じた。パン、と膝を打って巫堂を見る。
「弟子にあれだけ言っといて、自分だけ″想定外″に対応できないわけにはいかねえんでな」
小さく呟き、拾い上げた如意を再び構える。
(いくら考えたって、答えなんざ出やしねえ。ただ一つ言えるのは、どんな術式にも弱点があるということ)
ー要は、戦いながらそれを看破すれば良い。
トン、と巫堂が更に機敏に肉薄する。逆に鹿紫雲が巫堂の懐へ踏み込めば、彼が如意を突き出す前に巫堂が思い切り後退した。
「今のは…!」
許斐が後方で叫ぶのを聞き、鹿紫雲も己の予想がカチリとハマるのを感じた。
やはり、巫堂の術式は「予知」で間違いない。音楽に合わせてより精度が上がるのも概ね正解だろう。問題は、先ほどの電撃の発動を阻害したナニカ。常識に則れば、術式の一部なのだろうが。なにせここは未知の場所、術式ですら想像を超えている可能性が高い。
(…いや、それにしてもだ)
鹿紫雲はふと顔を顰めた。巫堂の動きに、漠然とした引っ掛かりを感じたのだ。
膝を抱えながら腰を回すようにして、巫堂が足を横から回した。日ノ本では回し蹴りと呼ばれるそれをギリギリで避けて、違和感の正体を探る。
(考えろ、
凄まじい速度で記憶の頁を捲る。
と、一つの事実が過った。巫堂のあらゆる動きに共通している点、それはー
(必ず近距離でのみ、俺と戦っている!)
別に、あの巫堂が近接戦闘を得意としているだけかもしれない。だが、それではせっかくの「予知」が生きないのではないか?
相手の動きを読めるというのなら、わざわざ危険性を孕む近距離戦を挑まずとも、届かぬような場所から延々と遠距離攻撃を行えば良い。巫堂の自尊心かとも思ったが、仲間を引き連れて儀式を行うような奴に、自尊心などというものがあるかは怪しい。
考えられるのは、術式の制約。距離が離れると予知できなくなるとか、その辺りが妥当だな。
(今までの情報を鑑みるに、巫堂を倒す方法は一つ)
くるくるくると自在に手足を舞わす巫堂を見て、フッと大胆に笑って見せる。
「仕組みは分かった。ここまでだな」
ブオン!!
如意が、風を切った。真っ直ぐに投げられたそれを、流れるような動きで巫堂は鈴で払い落とそうとしてー鹿紫雲が、一瞬で近づいていたことに気づく。
バリッ、と腹に翳された手から電気が弾けた。だが、プラス電荷(巫堂)へのマイナス電荷(鹿紫雲)の放電はまたも発動しない。
シャン、と巫堂が手に持った鈴を振り下ろした瞬間だった。鹿紫雲の拳が、巫堂の心臓を貫いたのは。
グシャ、と湿った感覚に眉ひとつ動かさず、鹿紫雲は手を引き抜いた。どさっ、と重い音を立てて、巫堂は噴き出る血と共に倒れる。ようやっとトランス状態が解けたのか、巫堂は呆然と鹿紫雲を見た。
「
掠れた声に、鹿紫雲は軽く肩を回した。
「相変わらず何言ってんのか分からんが、大方どうやって術式を破ったか聞きたいんだろ?」
まあ簡単なことだ、とカラッとした言い方で続ける。
「お前の術式はアレだろ、予知。んで、そこには「術者の周囲のみ」という制限がある。であれば、お前は遠距離からの攻撃をより警戒しているはずだ。ただし、如意を投げても当たる時には「お前の周囲」の範囲に含まれてるだろうから、当然お前は避ける」
だがな、と人差し指を立てた。
「お前の術式には、どうしたって弱点があるんだよ。反応速度までは変わんねえってとこだ」
「なるほどー、分かったばい!巫堂ん注意ば如意に引き付けさせ、そん上で雷ば放つ。で、攻撃無効も使えんくして、本体ば殺したっちゃわけね」
うんうん、とわけ知り顔で許斐は頷いた。突然会話に入ってきた彼女を無視し、鹿紫雲はしゃがんで巫堂を見た。
「まあそういう訳だな。攻撃の無効は強力だ、幾ら何でも連発はできない。未来が視えても反応できない状態になった時点で、お前の負けは決まってたんだよ」
そう軽く言い放った後で、「あ」と声をあげる。
「言葉が通じねえから意味ねえか」
「…どうせもう死んどーよ、そいつ」
巫堂の死体が三つ、血に塗れた楽器が二つ。その中で、楽しそうに許斐は死体を探っていた。
「まだか」
「ええー、ちょっと待ちんしゃい。朝鮮ん術師ん持ち物ばい?じぇったいイイもんあるに決まっとろうもん」
明らかにウキウキとした雰囲気を隠さない許斐に、何度目かのため息を吐く。
「どうせ売り払うだけだろうが。どこに売るのかは知らねえが、買い叩かれるのがオチだろ」
「いやいや、信憑性しゃえありゃあこげなんな高う売るー…あれ?」
パラパラと本に目を通していた許斐はこてんと首を傾げた。そして、ある見開きのところでその手を止めた。
「なぁなぁ、ここちょっと見てみんしゃい」
許斐が指差したのは一つの絵。大きな川の中に、巨大な蛇が鎮座している。その周りに所狭しと文字が詰め込まれているが、あいにくと鹿紫雲が読めるものでは無かった。
「これが何だってんだよ」
「足軽が集団失踪したとは確か淵ん近うやろ?帳が降りよーともおんなじ位置」
トン、と指を絵に戻す。
「ここに書かれてるヤツが件の呪霊だってことか?つってもまあ、この文字が読めなきゃ意味ねえだろ」
会話を終わらせようとした鹿紫雲に、許斐はふふんと胸を張った。
「うちがこん数ヶ月間暇しとったとでも?少しは朝鮮ん言葉ば身につけたとよ。敵ば倒すなら、まず知れってこと」
「で?なんか有用な情報書いてあんのか?」
「…何か他に言うことなかと?」
許斐は得意そうに耳に手を当てた。が、鹿紫雲の冷たい雰囲気に一瞬でそれを崩す。
「こん呪霊は「イムギ」って呼ばれとーみたいね。中華ん蛟龍っているやろ?それみたく、数千年ん修行ば経て龍になる存在やて言われとー」
「なるほど。民間伝承に基づくもの、か」
「そん類んもんなただん呪霊とは一線ば画す存在ばい?むしろ精霊とか、そこら辺に分類しゃれそう」
本から顔を上げ、鹿紫雲の表情が変わっていないことに顔を顰めた。
「心配とかしぇんと?結構仲良しゃそうに見えたっちゃけど」
薄情やねー、とあからさまな棒読みに、鹿紫雲は小さく笑った。そうして、帳の方を見る。
「舐めんな。俺の弟子だぞ」
「変圧呪法 銀鼠」
バシャ!!
凄まじい速さで迫り来る奔流が、錦の周りであっという間に勢いを失った。水圧を極限まで下げたことにより、豪雨のように降り注ぐ水を鬱陶しそうに跳ね除けつつ、錦は歯を軋ませた。
(くっそ、キリがない…!)
先ほどからこの繰り返しだ。これでは地味極まりない削り合いにしかならない。いや、そこは大して問題ない。大抵の相手であれば、削り合いだとしても押し勝つ自信はある。大抵の相手であれば。
まず、この呪霊は強い。呪力量、出力共に文句なしの特級だろう。その上、水の防壁によって全く近づけない。錦の術式は半径五メートルという効果範囲しか持たないのだ、これではまともな戦闘にならないだろう。
攻撃を一切当てられずにムカついているところに激流が突っ込んでくるのだ。舌打ちの一つもかましたくなる。
「マジでどうすっかなあ」
ぼやく暇もなく、錦の術式範囲外が綺麗に削り取られていく。その様子を無感情に眺める本体を見て、少しは降りてこいよと無意味な悪態が口をついた。
ふんふーん、と楽しげな鼻唄が聞こえてきた。そちらを見るまでもなく、錦は怒鳴った。
「うるせぇよ、人が必死に戦ってる時に!」
「え〜?君が「お前が何をしようと私には関係ない」とかえっらそうに言ってたんじゃん」
首をわざとらしくすくめた忽那を殴りたい気持ちを抑え、グッと地面を踏み込む。そうして、川で悠々とうねっている呪霊に迫った。
「変圧呪法 友ぜ、」
圧縮した空気を放とうとした瞬間、視界の端で何かが煌めいた。
ズババッ!!
同時に、体が切り裂かれる。
(水の斬撃…!水流操作だけじゃないのかよ!)
これはいよいよ、本当に相性が悪い。恐らく、水を細く高圧で圧縮しているのだろう。それならば「銀鼠」で対応できるが、当たった時には自分が斬られている。
つまり、迂闊に近づくのは危険。
だがそれは、こちらの決定打が無くなることを意味する。
(…通用すると、そう思ってた)
血が噴き出す皮膚にぐるぐると布を巻く。その動作には、先ほどまでの力強さはない。
零落という強敵に勝ったことにより、錦は己の力量に自信を持っていた。けれども、どうだ今の状況は?術式は通じず、ジリ貧以外の何物でもない。全くの想定外。
「鹿紫雲サンは、これを狙っていたのか…?」
頭の中で静電気が弾けたような気がした。そう、想定外。だが、鹿紫雲は朝鮮に来る前に何と言った?
ー「何があっても動じんな、頭を働かせろ。自分が死なないことを第一に考えろよ」
そうだ、この程度のことで心を折らすな。パチン、と思い切り両頬を叩く。
(勝つんだ、絶対に)
「おい忽那。手ぇ貸せ」
「はぁ?」
未だ退屈そうにしている忽那に目を向ける。
「いや自分でやりなよー。言ったよねぇ、ボクはアレに勝てるとは思ってないんだけど」
「そうだな。お前の言う通りだ」
素直にそう言い切った錦に、忽那はギョッと目を見開く。
「え、何怖いんだけど。頭打ったー?」
「今の私一人じゃ、とてもアイツには勝てない。だから、手ぇ貸せ」
その言葉に、一瞬忽那が動きを止める。すかさず、水流が飛んできた。ハッと忽那が顔を上げるも、その反応は明らかに遅い。
だが、水流は彼に当たる前にその流れを緩やかなものにした。見れば、錦が忽那の前に立っている。
ポカンと錦を見つめる忽那に、彼女は言葉を続けた。
「勝つためには、想定外の事態に対応するには、柔軟性が必要だ。お前のことは正直嫌いだが、意固地になって勝てる相手でもない」
「嫌いは一言余計だよ」
そう言いつつ、忽那は吹っ切れたように前を見た。
「まあ、良いじゃん。ボクもあいつウザくなってきたとこなんだよねぇ」
そうして、二人は歩を揃えて呪霊を睨め付ける。
忽那と錦。未知への共闘戦線が、火蓋を切った。
朝鮮出兵時の李氏朝鮮と、現代の韓国語では大きく違うそうですが、作者にはその知識が一切ないため、巫堂のセリフには現代のハングルを当てております。翻訳を使用しているため、間違っている可能性もありますのでご了承ください。
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