前世に忘れてきました。何を?人道とやらを   作:しらたまあんみつ

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二ヶ月も音沙汰が無くてすみません。少々モチベを失っていましたが、やっと書きあげられました。


いつかの逆夢

 

コンコン、と錦は立派な門を叩いた。

「…反応ないですね」

「そりゃ敵かもしれないしな。襲ってこないだけまだマシだ」

「いやいっそ襲ってくれた方が穏便な話し合いができそうですが」

「それは話し合いとは呼ばねえんだよ」

 

筑前国、博多。数年前に太閤が攻め入り、丸ごと焼け野原になったが、当の太閤によって復興が進められている土地だ。真新しい柱の匂いが漂い、大工や職人の活気ある声が飛び交っている。

 

そこの一角に、その屋敷はあった。筑前では有名な呪術師の一家であり、許斐の実家でもある。こちらを威圧してくるような分厚いケヤキの門構えに、焼けた瓦の断面が不規則に覗く博多塀。地元の名士、という肩書きが似合いそうな屋敷に、錦はちょっと驚いた。

軽薄とまでは言わないが、どことなく軽い印象のあった許斐が、こんな重厚感のある家に住んでいる様子が思い浮かばないので。

 

 

「…鹿紫雲様と、佳宵様ですね」

ギィ、と門の脇の潜り戸が開き、使用人が顔を出した。

「何用でございましょうか」

「朝鮮への出兵で死んだ許斐にちょっと金を借りててな。金の用意はできたんだが、本人が死んでるもんで。なら実家にでも返すかってんでここまで来た」

「左様でございますか。つかぬことをお聞きしますが、額は幾ら程ですか?」

「七十五貫だよ」

「承知いたしました。主人に伺いを立てて参りますので、少々お待ちください」

 

使用人は頭を深々と下げ、潜り戸を閉じる。

「なんか思ったより友好的」

「喧嘩腰で俺らに挑む利点がねえだろ」

「確かに。ていうか、さっきの奴私の名前まで知ってませんでしたか?私も名が売れたもんですねえ」

「朝鮮まで行ったからだろ。そもそもここは対朝鮮の重要拠点だった名護屋城に近い。太閤軍の補給地にもなってただろうし、その手の話題は広まりやすい」

「へえー、術式とかの詳細が漏れてなきゃ良いんですけど」

「そこまで詳しくは情報が行き渡ってねえんじゃねえか?この屋敷の主人は知ってる可能性があるがな」

 

気をつけろよ、と鹿紫雲は言う。

「中に誘い込まれて襲われる…なんてのはザラにあるからな」

「でもそっちの方が戦えるから良いかもですね」

「お前はどんだけ戦いてえんだよ。ったく、誰に似たんだか」

「師匠じゃないですか?」

 

にこりと手を打った錦に、鹿紫雲はため息をついた。ちょうど、二人の会話が切れるのを待っていたかのように、再び潜り戸が開く。

 

「お待たせいたしました、お二方。主人がぜひお話ししたいと申しておりますので、お手数ですが、お入りください」

どうぞ、と屋敷の中を指し示す使用人に、二人は思わず顔を見合わせた。

 

「…罠?」

「あからさま過ぎるだろ」

「ですよね。え、本当に招かれてることってあるんですか?」

「さあ…。俺は初めてだな」

ひそひそと困惑した顔で話す錦と鹿紫雲に、使用人は無表情のまま告げた。

「警戒せずとも、そのような意図はございません。仮にそうであったとしても、お二人ならば切り抜けられるかと」

 

(…まあ、そうだけど)

この屋敷の中に、錦や鹿紫雲に匹敵する術師がいるとは思えない。が、術式の相性差やフィールドの有利不利によって勝敗というものは容易く変わる。それは錦がこの数年間、嫌と言うほど思い知ったものだ。

さて、どうしたものかと錦が眉を顰めた時、鹿紫雲がスタスタと歩き始めた。そのまま潜り戸をスッとくぐる。

 

「…?何してんだ、とっとと来いよ」

「え?あ、はい」

 

こちらへ、と促されて錦もくぐる。

「…わあ」

視界に広がったのは、隅々まで手入れされた茶庭だった。中央には真っ直ぐに石畳が伸び、その左右には玉砂利が敷き詰められている。所々に青々と枝を広げる松が植えられ、その合間にひっそりと石灯籠が佇んでいる。そこへ夕暮れの光が柔らかに差し込み、静謐な空間を演出していた。

 

「主人はこの奥でございます。入り組んでおりますので、わたくしから離れませぬように」

「分かった」

 

慣れたように進む使用人と鹿紫雲とは違い、錦は生粋の戦場上がりである。いや鹿紫雲だってそのはずなのだが、どうも足取りに迷いが見られない。

(…何この場違い感)

何が言いたいかと言うと、錦だけお上りのかのように浮いているのだ。石畳を殊更慎重に歩いているところとか、茶庭に目を奪われては鹿紫雲たちに置いて行かれているところとか。

 

 

そんな弟子を横目に見て、鹿紫雲は呆れを滲ませて笑った。微笑ましいというか、なんと言うか。太宰府に行きたがったところといい、言動の端々に子供を思わせる無邪気さが垣間見えるのだ。経験や技術に見合わねえな、と常々思ってはいるのだが、わざわざ指摘してやることもない。

 

 

茶庭を抜けると、一段高くなった木製の縁側を備えた部屋が現れた。

「ここでございます。主人はすぐに参りますゆえ、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」

使用人が恭しく頭を下げるのを見送って、二人は部屋へと足を踏み入れた。沓脱石に草履を脱ぎ捨てようとして、錦はあわてて踏みとどまった。そしてわざとらしいほど丁寧に揃えて置く。

その姿を見て、鹿紫雲はまた笑いが込み上げるのを感じたが、弟子の名誉のためにそれを堪えた。…口角が上がっているところを見るに、堪えきれていなかったが。

 

「茶まで用意されてるなんて、随分歓迎されてんですね」

どこか風情のある茶碗を見て、錦は瞼を瞬かせた。鹿紫雲の視線に気付き、ハッと手を振る。

「いや流石に飲みませんってば!」

「飲みてえなら好きにしろよ。毒が盛ってあったとしても仇は討ってやるから」

「なんで私が死ぬ前提なんですか!?」

 

師弟がぎゃあぎゃあと騒いでいると、隣の襖がスッと開かれた。入ってきたのは、髭を蓄えた豪胆な老人。

「待たせたのう、お二方。この屋敷の主人を務めておる義臣(よしおみ)と申す」

「別に待ってねえよ。堅っ苦しい挨拶なんざ要らねえからとっとと本題に入ろうぜ」

バッサリと切り捨てた鹿紫雲を気にするでもなく、義臣は下座に座った。

 

「あー、これって移動した方が…?」

「お気遣いなく。お二方は客人である故」

手で制され、錦は浮かしかけていた腰を戻す。

(主人ってこんな感じなんだな)

およそ上に立つ人間というものに目にかかったことのない錦には、義臣の堂々とした佇まいが珍しく映った。前世の上司とはオーラが違うなと意味のない比較を添えて。

 

「んで、俺たちに話ってのはなんだ?」

「なに、大したことではござらん。このご時世、名のある術師が誰にもつかぬと言うのはそれだけで脅威になり申す。失礼を承知で伺うが、お二方は、一体誰につくおつもりか?」

ピリリと、空気が引き締まった。いや、義臣の表情は変わっていない。隣の鹿紫雲があからさまに顔を顰めたのだ。

「それを聞いてお前に何の徳がある?逆も然り、俺たちがお前の戯言に付き合う義理なんざねえだろ」

「これは失敬、気分を損ねたのなら謝ろう。…ただ、このご時世、個の力だけで生きていくには危ういと思うての。戦国最強と謳われる鹿紫雲殿でも、鉄砲抱えた足軽に囲まれて、無傷で生還できると断言できるか?」

 

鹿紫雲の眉間に、露骨な皺が寄った。

「…おい」

それを見た瞬間、錦が音もなく立ち上がった。その額には青筋が浮かんでおり、怒鳴らないのが逆に不気味だ。

「今のは鹿紫雲サンへの侮辱か?老婆心だか何だか知らねえが、余計な世話以外のなんでもねえよ。人に忠告する前に、まず個の力すらも誇れないてめえの有りようを見直してみろ」

ドンッ、と畳を踏み締めて義臣を睨む。

 

「随分、懐かれておるようだな」

それに苦笑するように、義臣は鹿紫雲へと視線を移した。まあな、と鹿紫雲は呆れたように錦を横目で見る。

「俺の言いたいことは大体こいつが言っちまったんで、もう言うこともねえがな。俺としては、お前の言い分も一理あると思う」

「鹿紫雲サン!?」

「お前は黙ってろ」

バシンと錦の頭を引っ叩き、鹿紫雲は続けた。

 

「現状、日ノ本を統べてんのは太閤だ。だが、昨今の朝鮮への出兵の失敗で不満は高まっていると言わざるを得ない。そういう連中が裏で何か企んでたっておかしくはねえ。…もしも、大名連中が太閤に対して反旗を翻した時、どちらにつくか。大半の術師はもう決めてんだろ?」

義臣は、それを否定も肯定もしなかった。ただ、黙って鹿紫雲を見つめ返す。

 

「だが、それは俺には関係ねえだろ?」

ー俺は誰にもつかねえよ

 

さらりと言って、鹿紫雲は立ち上がった。

「右に同じっすね」

当然の如く錦もそれに倣う。

 

その様子を見て、義臣は軽く笑みを浮かべた。

「そうでござったか。全く、余計だったようで申し訳ないのう」

「ほんとだよ、わざわざ呼びつけといてさ」

ふんと鼻を鳴らし、錦は義臣にズカズカと歩み寄った。懐からずっしりと重たい袋を取り出して、彼に差し出す。

「あんたの娘には世話になった。それだけは礼を言っとくよ」

 

それを、何故だか驚いたように見つめて。ゆるりと、義臣は目尻を下げた。

「…そうか。お主らは、これを届けに来たのだったな」

噛み締めるように言って、袋を見つめ返す。そして数秒間を置いた後、錦に袋を突き返した。

「お返し申す。そもそも本人が死んだというのに、関係ない儂が受け取るというのも筋が通らん」

「そういう訳にもいかねえだろ。貰っとけよ」

 

鹿紫雲の言葉に、義臣はふっと笑う。

「…では、どうしてもというのなら、もう一つ儂の問いに答えてもらおうか」

「じゃあ、さっきみたいなの以外で頼むよ」

「言われんでも、あれは戯れの類でござるよ。なに、大した問いではない」

咳払いして、何処か遠くを見るように、義臣は聞いた。

 

「お二方から見て、許斐はどう見え申したか?」

 

ーその時の、義臣の表情を見て、もしかしたらこれが本題だったのかもしれないと、錦は漠然とそう思った。

「「どう」っていうのは実力の話か?」

「いや。もちろん実力も含めて、立ち居振る舞いや諸々を総合して、術師としてどう評価するかを問いたい」

 

「回復要員としては、日ノ本では上位に入ってくるんじゃねえのか。立ち居振る舞いに関しては俺は興味ないから言えねえが、朝鮮に呼ばれるくらいだしな。一、ニを争うまでは行かずとも、少なくとも俺が今まで見た中では良い腕の術師だと思う」

「…佳宵殿は?」

話を振られて、考え込んでいた錦ははっと顔を上げる。

 

「えっと、実力とかに関しては鹿紫雲サンが言ったので全部だと思う。私も大した経験積んでないからあんま言えないけど。…とりあえず、言動とかはだいぶ性格の悪さを感じた」

許斐の、こちらの心中にぐさぐさと踏み込んでくるような笑顔を思い出し、錦は顔を歪ませた。

(本当、ムカつくやつだったよ)

初対面から最悪だったし。そう愚痴をこぼして、錦はつと目を細めた。

 

「…んでも、一本筋通ったやつだったとも思う。普段の振る舞いはともかく、信念っつーか、自分の思うところを貫くやつだった。数ヶ月の付き合いだし、それで金をぼったくられたけど」

だけどさ、と錦は拙いながらも言葉を繋げる。

「そういう奴が、いい呪術師なんじゃないかって、…「いい」って言い方は違うかな、呪術師の生き方を体現してるんじゃないかって思うんだ。性格が多少捻くれていても、曲げないものを持っていて、それを貫き通せるような実力を持つってのが、常に命を賭け続ける私たちの、理想とする姿なんじゃないか?」

 

その言葉が、いつのまにか音を失った部屋に響いた。鹿紫雲も義臣も、ポカンと自分を見つめているのに気づき、錦は慌てて両手を振った。

「ってのは、私の感想で!的外れなことかもしれないけど、」

「かたじけない」

 

義臣は、ポツリと言って、深々と頭を下げた。

「そう言ってくれて、許斐も…娘も、浮かばれると思う」

かたじけない。

 

そう続けた声は、微かに震えていた。

 

 

 

 

屋敷を出て間も無く、二人の間に会話は無かった。夕暮れはすでに群青に沈みかけていて、博多の町にぽつぽつと灯りが灯っている。

「…良いですね、ああいうの」

その灯りを視線だけでなぞって、錦はなんともなしに言った。

「親子の情…ってのとは違うんでしょうけど。良いなあって、思っちゃうんですよね。今更母を恋しがったり、そんな無意味なことはしませんよ」

 

錦の脳裏に蘇るのは、己の名ひとことを呟いて、この世を去った母親と思しき人。そして、すでに薄らいではいるものの、確かに己を愛してくれたであろう、前世の両親。

 

「でも、あれが愛なんでしょうね」

2羽連れ立って、烏が飛んでいる。カア、と片方が鳴いた。それをぼんやりと見つめて、鹿紫雲は小さくこぼした。

「…そうだな」

 

 

 

 

物心ついて初めに認識したのは、今にも崩れそうな納屋だった。廃材を無理やり繋ぎ合わせたような、不恰好な小屋。腐った木の匂いも、残飯みたいな飯も、その頃の俺には当たり前だった。

 

母は、自分に興味が無いようだった。こちらを見ることは殆どなく、会話を交わすことも滅多にない。安物の白粉と紅を宝物のように抱えて、どこかへふらりと消えていく。そうして、僅かな銭を抱えて戻ってくる度、母は忌々しそうに納屋の壁を睨んでいた。それをおかしいなんて、思いもしなかった。

 

一度だけ、母に連れられた場所がある。そこは俺たちの住処とは何もかも違っていた。床は綺麗に掃き清められ、塵一つ落ちていない。納屋を十個並べたとしてもまだ余るような庭に、そこら中を行き交う使用人。なるほど、極楽とはこういう場所のことを言うのかと、幼心に思ったものだ。

 

そこの主人と、母が口論するのをぼんやりと見ていた記憶がある。子供だったから、会話の内容は全くもって理解できなかったが。ただし、一つだけ鮮明に覚えていることがある。

 

「コイツは、アンタの子なのよ!」

そう、母が血相を変えて怒鳴っていた。それでも、屋敷の主人がくれたものといえば、俺への一瞥だけだった。その、嫌悪感と無関心が入り混じった視線を、多分俺は一生忘れない。

 

屋敷から叩き出すように追い出されて、また俺たちは納屋へと戻った。…母は、その帰り道ですら俺の手を引いてはくれなかった。

 

憂さ晴らしをするように戦に出て、自分は強いのだと理解した。どんなに名が通った武人でも、俺の拳一つで沈み、やがて俺を侮るものはいなくなった。

 

…母は、相変わらずだった。戦で手に入れた銭を渡しても、虫唾が走るとでも言いたげな顔で奪い取っていくだけ。その表情に、怯えが混ざったのはいつからだったろうか。

 

俺に殺されるとでも思っていたのかもしれない。いつからか、母は媚びるように微笑みを浮かべて接してくるようになった。それが、「俺」に向けられたものではないと分かっていても、何故だか嬉しかった。無意味で、空虚極まりないと知っていても。

 

母が死んだのは、俺が十の頃だったか。なんの前兆もなく、ぽっくりと病で逝った。けれど記憶に焼き付いているのは、死んだという事実より、今際の際の言葉の方だ。

 

「…どうして、私を娶って下さらなかったのですか」

天井を虚ろな瞳で見つめて、ひび割れた声でそう言った。あの屋敷の主人に言ったのだ、と痺れたような頭の奥で思った。

 

結局、俺を見てはいなかったのだと、妙な諦観と共に、その記憶は脳裏に焼き付いている。

 

そこから、全国を渡り歩いた。ただひたすら、狂ったように強者を求めた。

 

鎧人形を操る者、非術師の剣豪…数えきれない奴と出会って、勝って、殺して。その螺旋の中で、自分と比肩する人間なぞ居ないのだと、分かってしまったのだ。

 

それに気づいた瞬間、世界が闇に塗りつぶされたように思った。一人なのだと、確かな現実が突きつけていた。俺は、生まれた時から独りだったのだと。名前は自分でつけた。母はついぞ、俺を呼んではくれなかったから。幾ら勝っても、周りの奴らは心にもないおべっかを言うか、畏怖の視線を向けるだけ。

 

はは、と乾いた笑いが漏れた。隣に誰もいないというのは、こんなにも虚しいもので。俺はきっと、この先も、

 

 

 

「ーーーサン、鹿紫雲サン!!」

鮮烈な赤が、その闇を遮った。過去に沈みかけていた意識が、乱暴に現実に引き戻される。目を開ければ、そこにいたのは錦だった。

「…あ゛?」

「いやいや、起きてくださいよ。もう朝ですよ?」

鹿紫雲を叩き起こした少女ー錦は眉根を寄せた。同時に、特徴的な赤髪がふわりと揺れる。

 

数多の戦場で、見てきた暗い赤とは違う。こちらの頬を引っ叩いて、目を覚まそうとしてくる赤。

 

「何度声かけても起きないから、ほんと心配したんですよ、全く」

背中に感じるのは、柔らかい布団の感触。それを押し返して、鹿紫雲はおもむろに起き上がった。こぎれいに整頓された部屋を見回して、宿に泊まっていたことを思い出す。ふと障子から差し込む朝の爽やかな光に、バツが悪そうに首の後ろに手をやった。

「…悪かったな」

「寝不足ですか」

「夢を、見ていた」

 

夢?、と錦は首を傾げる。それにああ、と首肯すれば、さらに不思議そうに首を傾けられた。

「鹿紫雲サンでも夢見るんですね。起きれなかったってことは悪夢…?ますます珍しい」

「ちげぇよバカ」

若干生暖かいものが混じった視線に、思わず錦の頭を引っ叩く。

「大したもんじゃねえ。それにもう忘れちまったよ」

「へーえ」

「聞いてんのか」

「それよりこれ、見てくださいよ!」

 

鹿紫雲の言葉を聞き流して、錦は部屋の隅にあった包みを掲げた。じゃじゃーん、と効果音でもついてそうなその動作に、今度は鹿紫雲が首を傾げる。

 

「なんだそりゃ」

「梅ヶ枝餅です!」

「なんだそりゃ」

「菓子です!」

「それは聞いたら分かる」

 

なんでそんなもんを持ってんのか聞きたいんだよ、と鹿紫雲はこめかみを揉んだ。そもそもコイツは菓子なんぞ食う性質だったろうか、と遠い目をしながら。

「あんまり鹿紫雲サンが起きないんで、買ってきました。許斐への借金突き返されたんで、それで!」

「…ああ、そうかよ」

「せっかく買ってきたんで食べましょうよ」

「ああ…って今からか!?まさか朝餉代わりだなんて言わねえよな!?」

「…?はい、そうですが」

 

本気かコイツ。鹿紫雲は顔を引き攣らせた。何をどう思ったら菓子を朝餉にしようと思えるのか。

 

どうぞ、と錦が餅菓子を差し出してくる。まさか叩き落とす訳にも行かないので、鹿紫雲は渋々それを受け取った。

「…ん、やっぱ美味しい」

錦はにこにこと梅ヶ枝餅を口いっぱいに頬張った。

「よくそんな甘ったるそうなもん食えるな」

「いや、生地と餡子のバランス…あ、塩梅が絶妙なんですよコレ。買ってよかったぁ」

「お前確信犯だろ」

寝ている隙を見て買いに行った、の間違いではなかろうか。

 

「鹿紫雲サンもどうぞ。ほんとに美味しいですよ」

錦の満面の笑みに促され、鹿紫雲も梅ヶ枝餅に口をつけた。もっちりとした食感と、餡の甘さが口に広がった。思ったよりも甘さの少ない味に、目が丸くなるのが分かる。

「…美味いな」

「でしょう!?」

 

口元が、何故だか緩むのを感じた。美味いものを食うと気が緩むってのは本当なんだな、と頭の冷静な部分が嘯く。

その表情を見て、錦が瞼を瞬かせた。

「そんなに美味しかったならまた買ってきましょうか?」

「いや、いい」

 

独りだと、思っていた。けれども、自分を見つめる鶯色の瞳がある。その事実が、妙に胸の奥に沁みた。どうにもこそばゆくて、体がじんわりと温まっていくような。感じたことのないような、不可解で、だが温かい感情。

 

それを餅菓子と共に咀嚼して、鹿紫雲は少しだけ笑った。

「これ食ったら、天満宮の方に行こう。元々そういう約束だったろ?」

その言葉に、みるみるうちに錦の目が丸まった。

「…ですね!」

 

これがなんなのかは分からない。だが、悪くない、と鹿紫雲は思った。

 

 




活動報告の方でリクエスト募集しているので、そちらも是非ご覧ください!また数週間ほど待たせてしまうと思いますが、気長にお待ちください。
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