前世に忘れてきました。何を?人道とやらを 作:しらたまあんみつ
(そういえば、私死にかけてるんだった)
腹を押さえた手の隙間から、血が滲み出しているのを見て、錦はやっと現実に引き戻された。
そんな大事なこと忘れるなよと、遠くからツッコミが聞こえた気がするが、錦にとってはあまり大事なことではない。いや、無かった。
だが、今の錦はどうしようもないくらいの″熱″に浮かされていた。あの、何処までも眩しい霹靂への。
「うん、どうやって生きようか」
だからこそ、下手したらー下手しなくても死ぬという状況を、錦は最優先事項と捉えた。
(医療での治癒は不可能。ならば使えるのは、)
呪術。
それは、人智を軽く超えていく力。このくらいの怪我ならば、どうとでもなるだろう。問題は、治癒に使えるような呪術を錦は習得していないこと。
傷を治すものといえば、反転術式。負のエネルギーである呪力と呪力を掛け合わせ、正の力となったものを利用し、肉体を治癒する。
「無理じゃん、そんなの」
錦は、呪力操作はできるが酷く雑だ。適当に流しているだけの、素人に毛が生えたような。例えるならば、ゲームでレベル1の経験値しか積んでいないのに、レベル100のイベントをこなせと言われたようなもの。まあ、端的にいえば困難である。
ではどうするか。手詰まりのように感じるが、実は錦にはもう一つの解決法があった。
それは、生得術式の使用。反転術式とは違い、術式に呪力を流し込むだけで使える、言ってしまえば術師固有の超能力。
しかし、ここでもまた壁が立ち塞がる。術式なんて錦は使ったことがない、という点だ。
転生して、呪力が使えるようになった時。ビビっと、天啓のように降りてきはしたのだ。
術式の概要とか、使ったらどういうリスクがあるとか、色々。それを知って、錦は思った。
(あ、これ結構面倒くさい能力だ)
そして運の悪いことに、戦場は呪力だけでも渡り歩けてしまった。まあ、あとはお察しの通りというか。
錦は、術式の存在なんて頭から消していたのである。
それでも、記憶の引き出しの隅っこで大人しくしていたものを引っ張り出してみて、錦は手のひらと拳をぱちんと打ち合わせた。
今の状況にピッタリじゃあないか、と。
錦の生得術式は「圧力の変化」。特に相伝でも何でもないので、術式名もありはしないが、そんなことはどうでも良い。
使えれば良いのだ、と錦は意気揚々と術式を使おうとして、
(あれ、どうやって使うんだろ、これ)
見事に壁にぶち当たった。逆に今まで気づいていなかったのか。
「圧力の変化」ならば、傷口に圧力をかけて血を止めたり、血圧を低下させたり。色んなことができるだろうと思っていたが、まさか使い方がわからないとは。
うーん、と錦は腕を組む。
それは、まるで高級フレンチに家族に初めて連れられてきた子供のような表情だった。目の前にある料理が食べられることは知っている、でも。食べ方を知らなければどうにもならないだろうという。
さて、そんな子供はまずどうする?家族に聞くだろう、躊躇いなく。それは、子供の特権なのだから。
けれど、今の錦の周りには呪術師どころか人っ子一人存在しない。いるのは、時々現れる野生動物くらいか。
(…美味そう)
ちょろちょろと視界を横切ったリスに、そんな感想を抱いてしまったのは。きっと、錦がいつだって空腹だったからだろう。
家族に聞けなかった子供は、次に周りをぐるりと見るだろう。大人の振る舞いを見て、自分もこうすれば良いのかと気づく。
では、錦は?真似できる人間はいないーいや、正しくは目の前にはいない。それでも、錦の記憶の中には、原作知識という武器がある。
ぱらりと記憶を捲って、錦は一生懸命術式について思い出した。
(今参考になりそうなのは、赤血操術だろうか)
止血に使えそうなものといえば、アレ。確かコツは、全身の血管で体の輪郭を作るイメージをすること。
錦はすっと目を閉じ、じんわりと意識を体全体に広げる。
「いや、イメージして何の意味があるんだよ」
錦の術式は、「操作」ではない。あくまで圧力を変化させるだけ。赤血操術とは、大分勝手が違うらしい。
周りを見ても分からなかった子供は、目の前の食器を見つめるだろう。それをじっと観察して、今までの記憶と合致させて。使い方を自分で考えるのだ。
(そもそも「圧力」って何ぞや)
気分はまるで物理の授業を受けている文系高校生。ただし前提知識が転生によりほとんど失われた、が枕詞につくが。
(身近なものでイメージしよう、イメージ大事)
先ほどまでイメージを虚仮にしていた人間の思考とは思えないが、ここにそんなことを突っ込む人間はいない。
頭の中に、鉛筆を思い浮かべる。確か高校教師がこれで例えていた…はず、だ。
では、尖った方と消しゴムが付いている方、どちらが指に刺した時、より痛く感じる?
当然、尖った方だ。つまり、狭い面積に力が集中した方が圧力は強くなる。
では、尖った方で指を刺すとしよう。どうしたらより痛く感じる?
(これは当たり前かな。力を強く込めた時)
この二つから、狭い面積に力を強くかけると圧力が上がる。その逆も然り、ということがわかる。
錦は出た結論に目を細めた。
確か、p=f/sとか、そんな感じの。授業でやった覚えのある、切れ端のようなものを掴んで。ちょっと、懐かしいなぁと。錦は久しぶりに前世に思いを馳せた。
(平和だったなぁ)
ぬるま湯の、ような。戦争なんて遥か遠い出来事で。自分を取り巻く空気に、剣呑さなんて欠片も含まれていなかったことを思い出す。
でも、今。その知るはずのなかった「戦い」というものに投げ込まれて。その平和なんてものは、ハリボテとしか言いようのないものだったなあ、と思うのだ。
「ああ、そんなこと考えてる場合じゃ無かったっけ」
皮膚の表面をサラサラと血が流れていくのを見て。やっと、錦は追憶の旅から帰ってきた。
じゃあ早速、と患部に手を当てる。血圧を下げるにはさっき見つけた公式を使えば良い。
まず、かかる力を小さくする。この場合は、血液の流れる速さだろうか。
次に、力がかかる面積を広くする。…血管を太くする感じか?
深呼吸をして、じっと集中した。血流を身体機能に問題がない範囲で遅くし、血管を拡張する、イメージ。
呼吸音と共に、段々と血の流れが減速していく。そうして、血がほとんど止まった時。
「…おっしゃあ」
錦は軽く、勝鬨に似たガッツポーズを掲げた。
ざばん、ざばーん、と。
打ち寄せる波にも似た音が、山間を流れる川の流れの速さを示していた。そして、その状況を作り出している本人はといえば、川に両手を突っ込み、滝のような汗をかいている。
「あー、もう限界だわ」
ばったん、と地面に倒れ込む。疲れた、というのもあるが。大半は、呪力切れからくるものだった。
鹿紫雲に致命傷を喰らわされてから数ヶ月。怪我の完治を待ってから、錦は本格的に修行に乗り出した。もちろん、自分の実力の低さを痛感したのもあるけれど。
(全然ダメだ、こんなんじゃあの人に近づけやしない)
錦の頭を占めていたのは、鹿紫雲一のことだった。字面だけを見れば、恋する乙女に見えなくもないが、実情はまるで違う。
あの日、深く刻まれた羨望に錦は突き動かされていたのだ。強くなりたい、あの人のようになりたい、と。
それは、至極当然の衝動だ。
殺して、盗んで、奪って。
その繰り返しに、いつの間にか疲弊していた。
きっと、自分は。イカれてると思いながらも、狂いきれていなかった。
だから、この世界は、ずっとずっと灰色だった。
黒でもなく、白でもなく。塗りたくられた憂鬱な色。感じるのは、ただ。
苦しくても、苦しくても。生き続けるしかないという、閉塞感。
そこに飛び込んできた閃光の、染みるほどの眩さよ!
それは、まるでヒーローのように。その行為には、正義よりも悪という言葉が似合うだろうけど。
それでも、錦は。テレビに映る英雄に歓声を上げる子供が如く、どこまでも純粋に。鹿紫雲一という呪術師を、尊敬していた。
ひらり、額に舞い落ちた紅葉を手に取った。
「もう秋か。早いな」
見上げれば、赤い服を着たような木と、抜けるような青さの空のコントラストが美しい。枝いっぱいに閃く赤に、錦はふと、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「
その言葉と共に、錦の周りの空気圧が一気に下がる。ぽん、という間抜けな音に術式の発動が上手くいったことを知る。飛行機が飛び立つ瞬間に感じるものに似た耳鳴りは、いまだ慣れることはないけれど。
ひゅご、と。
吸い込まれるように、大きく木の枝がたわんだ。そうして、ちぎり取られた紅葉が大量に降ってくる。
赤のシャワーを楽しげに受け止めて、錦はけらけらと晴れやかな、それこそ子供の遊んでいるような笑い声を上げた。
赤が、黄が、褐色が。
くるくるくる、吹き溜まる。
笑い声が、さんざめく。
その光景は、まるで。神様が色とりどりの絵の具を使ったように、綺麗に塗り分けられていた。
やっと紅葉も無くなったようで、気づけば周りにはかさついた木の葉が降り積もっていた。頭をぶるぶるっと降って、髪についたのを払い落とす。
(結構使いこなせてるんじゃないか)
雑な扱いだったとしても、十年間呪術に触れてきたことは、ちゃんと経験値に変換されていたらしい。
どうやって枝についていた紅葉を落としたのか。単純なことだ。
枝から自分へと流れる、強い空気の流れを作れば良い。流れというのは、圧力の高い方から低い方へと進む。自分の周りの空気圧だけちょいと下げれば、簡単に空気は流れてくれる。
錦の術式「
(運が良ければ、の話だけど)
術式の訓練を始める時、空気圧を変えれば強いのでは、と思った。その時の錦の頭は、随分と力学で染まっていたようで。ぽんぽんと、いろんな技を思いついていたのである。術式の名前が呪いの「の」の字すらもないのは恐らくそのノリのせいだ。
例えば、圧力を限界まで下げて、真空空間を作ってみたり。
夢とロマンを詰め込んで、錦は術式の拡張に挑んだのだが。
(しょうがない、普通あんな難しいとは思わないし)
まあ、見事に失敗したのだ。
当然といえば、当然なのだが。空気というものはそこら中に存在する。局所的に圧力を変えるのは難しいし、かといって一帯の圧力を変えると錦も影響を受けてしまうのだ。
他にも、「変圧呪法」には面倒な制約があった。
圧力を変えられるのは、自身から半径五メートルの範囲にあり、かつ術式発動中に自身が触れたもののみ。つまり、遠距離から空気の圧力を操って攻撃、というわけにはいかないのだ。術式の効果に反して、中近距離での戦いを余儀なくされるのが弱点である。
大量の時間を費やして錦が学んだのは、とりあえず近接戦に持ち込む、という身も蓋もない理論であった。いや、それしか道がなかったと言われればそうであるが。
術式を使って相手を害すには、まず近づいて術式の範囲に入れなければならない。しかし、術式の発動前に逃げられたり、近接戦闘で倒されたりしたら話にならないのである。
つまり、錦は術式の訓練と並行して、体術やらも鍛えなければならなくなった。
術式に関しては、まずは流れるルートが分かりやすい川で練習している。
体術は…まあ、こっちには十年間戦場にいた、というアドバンテージがある。でも、やはりこうも呪術ばかりに注力していては、体が鈍るのは当たり前で。仕方なく、基礎から固め直している最中である。いずれは近接技術だけで相手を圧倒するーというのが、今の所の目標だ。
目標、とはいいつつも全く達成できてはいないけれど。
(んでも、やっぱ楽しい)
大きなゴールを据えて、そこに向かって小さな目標を設定して。
それを毎日毎日こなしていくという行為がもたらしたのは、確かな達成感だった。
かつて灰色一色だった世界は、ほら、こんなにも美しい!
己の周りの紅葉を見て、ふふっと錦は小さく笑った。その笑みは、どこまでも年相応で。
人というのはやはり変わることができるのだなと、錦はちょっと思ったりもするのだ。
「さ、再開すっか!」
ぱちんと気合いを入れるように両の頬を軽く叩き、錦は川へと再び向かった。
ちゃぽん、と水に手を浸せば、刺すような冷たさに指がかじかんでいく。
深呼吸して、呪力を練って。
「変圧呪法」
この世界は、今日も今日とて戦を繰り返す。血の流れが途切れることのないその中に、谷底に埋まった小石がある。今はまだ、吹けば飛ぶような大きさでも。いずれ、周りの土砂とくっついて、次第に膨らんでいくだろう。
それは、延々と続く赤い大河を確かに堰き止めんとしていた。
術式の説明回、ではあるのですが。作者が文系脳のため、「圧力ってこれであってんの?」と思いつつやってます。何か違和感などあったら教えて下さると、とても助かります!
(追記)3/18
錦の術式について、大幅に変更いたしました。