前世に忘れてきました。何を?人道とやらを   作:しらたまあんみつ

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朝鮮出兵編
盃に落つ蛇影


 

ザバァーン、と激しく波が船に打ちつけられる。空の色を写して深く沈み、大きくうねるそれは、確か波浪と言うのだったか。

前世でも大海原に漕ぎ出したことなどなく、今世でも縁のないものだと思っていたそれを見て、錦は感嘆のため息をついた。

どんな術式でも、こんな大規模なものは作り出せないだろう。それを簡単に行うのだから自然は恐ろしい。だからこそ、原作の自然呪霊どもはあそこまで強かったのだろうが。

 

錦は船の縁に腰かけ、青く透き通る硝子色の海に手を伸ばした。ぴちゃぴちゃと指先を水が通り抜ける感触を楽しんでいた時、船が大きく揺れた。

 

「うわっ」

同時に錦も船から放り出されそうになったが、そこは呪術師。縁をぐっと掴み、逆上がりの要領で甲板に着地した。

 

「何やってんだ、船の中にいろよ」

簡易アクロバットを眺めていた鹿紫雲は呆れたように言う。

「いやいや鹿紫雲サン、せっかくの外洋なんだから楽しまなきゃ損でしょうが」

「それで落ちたら世話ねえよ」

 

どうせずっと同じ光景だろ、と退屈そうに水平線を見やる師匠に反論しようとして、錦は眉根を寄せた。けれども何も思いつかなかったのか、結局不満そうにちぇっと舌打ちするに留めたのだった。

 

 

 

 

 

 

1592年(文禄元年)

 

堺より南に進むと、和泉と紀伊の二国を分かつ山脈がそびえている。和泉山脈、と後世では呼ばれるこの山脈は、守護大名や仏教勢力はもちろん、時には豊臣・徳川勢力もせめぎ合う軍事上の要衝であった。今でこそ戦も少なくなったが、火薬庫のようなこの場所に好んで近づく馬鹿はそうそういない。

…一般的に考えれば、だが。

 

 

「九百五十七、九百五十八、」

木の枝に足を引っ掛け、ぶら下がった格好から上半身を起こす。それを一日千回やる、というのが最近の錦のルーティーンであった。他にも、腕立て伏せ千回、岩をダンベル代わりにしたウエイトトレーニングなどなど、呪力を使わずに純粋な身体機能を向上する、という名目で筋トレを行っている。

 

もっとも、これでも序の口なのだが。

 

 

「おい、回数だけ重ねることは修行とは言わねえぞ。一回一回、自分がどうして鍛えているのか考えてやれ」

「ういーっす!」

 

木の下から見ている鹿紫雲に元気の良い返事を返して、錦はトンと地面に降りた。

「朝飯ですか?」

「「朝飯ですか?」じゃねえ、今日はお前の当番だろうが」

 

とっとと作れ、と蹴られて錦は乾いた笑いを浮かべた。

「はーい」

 

再び木に登り、トントンと軽い動きで木の枝を渡る。どんな事情があろうが、山は山。そこかしこに川があるし、探せば獣だっている。つまり、食糧を得るのにこれ以上ない環境なのだ。

 

「よっと」

魚影を川の中に見つけ、その近くに飛び降りる。流石の錦も川に直接飛び込むようなポカはしない。

一度やらかして鹿紫雲にキレられたので、そのくらいは学習するのだ。

(いやあ、あの時は魚は逃げるわ服もびしょ濡れになるわ最悪だったな)

その日の飯抜きというオマケ付き。その後数日はその川に魚が戻ってこなかったと聞き、錦はかなり反省したのであった。

 

適当な枝を拾い、魚に狙いを定める。シュ、と枝が空気を切った。見事命中したようで、プカリと浮いてきた魚を掬い上げる。

 

「これなんつー魚だっけ」

鮮やかな赤朱色の斑点が散らばる獲物を見て首を傾げる。あまり見たことがないそれは、ビチビチと錦の手の中で元気よく跳ねていた。

「ま焼けば同じか」

 

そう結論づけて、今度は少し大きな魚影に枝を銛のように刺す。

 

ちなみに、この魚獲りも修行の一環である。柔い枝を如何にして呪力で強化し、魚を捕えるかというものだが、これが案外難しい。呪力強化は簡単だが、いかんせん相手は生き物。動き回るのはもちろんのこと、皮膚がぬるぬると滑りやすい。

初めの頃は全くと言っていいほど獲れなかったが、失敗すれば自分が食糧難になるという死活問題への危機感で、今ではほぼ百発百中にまで成長した。

 

 

どっさりと魚を手に持って、鹿紫雲の所へと運んでいった。すでに鹿紫雲は火を付けており、明々と朝の清々しい空気を照らしている。

 

「ん」

手渡された枝を適当に魚に刺し、順番に並べていく。実はこれにもコツがあるのだ。近すぎれば焦げ、遠すぎれば生焼け。どっちにしたって腹を壊す。錦はどちらも経験済みだ。…理由は聞くな。

 

 

「鹿紫雲サンどれ食べます?」

「別にどれでも」

「魚の好みって人それぞれって思ってたんですけどね。ほら、たまに選り好み激しい足軽いたでしょ」

 

熱っ、とハフハフ言いながら魚にかぶりついた錦に、鹿紫雲も焼き魚を手に取った。

「ああ、いるよな。ったく、味なんぞにこだわってどうやって生きてきたのか」

「いやいや、塩焼きさえ断る猛者もいるんで。可愛いもんですよ」

「それ足軽じゃなくてどっかの大名だろ」

 

今をときめく呪術師とは思えない和やかなやり取り。錦も鹿紫雲も、幼少から戦場に身を置いてきたためか、どこか波長が合うのだろう。

 

 

さっさと食べ終わり、鹿紫雲は手の屑を払う。

「…まだ食べ終わってなかったのか。どんだけ味わってんだよ」

「ちょっと待ってくださいこの魚めっちゃ美味いんすよ」

「知るか、お前人のこと言えねえぞ」

(だって美味しいんだよっ)

 

赤い斑点の魚を口いっぱいに頬張っている様子はとても味わっているとは思えないが、錦は久しぶりの旨みに目を輝かせていた。

 

「飲み込めよそのくらい」

「それじゃ意味ないでしょう。ていうか骨喉に刺さります」

 

至極真っ当な反論に、鹿紫雲は深いため息をついた。そうして、どっかりと地面にあぐらをかく。

 

「あと四半刻。それ以上は待たん」

「ありがとうございます!あ、鹿紫雲サンも食べます?こう、上品だけどコクがあって美味しいですよ!」

「いらねえよ早よ食え」

 

 

 

 

少々いつもより長い朝飯の後、鹿紫雲と錦は向かい合っていた。その表情に先ほどまでの緩さは無く、剣呑に引き締まっている。

「稽古をつける時に言ったと思うが、お前は体術を我流で身につけている。相手の不意もつけるが、それ以上に妙な癖がつきやすい。それは自覚しているよな?」

「はい」

「分かってんなら結構。今日はその癖を徹底的につく。俺の動きを目で見ようと思うな、感じろ」

「りょうか、ッツ!」

 

返事を待たずに繰り出された掌底を避ける。ギリギリだったためか、顎をわずかに手が掠る。直後、錦が鹿紫雲の首に掌底を繰り出した。

(…消えた!?)

空振りの隙を狙ったそれは、しかし当たる前に標的が姿を消したことにより、あえなく空を切った。

同時に背中に衝撃が走る。ガッ、と一瞬息ができなくなった。そこから流れるように地面に押し倒される。

気づいた時には後ろ手を拘束され、背中には足が乗せられていた。

 

「…降参です」

渋々と白旗を上げれば、鹿紫雲はフンと鼻を鳴らして錦を離した。

「で、掴めたか」

「まあ、はい。攻撃に全振りしてるって事ですよね?」

 

うつ伏せになったまま鹿紫雲を見上げると、彼は首を振った。

「いや、それもあるが。一番は、想定外のことに対応しきれていない事だ」

「咄嗟の思考能力に欠けるってことですか?」

「まあな。攻撃に全振りってのもあながち間違いじゃねえ。零落戦もそうだったが、特に顕著なのは敵が反撃してきた時だ」

「…敵の反撃を想定していないから、防御が甘くなる?」

 

零落との戦闘を細かく振り返れば、確かにそうかもしれない。鹿紫雲は正解と言わんばかりに頷く。

 

「じゃ、どうすれば良いんですか?」

「あ゛ー、コレに関しちゃなあ」

 

鹿紫雲は首の後ろに手を当てる。考え込むような仕草に、錦も体勢を整えた。そうして、数秒間ぶつぶつと何事かを呟いた後、パシンと鹿紫雲が手を叩いた。

「よし決めた」

「何を?」

「お前をどう鍛えりゃいいかってことだよ」

 

先ほどとは別人のように清々しく鹿紫雲は笑った。が、錦の表情はそれに反して引き攣っている。なぜなら、鹿紫雲がそういう顔をする時は、大体ろくでもないことだと決まっているからだ。

 

「お前、()()って知ってるか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、話は冒頭へと巻き戻る。

朝鮮出兵。または、文禄・慶長の役。16世紀最大の国際戦争とも言われる侵攻だが、そもそもの発端は天下統一を成し遂げた太閤がさらなる領土拡大を目指し、明を征服しようとしたことにある。そのために太閤は朝鮮に日本への服従と明への道案内を要求した。

が、当然朝鮮が従う筈もなく。紆余曲折あり、太閤は朝鮮への出兵を決意した、というわけだ。

 

しかし、そこには疑問が残る。鹿紫雲や錦のような野良の術師を除き、正式な呪術組織は戦争への介入を拒否しているのだ。理由はもちろん、パワーバランスの崩壊を危惧してのことだ。呪術師という人智を超えた存在が戦場に現れては、それ一つで戦況がひっくり返る。

 

それでは、戦国時代がただ術師を奪い合うだけのものになってしまう。術師が戦に引っ張りだこになれば、「呪霊を祓う」という本来の職務が疎かになるのは誰もが予想できるだろう。必然、呪術師は戦に顔を出せなくなる。

 

鹿紫雲によれば、野良の術師であっても戦に干渉しすぎないように気をつけているらしい。

 

 

それなのに、錦たちが朝鮮に向かっているのは何故か。それは、()()()()が御三家と太閤に提言したからだ。

 

曰く、「朝鮮には独自の宗教が根付いており、巫堂(ムーダン)と呼ばれる呪術師に似た存在も確認されている。さらに、朝鮮は大陸の影響を受けやすい国でもあり、我々よりも進歩した呪術体系を有していることもありえる。そこに非術師のみの軍隊を送り出すことがどんな結果を招くか、想像には難くないだろう」ということである。

 

 

そのド正論に、保守が極まっている御三家も重い腰を上げ、日本有数の呪術師を送ることになったのだ。その中に、鹿紫雲も呼ばれていたようで。錦は彼のオマケのような立場でここまでついてきたのだ。

 

 

 

塩の匂いが混じる風に当たりながら、錦は鹿紫雲に何気なく問うた。

「そういえば、そろそろ教えて下さいよ。なんでわざわざ私まで朝鮮に連れてきたんですか?」

「修行のために決まってんだろ」

「いや、それは分かるんですよ。でも海を超えてまで行く必要あります?そりゃ鹿紫雲サンは強い奴がいるなら戦いたいでしょうけど。修行のためだけなら、別に日ノ本の戦に混じってりゃ良くないですか?」

 

鹿紫雲の顔を覗き込んだ錦に、彼は随分と面倒くさそうに口を開いた。

「理由は二つ。太閤が天下統一しちまったからな、日ノ本でまともな戦が起きる可能性は低い。で、二つ目はお前の癖を矯正するため」

「ああ、「想定外のことに対応できない」ってヤツですね」

「そうだ」

 

肯定した鹿紫雲だが、それではますます謎は深まるばかりではないのだろうか。

「でも、なんでそれで朝鮮に?」

「…朝鮮とはあんま交流ねえからな。正直、どんな奴がいるかも分からん。想定外のことなんざ山ほど起きるだろ」

 

だからこそ、と鹿紫雲は錦の肩を叩いた。

「想定外の事態に慣れるための良い修行場になるんだよ。いいか、肝に銘じとけ。今から行くのは、俺らの予想なんて通じない場所だ。何があっても動じんな、頭を働かせろ。自分が死なないことを第一に考えろよ」

「…はい!」

 

 

ぶんぶんと首が外れそうになるくらい激しい上下運動を繰り返す錦を鹿紫雲が呆れたように見たところで、二人に声が掛けられた。

 

「おい、ちょっとええか」

振り返れば、忍びを模したような格好をした術師が立っている。濃紺色の頭巾や脚絆を身につけた姿は、闇夜ならば溶け込んで見えるだろう。

高麗(こうらい)に着く前に、それぞれの役割を決めときたいんだが」

「役割?」

 

ああ、と忍び(仮)は頷いた。

「手前も、なんで御三家が術師の派遣を決めたか知っとるやろ。現地で予想しとらん事が起きて揉めるよりも、何やるか今決めといた方がええ」

「確かにそうだな。だが、朝鮮に何があるか現状何も分からない。それで役割を決めんのも早計じゃねえか?」

 

未知への警戒というものは、いつだって人類に付き纏ってきたものだ。人は、知らないものに怯え、不安を抱く。それは鹿紫雲とて、怯えてはいないにしろ例外ではないし、呪術師のほとんどがそうだろう。

 

ーただし、たった一人を除いて。

 

 

「それは心配いらないよ。朝鮮のことなら大体調べてきたからね」

突然割って入ってきた声に、錦は誰だテメェと言わんばかりにガンを飛ばそうとそちらを向いた。

 

「役割を決めようと初めに言うたのもコイツや。言い出しっぺやでな、流石に信用できるやろ」

「そういう事。宜しくね、鹿紫雲一」

 

はく、と錦の口から声にならない声が漏れた。同時に、甲板を蹴って彼から離れる。

そのあまりにも早い行動に、鹿紫雲は眉をひそめて彼女を見た。

 

 

錦という人間は、何かを恐れるということはない。元来、人が最も恐れるはずの同胞殺しでさえ、躊躇いも覚えない。それは鹿紫雲も同じだが、軽く笑って死へと飛び込んでいくその様子を快く思ったことはない。

恐らく幼い頃から戦場にいたことで、何か危機感などというものを落としてきてしまったのだろうと、そう思うほどに。

錦はどこか、無くしてはいけないものを欠落させたような人間だった。

 

 

けれども。今姿を現した術師への態度は、そんな事実を吹き飛ばすようなものだった。唇は震え、瞼は忙しなく上下し、何より顔面は血の気などとうに失っている。誰の目から見ても、彼女はまるで萎縮しているような…。

 

(いや、違う)

そこまで考えたところで、鹿紫雲は認識を改めた。彼女の口角は、引き攣っていながらも、どこか楽しそうに上がっていたのだ。

(ま、俺に弟子入り志願するような奴が怯えるわけねえか)

 

 

 

「酷いなあ、初対面でその態度はないだろう?」

そう、見るものをぞっとさせるような得体の知れなさを帯びた男は笑った。それは錦を安心させるような笑みではあったが、錦はブワッと鳥肌が立つのを感じた。

 

 

(落ち着け落ち着け落ち着け)

ハアハアと荒い息を必死に宥め、奴を視界に入れないようにする。ギシリ、と甲板が鳴った。その悲鳴のような音にギュッと心臓が縮まるも、根性で足を甲板につけた。

 

(私は何で、こうも動揺しているんだろう)

どこか、冷静な部分が呆れたように腕を組んだ。

 

そうだ、どうしてここまで取り乱している?確かに奴は危険だ。それでも、鹿紫雲に会った時よりも動揺するのは違う。

そもそも、奴があの呪詛師であるという確信はどこにもない。今の己の姿は無様以外の何者でもないと。

 

けれど。錦はぎゅっと高鳴る胸を握りしめた。

(怖いのか、畏怖しているのか。それすらも分からないけれど。私はきっと、心躍っている)

 

もしも目の前の奴が、あの呪詛師ならば。あの、「面白さ」を求めて千年を賭けたような呪詛師ならば。

おかしなことに、それを想像するだけで、なぜだか頬が緩んでしまうのだ。

 

だってそうだろう、あの呪詛師は疑いようもなく「本物」だ。たった一つの衝動のために、文字通り全てを投げ出せる人間。ラスボスの風格を持った中ボスとはよく言ったもので、目標へ邁進する覚悟は、精神力は、きっとこの世界の誰より強い。

 

 

ようやっと、奴が錦の前にたどり着いた。そうして、未だ姿勢を低くしている錦とゆっくり目を合わせる。

「初めまして、私は魑魅(すだま)。君の師匠の、そうだね…知り合いのようなものかな」

 

ーやはり、か。

 

確認するまでもなく、目の前の人間の姿は、事実を何より雄弁に語っていた。

 

男の額には、()()()があった。水平に伸びたそれは、戦国時代においては珍しくもない傷跡かもしれない。

 

けれど、錦は知っていた。下手をすると一個人を表す記号でしかないそれに、どれだけの純粋で、傍若無人で、どこまでも自分本位な探究心が刻まれていることを。

 

 

再び、魑魅と名乗った男を見る。錦は酷く緩慢な動きで、己の口を開いた。

 

 

「羂、索」

 

その言葉に、魑魅は目を見開いた。

 

 

 

 

 




朝鮮出兵編だと銘打っておきながら未だ朝鮮半島にすら着いていないのはどういうことなんでしょうかね。
これまでと同じく、あまり歴史に介入することはありませんが、表現に不快感を感じたり、「ここはおかしい」と思ったら遠慮なく教えてください。

(5/28 追記)
調べ直した結果、戦国時代だと「朝鮮」より、過去の王朝の名前である「高麗」と呼ぶのが一般的だったそうなので、一部のキャラの台詞を変更いたしました。たまに「朝鮮」を「高麗」と呼んでいるキャラが現れることになりましたが、そういう事情ですのでお気になさらず。それに伴い、現在投稿済みの話も変更いたしました。
作者のリサーチ不足です、申し訳ございません。
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