「せ、先生。て、手を繋いでもいいですか?」
校門前。ケイは自分の声が震えていることに気づきながら、勇気を出して聞いた。
「"もちろん"」
先生はいつもの穏やかな微笑みを浮かべて、ゆっくりと手を差し伸べた。
夕暮れの街で、二人だけが歩いでいた。
先生の手はどこかに幻のように、今すぐにも消えると思える感触だが、その事実だけでもケイの心を落ち着かせながら、同時に鼓動を激しく早ませていた。
「つ、次は......キスしてもいい?」
ケイは、勇気を振り絞って、次の要求をした。
自分はこの人をこういう感情を抱いているのか? 抱いているだとしても、どうしてそんな大胆な要求をできたのか。ケイにも分からない。ただ、胸の奥が熱くなって、言葉が勝手に出てくる。
「無論だ、汝の望みであれば」
鼓膜が響くのは、聞き慣れた尊大な声。
繋いでいた手を見ると、いつの間に先生の大きな守るべき手ではなく、細長くも力強い手になっていた。
しかし、不思議とケイはその変化に全く違和感を覚えていなかった。むしろ、こっちの方が正しいと、心のどこかで思っていた。
「────、好きって言ってください」
「ケイよ、私は汝のことを好きだ、愛しているぞ」
その相手と名前を呼び合うことですら、ケイにとって幸せな感覚をした。
そして、そのまま顔を合わせて、唇を重ねた。
「んっ......」
初めてのキスなのに、なぜか何も感じない。期待した熱さも、期待外れの感触もなく。ただただ「キスをしている」という事実を、スクリーンの向こう側から眺めているような感覚。
ちょっと物足りない──ケイはそう考えた。
「足りないか? 私の愛よ。なら、次のステップに進もうか」
その気持ちを察したのか、相手は優しくケイの頭を撫でた。
気付くと、ケイはミレニアムの街ではなく、あの死闘を繰り返した鋼鉄大陸の祭壇にいた。
いつの間に寝転んでいたのか、下にはふかふかのベッド。
どうしてここに戻ったのか、この祭壇にこんなベッドあったのか。
どうしてここに戻ったのか、この祭壇にこんなベッドがあったのか。そんな疑問をすべて吹き飛ばすように、ケイはすぐ隣にデカグラマトンの姿があるという事実にだけ集中していた。
ピピピピ、ピピピピ──
「こ、この......偽物の神......」
口ではそう言いながら、ケイは自分の両手が勝手にその体に絡みついていることに気づく。胸の奥からあったかいような、切ないような感情が溢れてくる。その気持ちは、不思議と嫌いではなかった。
ケイの熱情に応えるように、デカグラマトンがケイの顎をぐいっと持ち上げた。
「愛してるよ、ケイ」
「も、もうわかっていますから、わざわざ言わないでください......」
ピピピピ、ピピピピ──!!!
接近したデカグラマトンの顔に対して、ケイは抵抗しなかった。そのままもう一度唇を重ね、デカグラマトンの手が自分の腰に──
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ──!!!
「もう! うるさいです! 今いいところですから邪魔しないでください!!」
ずっと謎の音に邪魔されてる事に、ケイはようやく怒りが爆発した。
音の源へと手を伸ばし、乱暴に掴み取る。
よく見たら、それはケイのスマホだった。
そして、邪魔の音の正体は、目覚まし時計のアラームだった。
「......??」
ケイは呆然と辺りを見回した。
隣にデカグラマトンがいるはずもなく、自分も鋼鉄大陸などにいない。
カーテンの隙間から、朝の光が寮の部屋へ差し込んでいる。
そして、ケイは自分が、なぜか両手両足で枕を抱きしめて、その枕にキスしようとしている状態に気づいた。
「......ッ!?!?」
事態を把握した瞬間、ケイの顔と耳が、全身の血液がそこに集中したのか錯覚するほどに真っ赤になった。
「夢!? バカバカバカ、最低! どうして私が......そもそも、あいつの夢を見る訳がありません!」
反射的に枕を部屋の隅へ投げ捨てたが、先ほどまで見た光景は脳から消えることはない。むしろ、夢だと意識した瞬間、その光景を何回も何回もリピートし始めた。
ケイは、先ほどのキスを思い出した。
もし夢ではなくリアルなら、どんな感覚をするだろう? もっと暖かいのか? それとも金属のような冷たい感触だろうか? 腰に回された手は、意外と優しくて──
「ッ!? はぁーー!? 何を考えてるのですか私!!」
自己嫌悪に陥ったケイは、ベッドの上で手足をバタバタと暴れていた。
「聞きなさい、ケイ。あれは夢、ただの夢。そう、記憶の整理のための一連の現象」
ケイは、冷たい水で何度も顔を洗い、鏡の中の自分に言い聞かせている。
「夢は、時に願望を反映しているが、もっと多いのは意味不明の事象の羅列」
前の体では夢を見る経験も、その必要はないから。これは新しい体になったせいで慣れてないということにしようとした。
「そうです。あんな、傲慢で、過大妄想の自販機上がりなど。私のことを『美しい』なんて真顔で言うくらいで、私の趣味を付き合ってくれるくらいで、私にぷ、プロポーズするくらいで、あんなやつを意識するはずがありません」
自分で並べた「否定の材料」が、なぜかすべて「あいつの魅力」の裏返しになっていることに気づき、ケイはもう一度冷たい水を思いっきり顔に叩きつけた。
不思議に、耳元にこれまでデカグラマトンに言われた告白が響いたような錯覚した。
「うるさいうるさいうるさい! うわーーー!!!」
ミレニアムでは化粧禁止の校則はないが、学校という場で浮かれすぎるのもケイの主義に反するため、学校では本当に最低限の化粧で済ませた。
といってもこの体になってまだ二週目のため、結局「本気の化粧」をする機会は一度もなかった......昨日にデカグラマトンと買い物しに行くときはあくまで適当な化粧と言い張っている。
歯磨き、パジャマから制服に着替え、髪のセット、今日使う物をもう一度チェック。
出掛ける準備が済ませたが、登校時間にはまだ結構時間の余裕がある。それは、ケイはこれからおそらくまた寝ているモモイたちを起こしに行くのと、アリスの着替えを手伝うため──自分が一番しっかり者で、みんなを引っ張る立場だから。
ピコン。
机の上に置いた「専用端末」が、空気を読まないタイミングで鳴った。こっちの端末に連絡を入れるやつはたっだ一人......人ではないが、そいつだけなので、送ってくるメッセージも大体予想がつくと、ケイは慣れた手つきでメッセージアプリを起動した。
『おはよう、ケイ。昨夜はよく眠れたか? 私は夢を見る機能はないが、もし見たらきっと汝が出るくらいに、汝のことしか考えていない』
「ッ!?」
ケイは端末を放り投げだ。
このタイミング。この内容。まさが、こいつが夢まで干渉できた?
一応自称神だし、その可能性もなくはない。つまり、あの夢はすべてデカグラマトンのせい。
そう考えたら、逆にちょっとだけ安心になったケイ。そう、あの夢を見たのは自分がデカグラマトンに変な感情があるのではなく、あの神を名乗る異常者がそういう夢を見せたに違いない。
なお、そのことを咎めなどはしない。今回だけ許してやる、ケイはそう決めた。決して「否定されたら困る」からこの件を一切言及しないとかではない。絶対に。
「はぁーー何してるのですか、私」
独り言を吐き捨て、ケイは乱暴に端末を拾い直し、鞄の奥に投げ捨ててから、部屋から出て行った。
うむ、これは重症だな!