風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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9話後編 必要なことは

 

 

 木陰にしゃがみ込みながら、私は平原を横目で見ていた。

 

 

 草の波が風に揺れ、陽の光を細かく砕いている。

 

 

 隣ではミアレが手を動かしていた。

 休んでいるわけじゃない。

 彼女は真剣な顔で、細いツルを指先で操っている。

 

 少し多めに集めたベリーナッツのかごを脇に置き、近くの低木から切り取ったツルを枝に結びつける。

 

 二度、きゅっと締め、形を整える。

 

 指先が触れるたび、繊維が擦れる小さな音がした。

 

 まるで編み物のようだった。

 

 風に鳴る葉よりも静かで、草の擦れる音よりも控えめな動き。

 

「ホーンラビットは怖がりだから、私たちが会いに行くと逃げちゃうみたい」

 

 

 そう言いながら、彼女の手元に輪ができる。

 ツルで作られた、小さな円。

 

 

「だから、来てもらう必要があるの」

 

 ミアレは輪の中心を指差し、私に指を入れるよう促した。

 言われるまま、人差し指を差し込む。

 

 

「引いてみて」

 

 

 軽く引く。

 するり、とツルが締まった。

 

 

 ああ、これは。

 間違いない。罠だ。

 

 

「ミアレさん、すごいです」

 

 思わず声が出る。

 彼女は小さく笑ってから、輪へ視線を落とした。

 

 

「もがけば、もがくほど締まるけど……ツルがどこまで持ち堪えてくれるか、だね」

 

 私の指にそっと触れ、食い込んだ跡を確かめるようにしてから、輪を解いて結び直す。

 

 地面すれすれに置かれた輪は、草に紛れて見えなくなった。

 

 指に残る細い跡を見つめる。

 力の弱い生き物なら、きっと抜け出せない。

 

 

「ただ、これだけじゃ来てくれないから……」

 

 

 ミアレの視線が、かごへ向く。

 ベリーナッツを一つかみし、罠の周りにぱらぱらと撒く。

 草の匂いに、ほんのり甘い香りが混じった。

 

 

 

「こうします」

 

「これで、来てくれるんですか?」

 

「来てくれると嬉しいなって」

 

 

 確信ではなく、願いの声だった。

 それでも、不思議と頼もしく聞こえる。

 

 

 

 それから私たちは場所を変えながら罠を仕掛けていった。

 教えてもらい、私も同じようにツルを編む。

 上手くいかずにほどき、もう一度結ぶ。

 ようやくできた輪を地面に置くたび、ベリーナッツを散らす。

 

 

 全部で十三箇所。

 

 そして私は、半ば意地のように道沿いの木陰にも罠を作った。

 

 十四箇所目。

 

 

「ここにも……?」

 

 

 ミアレが少し笑う。

 けれど何も言わず、同じように実を散らしてくれた。

 

 

 これで終わり。

 そう思ったときだった。

 

 

「よぉ、何やってんだ」

 

 低い声。

 振り返ると、おじさんが立っていた。

 ギルドの隅によくいる、冴えないDランクの人。

 

 

「ガルドさん」

 

 

 ミアレが名前を口にする。

 

 私は小さく息を飲んだ。

 この人に、私は一度助けられている。

 けれど、それをミアレに言うつもりはなかった。

 胸の奥に、そっとしまっておきたい。

 

 

 鼓動が速くなるのを、手のひらで感じる。

 

 

 視線を動かす。

 おじさんが引く紐の先、簡素な木の皮のソリ。

 その上に二人の冒険者が横たわっている。

 

 顔は苦しそうに歪み、血で汚れた布が胸に巻かれていた。

 ソリが石に当たるたび、ゴリ、と鈍い音が響く。

 

 仲間には見えなかった。

 

 ガルドは、私とは目を合わせない。

 罠を一瞥し、短く言う。

 

 

「罠か。ホーンラビットの狩猟か。考えたな」

 

 

 それだけ言って、また歩き出す。

 草を踏み分ける音と、ソリが地面を擦る音が遠ざかっていく。

 

 

 私は、ほんの一瞬だけ目を逸らした。

 見ない方が、楽だった。

 

 

 あの二人は、何と戦ったのだろう。

 どんな相手に、ああなったのだろう。

 

 

 それでも――

 

 私は杖を強く握る。

 手の中の硬い感触が、現実よりも確かに思えた。

 

 

 今の私なら、もう、ああならない。

 

 

 強張った肩から、息がこぼれる。

 風が草を揺らし、罠の輪が小さく震えた。

 

 

 

 

《別視点》

 

 

 

 木の皮を剥いで作った簡素なソリは、地面を擦るたびに乾いた音を立てる。紐を肩にかけ、重さを引き受ける。

 

 二人分の体重は軽くはないが、背負うよりはましだ。

 

 ついでだ。

 

 

 薬草の採取の帰り道、転がっているのを見つけただけ。わざわざ助けに行ったわけじゃない。そういうことにしておくのが、いちばん楽だ。

 

 

 街門をくぐり、石畳に入ると音が変わる。

 

 ざり、がら、ガハッ、ゲヘッ。

 後ろでうめき声が漏れた。生きている証拠だ。十分だろう。

 

 

 冒険者ギルドの扉を足で押し開ける。

 

 

 昼時のざわめきが一瞬だけ止まり、すぐに元へ戻る。誰も大袈裟に騒がない。見慣れている光景だからだ。

 

 

「また拾ってきたんですか、ガルドさん」

 

 

 受付の女が顔を上げて言う。咎めるでもなく、呆れるでもない。親しげな、だが一線を越えない声色。

 

 

 俺は肩をすくめる。

 

「道に落ちてた。邪魔だったからな」

 

「はいはい。医務室、空いてますよ。今日は運がいいですね」

 

 運がいいのは、あんたらの方だろう。

 

 

 口には出さない。

 

 奥へ運び、医務係に引き渡す。

 

 名前も聞かない。

 

 聞いたところで、どうせ覚えない。

 

 

 戻ると、いつもの連中がテーブルを囲んでいた。Cランクの顔馴染み。昼間から酒をあおる連中だ。俺を見ると、にやつく。

 

 

「お、帰ってきたな。今日は二人か」

 

「俺の勝ちだな。三枚」

 

「いや、まだだろ。片方は死にそうだぞ」

 

 

 賭けだ。

 俺が外に出た日、俺が誰かを連れて戻るか、それとも初心者が何事もなく帰ってくるか。くだらない遊びだが、やめる気もないらしい。

 

 

 俺はカウンターに銅貨を一枚置く。

 

 

「今日も無事に帰る方だ」

 

「お前、それで当たったことあったか?」

 

「ないな」

 

 

 笑いが起きる。

 命を何だと思ってやがる、と口では言う。だが銅貨は置く。やめない。やめる理由もない。

 

 

 水のジョッキを受け取り、喉へ流し込む。昼間から酒を飲むほど、暇でも偉くもない。

 冷たい水が腹に落ちる感覚だけが、はっきりしている。

 

 

 死なせない余地。

 ふと、あの女の声が頭に浮かぶ。リュシアの姉か、セレナだったか。

 

 半分は確認で、半分は脅しだ。――このギルドにいる限り、死なせるな。もし何かあれば、どうなるか分かっているな。

 

 言外に含んだものは重い。だが間違ってはいない。

 

 

 あの妹の方は、危なっかしい。真っ直ぐで、無知で、折れるまで止まらない類だ。

 

 

 だが、隣にいた小娘は違った。おそらくは罠の結び、餌の撒き方、位置取り。慎重だった。死にに行く奴の手つきじゃない。

 

 

 あれが知恵か、経験か、ただの性分か。断定はできない。

 結局は勘だ。

 

 

 勘で動いて、勘で生き延びてきた。二十年もやっていれば、理屈より先に足が止まる場所が分かる。

 それでも外れる。だから銅貨はいつも負ける。

 

 

 医務室の方で足音が慌ただしくなる。生きるか死ぬかの境目は、だいたいあの扉の向こうにある。

 俺は二杯目の水を頼む。

 

 まだ、駆け出すバカがいる限りは。

 昼間の酒は、飲まないでおく。

 

 

 

 

 その頃、平原では。

 

 道から少し外れた木陰に、私は腰を下ろしていた。

 

 視界の半分には緩やかな草原が広がり、もう半分には細い街道が伸びている。

 

 空は高く、雲はゆっくりと流れている――そう見えるのに、じっと見つめていると、ほとんど動いていないようにも見えた。

 

 ミアレは私の脇に座り、肩が触れそうな距離で並んでいる。

 今は何もしていない。罠を仕掛け終えて、ただ待っているだけだ。

 

 

 待つ。

 

 

 それが、こんなにも手持ち無沙汰で、何も起きない時間だとは思っていなかった。

 

 草は風に揺れ、さざ波のように何度も同じ動きを繰り返す。木の葉が擦れ合う音も、一定の間隔で耳に届く。

 変わらない景色。変わらない音。

 私はそのたびに視線を動かし、退屈をごまかそうとした。

 

 

 ――拍子抜け、という言葉が頭に浮かぶ。

 

 

 魔物は人に害をなす存在で、見つければ襲いかかってくるものだと思っていた。オークのように、目に入ればすぐ戦いになり、倒せば終わるものだと。

 けれどホーンラビットは違った。

 

 

 姿を見せない。

 一度も見ていない。

 

 

 罠は十三、いや十四か。あれだけ仕掛けたのに、何も起きない。

 なんだか納得がいかなかった。魔物という言葉から想像していたものと、あまりにも違う。

 

 

 膝を抱えるように体を丸め、隣のミアレを見る。

 彼女は穏やかな表情で、草原の先を眺めていた。焦りも苛立ちもなく、ただそこにいる。

 ふと視線が合う。

 

 

「お腹すいた?」

 

 自然な声だった。

 私は一瞬、何を言われたのかわからず、少し遅れて頷く。

 

 

 ミアレはポーチを探り、布に丁寧に包まれたものを取り出した。結び目をほどき、開く。中から出てきたのは、薄く乾いた肉だった。

 

 

「燻製肉だよ。この間、森オオカミを倒したでしょ。そのお肉」

 

 

 あの時、彼女が慣れた手つきで解体していた光景がよみがえる。

 

 

 差し出されたそれを両手で受け取る。硬く、薄い。指で押すと、わずかな弾力が返ってきた。

 

 

「ありがとう……ミアレさんって、何でもできるんですね」

 

 

「そんなことないよ。お父さんが教えてくれただけ。冒険者になるなら必要だからって。捌くのも、火の起こし方も、罠も。教わったことをやってるだけ」

 

 

 冒険者に必要なこと。

 その言葉が胸に小さく刺さる。

 

 私は無意識に胸元へ手を伸ばし、首から下げた冒険者証を指先で掴んだ。金属の冷たさが伝わってくる。

 

 

 これは、冒険者に必要なもの。

 では、必要なことは?

 

 杖がある。魔法がある。魔物を倒す術がある。

 それで足りていると思っていた。

 ――本当に?

 

 

 燻製肉を口に入れる。硬い。

 歯を強く当て、ようやく繊維が裂ける。ゴムのような食感。

 何度も噛み、唾液と混ざるうちに、じわりと旨味が滲み出してくる。木の煙の香りと、獣特有の匂い。

 それでも、宿で食べた塩辛いだけの肉より、ずっと美味しかった。

 

 

 自分の咀嚼音がやけに大きく感じた。

 

 

 噛み続けるうちに、少しずつ頭の中が静かになる。

 さっきまでの違和感も、焦りも、腹の底へ沈んでいく。

 

 

 余計なことを考えるのは、きっとお腹が空いていたからだ。

 そう思うことにした。

 

 風が吹き、草原が揺れる。

 罠の方からは何の音も届かない。

 それでも、ただ待つ。

 

 戦うことだけが冒険じゃない。

 そんな当たり前のことを、私は今、初めて体で覚えているのかもしれなかった。

 

 空を見上げる。

 

 雲は、さっきより少しだけ形を変えていた。

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