風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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10話後編 まだ耳の奥に

 

 

 残りの二体も、罠にはきちんとかかっていた。

 私とミアレは交互に手を出し、順番に仕留め、処理して、革袋へ収める。

 

 気づけば袋はずっしりと膨らみ、肩に掛けると重みが食い込んだ。

 

 

「ねぇ、ミアレさん、重たくない? 私も持つよ」

 

 

 そう言うと、ミアレは少しだけ振り返り、困ったように微笑む。

 

 

「平気だよ。道沿いに抜けたら、少し休もっか」

 

 

 軽い口調だったけれど、彼女の腕はほんのわずかに震えていた。

 それでも、私に渡そうとはしない。

 

 

 帰り道、引っかかっていない罠の場所にも寄る。

 ミアレは屈み、手早くツルをほどき、仕掛けを片付けていく。散らばったベリーナッツはそのままだ。

 

 私は一度だけ振り返った。

 

 そこは、ただの餌場になる。

 ホーンラビットにとって、危険のない場所。

 

 

 ――ごめんね。

 いっぱい、食べてね。

 

 そんな気持ちを、胸の奥からそっと置いて、私はミアレの背中を追った。

 

 道沿いへ抜ける手前、ふと視界に入る。

 最後に、私が仕掛けた罠。

 

 近づいて覗くと、何も変わっていなかった。

 ツルは綺麗な輪のまま、地面も荒れていない。

 

 安心したような、少しだけ残念なような。

 それでも、ほっと息が漏れる。

 

 膝をついてツルをほどき、ベリーナッツを一か所に集める。

 食べやすいように手の届くところへ。

 

 これで、よし。

 

 

「リュシアちゃん、少し休んでてね。私、近くの小川でウサギさん綺麗にしてくるから」

 

 そう言って、ミアレは革袋を担いだまま小川の方へ向かっていった。

 

 気づけば、日は傾いている。

 空は赤く、雲の端が燃えているように染まっていた。

 

 吹き抜ける風が頬を撫で、鼻の奥に残っていた鉄の匂いをさらっていく。

 草の青さ、湿った土の匂い、そして微かに残る血の気配。

 

 

 そこでようやく、深く息ができた。

 

 

 幹に背を預け、ため息をひとつ。

 

 

 どうしても、思っていたのと違う。

 

 

 オークを倒して、その肉を食べた。

 だから、今回も同じようにできると思っていた。

 

 

 でも違う。

 こういうの――向いてないかもしれない。

 

 

 純粋に倒す。

 魔法をぶつけて、終わる。

 すぐに成果が見える依頼のほうがいい。

 

 弱い魔物じゃなくて、強い魔物。

 オークみたいに、木っ端微塵にならないくらいの相手。

 

 

 今のランクが、私に合ってない。

 きっと、それだけだ。

 

 杖を両手で持ち、意味もなく弧を描くように揺らす。

 

 

「……風よ」

 

 

 少しだけ魔力を通す。

 集まる気配。

 

 エアーブロー。

 

 地面に向けて放つ。

 

 ――ボンッ。

 

 小さく土が抉れ、乾いた音とともに土塊が跳ねる。

 その跡を、しばらくじっと見つめた。

 

 立ち上がる。

 ミアレの様子を、見に行こう。

 

 道沿いを下り、小川へ近づく。

 その先に広がる平原は、夕日に染まり、赤い波のように揺れていた。

 

 小川も、赤く反射している。

 

 ……赤い?

 

 違う。

 

 近づくにつれ、色は濃くなる。

 水の音だけが妙に近い。

 他の音が遠のく。

 

 水面に、赤い線。

 そこへ、柔らかく形を失った何かが流れていく。

 

 喉が鳴る。

 

 川上を見ると、ミアレがいた。

 

 思い出す。

 オークの時、バルクとロニオがしていたこと。

 森オオカミの時、ミアレがしていたこと。

 

 

 ――解体。

 

 

 五つの生首が、草の上に転がっている。

 開かれた腹。

 流される内臓。

 

 

 ミアレは慣れた手つきで、ホーンラビットの首にナイフを食い込ませる。頭を掴み、折るように外すと、また一つ生首が増えた。

 

 胴体を開き、腸を掻き出し、小川の水で中を撫でるように洗う。

 

 パチャ、パチャ、と水の跳ねる音。

 

 後ろ姿のまま、額を拭う仕草。

 そのあと、こちらに気づく。

 

「リュシアちゃん、もう終わるから待ってて」

 

 声に覇気はない。

 疲れと、気の滅入りと、その両方が混ざっている。

 

 息を吸って、吐く。

 

 冒険者なら、みんなやること。

 これも、必要なこと。

 できて当たり前のこと。

 

 

 なら――必要なこと。

 

 

「私も、やりたいです」

 

 

 気づけば口にしていた。

 草を踏み、駆け下りる。

 

 

 ミアレは近づく私を、黙って見つめる。

 それから静かに口を開いた。

 

 

「私が見本に、この子を捌くから見ててね。次が最後の一匹だから、それをリュシアちゃんにお願いするね」

 

 

「はい」

 

 

 つぶらな瞳に、目がいく。

 そのたび、指が止まる。胸が、ずきりと痛む。

 

 

「……目は合わせちゃ駄目」

 

 ミアレはそう言って、首に刃を当てる。

 

 

 ダンッ。

 ブチッ。

 

 

 

 鈍く、生々しい音が、小川のせせらぎに重なった。

 

 

 

 

 全てが終わった頃には、空はすっかり暮れていた。

 

 

 

 

 

 

 夜のギルドは、何度来ても慣れない。

 

 日が沈んだはずなのに、ここだけは昼より明るく、騒がしく、そして妙に熱い。

 酒と汗と焼いた肉の匂いが混ざり合い、扉をくぐった瞬間に鼻の奥へと入り込んでくる。

 

 机を叩く音。

 ジョッキのぶつかる音。

 誰かの大きな笑い声。

 

 それらを横目に、ミアレの後ろについてカウンターへ向かった。

 

 受付のお姉さんは、顔を上げると小さく微笑んだ。

 見覚えのある表情。ここに何度か来ているからこその、ほんのわずかな親しみ。

 

 依頼書と納品物を差し出す。

 革袋の重みが手から離れると、肩が少しだけ軽くなる。

 

「確認しますね」

 

 そう言って、彼女は奥へと消えた。

 

 待ち時間はほんの少し。

 それでも、カウンターの木目を眺めたり、背後の喧騒に耳を傾けたりしていると、妙に長く感じる。

 

 やがて戻ってきた受付嬢が、硬貨を差し出した。

 

 銀貨が七枚。

 銅貨が五枚。

 

 灯りに照らされ、縁のすり減った銀貨が鈍く光る。

 刻印の溝に黒ずみが残っているのが見えた。

 きっと何人もの手を渡ってきたのだろう。

 

「依頼主が納品物を確認してから、追加の報酬金があります。後日お受け取りくださいね。受け取り手は――」

 

「リュシアちゃんでいいよ」

 

 ミアレの声が、横から自然に入った。

 

「はい。リュシアさんですね」

 

 受付嬢は小さな紙を千切り、私の前に滑らせる。

 

「手形です。これがないと追加分はお渡しできませんので、無くさないようにしてくださいね」

 

 両手でその紙を持ち上げる。

 薄くて軽い。ただの紙切れなのに、妙に重く感じた。

 

 名前が書いてある。

 私の名前。

 これがお金になる。

 そう言われても、まだどこか現実味がない。

 

 

 ポーチへそっとしまい込む。

 失くしたら終わりだと、直感的にわかった。

 

「リュシアちゃんは銀貨四枚でいい? 私は残りもらうね?」

 

「ありがとう」

 

 反射のように言葉が出た。

 でも、手を伸ばしかけて、ほんの一瞬だけ止まる。

 

 銀貨四枚。

 私がもらっていい額なのか。

 

 ミアレは三枚と銅貨五枚。

 頭の中で計算が合わないわけじゃない。

 それでも、胸の奥に小さな引っかかりが残る。

 

「どうしたの? 難しい顔して」

 

 覗き込まれて、私は一歩だけ後ろに退いた。

 

 

「あ、ううん。違う、なんでもないよ。なんでも……」

 

 

 言葉が曖昧に消える。

 

 

 ミアレは何も言わず、銀貨を掴んで私の手に押し込んだ。

 冷たい金属の感触。

 指の間で、硬貨同士が小さく触れ合う。

 

 その手を、今度はミアレが両手で包んだ。

 

 

「リュシアちゃんは強いよ。強くて、頼りがいがあって、ちゃんと前を見てる。もし何かあったら、その魔法で私を助けてくれるって思ってる」

 

 

 銀貨の冷たさより、手の温もりのほうが強くなる。

 

 

「だから私は、私のできることをやるだけ。弓を引くとか、解体するとか、道を覚えるとか。得意なことが違うだけだよ」

 

 

 言い聞かせるでもなく、誇るでもなく、ただ事実を置くような言い方。

 

 騒がしいギルドの中で、そこだけ音が遠のいた気がした。

 

 

「次も一緒に行こうね。信頼の意味も込めて、ね?」

 

 ゆっくりと手が離れる。

 

 掌の中の銀貨は、さっきより少し温かくなっていた。

 ただの金属なのに。

 

 私はそれを見つめてから、強く握りしめた。

 

「ありがとう、ミアレさん!」

 

 声が思ったよりも明るく出た。

 

 周囲では誰かがまた笑い、ジョッキがぶつかる音が響く。

 いつもの夜のギルド。

 

 

 銀貨の温度が、まだ手の中に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 宿へ戻り、部屋の扉を閉めると、ギルドの喧騒がふっと遠のいた。

 

 

 カランコロン。

 

 小さな木の鈴が、指先で揺れて軽い音を立てた。

 

 

 私は寝台に仰向けになり、両手でその箱を持ち上げていた。

 

 木目のざらりとした感触が指に馴染む。角は何度も撫でられたように丸く、削れた痕が指先に引っかかる。

 

 

 カラン。

 

 その音が、胸の奥に小さく落ちる。

 

 見れば見るほど、頬が緩む。

 

 ミアレがくれた箱。

 私への贈り物。

 

 ただの木箱なのに、なぜか胸の奥があたたかくなる。

 視線を落とすたび、あの時の声が思い出される。

 

 ――リュシアちゃんは強いよ。

 

 寝台の脇に畳んで置かれた革鎧を確認し、私は体を起こした。

 外していたポーチに手を伸ばし、硬貨の詰まった袋を取り出す。

 

 袋を逆さにする。

 

 ジャラジャラと音を立てて、硬貨が寝台の上に広がった。

 ランプの灯りを受けて、金色、銀色、銅色がきらめく。

 

 その中から金貨を一枚つまみ上げる。

 重み。

 冷たさ。

 硬い縁。

 

 箱の切れ目へそっと落とす。

 

 コトン。

 

 小さな音が、胸の奥まで響いた。

 なんだかそれだけで、今日一日が形になった気がした。

 

 紙を取り出し、縦線を一本引く。

 

 もう一枚。

 コトン。

 

 また一本。

 

 それを繰り返す。

 ただそれだけなのに、楽しくて仕方がない。

 ゆっくり、確かめるように、金貨を落としていく。

 

 コトン。

 コトン。

 コトン。

 

 次第に、音は変わっていく。

 一枚ずつの軽い音から、金属同士が触れ合う重たい響きへ。

 

 コト、コト、コト……。

 

 四十五枚分。

 

 数え終えたとき、私は思わず息を吐いた。

 多いのか、少ないのかはわからない。

 ただ、「ある」という事実がそこにあった。

 

 

 箱を軽く揺らしてみる。

 カラカラ、と中で硬貨が踊る。

 

 残った銀貨と銅貨を指でなぞる。

 

 銀貨十九枚。

 銅貨五枚。

 

 先はまだ長い。

 目標には届かない。

 

 そう思うのに、不思議と焦りは小さかった。

 一昨日の私なら、きっと落ち着かなかったはずなのに。

 

 今日は違う。

 

 

 森での罠。

 弓の音。

 解体の手つき。

 銀貨の重み。

 ギルドの喧騒。

 そして、木の箱の音。

 

 

 冒険者がやっていること。

 当たり前のようにこなしていること。

 それを、私は少しずつ覚えている。

 

 

 硬貨を袋に戻し、口をきつく縛る。

 箱をサイドテーブルの引き出しへそっと滑り込ませた。

 鈴がまた、カランと鳴る。

 

 この箱がいっぱいになったら、あの杖を買える。

 そう思うと、明日が少しだけ近くなる気がした。

 

 再び寝台に横になる。

 天井を見つめ、杖を胸の上に乗せる。

 

 ミアレの手の温もりを思い出す。

 銀貨を包まれた時の、あの静かな安心感。

 

 

 明日は討伐にしよう。

 駆除。迷惑な魔物を倒せばいい。

 

 ホーンラビットのつぶらな瞳が、ふと脳裏をよぎる。

 

 胸の奥が、わずかに疼く。

 でも、それでも前へ進む。

 

 

 窓の外で風が鳴る。

 遠くで誰かが笑う声がする。

 宿の廊下を足音が過ぎていく。

 

 私は目を閉じる。

 

 木の鈴の音が、まだ耳の奥に残っていた。

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