風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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15話前編 初めての後輩

 

 

 いつもの街道だった。

 もう何度も歩いたはずの、同じ平原の景色。

 

 背の低い草が一面に広がり、遠くで風に揺れている。空は高く、雲はゆっくりと流れていた。平原から吹き抜けてくる風は、青い草の匂いを含んでいて、胸の奥に溜まっていた重たい空気を少しずつ押し出してくれる。

 

 大きく息を吸い込むと、気持ちが軽くなった。

 

 隣を歩くエルネは、私より半歩後ろをついてくる。けれど、決して遅れない。無意識に私の歩幅に合わせているのだと分かる。

 

 その様子が、どこか懐かしかった。

 

 ――前の私みたい。

 

 ミアレの背中を追いかけていた時の、自分と重なる。あのときの私は、ただ前を歩く背中が頼もしくて、置いて行かれないようについていくばかりだった。

 

 視線を落とす。

 

 エルネはロングソードの柄の先端を掴むようにして手を置いていた。いつでも抜ける体勢だ。まるで、魔物が現れる瞬間を今か今かと待っているように見える。

 

 バルクもロニオも、ダンジョンでは常に抜剣していた。肘を軽く掛ける程度のときもあったが、空気が張り詰めれば即座に刃が抜かれた。

 

 剣の扱いは、正直よく分からない。

 けれど、杖なら違う。

 

 私は手に持った杖を軽く見下ろした。磨かれた木の感触。魔力の通り道。問題はない。杖は抜く必要がない。常に手の中にあって、思えばすぐに力になる。

 

「なんか、魔物が出てきたりしないかな?」

 

 ぽつりと、エルネが言った。

 期待に満ちた声だった。

 

 今日は収集依頼だ。ベリーナッツと薬草の納品。危険度は低い。

 それなのに、彼女の瞳はきらきらと輝いている。

 

「じゃあ、討伐依頼にすればよかったんじゃないですか?」

 

 そう問うと、エルネは少し困ったように眉を寄せた。

 

「せっかく、冒険者になったから……えーと、手応えというか、実感が欲しいんです! 先輩!」

 

 その言葉に、胸の奥がちくりとした。

 

 ――分かる。

 

 私も、仮証を手にしたとき、真っ先にダンジョンへ駆け出した。危険よりも、冒険者になったという実感が欲しかったのだ。

 

「人に迷惑を掛ける悪い魔物を倒すのは良いことだけど、今は依頼をやります。そのついでに見かけたら、そのときは倒そうね」

 

 できるだけ落ち着いた声で言うと、エルネの顔がぱっと明るくなった。

 

「やった! 私がギッタンギッタンに倒しますから、先輩は手を出さなくて大丈夫です!」

 

 胸を張る姿が少し可笑しい。

 けれど、その無邪気さが眩しかった。

 

 前を向き直りながら、私は心の中で別のことを考えていた。

 

 ベリーナッツの依頼。

 私がこれを選んだ本当の理由。

 

 ――ホーンラビットの丸焼きが食べたい。

 

 討伐依頼だと、規定数ぴったりでは足りない。食べる分を確保するには、もう一体余計に仕留めなければならない。目視で追いかけるのは難しい。

 

 だから、罠を使う。

 

 ミアレが教えてくれたやり方。

 ベリーナッツとツタ紐で足を絡め取る簡易罠。時間はかかるが、確実だ。

 

 あのとき歩いた森の道を、記憶を辿るように進む。背後では、エルネの足音が規則正しく続いていた。

 

 やがて、視界がひらける。

 

 低い木々に、赤と紫の果実が実っている。陽の光を受けて、宝石のように艶やかだ。

 

「なにあれ! あれがベリーナッツ?」

 

「そう、ベリーナッツ。赤色と紫色のものを収穫して、ギルドに納品します」

 

 ポーチから畳んでいた革袋を取り出す。少し大きめのものだ。

 

「これ、食べられるよね?」

 

「はい」

 

 私は一つ摘み取り、口に運ぶ。

 

 枝先が小さく揺れ、葉が擦れる音がする。

 穏やかな空の下、風と木の音だけが響く。

 

 噛み潰すと、果肉が弾けた。

 甘さが広がり、すぐに酸味が追いかけてくる。

 

 この味を、私は覚えている。

 

 隣では、エルネが一粒を口に入れ、ぎゅっと目と口を閉じた。

 

「しゅぱい!」

 

 その顔があまりにも大げさで、思わず笑いそうになる。けれど次の瞬間には、また一つ摘んで口に運んでいる。

 

「……好きなんですか?」

 

「うん。なんかクセになりそう!」

 

 革袋に果実を入れながら、私は空を見上げた。

 

 魔物もいない。

 緊張もない。

 ただ、風と甘酸っぱい匂いだけがある。

 

 こんな時間も、悪くない。

 

 後輩ができて、私は少しだけ前を歩く側になった。

 まだ頼りないかもしれないけれど、それでも今は、確かに先輩だ。

 

 枝を揺らしながら、赤と紫の実を摘み続ける。

 

 依頼のため。

 罠のため。

 そして、丸焼きのため。

 

 平原の風がまた吹き抜けた。

 その中で、エルネの「しゅぱい」が、もう一度響いた。

 

 革袋がいっぱいになった頃、私は森の奥へ足を向けた。

 

 森の奥は、平原とは違う匂いがする。

 湿った土と、若い葉の青い香り。差し込む光はやわらかく、木々の隙間からこぼれる陽光が、地面にまだら模様を描いていた。

 

「リュシア先輩、何してるんですか?」

 

 背後から覗き込むような声。

 私はしゃがみ込んだまま、手元のツルを引き寄せる。

 

 少し前に切っておいた丈夫なツルを、近くの木の根元に固定する。しなり具合を確かめ、先端で輪を作る。地面すれすれに、自然に見えるように。

 

 ミアレに教わった罠だ。

 

「罠です。ホーンラビットをこれで捕まえられるんです」

 

「えっ、これで?」

 

 エルネは目を丸くする。

 

「ここに手を置いてみてください」

 

 言われるまま、エルネはかがみ込み、輪の中に手を入れた。

 

「ぴょんぴょん」

 

 合図のつもりで呟くと、エルネが面白がって手を跳ねさせる。次の瞬間、ツルが弾けるように締まり、手首にきゅっと絡みついた。

 

「わ、わ! すごい! 引っかかる! これで捕まえられるんだ!?」

 

 目を見開き、大袈裟なくらい驚いている。

 

 うまく出来ている。

 私は満足して罠を解き、もう一度仕掛け直した。

 

「今度は一緒にやろう」

 

 枝にツルをかける位置。

 輪の高さ。

 張り具合。

 

 ひとつずつ説明しながら、私はエルネにやらせてみる。彼女は真剣な顔で、けれどどこか楽しそうに、私の手元を真似していく。

 

 仕上げに、先ほど収穫したベリーナッツをばら撒いた。赤と紫の実が、落ち葉の上に散る。

 

 これでいい。

 

 しばらく、エルネはぼうっとその光景を見つめていたが、ふと気づいたように顔を上げた。

 

「これ、餌ですか?」

 

「はい。絶対に来てくれるとは言えませんけど」

 

 そう答えると、エルネは突然、罠の前に両手を突き出した。

 

「私がおまじないを掛けます。うぅ〜……来い来い来い来〜い、ホーンラビット!」

 

 真顔で念じる姿があまりに真剣で、思わずくすりと笑いがこぼれる。

 

「なんですか、それ」

 

 言った瞬間、エルネ自身も吹き出した。

 二人で小さく笑い合う。

 

 木陰の隙間から差し込む陽光が、エルネの金髪を照らす。揺れるたびにきらきらと光り、まるで森の中に落ちた一片の陽だまりのようだった。

 

 罠は三つ、少し離れた場所に設置した。

 最後の一つを仕掛け終え、私が立ち上がろうとしたとき、エルネがじっとこちらを見ていることに気づく。

 

「ねぇ、先輩」

 

「はい?」

 

「もしかして……ベリーナッツの依頼って、本当はホーンラビットを捕まえるのが目的で受けたの? そうですよね?」

 

 鋭い。

 

 私は小さく笑った。

 

「ふふ、そう。バレちゃいました」

 

「やっぱり!」

 

 エルネは満足げに頷く。

 だがすぐに首を傾げた。

 

「でも、捕まえてどうするの? 依頼でもないのに?」

 

 真っ直ぐな視線。

 

 私は胸を張った。

 

「食べます。ホーンラビットを丸焼きにして食べます」

 

 堂々と宣言する。

 

「丸焼き?」

 

 エルネはまだ実感が湧かない様子で、ぱちぱちと瞬きをする。

 

「ほら、冒険者っぽい食事じゃないですか?」

 

 焚き火を囲んで、串に刺して焼く。

 きっと、外はぱりっと、中は柔らかく。

 煙の匂いと肉の香ばしさ。

 

 想像しただけで、少しだけ胸が躍る。

 

「うんうんうん。食べたいかも!」

 

 エルネの瞳がきらきらと輝いた。

 その無邪気さが、少しだけ眩しい。

 

 罠に、丸焼きに、薬草。

 全部まとめて手に入れればいい。

 

 ここから、罠がかかるまでの時間を薬草探しに使う。

 ミアレの時には待ったけれど、これなら合理的で、隙がない。

 

 私は周囲を見渡し、森の奥へと視線を向ける。

 

 ――待つだけなんて、もったいない。

 

「薬草も探そっか」

 

「はい、先輩!」

 

 元気な返事が返る。

 

 私は杖を握り直す。

 森の風が葉を揺らし、さわさわと音を立てる。

 

 私の風は止まらない。

 

 そう、心の中で呟いた。

 

 けれど、足が止まった。

 

 ミアレから教わった薬草の知識は、罠を見て回る途中に聞き流した程度のものだ。「ついで」に教えられただけで、正直、深くは理解していない。

 

 私はエルネに問いかける。

 

「エルネさん、薬草はわかります?」

 

 問いかけると、エルネはくるりと振り向き、得意げにポーチへ手を突っ込んだ。

 

「困ったときは、ほら、みて、冒険者のススメ!」

 

 取り出したのは、一冊の本。見覚えがある。ギルドの棚にも置いてあった入門書だ。ページをぱらぱらと捲りながら、声に出して読む。

 

「えーと、薬草は、朝露が残る時間帯、花が咲く直前の若葉、葉裏に白い筋が明瞭なもの、って。場所は……」

 

 指で行を追いながら続ける。

 

「湿地周辺と川沿い、ダンジョン入口付近、森林に群生、ってあります」

 

 ――ダンジョン付近。

 その言葉に、胸の奥がわずかに冷えた。

 

 このあたりのダンジョンといえば、あの大空洞だ。

 バルクとロニオと一緒に入った、あの場所。

 

 私は息を整え、何でもないように言った。

 

「それじゃあ、近くのダンジョンに行こ」

 

「ダンジョン!」

 

 エルネの声が一段高くなる。

 ぱっと表情を輝かせ、軽やかな足取りで隣に並ぶ。

 

 行きたくてたまらない、という顔。

 

 ――前の私なら。

 

 きっと同じ顔をしていた。止められても入ったかもしれない。

 

 けれど、あの洞窟の中にいるものを思い出すと、足が少しだけ重くなる。

 

 ジャイアントバット。

 

 天井から急降下してきた影。

 腕を掴まれたときの、あの感触。

 爪の冷たさ。羽音。湿った息。

 そして、耳に残る叫び声。

 

 息を吐く。

 

 言葉にしないだけで、あれは軽い傷になっている。

 

 もし見かけたら――今度こそ、一匹残らず倒してやる。

 そんな、少し歪んだ衝動が胸の奥で渦を巻く。

 

「どこにあるんですか? ねぇ、行きましょ! 早く!」

 

 エルネは駆け足で先へ出る。

 

「たぶん、ひらけたところで、地面が踏みしめられた道筋を、街道の反対側にまっすぐ行けば――」

 

 途中で言い淀む。

 

「先に行って見てきます!」

 

 そう言い残して、エルネは森の奥へ走り去った。

 

 小さくなる背中。

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。

 

 もし、私だったら?

 

 初めてのダンジョンを前にして、どうした?

 

 ――入る。

 

 間違いなく、入る。

 

「え? ちょっと、待って……!」

 

 考えるより先に、私は走り出していた。

 

 木陰を抜け、踏み固められた道を辿る。

 

 やがて視界がひらける。

 

 そこにあったのは、ぽっかりと地面に開いた巨大な穴。

 

 黒い口を開けたまま、静かにこちらを見上げている。

 

 ダンジョン。

 

 その前に、エルネは立っていた。

 

 ほっと息を吐く。

 ちゃんと入口で止まっている。

 

 洞窟の奥から、淀んだ空気がゆっくりと流れ出てくる。

 

 冷たく、湿り気を帯びた風。外の森の匂いとはまるで違う。

 

 内部は幾重にも繋がっている構造だと聞いた。

 

 だから空気は動く。

 

 生き物のように、呼吸している。

 

 その風を浴びながら、エルネは口角を上げ、目を輝かせた。

 

「凄い、先輩! 少し入ってみませんか?」

 

 上ずった声。

 

 私はエルネの顔を見て、それからダンジョンの奥へと視線を向けた。

 

 暗闇が、そこにある。

 

 奥は見えない。

 

 けれど確かに、何かが潜んでいる気配がする。

 

 体が、吸い込まれそうになる。

 

 一歩、足が前に出る。

 

 私が強い。

 

 私が強いことを、エルネに見せられる。

 

 いや。

 

 違う。

 

 エルネに、見せたい。

 

 足裏に、境界線の感触が伝わる。

 陽の光が背中で揺れ、前方は闇。

 

 一歩、踏み込む。

 

 森の匂いが遠ざかり、湿った冷気が肌を撫でる。

 心臓が早鐘を打つ。

 

 強さを、証明できる。

 

 もう一歩、踏み込む。

 

 足元の小石が転がり、洞窟の中へ乾いた音を響かせる。

 

 心臓が高鳴る。

 

 恐怖か、興奮か、分からない。

 

 じっと、その暗闇の奥を見つめた。

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