風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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15話後編 今やること

 

 

 ガサリ、と草をかき分ける音がした。

 

 その一音だけで、張り詰めていた神経が弾かれる。

 視線が反射的に音のした草陰へと吸い寄せられ、気づけば杖を構えていた。

 

 魔力が指先に集まる。

 

 撃てる。撃てるけれど――正体がわからない。

 

「え? なんですか!?」

 

 隣でエルネが身を引く気配。けれど次の瞬間、草むらから飛び出したのは小さな影だった。

 

 兎。頭に短い角を生やしたホーンラビット。

 

 土を蹴り、土煙を上げ、こちらを一瞥もせずに一目散に駆け去っていく。

 

 速い。

 

 魔法を放つ判断も、狙いを定める余裕もなかった。

 

 罠にかかった個体しか見たことがなかったからだろうか。野を駆けるそれは、ただの獲物ではなく、生きている魔物だった。

 

 撃てなかったことに自分の甘さを感じた。

 

 胸に詰めていた息が、ゆっくりと零れる。

 

「先輩、見ました? ウサギが走っていきました。ホーンラビットですよね?」

 

「そう。頭に小さな角があるの」

 

「そこまで見えてなかったけど、なんか、魔物って言うからてっきり襲ってくるかと思ったのに〜。な〜んか期待外れ」

 

 エルネは肩をすくめて笑う。けれどその手は一度も剣の柄に触れていない。

 

 杖を下ろし、ざわめく胸を押さえる。視線が、ふとダンジョンの暗がりへ向いた。

 

 あの中なら、この場所なら。

 

 私は評価される。ギルドの判断が間違いだと証明できる。

 

 Eランクのままでいいはずがない。あの空洞で、あの闇の中で、私はもっと戦える。もっと、強く。

 

 ――だけど、今じゃなくていい。

 

 逃げ去ったホーンラビットの背が脳裏に浮かぶ。速さに追いつけなかった自分。撃たなかった自分。

 

 今やるべきことは依頼だ。ベリーナッツを集めて、丸焼きを食べる。その小さな目標のためにここにいる。

 

 ダンジョンに一歩入ったら、きっと全部が変わる。予定も、気持ちも、もしかしたら今日という一日も。

 

 視線を外し、エルネを見る。彼女はまだ入り口をちらちらと見つめている。

 

 もう一度、深く息を吸った。

 

「ダメ。薬草を探そう」

 

「ちょっとだけ、いいでしょ? 先輩?」

 

 眉を下げ、上目遣いで見上げてくる。

 愛嬌を振りまく懇願。ほんの一歩、心が揺れる。

 

 でも違うことを考える。ベリーナッツの依頼を受けた理由。丸焼きを食べるため。冒険は一度きりじゃない。ダンジョンは逃げない。

 

「次は、討伐依頼とかの時にしよう?」

 

 迷いを飲み込んで出した答え。

 

 エルネは口をへの字にしたあと、ぱっと顔を上げた。

 

「じゃあ次はダンジョンね? 約束ですよ?」

 

「……はい」

 

 軽く返事をして、私は入り口から距離を取った。あそこに立ち続けていたら、本当に引きずり込まれそうだったから。

 

 周囲を見渡し、薬草らしい植物を探す。エルネが取り出した『冒険者のススメ』を覗き込む。魔物の記事ばかり読んでいた自分を少し恥じる。

 

「見てください、先輩」

 

 肩が触れそうな距離で、ページを指差す。

 

 楕円形の葉。丸みのある先端。滑らかな葉縁。白くはっきりした主脈と、裏に走る薄い筋。深い緑色と艶。折れにくい茎。青臭い汁。

 

 視線を巡らせると、ぽつんと一本だけ、それらしい姿が目に入った。

 

「あれ、薬草じゃないですか?」

 

「わぁ!」

 

 エルネが駆け寄る。二人で屈み込み、図と見比べる。形も色も一致している。

 

「同じだねぇ。ねぇ、私が取っていい?」

 

 頷くと、彼女はナイフで根元を丁寧に切った。

 

「匂いはどう?」

 

「青臭いよ? 先輩も」

 

 差し出された切り口に顔を近づける。草いきれのような、自然の匂い。問題はなさそうだ。

 

 ――けれど。

 

 主脈が、ほんの少しだけ黄色みがかって見えた。光の加減かもしれない。白と言えば白だ。

 

 迷いは、言葉にならないまま胸の奥に沈む。

 

 エルネは嬉しそうに革袋へ薬草をしまった。

 

 しばらく森の縁を歩き回ったあと、私たちはようやく目当ての群生地を見つけた。

 

 木々の隙間から、やわらかな日差しが斜めに差し込んでいる。風が吹き下ろし、葉を揺らすたびに、鳥の風切り音がかすかに混じった。

 

「すごぉ、たくさん生えてる」

 

 エルネの声が弾む。

 

 私たちは顔を見合わせ、思わず小走りになった。

 

 草丈は膝下ほど。群れて生えているそれは、一見どれも同じに見える。けれど、違いは確かにある。

 

 しゃがみ込み、葉を一枚めくる。

 

 特徴は、問題ない。形も、葉の縁も。

 

 主脈の色は――

 

 白い。

 

 雪みたいに、すっと通った白。

 

「エルネさん、さっき収穫した薬草、見せてください」

 

「え? ちょっと待ってて」

 

 革袋をごそごそと探り、一本を取り出す。差し出されたそれの主脈は、間違いなく黄色だった。

 

「ここの線の色」

 

 指でなぞって示すと、エルネは目を細める。

 

「言われてみれば……でも、同じにしか見えないよ? じゃあ、これはなに? 薬草もどき?」

 

 そう言いながら、彼女は黄色い筋のあるほうを地面に捨てた。

 

 私は白い主脈の株を指先でつまむ。

 

 これが本物。

 

 少しでも特徴が一致しないものは、取らない。毒があるかもしれない。それだけで、選別の意味は十分だった。

 

 覚えた。

 

 知識が一つ、体に根を張った気がして、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 

 ナイフを抜く。刃が日差しを受けて、青く光った。

 

 株元に刃を当て、力を込める。

 

 プツン。

 

 小さな抵抗と、断ち切る感触と草の汁が指に付き、手に残る。

 

 切り口を鼻先に寄せる。青臭い匂い。生の匂い。

 

 数本を刈り取り、ツタの切れ端でまとめ、束にする。それをエルネへ渡した。

 

「それもください」

 

「ん〜、これだけでいいかな?」

 

 彼女が刈り取った薬草を数え、また束ねる。一本、二本、三本。私は残りを持っていき、またまとめる。

 

「エルネさん、これくらいにしよう」

 

 必要以上に取らない。依頼は達成できる量だ。

 

 革袋にしまい込み、エルネが満足そうに息を吐く。

 

「これで終わりだね」

 

 頷いたとき、彼女の視線が私の手元に落ちた。

 

 じっと見ている?

 

「先輩、そのナイフ、触ってもいいですか?」

 

「いいですけど、返してくださいね」

 

 エルネは自分のナイフを鞘に収め、私のものを両手で受け取る。

 

 青い刀身が、きらりと陽光を弾いた。

 

「きれい……! これ、何でできてるの? 見たことない」

 

 掲げて、角度を変えて、じっと観察する。

 

 何でできているのか、私は知らない。冒険者になると決めたとき、記念に渡されたものだった。杖も、ポーチも、革装備も。あのときの一式。

 

「ねぇ、先輩、これ、私にください!」

 

 いたずらっぽく笑って、一歩引く。

 

 その瞬間、胸が冷えた。

 

「ダメ、返してください」

 

 少しだけ声が強くなったかもしれない。

 

 エルネはすぐに笑い、両手に乗せて差し出してくる。

 

「冗談だよ」

 

 私は受け取り、静かに鞘へ納めた。

 

 ミアレも、他のみんなも、ナイフは白い材質だった。よくある刃。けれど、私のだけ青い。

 

 前に杖をなくしたときのことを思い出す。店に売られていた。誰かにとって価値があると判断され、盗られ、換金された。

 

 このナイフも、そうなるかもしれない。

 

 同じ役割の道具のはずなのに、どこか違う。

 

 薄く、胸の奥に広がる感覚。

 

 これは、あまり人前に出してはいけないものなのではないか。

 理由は分からない。ただ、そう思った。

 

 森を抜ける風が、草を揺らす。

 

 足元の薬草は静かに揺れ、白い主脈が光を受けて浮かび上がる。

 

 私は鞘に触れて確かめながら、立ち上がった。

 

 今日の依頼は終わり。

 

 革袋を抱え直し、エルネと並んで歩き出す。日はまだ高く、時間は十分に残っている。

 

 

 街道沿いの小さな開けた場所。

 すぐそばには澄んだ小川が流れ、その先にはなだらかな平原が広がっている。

 

 以前、バルクとロニオと一緒にオークの肉を焼いた場所だ。焦げ跡はまだ薄く残り、倒木と石で囲まれた即席の炉はそのままになっている。

 

 今日はエルネと二人きり。

 

 依頼は無事に終わった。薬草とナッツベリーの採取。革袋は膨らみ、陽はまだ高い。

 

 火を起こそう。

 そう思った瞬間、自然と役割を分けていた。

 

「エルネさん、依頼は終わりましたから少し休んでもいいですよ。私、何か燃えるものを探してきます。ナッツベリーと薬草を見張ってて下さい」

 

 革袋を傍らに置くと、エルネはその横に腰を下ろし、ぐっと背伸びをした。

 

「うん、ここで待ってたらいいの? すぐ戻ってきてね」

 

 軽い調子に小さく頷き、私は茂みへ足を踏み入れた。

 

 木陰の下はひんやりとしている。

 陽の当たる街道とは違い、森の中は静かで、空気が柔らかい。

 

 落ちている枝を見つけ、前かがみになって拾い上げる。乾いたものを選び、折れやすいものを確かめながら抱える。

 

 ――杖、置いてくればよかったかな。

 

 片手いっぱいの枝。もう片方には杖。

 思ったより不便だ。

 

 どうせ魔法を使うなら、枝を直接落とせばいい。

 

 抱えていた枝を足元にまとめ、杖を片手で上に構えた。

 

「風よ、力となりて……」

 

 短い詠唱。

 魔力を流す。いつも通りの流量。癖のない一定の速度。指向性も問題ない。

 

 その瞬間。

 

 ――バチンッ。

 

 腕に激痛が走った。

 

「っ……!」

 

 衝撃で杖が手から離れ、枝が地面に散る。

 

 尻もちをつき、土の感触が伝わる。

 

 カラン、と杖が落ちる音だけが静かに響いた。

 

 一瞬、思考が止まる。

 だが、すぐに理解した。

 

 魔力暴走。

 

 魔法使いなら一度は通る失敗。自身の耐えられる流量を越えたときに起こる反動。

 

 反対の手で腕をなでる。痛みで震えているが、骨に異常はない。腫れもない。軽い衝撃だけだ。

 

 姉様の言葉が浮かぶ。

 酷い場合は内出血、ひどければ一時的な痛覚喪失。魔法が怖くなる者もいる、と。

 

 私は何度も経験させられた。泣きながら、悔しさを噛みしめながら。だから、この程度の痛みは慣れている。

 

 呼吸が浅い。鼓動がやけに大きい。

 

 ――でも。

 

 おかしい。

 

 流量ミスはしていない。

 指向性も、出力も。

 いつも通りだった。

 

 静まり返った森の中、四つん這いで杖へ近づく。恐る恐る指先で触れる。

 

 何ともない。

 冷たい木の感触だけ。

 

 ゆっくりと息を整える。

 もう一度。

 

 枝葉に向けて杖を構える。

 

「ウィンドブラスト!」

 

 風の塊が弾け、枝葉を打ち抜いた。

 乾いた音とともに木が揺れ、複数の枝が雨のように降り注ぐ。

 

 正常だ。

 

 威力も安定している。魔力の流れも澄んでいる。

 

 胸の奥に小さな違和感が残る。

 

 たまたま?

 流量ミス?

 

 ――今更、私にミスなんて。

 

 姉様の声がまたよぎる。

 

 強く難しい魔法より、簡単な魔法を完璧に再現できる方が何倍も強い。

 

 だから私は、基礎を突き詰めてきた。

 同じ流量、同じ軌道、同じ出力。

 

 再現性。

 それが私の誇り。

 

 もう一度。

 

 枝を狙う。

 

 風がうねり、森に響く。

 

 二度。

 三度。

 

 枝葉が落ちるだけ。何も起きない。

 

 痛みも、反動もない。

 

 さっきのは、なんだった?

 

 胸の奥に小さな棘のような違和感。

 原因がわからないという事実が、じわりと広がる。

 

 深呼吸。

 

 考えすぎだ。

 たまたまの一度きり。

 

 そう自分に言い聞かせる。

 

 落ちた枝をかき集め、両腕で抱える。

 今度は杖を握りしめたまま。

 

 森を抜けると、街道の光が眩しかった。

 

 エルネの姿が見える。

 革袋の横で、空を見上げながら足をぶらつかせている。

 

 日常は、何事もなかったかのようにそこにある。

 

 でも。

 

 さっきの一瞬だけ、確かに何かが弾いた。

 

 風が、拒んだような。

 

 胸の奥に残る小さな不安を抱えたまま、私はエルネの元へ歩いていった。

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