風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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17話前編 笑い声と剣の重さ

 

 

 黄昏時。

 ギルドの中は、まだ昼の名残のような活気に満ちていた。

 

 天井から吊られた魔石灯が明るく室内を照らし、木製のテーブルには冒険者たちが思い思いに腰を下ろしている。酒を飲む者、依頼書を眺める者、今日の戦果を語り合う者。そんなざわめきの中で――

 

 一際大きな笑い声が響いた。

 

「アッハッハッハッ!!」

 

 その声の主は、バルクだった。

 

 私は思わず肩を震わせた。胸がドクンと跳ねる。

 反射的に周囲を見回す。みんなこっちを見ていないだろうか。笑われているのは、私だけじゃないだろうか。

 

「面白すぎるって……あー、笑い死ぬ。おいおい、ロニオ!! 話聞いてたか!?」

 

「そう笑ってやるな。いい経験だろ。リュシア、できる失敗はいいことだ」

 

 ロニオは穏やかに言うが、バルクはテーブルを叩きながら笑い続けている。

 

 私は杖をぎゅっと握りしめた。

 背中を丸め、肩をすくめながらバルクを睨みつける。

 

 頭が真っ白になる。

 顔が熱い。

 

 ……絶対、真っ赤だ。

 

 こんなに笑われること?

 

 ……どうしてこんなことになったのか。

 

 それは、私とエルネがギルドに戻ったときのことだった。

 

 テーブル席に座っていたバルクとロニオを見つけ、私はエルネに依頼受領の手続きを任せて、二人のところへ向かった。

 

 そして――つい話してしまったのだ。

 

 ホーンラビットを丸焼きにしたこと。

 その丸焼きが見事に失敗したこと。

 しかも肉はあまり美味しくなかったことまで。

 

 ……結果がこれだ。

 

 そこまで笑う?

 

 思わず杖が飛び出しそうになる。

 

「チゲぇーよ、ロニオ」

 

 ようやく笑いを収めたバルクが、椅子に座り直しながら言う。

 

「できる失敗だから笑ってやるんだよ。新人あるあるってのはこれだから良い。聞き飽きねぇ」

 

 むぅ……。

 

「つってもよ、俺はホーンラビットは狩ってねぇ。あいつらすばしっこくて捕まえられねぇからな。森オオカミもそうだ。やるやつはほとんどいねぇ。だろ?」

 

 話を振られ、ロニオが頷く。

 

「だな。僕たちは近接職だ。状況を見て判断するが、逃げる相手を追う戦いは消耗が激しい。罠を張って待つのも性に合わない」

 

「ああ、そうだ」

 

 バルクは身を乗り出す。

 

「それでも俺たちはホーンラビットを食ったことはある。別依頼のついでに罠を張ってな。偶然捕まってれば、って感じだ」

 

 そして、真っ直ぐこちらを見た。

 

「だからよ。俺たちに言ったのは正解だ」

 

 その言葉に、私は少しだけ目を瞬かせる。

 

「冒険者ってのはな、誰かの話を聞いて覚えるもんだ。誰かの経験も、誰かの失敗もな。で、それを生かすかどうかは聞いた本人次第ってわけだ」

 

 バルクとロニオ。

 二人の視線が私に向けられている。

 

 ロニオは少しだけ微笑んでいた。

 バルクの目も、さっきまで笑っていたのに、今は真剣だった。

 

 心臓に響くような声で、バルクは続ける。

 

「捌けるんなら話は早い。次は皮だ。剥ぐか、火で毛を炙って削ぎ落とす。あと一つは一回茹でる、だな」

 

 火で炙る……?

 

 その瞬間、私の脳裏に浮かんだのは――

 

 火達磨になったホーンラビット。

 

「でも、それをしたら燃えて大変なことになりました」

 

 思わず口から出た言葉に、バルクは呆れた顔をする。

 

「少しだよ、少し。毛がチリチリになるだろ? それをナイフでこそぎ取るんだ」

 

 横からロニオが補足する。

 

「炙るなら、手足の先と尻尾は先に切っておくといい。毛の処理が甘いと臭うからな。余分な部分は落とす。僕たちも一度やった」

 

「言うなって!!」

 

 バルクが慌てて突っ込む。

 

 その瞬間、ロニオは勝ち誇ったような顔をした。

 

 思わず、胸の中に溜まっていた何かが――

 

 ストン、と落ちた。

 

 ……ああ。

 

 この人たちも失敗してるんだ。

 

「まぁなんだ」

 

 バルクは気を取り直して続ける。

 

「それができりゃ燃えたり丸焦げにはならねぇ。あとは切り込みを入れて、じっくり焼くんだ」

 

 楽しそうに身を乗り出したまま言う。

 

「ああ! 塩と香草で締めると最高だ! 絶品だぞ!」

 

 言い切ると、バルクは満足そうにドスンと椅子へふんぞり返った。

 

 これが――

 

 ホーンラビットの丸焼きの作り方。

 

 美味しい食べ方。

 

 私は深く頷いた。

 

「ありがとうございます! またしてみます!」

 

 今度は上手く焼ける気がする。

 

 ミアレを驚かせてあげよう。

 エルネにも、もっと美味しいホーンラビットを食べさせてあげよう。

 

「ん、おう。……しかしこう話してたら俺も食いたくなってきたな」

 

 バルクが呟く。

 

 するとロニオがすぐに言った。

 

「最近、ゴブリンが多い。罠を置いても取られる。今はやめたほうがいい」

 

「……じゃあ無理か」

 

 バルクは残念そうに頭を掻いた。

 

 そのときだった。

 

「リュシア先輩!」

 

 声がして振り向くと、エルネがこちらへ駆け寄ってくるところだった。

 

 私は思わず笑顔になる。

 

 さっきまでの恥ずかしさは、もう消えていた。

 

 ――次は、きっと上手く焼ける。

 

 まだ少し息を弾ませながら、エルネは私の前で立ち止まると、両手をそっと開く。

 

 その掌の上には――

 

 銀貨と銅貨が乗っていた。

 

 灯りに照らされて、金属の表面がきらりと光る。

 ほんのわずかな枚数なのに、それはどこか眩しく見えた。

 

「……これが、報酬です」

 

 どこか誇らしげな声だった。

 

 私は頷く。

 

「半分ずつにしよう」

 

 そう言って、エルネの手の中から銀貨を二枚取る。

 全部で四枚あった銀貨のうちの半分だ。

 

 端の方には銅貨が五枚。

 

 私はそこから二枚だけつまみ上げ、自分のポーチにしまった。

 

 革の口をきゅっと締めながら言う。

 

「残りはエルネさんの分です。余った銅貨も、いいですよ」

 

 エルネは一瞬ぽかんとした顔をしたあと、ふわっと頬を緩めた。

 

「ふふ……やった。私のお金」

 

 まるで宝物を見るみたいに、掌の上の硬貨を見つめている。

 

 両手でぎゅっと握りしめたあと、もう一度指を開いて、今度は真剣な顔で数え始めた。

 

 初めての報酬。

 

 私も、この間まで、ああだったのだろうか。

 

「えっと……」

 

 指先で一枚ずつ触れながら、小さく呟く。

 

「宿代は銅貨八枚だから……えっと……」

 

 しばらく考え込み、そしてぽつりと言う。

 

「……二日分くらい? ……ちょっと少ない……」

 

 その独り言に、私は思わず小さく笑いそうになる。

 

 初めての報酬。

 きっと、頭の中ではもう生活の計算が始まっているのだろう。

 

 視線を少し横へ戻すと、バルクとロニオがテーブル席からこちらを見ていた。

 

 二人とも黙ったまま。

 

 ただ静かにこちらを見ている。

 

 その目は、どこか懐かしいものを見るような視線だった。

 

 先に口を開いたのは、バルクだった。

 

「なぁ、お前」

 

 低い声が、エルネに向けられる。

 

「この間の登録試験にいた奴だよな」

 

 その言葉にエルネはぴくりと反応した。

 

 ゆっくり顔を上げる。

 

 視線が合うと、ほんの少したじろいだ。

 怪訝そうな表情でバルクを見つめる。

 

「えっと……あの……誰、ですか?」

 

 バルクは肩をすくめる。

 

「ああ、俺はバルク。Dランクだ」

 

 親指で隣を指す。

 

「こっちはロニオ。同じランク」

 

 ロニオは軽く手を上げた。

 

「登録試験で一通りの連中は見てたからな。覚えてるだけだ。……まぁ、ここの連中もだいたい知ってるんじゃねぇか?」

 

「え?」

 

 エルネは驚いたように目を丸くする。

 

 そして、おそるおそる周囲を見渡した。

 

 ギルドの中は相変わらず賑やかだった。

 

 酒を煽る冒険者。

 今日の狩りの話を大声で語る者。

 笑い声と食器の音が混ざり合う。

 

 誰もこちらなど気にしていない。

 

 視線が合うのは、この三人だけだった。

 

 エルネはもう一度バルクを見る。

 

 するとバルクは苦笑して言った。

 

「気にすんなって。誰も取って食うなんてことしねぇよ」

 

 腕を組みながら続ける。

 

「関わってくるかは別だけどな。あそこに立ってると気づかねぇだろ」

 

 登録試験のときに立っていた場所のことだろう。

 

 エルネは少しだけ考えるような顔をしたあと――

 

 そっと一歩、こちらへ寄った。

 

 そして。

 

 まるでバルクから距離を取るように、私の背後へ回り込む。

 

 ……?

 

 ロニオがその様子を見て、くすっと笑った。

 

「バルク」

 

「ん?」

 

「お前、怖がられてるみたいだ」

 

「は?」

 

 バルクはぽかんとした顔でロニオを見る。

 

 それから慌ててエルネを見る。

 

「おい、なんでだよ!? どこにそんな怯える要素があるんだよ!?」

 

 大きな声で抗議する姿に、ロニオは肩を揺らして笑う。

 

 バルクの体は大きい。

 

 声もやたら大きい。

 

 エルネが一歩下がるのも無理はなかった。

 

 そのとき、背後から小さな声がした。

 

「……先輩」

 

 エルネが耳元で囁く。

 

「先輩の知り合いですか?」

 

 私は少し考えて答えた。

 

「一度だけ、一緒に依頼に行った仲です」

 

 それを聞いたエルネは「そうなんですか」と小さく返事をした。

 

 そして、もう一度バルクたちの方を見る。

 

 まだ何か言い合っている。

 

「俺のどこが怖いんだよ!」

 

「声がでかいところじゃないか?」

 

「それだけか!?」

 

 その様子が、少しだけ可笑しくて。

 

 私は思わず小さく笑ってしまった。

 

 ギルドの喧騒の中で。

 

 初めての報酬を握りしめたエルネと、

 騒がしい先輩冒険者たち。

 

 そんな何気ない時間が、ほんの少しだけ温かく感じられた。

 

 

 

《別視点》

 

 ギルドのテーブル越しに、俺はそいつを見ていた。

 

 リュシアの後ろに半分隠れるように立っている新人。

 名前は……確か、エルネだったか。

 

 視線は自然と腰に向く。

 

 冒険者ってのはそういうもんだ。

 武器を見る。装備を見る。立ち方を見る。

 

 それだけで、だいたいのことがわかる。

 

 特に俺やロニオみたいな近接職なら尚更だ。

 

 剣を扱う者は、他人の剣に目が行く。

 癖みたいなもんだ。

 

 そして――

 

 俺は覚えていた。

 

 登録試験で見た、あの剣の振りを。

 

 乱雑で、大振り。

 勢い任せ、力任せ。

 

 剣に振られているような、不格好な一撃。

 

 素人丸出しの振り方だった。

 

 だが――まあ、それは別に珍しくもない。

 誰だって最初はそんなもんだ。

 

 問題は、そこじゃない。

 

「……なあ、ちょっと見せろ」

 

 俺が言うと、リュシアは少し考えたあと、エルネの剣を受け取った。

 そしてテーブル越しにこちらへ差し出す。

 

 俺はそれを受け取り、テーブルの下へ引き寄せる。

 

 椅子に座ったまま、股の間で剣を抜いた。

 

 鞘から滑り出した刀身を見て――

 

 思わず口から言葉が漏れた。

 

「……こいつはスゲェや」

 

 悪い意味で、だ。

 

 刀身はくすんでいる。

 刃は何度も研ぎ直され、痩せて短くなっていた。

 

 本来のロングソードなら、もっと幅がある。

 もっと重さがある。

 

 だがこれは――

 

 軽い。

 

 軽すぎる。

 

 しかも、刀身が痩せすぎて鞘と微妙に合っていない。

 

 中古品だ。

 しかも、かなり使い込まれたやつだ。

 

 ああ、昔、同じような剣を握っていた奴を思い出す。

 

 横からロニオが覗き込む。

 

「……繋ぎで使うにはいいが、これは細すぎるな」

 

 淡々とした声で言う。

 

「いつ折れるか、わかったもんじゃない。これで肉を断つにしても、相当な技量が必要になる」

 

 俺は鼻で笑った。

 

「お前がそこまで言うなら……じゃあ、ナイフの方がマシか?」

 

 ロニオは少し考えてから答える。

 

「そいつが折れるくらいなら、ナイフの方がマシだろうな」

 

 ロニオが言うなら、そいつは大体正しい。

 

 俺は剣を鞘に戻した。

 

 そして顔を上げる。

 

「おい」

 

 視線はエルネに向ける。

 

「リュシアの後輩。こっち来い」

 

 新人は少し戸惑った顔をした。

 それでも、おずおずと近づいてくる。

 

 俺は脇に置いていた自分のロングソードを手に取った。

 

 そして――

 

 放り投げた。

 

「ほら」

 

 エルネは慌てて両手を伸ばす。

 

 剣を受け止めた瞬間――

 

「うっ!」

 

 体がぐらりと揺れた。

 

 重心が崩れ、二、三歩後ろへ下がる。

 

 その様子に、思わず口の端が上がる。

 

「抜くな」

 

 俺は言った。

 

「そのまま構えてみろ」

 

 エルネは驚いた顔をしていたが、言われた通り柄を握る。

 

 重たそうに腕を上げて――

 

 ぎこちなく剣を構えた。

 

「こ、こう……ですか?」

 

 エルネの腕が震える。

 

 ……なっちゃいねぇ。

 

 剣先はだらりと下がっている。

 脇は開きっぱなし。

 立ち方も不安定。

 

 まるで子供だ。

 

 可愛いくらいの、ズブの素人。

 

 だが――

 

 スタートラインなんて、誰だってこんなもんだ。

 

 俺は立ち上がり、鞘でその剣先を持ち上げた。

 

「なっちゃいねぇ」

 

 そして、鞘で肘を軽く叩く。

 

「脇を締めろ」

 

「いたっ!」

 

 次に膝を叩く。

 

「両足はしっかり地面につけとけ」

 

「ぃやっ!」

 

 叩かれた足が一瞬引く。

 

 だが、すぐに踏み直した。

 

 エルネは俺を睨んでいる。

 

「俺を見るな」

 

 低く言う。

 

「前向け。顎を引け。真っすぐ前を見ろ」

 

 エルネの視線がゆっくり前を向く。

 

 ぎこちない。

 だが――

 

 少しだけ形になった。

 

 俺は身を乗り出す。

 

「よーし」

 

 小さく頷く。

 

「その姿勢、覚えろ」

 

 そして続ける。

 

「様んなってる女は、凛として綺麗なもんだ」

 

 エルネは少しだけ目を瞬いた。

 

 俺はそのまま言葉を続ける。

 

「……それと」

 

 剣を見る。

 

「その剣の重さ、忘れるなよ」

 

 声が少し低くなる。

 

「その重さがお前の命を預ける重さだと思え」

 

 ギルドの喧騒が遠く聞こえる。

 

「扱いやすいだ。軽いだ。安いだ」

 

 鼻で笑う。

 

「そんなもんで命は預けるもんじゃねぇ」

 

 俺は一歩近づき、エルネの構えていた剣を抜き取る。

 

 そして元の位置に彼女の剣を返した。

 

 椅子に座り直し、背もたれに寄りかかる。

 

 少しの沈黙。

 

 その横で、ロニオが呟いた。

 

「バルク」

 

「ん?」

 

「お前も焼きが回ってきてるな」

 

 俺は舌打ちする。

 

「……うっるせぇ」

 

 ロニオは何も言わない。

 

 だが、わかってる顔だった。

 

 言わない後悔なんて、なんにもならねぇ。

 

 俺たちは見てきただろう。

 

 目の前で助けられなかったやつを。

 

 何も言えずに死んだやつを。

 

 ……お前もだろうが、ロニオ。

 

 ギルドの喧騒の中で、俺は黙ったまま天井を見上げた。

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