風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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17話後編 知らない名前

 

 

 ギルドを出たときには、もう夜になっていた。

 

 昼間は人で賑わう通りも、今はまばらだ。

 建物の軒先に吊るされたランタンが、橙色の光で石畳をぼんやり照らしている。

 風は冷たく、夜の匂いが街を静かに包んでいた。

 

 私はエルネと並んで歩いていた。

 

 いつもの帰り道。

 宿へ向かう、慣れた道だ。

 

 大通りから外れた路地に入ると、人影はさらに少なくなる。

 足音だけが、石畳に乾いた音を残していく。

 

 カツ、カツ、と。

 

 その横で、エルネはずっと自分のロングソードを手にしていた。

 腰に差さず、鞘ごと抱えるように持っている。

 

 ずっと、何かを考えている顔だった。

 

 そして、とうとう口を開いた。

 

「先輩、聞いてましたよね」

 

 少し不満そうな声。

 

「……あの人」

 

 エルネは足を止めず、前を向いたまま言葉を続けた。

 

「突然、剣を見せろって言ってきて」

 

「説教してきて」

 

「鞘で叩いてきて」

 

 言葉が少しずつ速くなる。

 

「私の剣、馬鹿にしてきたの」

 

 その声は、怒っているようにも聞こえた。

 

 けれど、よく聞けば、どこか震えている。

 

 エルネは剣を両手で抱え直す。

 大事なものを守るみたいに。

 

「私だって」

 

 小さく息を吸う。

 

「私だって、覚悟して」

 

「努力して」

 

「武器屋さんで……安かったですけど」

 

 少し間が空く。

 

「それでやっと、剣を買えたのに」

 

 声がわずかに震えていた。

 

 暗がりの中で、エルネの表情はよく見えない。

 ランタンの光もここまでは届かない。

 

 ただ、剣を抱える腕が少し強くなっているのは分かった。

 

 私はしばらく黙ったまま歩いた。

 

 石畳を踏む二人の足音が、夜の路地に響いている。

 

 剣のことは、正直よく分からない。

 

 私は杖だ。

 剣の重さも、振り方も、よく知らない。

 

 バルクの言葉も、正直なところ、今ひとつピンと来ていなかった。

 

 重い杖。

 軽い杖。

 

 そういう違いはある。

 

 でも剣みたいに振り回すものでもないし、

 殴ったりするわけでもない。

 

 折れるとか、壊れるとか。

 

 そんな話を深く考えたこともなかった。

 

 だから、あれはきっと――

 

 剣を持つ人の話だ。

 

 私には関係のない話。

 

 そう思えた。

 

 それでも。

 

 会ってすぐ、あんな言い方をしなくてもいいとも思った。

 

 私は横目でエルネを見る。

 

 エルネは、鞘に納めた剣を軽く握り直すと、

 確かめるように一度構えた。

 

 踏み込むように、少しだけ前へ足を出す。

 

 剣先は垂れていない。

 

 少しだけ、上を向いている。

 

 さっきより、ほんの少しだけ形になっている気がした。

 

 私は聞いた。

 

「……剣、重かったんですか?」

 

 エルネは足を止めた。

 

 こちらを振り向く。

 

 一瞬、視線が合う。

 

 でもすぐに、少しだけ逸らした。

 

 

 そして、小さく言った。

 

「……はい」

 

「重たかった……です」

 

 それだけだった。

 

 私は自分の杖を見下ろす。

 

 しばらく使ってきて多少の傷が付いているが、気になるほどのものでもない。

 

 そして、これも安物。

 

 それで言えば、私のものも同じだ。

 

 けれど杖は、剣とは違う。

 

 振り回すわけでもないし、

 叩きつけるものでもない。

 

 折れたり壊れたりするものじゃない。

 

 だからきっと。

 

 あの話は、やっぱり剣の話なんだろう。

 

 私はそれ以上、言葉を見つけられなかった。

 

 気を遣うような言葉も、励ますような言葉も。

 

 うまく思いつかなかった。

 

 そのまま歩いていると――

 

 エルネが突然、剣を腰に納めた。

 

 そして小さく走り出す。

 

「こっち!」

 

 私は少し驚いて後を追う。

 

 宿へ向かう道から逸れて、細い道へ入る。

 

 その先にあったのは――

 

 冒険者用の雑貨屋だった。

 

 扉は閉まっている。

 

 窓も暗い。

 

 エルネは店の前で立ち止まり、肩を落とした。

 

「もう閉まっちゃってる〜!」

 

 悔しそうな声。

 

「ぅ〜……」

 

 そういえば。

 

 ここに来る約束をしていた。

 

 私は少し考えてから言った。

 

「次、明日に出直そう」

 

 エルネは振り向いた。

 

「……うん」

 

 小さく頷く。

 

 私はそのまま、エルネの手を引いた。

 

 反発はなかった。

 

 引いた分だけ、エルネはついてくる。

 

 夜の空は見える。

 

 けれど建物の影が、足元をもっと深い黒にしている。

 

 私たちはそのまま宿へ戻った。

 

 扉を開ける。

 

 チリン、と小さな音が鳴る。

 

 暖かい灯りが、二人を迎えた。

 

「ただいま」

 

 私とエルネの声が重なる。

 

 そのあと、奥からおばさんの声が聞こえた。

 

「おかえり」

 

 いつもの声だった。

 

 宿の扉をくぐると、いつもの空気が改めて迎えてくれた。

 

 見慣れたカウンター。

 いくつか並ぶ木のテーブル。

 奥にはおばさんがいて、その近くには酒を飲んでいるおじさん。

 

 暖かくて、静かな空間。

 

 外の夜の冷たさとはまるで違う。

 木の壁に囲まれたこの場所は、どこか落ち着く匂いがしていた。

 

 私が周りを見渡している間に、エルネは私を追い抜いてカウンターへ向かった。

 

「おばさん!」

 

 元気な声。

 

「タオルと水桶を下さい! 体を洗いたいです!」

 

 おばさんは軽く頷くと、慣れた様子で「はいよ」と答え、裏へ回っていった。

 

 その間にエルネは振り返る。

 

 今度は私に向かって言った。

 

「先輩、明日も私が起こしに来てあげます!」

 

 いたずらっぽい笑顔。

 

 私は即座に返した。

 

「自分で起きれるので結構です」

 

 それに――

 

 あんな叩き方は二度とごめんだ。

 

 頭の中で、朝の音が蘇る。

 

 ドンドン。

 

 乱暴に叩かれる扉の音。

 あの響きが胸の奥まで届く感じが想像できてしまう。

 

 思わず呼吸を整えた。

 

 そのとき、おばさんが戻ってくる。

 

 木の桶に水を入れ、タオルを乗せている。

 

 エルネはそれを受け取ると、ぱっと顔を明るくした。

 

「ありがとうございます!」

 

 そして、またすぐ駆け出す。

 

「先輩、また明日!」

 

 振り向きながら言う。

 

 私は小さく手を振った。

 

 そのとき――

 

「あんた、よそ見してるとコケるよ!」

 

 おばさんが声を上げた。

 

「わっ!」

 

 エルネの体が前のめりになる。

 

 危うく転びそうになったが、なんとか体勢を立て直した。

 

 ドン、と。

 

 床が大きく軋んだ。

 

「ごめんなさーい!」

 

 そう言って、エルネは慌ただしく自分の部屋へ走っていく。

 

 廊下の奥で扉が閉まる音がした。

 

 おばさんは呆れたように息をついた。

 

 エルネの元気そうな姿を見て少し安心する。

 

「まったく、慌ただしい娘だねぇ」

 

 そう言いながら、今度は私の方を見る。

 

「あんたもいるかい?」

 

「はい。お願いします」

 

 私が答えると、おばさんはまた裏へ向かおうとして、ふと立ち止まった。

 

「お腹は空いてないかい?」

 

 聞かれて、少し考えた。

 

 昼間のことを思い出す。

 

 森の中。

 火の匂い。

 黒く焦げたホーンラビット。

 

 あのとき黒パンも食べた。

 

 量は多くなかったはずなのに、不思議と今はお腹が空いていない。

 

「出先で食べたので、いらないです」

 

 そう答えると、おばさんは歩み寄ってカウンターに肘をついた。

 

 少し身を乗り出して聞く。

 

「あんた、魔物を食べたのかい?」

 

「はい。ホーンラビットです」

 

 私は思い出しながら続ける。

 

「丸焦げにしちゃいましたけど、焦げたのは外側だけだったので削って……また焼いて食べました」

 

 おばさんは何も言わず、目を細めて聞いていた。

 

 ゆったりした顔。

 

 それから、静かに聞いた。

 

「美味しかったかい?」

 

 私は少し考えた。

 

 味を思い出そうとする。

 

 焦げた匂い。

 煙。

 苦いような匂い。

 

「焦げ臭くて、味はしませんでしたけど」

 

 そこで少し笑う。

 

「美味しかったです」

 

 頭に浮かぶのはエルネの顔だ。

 

 嬉しそうに食べていた。

 

 おばさんは「へぇ」と小さく息を漏らした。

 

「意外だねぇ」

 

 そう言って私の手を見る。

 

「あんた、綺麗な手をしてるから、てっきりそういうことは何も知らないと思ってたよ」

 

 私は自分の手を見る。

 

 そのあと、おばさんの手を見る。

 

 ごつごつしている。

 細いけれど、指は角張って太い。

 皺もあって、黒ずんだ荒れた肌。

 

 それに比べると私の手は白い。

 

 細くて、弱そうな指。

 

 折れてしまいそうなほど細い。

 

「教えてもらったんです」

 

 私は言った。

 

「血を抜いたり、捌き方を……」

 

 ミアレのことを思い出す。

 

 今は家の用事でいない。

 

 でも私は、もう一人でできる。

 

 おばさんはゆっくり頷いた。

 

「その子にお礼を言っときな」

 

 少し強めの声。

 

「言わないと、また次いつ会えるかわかんないよ」

 

 私は黙った。

 

 お礼。

 

 そういえば言っていない気がする。

 

 感謝。

 

 言葉だけでいいのだろうか。

 

 ミアレからもらった貯金箱。

 

 私は何も返していない。

 

 何もしていない。

 

 そんなことを考えていると、おばさんが手を叩いた。

 

「またホーンラビット食べるんだろ?」

 

 笑う。

 

「だったら、おばちゃん良いもん持ってきてやる」

 

「待ってて」

 

 そう言って裏へ消えていった。

 

 カウンターの前に、私一人が残る。

 

 少しの静けさ。

 

 そのとき――

 

 背後から声がした。

 

「おい、嬢ちゃん」

 

 咄嗟に振り向く。

 酒飲みのおじさんだった。

 

 顔が赤い。

 耳の先まで赤くなっている。

 酒の匂いもする。

 

「ポーション、よく効いただろ?」

 

 にやりと笑う。

 

「なぁ、おい。もう一本買ってくれねぇか?」

 

 私は少し困った。

 

 前に買った分がまだ残っている。

 正直、今は要らない。

 

 それに――

 杖のこともある。

 

 お金も、あまり使いたくない。

 

「すみません。今、買いたいものがあって」

 

 そう言うと、おじさんは肩をすくめた。

 

「なんだぁ? 金がねぇのか?」

 

 へらっと笑う。

 

「そりゃ仕方ねぇ」

 

 しばらく黙ったあと、急に思い出したように顔を上げた。

 

「金がねぇならよぉ」

 

 身を乗り出す。

 

「いい稼ぎ、知ってるぜ」

 

 私は自然と身体がおじさんの方へ向いた。

 

「昔の冒険者がやってたやつだ」

 

「聞きたいか?」

 

 お金を稼ぐ方法。

 

 その言葉に、思わず耳を傾けてしまう。

 

 おじさんはさらに身を寄せ、声を低くする。

 

「今そいつが生きてるか、やめてるかは知らねぇけどな」

 

 そして言った。

 

「死体漁りだ」

 

 私は眉をひそめた。

 

「死んだやつから装備を剥ぎ取るんだ」

 

 おじさんは笑う。

 

「ぜーんぶ自分のもんにして売っちまえばいい」

 

 言っている意味が、すぐには理解できなかった。

 

 死体漁り?

 

 死んだ人から物を取る?

 

 それを売る?

 

 信じられない。

 

 この人は何を言っているんだろう。

 

 おじさんは首をひねった。

 

「あー……名前なんだったかな」

 

 少し考えてから、指を鳴らす。

 

「ああ、そうだ」

 

 そして言った。

 

「死体漁りのガルド」

 

 音が、消えた。

 

 おじさんの声も、宿の静けさも、遠くなる。

 

 ガルド。

 

 その名前だけが、頭の中に残っている。

 

 知っている。

 

 その名前を、私は知っている。

 

 でも——

 死体漁り。

 

 その言葉と、あの背中が、うまく重ならない。

 

 その名前と、知っている背中が、頭の中でゆっくりと重なっていく。

 

 重なる。

 

 でも、まだ、信じられない。

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