風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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20話後編 癒し手の者

《別視点》

 

 石畳の広場に、即席の台が組まれていた。

 

 簡素な木材を組み上げただけの、仮設の壇。

 だがその周囲には、すでに多くの人が集まり始めていた。

 

 冒険者。職人。商人。通りすがりの者。

 そして、ただの野次馬。

 

 立場も目的も違う人々が、ただ一つの方向へと意識を向けている。

 

 ――私の方へ。

 

 ざわめきが波のように広がり、そしてゆっくりと収束していく。

 

 喉の奥が、わずかに詰まり、息が浅い。

 

 胸の内側が、小さく震えているのが分かる。

 怖いのではない。

 

 ただ――重い。

 

 この場に立つ意味が、この場に立つ責任が、静かにのしかかってくる。

 

 指先を握りしめて、小さく拳を作る。

 その感触で、かろうじて自分を繋ぎ止める。

 

 一度、息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

 

 そして――頭を下げた。

 

 ざわめきが止まり、音が消える。

 

 顔を上げる。

 

 視線が集まる。

 逃げ場はない。

 

 だからこそ、前を向く。

 

「……本日は、お時間をいただき、ありがとうございます」

 

 声は大きくない。

 

 けれど、不思議と広がっていく。

 押し出すのではなく、染みていくように。

 

「私は、癒しの氏族に連なる者として――この街で、ポーションの供給に携わっております」

 

 言葉を一つずつ、確かめるように紡ぐ。

 

 胸の奥の揺れを、声に乗せないように。

 軽く息を吸う。

 

「皆さまの中には、すでに使われた方もいらっしゃるでしょう」

 

「怪我をした時、倒れた時、あるいは――帰れないかもしれない、そう思った時に」

 

 一瞬だけ、言葉が引っかかる。

 

 

「その命を、繋ぐためのものです」

 

 

 広場の空気がわずかに変わり、ざわめきが低く揺れる。

 

 私は指を二本立てた。

 

「回復薬は、今や銀貨二枚で手に入ります」

 

 はっきりと告げる。

 

「決して高価なものではありません」

 

 それが事実であると疑いなく知っている。

 

「それは――誰か一人の力ではありません」

 

 言葉を重ねる。

 

 少しだけ、口元に力を込める。

 

「多くの癒し手が、その力を分け、形にし、瓶に封じているからです」

 

 目に見えないものを、見える形にする。

 それが、自分たちの役割だと教えられてきた。

 

「私たちは、特別なことをしているつもりはありません」

 

 ほんの一瞬、間を置く。

 静寂が落ちる。

 

「ただ――」

 

「目の前で、助けられる命を、見過ごしたくないだけです」

 

 それだけ。

 本当にそれだけ。

 特別でも崇高でもない。

 

「昔は、怪我をすれば――それで終わることもありました」

 

 ゆっくりと語る。

 

「治るかどうかは、運や時間に委ねられていました」

 

 それは、過去の話。

 けれど、遠い話ではない。

 

「けれど、今は違います」

 

 視線を前へ向ける。

 

「倒れても、戻ってこられる」

 

「血を流しても、止められる」

 

「その場で――生き延びることができる」

 

 言葉に、わずかな熱が宿る。

 胸の奥の揺れが、別の形に変わっていく。

 

 息を繋いで崩さないように、整える。

 

「冒険者の方々へ」

 

 視線が、集まる。

 

「あなた方は、危険な場所へ向かう方々です」

 

「それは、誰にでもできることではありません」

 

「だからこそ――」

 

 ほんのわずかに、言葉を選ぶ。

 迷いはない。正確に伝えたい。

 

「帰ってきてほしいのです」

 

 その一言に、すべてを込める。

 

「回復薬は、無理をするためのものではありません」

 

 

 声が、少しだけ強くなる。

 

「生きて帰るためのものです」

 

「倒れないためではなく――倒れても、終わらせないためのものです」

 

 

 それが役割。

 

 それが意味。

 

 

「すべての方に行き渡ることも、すべての命を救えるわけではありません」

 

 静かに言う。

 

 事実を、隠さない。

 

「それでも、救える命は、確実に増えました」

 

 確かなことだけを、積み重ねる。

 

 

「本来なら、失われていたはずの命が――今も、ここにある」

 

 

 広場を見渡す。

 

 そこにいる誰かが、その一人かもしれない。

 

 

「それが、私たちの誇りです」

 

 

 胸の奥にあるものを、そのまま言葉にする。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 私は深く頭を下げた。

 

「どうか――使ってください」

「どうか――生きてください」

 

 祈りではない。

 願いでもない。

 ただの、選択の提示。

 

 顔を上げる。

 まっすぐ前を見る。

 揺れは、もうない。

 

 私は、疑わない。

 

 これが正しいと、信じている。

 

 それ以外を、知らないから。

 

 声は、まだ震えていた。

 

 胸の奥に残る緊張は消えず、言葉の端にかすかに揺れが混じる。それでも、止まるわけにはいかなかった。ここで言葉を止めれば、それまで積み上げてきたものが崩れてしまう気がした。

 

 だから、続ける。

 

「だから……私は――」

 

 そのときだった。

 

 ――カン、と。

 

 乾いた音が、空気を裂いた。

 

 次の瞬間、何かが肩に当たる。

 

 軽い衝撃。

 ほんの一拍遅れて、じん、とした痛みが広がった。

 

「……っ」

 

 足元が揺れる。

 

 視界が傾き、身体のバランスが崩れる。

 

 台の上で踏みとどまることができず、そのまま尻もちをついた。

 

 硬い感触が背中に響く。

 

 ころり、と転がる音。

 

 視線の端で、それが見えた。

 

 ――空のガラス瓶。

 

 中身のない、乾いた音を立てて止まった。

 

 

 静寂。

 

 

 ほんの一瞬、何もかもが止まったような感覚。

 

 そして、遅れてざわめきが広がる。

 

「……誰?」

 

 痛む肩に手を当てながら、顔を上げる。

 

 投げられた方向へと視線を向ける。

 

 そこにいたのは――一人の男だった。

 

 煤と薬品の匂いをまとった、中年の男。

 

 

 汚れた身なりと粗末な外套に、荒れた手。

 その中で、目だけが異様にぎらついている。

 

「……は、綺麗事だなァ」

 

 低く、吐き捨てるような声。

 

 ざわめきが一瞬、引く。

 

「何が救うだ。何が死なないだ」

 

 空気が、冷える。

 

 私は言葉を失ったまま、男を見つめる。

 

 男は一歩、踏み出した。

 

「知ってるか?」

 

 指がこちらへ向けられる。

 

 突き刺すような、鋭い動き。

 

「お前らのせいでなァ……食えなくなった奴がいるんだよ」

 

 ざわめきが強くなる。

 

 誰かが小さく「やめろ」と呟いた。

 

 けれど、止める者はいない。

 

「調合師だ」

 

 吐き捨てるように言う。

 

「薬を作って、生きてきた連中だ。怪我人に頭下げられて、金もらって、それで食ってた」

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 距離が詰まる。

 

「それがどうだ?」

 

 男は笑った。

 

 歪んだ、ひび割れたような笑み。

 

「安い、早い、効く――だと?」

 

 吐き出される言葉は、重く、鈍い。

 

「上から手ぇかざして全部終わりだ」

 

 肩が、びくりと震えた。

 

「薬なんか売れねぇ。依頼も来ねぇ。腕も知識も……全部、無価値だ」

 

 声が荒れていく。

 

 押し殺していた何かが、滲み出るように。

 

「借金抱えてなァ……首吊った奴もいる」

 

 広場の空気が、重く沈む。

 

「俺の弟だ」

 

「家族ごと消えた奴もいる」

 

 その言葉が、胸の奥に落ちる。

 

「……知ってたか?」

 

 静かな問い。

 

 逃げ場のない言葉。

 

 私は――答えられなかった。

 

 唇が、震える。

 

「……わ、私は……」

 

 声が出ない。

 

 男は鼻で笑う。

 

「知らねぇよなァ」

 

「考えもしねぇよなァ」

 

「だって良いことしてるんだもんなァ?」

 

 その言葉は、鋭く胸を刺した。

 

「誰かを救ってる」

 

「誰かに感謝されてる」

 

「気持ちいいよなァ?」

 

 否定しようとする。

 

「違……っ」

 

 けれど、言葉が続かない。

 

 頭の中に浮かぶ。

 

 ――助けた人たちの顔。

 ――ありがとう、と言われた声。

 

 その裏側。

 

 その向こう側。

 

 一度も、考えたことがなかった。

 

「……っ、わたし、は……」

 

 喉が詰まる。

 

「私は……ただ……」

 

 言えない。

 

 救いたかっただけ。

 

 その言葉が、喉の奥で止まる。

 

 男は吐き捨てた。

 

「何が癒し手だ」

 

 沈黙。

 

 広場に、重い空気が落ちる。

 

 視界が滲む。

 

 否定できない。

 

 自分のしてきたことが、誰かを追い詰めていたかもしれない。

 

 その可能性を――

 

 私は、一度も考えなかった。

 

 ぽろり、と涙が落ちる。

 

「……ごめ、なさ……」

 

 か細い声。

 

 誰に向けたものかも分からない。

 

 その瞬間――

 

「――おい、てめぇ!」

 

 怒号が、空気を裂いた。

 

「やりすぎだろ!」

 

「女の子に何してんだ!」

 

 一気に流れが変わる。

 群衆が動く。

 

 誰かが男の肩を掴む。

 別の誰かが拳を振り下ろす。

 

「ぐっ……!」

 

「やめろ! 離せ!」

 

 叫び声。

 だが止まらない。

 

 誰かが正義を掲げた瞬間、それは連鎖する。

 殴る側が興奮していてもう止まらない。

 

「暴れるな!」

 

「警備兵呼べ!」

 

 殴打の音が響く。

 

 罵声が飛ぶ。

 

 男は地面に押し倒される。

 踏まれる。

 蹴られる。

 

「……っ、は……」

 

 それでも、男は笑った。

 

 血の混じる口元で。

 

「ほらなァ……」

 

 誰にも届かない声。

 

「……お前らは……そうやって……」

 

 言葉は途中で途切れた。

 殴打にかき消される。

 

 私は、動けなかった。

 

 助けることも。

 止めることも。

 何もできずに。

 

 ただ、その光景を見ていた。

 

 目の前で起きていることを、理解できないまま。

 

 理解しようとして、できないまま。

 

 涙だけが、頬を伝って落ち続ける。

 

 音が遠くなる。

 

 止まらない。

 止められない。

 

 ――私は、何をしていたのだろう。

 ――私は、何を信じていたのだろう。

 

 その答えは見えなかった。

 

 

 

 同じ頃、広場の縁で、私はその一部始終を見ていた。

 

 

 

 癒し手の少女は、誰に語りかけるでもなく、ただ静かに言葉を紡いでいた。

 

 助けられる命を見逃したくない。

 帰ってきてほしい。

 どうか、生きてほしい。

 

 その声は強くはない。けれど、真っ直ぐで、迷いがなかった。

 

 広場に集まった人々もまた、その言葉を受け止めるように静まり返っていた。ざわめきは消え、空気は張り詰め、まるで世界がその一言一言に耳を傾けているかのようだった。

 

 ――そのときだった。

 

 静寂を切り裂くように、低い声が響いた。

 

「綺麗事だな」

 

 それは鋭く、短く、けれど深く突き刺さる声だった。

 

 視界には、その声の主は映っていない。けれど分かる。どこか暗がりから放たれたその声は、まるで針のように、あの少女の言葉を貫いていた。

 

 一瞬で、空気が変わった。

 

 先ほどまでの静けさが嘘のように、ざわめきが広がる。

 

 怒号、罵声、そして――鈍い音。

 

 何かが起きている。けれど、それは単純な善悪で片付けられるものではないと、直感的に理解していた。

 

 私は、頭の中で必死に状況を整理する。

 

 癒し手は、人を救うためにポーションを作る。

 調合師は、生きていくためにポーションを作る。

 

 同じ"ポーション"のはずなのに、その意味はまるで違う。

 

 価格も違う。

 癒し手のものは安く、多くの人に届く。

 調合師のものは高く、それでも彼らの生活を支えるために必要な対価だ。

 

 だからこそ――衝突する。

 

 どちらかが正しければ、どちらかが間違っている、そんな単純な話ではない。

 

 むしろ逆で。

 

 どちらも正しいからこそ、ぶつかる。

 

 視線を巡らせる。

 

 人々は、怒りの矛先を一人の男へと向けていた。調合師だと名乗ったその男に、言葉と拳が浴びせられている。

 

 不思議なことに、全体で見れば、その男の方が"悪く"見える。

 

 だから、殴られる。

 だから、責められる。

 

 けれど――

 

(……本当に?)

 

 胸の奥に、引っかかるものがあった。

 

 魔物なら、簡単だ。

 倒せばいい。そこに迷いはない。

 

 人に害をなす存在であれば、それだけで理由になる。

 

 でも、これは違う。

 

 これは、そんな単純な話じゃない。

 

 私は考え込んでいた。

 

 そのとき、不意に腕を引かれる。

 

「行きますよ」

 

 エルネの声だった。

 

 気づけば私は、群衆の縁に立っていた。少しでも遅れれば、あの暴力の渦に飲み込まれていたかもしれない。

 

 引かれるままに、その場を離れる。

 

 けれど、視線だけは後ろに残したままだった。

 

 癒し手の少女は、警護の人間に支えられながら退場していく。

 その背後で、なおも荒れ狂う群衆。

 

 その光景を最後に、私は前を向いた。

 

 理解できない。

 

 どうすればいいのかも、分からない。

 

 胸の中にあるのは、言葉にならない感情だった。

 

 裏通りを走る。

 

 人の流れに逆らうように、騒ぎから遠ざかっていく。

 

 今でも、男が殴られている光景。

 鈍い音が頭に残る。

 

 あの場にいながら、何もできなかったこと。

 

「迷惑ですよね、本当に」

 

 息を切らしながら、エルネが言った。

 

 その言葉は、どこか軽く、しかし確信に満ちていた。

 

 私は何も答えなかった。

 

「あんなことされたら、せっかくのイベントも台無しですし……ポーションも配ってくれなくなるかもしれません? 顔を見に来る人だって減っちゃう」

 

 エルネは困ったように、しかし少し苛立ったように眉をひそめる。

 

 その視点は、分かる。

 

 銀貨二枚。

 

 それだけで救われる命がある。

 

 安いからこそ、多くの人が手に取れる。

 それがどれだけ大きな意味を持つかも、理解できる。

 

 でも――

 

(それだけでいいの?)

 

 ふと、そんな考えが浮かぶ。

 

「エルネさん」

 

 私は口を開いた。

 

「もし、癒し手さんのポーションがなくて、調合師さんのものしかなかったら……買いますか?」

 

 エルネは少しだけ考え、すぐに首を横に振った。

 

「買わないです。その分、生活費に回します」

 

 即答だった。

 

 迷いは、ほとんどない。

 

「……緊急のときでも?」

 

「そんなこと、ないです」

 

 少しだけ視線を逸らしながら、エルネは続ける。

 

「もしそんな状況になったら……多分、もう手遅れかもしれませんし」

 

 言いにくそうに、そう付け加えた。

 

「そう、ですか……」

 

 思わず声が漏れる。

 

 責めるつもりはない。

 

 どちらが正しいとも、まだ言えない。

 

 同じ銀貨二枚なのに、

 誰かにとっては軽く、誰かにとっては重すぎる。

 

 ただ一つ、確かに感じたことがある。

 

「悪い人がいないのに、誰かが困ってる……」

 

 その言葉に、エルネはきっぱりと言い返した。

 

「悪いのは調合師の人ですよ。人の善意を、あんなふうに台無しにするなんて」

 

 ああ――

 

 そうか。

 

 エルネにとっては、もう答えは出ている。

 

 彼女はまだ知らない。

 

 あの裏側も、あの男の言葉も、そこにある現実も。

 

 私だって、理解しきれていない。

 

 それでも――

 

(簡単に決めていいことじゃない)

 

 そう思った。

 

 だから私は、曖昧に頷くだけにした。

 

 何も断言せず、何も否定せず。

 

 どちらも正しいように見えて、どちらもどこかで間違っている気がした。

 だから、何も言えなかった。

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