風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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22話後編 拾われるもの、置き去りにされるもの

 

 

 

「ウィンドブラスト!」

 

 短く詠唱を紡ぎ、杖を前へと突き出す。

 

 次の瞬間、先端から圧縮された風の塊が解き放たれ、一直線にオークへと向かっていく。

 

 森の空気が震えた。

 

 枝葉がざわめき、足元の落ち葉が巻き上がる。

 

 オークはそれを避ける素振りも見せなかった。ただ鈍重にこちらを向いたまま、その身で風を受け止める。

 

 弾ける空気の音と、肉を打つ鈍い衝撃音が重なった。

 

 確かな手応え。

 

 風はオークの身体を打ち抜き、その巨体を後方へと弾き飛ばす。

 

 地面を擦りながら転がり、やがて力を失ったように伏した。

 

 動かない。

 

 一撃だった。

 

 私は静かに息を吐く。

 

 思っていた通りだ。

 

 難しいことは何もない。

 

 この依頼は簡単に終わる――そう確信できるほどに。

 

「すごいな」

 

「やるじゃない」

 

 ラウドとセナが、ほとんど同時に声をかけてくる。

 

 その言葉が胸の奥に落ちる。

 

 じわりと広がる高揚感。

 

 自分が認められたような感覚。

 

 それが心地よい。

 

 その時、横でケインかディルのどちらかが、ぽつりと呟いた。

 

「オークっても、大したことないんだな」

 

 その言葉は、あまりにも自然で、あまりにも軽かった。

 

 ――大したことはない。

 

 確かに、その通りだと思った。

 

 目の前の存在は大きいだけで、動きは鈍い。こちらを認識した瞬間に、わずかながら動きが止まる。

 

 隙がある。

 

 なら、その隙に差し込めばいいだけだ。

 

 登録試験で、動かない丸太を標的にしていた時と、ほとんど変わらない。

 

 違いは、それが生きているかどうかだけ。

 

 倒れたオークのもとへ、全員で近づく。

 

 巨体は地面に伏したまま、ぴくりとも動かない。

 

 生きているのか、死んでいるのか、その境界すら曖昧だった。

 

「トドメ刺すか?」

 

 ディルが誰にともなく言う。

 

 ラウドが短く頷いた。

 

「そうだな。討伐証を剥ぎ取る時に暴れられても困る。確実に行こう」

 

 ディルは無言でロングソードを構える。

 

 軽く肩を回し、両手で柄を握り直す。

 

「俺がやるのか。まぁ、言い出したの俺だしな」

 

 そう呟いて、剣を振りかぶった。

 

 一瞬の間。

 

 そして、振り下ろされる。

 

 ――鈍い音がした。

 

 それは斬るというよりも、叩くに近い音だった。

 

 刃はオークの首に当たり、肉を裂く代わりに弾かれたように止まる。

 

 皮膚は分厚く、わずかに切り込みが入っただけだった。

 

「マジかよ……ちゃんと狙ったぞ?」

 

 ディルが眉をひそめる。

 

 横からケインが口を挟む。

 

「刺すのはどうだ?」

 

「あー、そうだな。まぁ、叩き斬り続けりゃそのうちいけるだろうけど……手っ取り早くいくか」

 

 軽い会話。

 

 まるで、何かの作業手順を確認するようなやり取り。

 

 その一部始終を、私はただ見ていた。

 

 見ていた、というよりも――

 どこかで比べていた。

 

 バルクとロニオ。

 あの二人の姿が、自然と思い浮かぶ。

 

 あの時の動き。

 

 ジャイアントバットを一刀両断にした迷いのない一撃。

 

 そして、確実にオークの首筋の急所を突き、四肢を切り落とし、解体していく光景。

 

 バルクなら、オークの首くらい一太刀で落としていただろう。

 

 根拠はない。

 けれど、そう思えてしまう。

 

 それほどまでに、目の前の光景は違って見えた。

 

「牙にするか?耳にするか?」

 

 ラウドの声が現実へと引き戻す。

 

「じゃあ、耳で」

 

 ディルはそう言って、再び剣を動かす。

 

 今度は首ではなく、頭部へ。

 

 刃が皮膚を削ぐ。

 

 肉を裂く音。

 

 耳が切り落とされる。

 

 片方、そしてもう片方。

 

 それを無造作に拾い上げ、ラウドが広げた革袋の中へと放り込んだ。

 

 鈍い音を立てて落ちる。

 

 それで終わりだった。

 

 ――まずは一体。

 

 ラウドの言葉に、全員が軽く頷く。

 

 すぐに次へ向かうように、足が動き出す。

 

 街道から外れ、森の奥へと進む。

 

 見覚えのない道。

 

 いつものルートではない。

 

 私の知らない場所。

 

 さらに奥へ。

 

 別の大空洞があるらしい。

 

 その言葉だけが頭に残る。

 

 私は一歩遅れて、ふと振り返った。

 

 さっきの場所。

 

 そこに、耳を失ったオークの死骸が横たわっている。

 

 静かに。

 

 ただ、そこにある。

 

 ……。

 

 そうだ。

 

 ふと、考えた。

 

 肉を剥ぎ取って、エルネと一緒に焼けば。

 

 ようやく、オークの肉を得る機会を得たんだ。

 

 最後の一匹を倒した時、腕でも足でも切り落として持って行ってあげよう。

 

 それが自然なことのように思えた。

 その感覚に、疑問を持つこともなく。

 

 私はそのまま前を向いて、森の奥へと足を進める。

 

 前を歩く男の背を、ただ追っている。

 足元の感触と、呼吸の浅さだけがやけに鮮明だった。

 

 隣にはセナがいる。

 けれど、その存在すらどこか遠くに感じる。

 

 一人一人、改めて見ていく。

 

 ラウド。

 セナがリーダーだと言っていた男。茶色の髪。

 よく喋るが無駄がない。判断も早い。

 この中では一番、整っている人間に見える。

 

 隣のセナ。

 肩にかかる青い髪に、短めの外套。

 ローブではない、動きやすさを優先した装い。

 杖は私のものと似ているけれど、どこか違う。

 使い込まれているからか、握り方のせいか。

 

 ケイン。

 広い肩幅。茶髪。腕に装着された盾。

 木と革で作られたものだろう。

 彼を近くで見れば、見上げる形になるはずだ。

 

 ディル。

 黒に近い髪。

 他の二人に比べれば細いが、軽さがある。

 どこか気配が滑るような印象。

 

 そして——私。

 

 その並びを見て、なぜか少しだけ距離を感じた。

 目の前にいるのに、どこか別の場所にいるような。

 

 景色も、音も、うまく頭に入ってこない。

 

 彼らは二人ずつでまとまっている。

 ラウドとセナ。

 ケインとディル。

 

 必要なときだけ交わされる言葉。

 それ以外は、それぞれの中で完結している。

 

 そこに、私はいない。

 

 遅れないように、合わない歩幅を駆け足で埋める。

 

「ねぇ」

 

 声をかけられた。

 隣を見ると、セナと目が合う。

 

「オークを倒したことがあるって、本当だったのね。……あ、最初から疑ってたわけじゃないの。ただ、Eランクでオークを倒すなんて普通ないでしょ?」

 

 少し悔しさが胸に残る。

 けれど、それが間違いではないことも分かっていた。

 

「Dランクの人と一緒に、依頼で倒しました」

 

 そう答えると、ラウドが自然にこちらへ視線を向けた。

 

「だから、私に任せてもらえれば、オークの依頼はすぐに終わります」

 

 杖を握る。

 言葉に迷いはなかった。

 

 しばらくの沈黙のあと、ラウドが口を開く。

 

「リュシア、だったか。一体だけ、俺たちにやらせてくれないか」

 

「……?」

 

「自分たちの実力を確かめたい。あっさり終わると、何も分からないからな。危険なら君の判断で倒してくれていい。それでどうだ?」

 

 ケインとディルも振り返る。

 視線が揃う。

 

 その目に、どこか冷たさを感じた。

 

「……分かりました」

 

 自然に言葉が出た。

 

 腕試し。

 きっと、そういうことなのだろう。

 

 けれど——

 

 誰も、嬉しそうではなかった。

 

 胸の奥に、言葉にできない違和感が残る。

 バルクとロニオのときは違った。

 ミアレのときも。

 

 あのときは——ちゃんと、何かがあった。

 

 やがて、大空洞の入口が見えてくる。

 

 地面にぽっかりと開いた穴。

 その周囲には無数の足跡。

 

 大きなもの。小さなもの。

 おそらくは、オークとゴブリン。

 

「この先にいるな。気を引き締めろ」

 

 ラウドの声に、空気が少しだけ引き締まる。

 

 セナが手際よく松明を作り、火を灯す。

 慣れた動きでラウドへ渡した。

 

「ありがとう」

「ええ」

 

 短い会話。

 無駄がない。

 

 ケインも松明を持つ。

 私はランタンを確かめる。

 

「前は俺とディルが見る。最終判断はラウドだ」

 

「ああ、無理はしない」

 

 決まっている。

 役割も、流れも。

 

 そこに入り込む余地はない。

 

 一歩、踏み入れる。

 

 空気が変わる。

 

 光が消え、闇が広がる。

 松明とランタンの明かりだけが、世界を切り取る。

 

 音が反響する。

 足音、火の弾ける音、声。

 

 天井を見上げる。

 影が揺れる。

 

 スライムの気配はない。

 

 視線を戻す。

 

 そのとき——

 

「誰かいるぞ」

 

 ケインの声。

 

 駆け寄る。

 松明の光が照らした先。

 

「お前、これは……」

 

 ディルの言葉が途切れる。

 

 そこにあったのは——骨だった。

 

 人の骨。

 頭骨から首元まで、はっきりと残っている。

 

 劣化の様子がない衣服と装備。

 それだけが人だった痕跡。

 

 そして。

 

 その衣服の下で、何かが蠢いている。

 

 スライム。

 

 ゆっくりと、骨から離れていく。

 

 誰も言葉を発さない。

 

 ただ、その光景を見ていた。

 

 ……。

 

「もう……何もいないのか?」

 

 ラウドが呟く。

 

 確認が終わると、セナが前に出た。

 ディルも続く。

 

 そして——

 

 二人は、装備に手を伸ばした。

 

 あれ……?

 

 嫌な予感がする。

 

 まさか……。

 

 理解する。

 

 死体漁り。

 

「何をしてるんですか……!」

 

 ラウドを見る。

 

 少しの間のあと、彼は答えた。

 

「遺品回収だよ」

 

 言葉を変えただけだ。

 

「死体漁り、じゃないですか?」

 

「……目に付く言い方をしないでくれ」

 

 分かっている。

 悪いことだと。

 

 それでも、やる。

 

 だったら——

 

 止めないと。

 

「あの——」

 

 言葉を出しかけた、そのとき。

 

「あった!!」

 

 セナの声。

 

 掲げられたものが、光を反射する。

 

 金属の板。

 

 それは——

 冒険者証だった。

 

 名はユアン・ハイラム。

 

 名前は、はっきりと読めた。

 

 擦れも、欠けもない。

 それだけが、綺麗に残っていた。

 

 ……それだけが。

 

 それを見た瞬間。

 

 胸の奥で、何かが静かに沈んだ。

 

 私は、息を呑んだ。

 

 首に下げていた冒険者証を服の上から、そっと撫でるように触れる。

 

 そして、それを握りしめた。

 

「それを、どうするんですか」

 

 気づいたときには、言葉が喉を通っていた。

 自分でも抑えきれないほど、声にはわずかに熱が乗っていた。

 

 脳裏に浮かぶのは、宿で酔っていた男の言葉。

 酒臭い息と一緒に吐き出された、軽い笑い話のような声。

 

 ——死体漁り。

 

 死んだ冒険者から装備を剥ぎ取って、売り払う。

 それで日銭を稼ぐ。

 

 そんなこと。

 そんなこと——。

 

 目の前でディルが骨のそばにしゃがみ込み、ためらいもなく手を伸ばしている。

 衣服をめくり、袋を確かめ、装備に触れる。

 

 ケインもラウドも、それを止めない。

 誰も何も言わない。

 

 この場で、異を唱えたのは——私だけだった。

 

 まるで。

 自分の方が間違っているとでも言われているような、静かな圧。

 

 少しの間があって、セナが顔を上げた。

 

 手のひらに乗せたそれを、こちらへ向ける。

 松明の光を受けて、鈍く光る金属板。

 

「これをギルドに返すの。提出して、初めて死亡報告になるから」

 

 報告。

 

 その言葉が、妙に引っかかった。

 

「……そうなんですか」

 

 納得したわけじゃない。

 けれど、言葉はそれ以上続かなかった。

 

 頭の中で、別の記憶が浮かび上がる。

 

 試験の日。

 ミアレの問いに、バルクとロニオが答えていた場面。

 あのとき、自分は感情を抑えきれずにいた。

 

 そしてロニオが、静かに説明してくれたこと。

 

 ——杖を売った人物。

 

 あの人はもう、死んでいるだろうと。

 

 あの日から、時間は経っている。

 それなのに、その人がどこでどうなったのか、誰も知らない。

 

 もし。

 

 もし、誰にも見つからないまま——

 

 どこかで、ずっと。

 

 そのまま。

 

 孤独で暗闇の中……。

 

 背筋を、ぞわりとしたものがなぞった。

 

 思わず頭を振る。

 思考を断ち切るように。

 

 喉が乾いている。

 生唾を飲み込み、ゆっくりと息を吐いた。

 

「これはギルドに返すけど、荷物は回収しないとね」

 

 セナの声が、現実に引き戻す。

 

「それは……売るんですよね?」

 

 自分でも、どこかよそよそしい問いだった。

 

 セナは少し考えるように、人差し指を顎に当てる。

 

「そう、だね。必要なものだけもらうかな。あとは売る。持ちきれないし」

 

 隣でディルが小さく笑った。

 

「しけてんな。なぁんにも持ってない」

 

「漁られたあとか?」

 

 ケインが覗き込みながら言う。

 

「たぶんな。弓使いっぽいけど、肝心の弓も矢もない。荷物だけ残ってる」

 

 弓。

 

 その言葉に、一瞬だけミアレの顔がよぎる。

 けれど、すぐに違うと分かる。

 

 彼女がここにいるはずがない。

 

 ——これは、知らない誰かだ。

 

 ラウドが隣に立つ。

 

 そのまま、こちらを見下ろすように言った。

 

「お前、こういうの嫌なのか?」

 

 視線が強い。

 逃げるように、わずかに目を逸らす。

 

「死体か? それとも、盗っ人だと思うのか?」

 

 言葉が、まっすぐ刺さる。

 

「……盗られた人も、残された人も……」

 

 うまく言葉がまとまらない。

 

 それでも、なんとか続ける。

 

「そんなことされたら、嫌な気持ちになります。悲しい気持ちに……なりますから」

 

 自分の杖を思い出す。

 

 落として盗られて、失って。

 けれど、売られていて、見つけられたからまだ良かった。

 

 もしあれが、どこにも見つからなかったら。

 

 ——私は、どう思っただろう。

 

「持ち主とか……家族の人に、返してあげられないんですか」

 

 自分でも分かる。

 この言葉は、どこか距離がある。

 

 ラウドは少しだけ考えるように間を置いた。

 

「ああ……それだけか?」

 

 そして、淡々と続ける。

 

「まず、冒険者は慈善活動じゃない。遺族に届けるほど暇でもない」

 

 その言葉は、あまりにもあっさりしていた。

 

「それに、持ち帰らない方が問題になる場合もある。武器や防具が魔物の手に渡れば、それで次の被害が出る」

 

 言葉を選ぶように静かな声。

 

「そいつの後始末を、俺たちがしてる。それに対する対価だ」

 

 正しさの形をした言葉。

 

 そして最後に、小さく付け加える。

 

「……まぁ、先輩連中の受け売りだけどな」

 

 少しだけ、空気が緩む。

 

「どこ出身か知らないが、どっかで折り合いはつけた方がいい。全部抱えたら、動けなくなる」

 

「リーダー、いいこと言う」

 

 セナが軽く笑う。

 

 ケインも頷く。

 

「気持ちは分かる。でも、そこまでやる義理はないからな。世話になった相手でもなきゃ」

 

 言葉が、重なる。

 

 どれも、間違っていないように聞こえる。

 

 ——でも。

 

 私は、何も言えなかった。

 

 視線を落とす。

 そこにある骨。

 

 もう、誰だったのか分からないもの。

 

 もし。

 

 もし、ミアレに同じことを聞いたら。

 きっと、似た答えが返ってくる。

 

 でも——

 同じではない。

 

 そんな気がした。

 

 理由は分からない。

 けれど、確かに違う。

 

 やがて、漁りは終わる。

 

 残されたのは、骨と衣服だけ。

 

 それ以上、価値のないもの。

 

 誰も振り返らない。

 

 人の形だったもの。

 何が原因でそうなったのか。

 

 最後にその骨に触れた感触が手に残った。

 それは、軽く脆い。

 指で押せば、乾いた音を立てていた。

 

 血の跡も何もない。

 スライムは血の跡さえも綺麗に舐め取ったのだろう。

 

 誰も振り返ることもなく、私たちはその場を後にした。

 

 暗闇の奥へ。

 

 光の届かない先へ。

 

 足音だけが、静かに響いていた。

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