風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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エルネ視点


23話前編 甘さの残った指先

 

 

 

「おばあちゃん、行ってきます!」

 

 戸口に立ったまま振り返ると、祖母はいつものように穏やかな顔でこちらを見ていた。

 細い指先が、こちらへ伸びる。

 

「忘れ物はないかい?」

 

 その声はやわらかく、けれどどこか確かめるよう。

 

「子どもじゃないんだから、いーよ、もぅ。大丈夫」

 

 少しだけむくれてみせると、祖母はくすっと笑う。

 それ以上は何も言わず、ただ手を振ってくれた。

 

 軽く手を振り返し、エルネ、私はそのまま外へと飛び出した。

 

 朝の空気は静かで、まだ街全体が微睡みの中にあるようだった。

 光は柔らかく、影は長く伸びている。

 

 石畳を踏みしめるたび、コツ、コツ、と乾いた音が規則正しく響く。

 駆け出した足に合わせて、腰の剣がカチャカチャと軽く鳴った。

 

 息が少し上がる。

 

「ふぅ……」

 

 思わず吐き出して、速度を落とす。

 歩幅を緩め、そのまま立ち止まった。

 

 そして、何気なく振り返る。

 

 通ってきた裏通りは、朝の光から外れていて、まるで夜のように暗かった。

 見慣れているはずの道が、どこかよそよそしく、遠く感じる。

 

 いつもの道。

 いつもの朝。

 

 けれど、ほんの少しだけ、足音が一瞬ズレて聞こえたような、何かが引っかかる。

 

「……なんか、変な感じ」

 

 理由は分からない。

 けれど、その感覚を振り払うように、前を向いて再び走り出した。

 

 ギルドまで一直線。

 

 建物が見えた瞬間、勢いのまま扉を押し開ける。

 

 ギイ、と大きな音が室内に響いた。

 

「……あ」

 

 思ったより静かだった。

 

 誰もいないわけではない。

 けれど、普段のざわめきはなく、空気は落ち着いている。

 

(私が一番乗り!)

 

 心の中でそう呟く。

 けれどよく見れば、奥の方にちらほらと人影がある。

 

 それでも、この静けさは嫌いじゃない。

 

 鼻につくような匂いもない。

 酒の匂いも、汗の匂いも、今日は薄い。

 

 受付の奥では、お姉さんが椅子に腰掛けたまま、のんびりとあくびをしていた。

 

(まぁ、一番じゃなくてもいいか)

 

 それよりも——今日は違う。

 

(先輩を驚かせる)

 

 胸の奥で、小さな火が灯る。

 

 凄いって言われたい。

 一人前だって、認めてもらいたい。

 

「これならDランクの冒険者ですね」なんて、そんな言葉を想像するだけで、少しだけ胸が高鳴る。

 

 今日は一人でやる。

 

 ホーンラビットを捕まえて、捌いて、食べる。

 

 罠の仕掛け方も。

 ナイフの入れ方も。

 

 あの一日しか見ていないけれど——

 

(多分、できる)

 

 そんな気分だった。

 

 掲示板へと歩み寄り、紙に目を走らせる。

 その中から、ひとつを手に取った。

 

 ホーンラビットの素材納品。

 七匹分で銀貨四枚。

 他にも数の指定差があるが報酬の多いものを選んだ。

 

(……一匹、多めに捕まえて)

 

 頭の中で計算する。

 

 ご飯にする分が一匹。

 だから、合計で八匹。

 

「罠は……」

 

 小さく呟く。

 

 十じゃ足りないかもしれない。

 全部がかかるわけじゃない。

 

 横取りされることだってある。

 

「十五……いや、二十?」

 

 考えて、すぐに答えが出る。

 

(たくさん仕掛ければいい)

 

 単純なことだった。

 

 必要な数だけ、置けばいい。

 それで全部解決する。

 

 仕掛ける場所も先輩の仕掛けた場所の近くと、その周辺で管理のしやすいようにすればいい。

 

(八匹分集まれば、あとは逃がしてあげるんだから)

 

 自分の中では、それで十分だった。

 

 その紙を手に、受付へ向かう。

 

「これをお願いします!」

 

 声をかけると、奥にいた受付のお姉さんがゆっくりと顔を上げた。

 

「は〜い、いま、いきま〜す」

 

 気怠そうに立ち上がる。

 

 近づいてくると、その背の高さに自然と視線が上がった。

 のんびりしていて、どこか間延びした雰囲気。

 

(ゆっくりした人だな)

 

 そんな印象を受ける。

 

「はい、いらいをかくにんしました。がんばってきてね〜」

 

 紙を受け取って、軽くあくびをしながら手を振る。

 

「はい、ありがとうございます。行ってきます!」

 

 きちんと目を見て言った——つもりだった。

 

 けれど。

 

 お姉さんの視線は、どこか遠くを見ていて、私とは噛み合っていなかった。

 

 一瞬だけ、何かが引っかかる。

 

 けれど、それもすぐに流れていく。

 

 そのまま踵を返し、ギルドの扉へ向かう。

 

 そして——

 

 再び外へ飛び出した。

 

 向かうべき場所は、最初から決まっていた。

 

 ベリーナッツの木は、朝の光の中で静かに揺れていた。

 赤と紫に熟れた果実が点々と実り、その合間に、まだ青い未熟な実が残っている。

 

 けれど——よく見れば、どれも少ない。

 取り尽くされたあとのように、枝の隙間がやけに目立っていた。

 

 エルネはそのことを深く考えることなく、手を伸ばす。

 

 指先で摘み取り、そのまま口へ運ぶ。

 

 果皮は柔らかく、軽く噛むだけで潰れた。

 じゅわり、と甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。

 

「……美味しい」

 

 思わず声が漏れる。

 

 一粒、もう一粒。

 止まらない。

 

 舌がその味を求めて、手が自然と次へ伸びる。

 

 ——はっとして、手が止まった。

 

「いけない、いけない。全部、食べちゃうところだった」

 

 小さく自分をたしなめる。

 

「これでお腹いっぱいにしたらダメダメ」

 

 腰の袋を取り出し、口を広げる。

 両手ほどの開口に、前腕ほどの深さ。

 

 摘み取ったベリーナッツを放り込むと、それは影の中へと吸い込まれるように消えていった。

 

 枝を揺らすたび、カサリと乾いた音が鳴る。

 

 風は穏やかで、雲はゆっくりと流れている。

 陽の光はやわらかく、森は静かだった。

 

 ふと、思う。

 

 ——どこか、似ている。

 

 人気のない裏通り。

 誰もいなくて、誰の目も気にしなくてよくて。

 

 それで、それで——

 

「……自由、なのかな」

 

 ぽつりと呟く。

 

 ただ違うのは、ここには陽が差していることだけ。

 

 周囲を見渡す。

 

 魔物も、人も、何もいない。

 

 静かすぎるほどに静かだった。

 

 袋を軽く揺らして重さを確かめる。

 

「……少ない?」

 

 首を傾げる。

 

「全然足りないかも?」

 

 うーん、と唸る。

 

「ウサギさんの分だけなら……これだけでいい?」

 

 視線を落とすと、地面に熟れて落ちたベリーナッツがいくつか転がっていた。

 それもひとつずつ拾い上げて、袋へ入れる。

 

 そのとき、ふと鼻歌が漏れた。

 

♪ ころり、ころり、森の実ころり

 あかい実ひとつ、ふたつ、みっつ

 うさぎさんには内緒だよ

 おなかが鳴いたら、ひとつだけ——

 

 自分でもよく知らない歌。

 けれど、どこか懐かしい響きだった。

 

 次の木へ。

 また摘んで、また拾って。

 

 やがて袋を覗き込むと、半分ほどまでベリーナッツが詰まっていた。

 

「これなら、私でも十分かな」

 

 満足そうに頷く。

 

 日向から歩き出し、草を踏みしめて、木陰へと入る。

 

 足は自然と、あの場所へ向かっていた。

 

 先輩と焚き火をした場所。

 ウサギを焼いて、一緒に食べた場所。

 

 道に戻ればすぐに分かる。

 

 その周辺に罠を仕掛けて、

 終わったら枝を集めて、火を起こす。

 

 火種もある。

 長い串もある。

 

「……完璧」

 

 思わず口に出る。

 

 大きな串に刺したウサギが、じっくり焼けていく様子を想像する。

 香ばしい匂い、こんがりとした表面。

 

 あのときは焦げ臭かったけれど——

 

「でも、あれも楽しかったし」

 

 全部、思い出になる。

 

 そんなことを考えているうちに、道へ出て、すぐに目的の場所へと辿り着いた。

 

 倒木。

 石の椅子。

 焚き火の跡。

 

 そして、削ぎ落とした焦げの滓が、まだ残っている。

 

 あの時の痕跡。

 自分と先輩が、確かにここにいた証。

 

 軽く周囲を確認すると、すぐに作業に移る。

 

 木の幹に絡みつく蔓に目を向ける。

 ナイフで切り取ると、上部と下部に分かれた。

 

 上を引くと、ガサガサと音を立てながら長い蔦が落ちてくる。

 

「これで良いかな?」

 

 それを引きずって木陰へ。

 

 輪を作る。

 結ぶ。

 引っ掛ける。

 

 教わった通りに。

 

 ふんふん、とまた鼻歌がこぼれる。

 

 森は穏やかだった。

 大きな獣の気配もない。

 

 気ままに歩き回りながら、罠を仕掛けていく。

 

 五つ。

 八つ。

 十一……いくつだろう。

 

 数えるのもやめて、ただ増やしていく。

 

 そのときだった。

 

 ——カサリ。

 

 風とは違う音。

 

 手が止まる。

 

 耳を澄ます。

 

 もう一度。

 

 確かにある。

 自分以外の音。

 

 少しの緊張と、好奇心。

 

 エルネはゆっくりと身を低くし、草陰から覗き込んだ。

 

 視線の先。

 

 低く、濁った呻き声。

 ペタペタと湿った足音。

 

 緑の影が五つ。

 

「……うわぁ、ゴブリンだ」

 

 思わず顔をしかめる。

 

 小さな体。

 緑の肌。

 歪んだ鼻。

 手には枝や棍棒、石。

 

 気持ち悪い。

 

 何かを喋っている。

 意味の分からない声で。

 

 どうする?

 

 一度、倒したことはある。

 

 あのときは——

 

 一振りだった。

 頭に剣を振り下ろして、それで終わり。

 

「倒すのは、できる」

 

 でも。

 

「……数が」

 

 踏み出せない理由は、それだけだった。

 

 このまま放っておけば、罠にかかったウサギを横取りされるかもしれない。

 

 それは困る。

 

 先輩が来たとき、数が揃っていなかったら。

 ご飯も用意できなかったら。

 

 ——恥ずかしい。

 

 考える。

 

 何か、言っていた気がする。

 

 ムッとした顔で、思い出そうとする。

 

 ぼんやりとした記憶。

 

 ——「エルネさん、ゴブリンは数が減ると動揺します」

 

 あ。

 

「……そうだ」

 

 あのときも、動かなかった。

 

 なら。

 

「いける」

 

 剣の柄を握る。

 紐が手に食い込む感触。

 

 ゆっくりと抜く。

 

 呼吸を整える。

 

 ——ロングソードの錆にするんだ。

 

 私の冒険の轍。

 

 足に力を込める。

 

 一気に踏み込む。

 

 走る。

 

 突然現れたエルネに、ゴブリンたちが驚いた。

 

 その隙に——

 

 一撃。

 

 振り下ろした刃が、ゴブリンを裂いた。

 

 呻き声。

 倒れる。

 

 あっけない。

 

 視線を移す。

 

 他の個体も、動揺している。

 

 もう一体。

 

 振りかぶる。

 叩き下ろす。

 

 バキッ、と鈍い音。

 

 剣が頭にめり込む。

 

 半分ほどまで。

 

 骨ごとかち割った振動が手に響いた。

 

 血が溢れる。

 

「うわ……気持ち悪い」

 

 思わず漏れる。

 

 顔が歪む。

 

 次へ視線を向ける。

 

 その瞬間だった。

 

 残りのゴブリンたちが、一斉にこちらを見た。

 

「グギャーーー!!」

 

 叫び声。

 

 え?

 

 動揺して、怯むんじゃ……?

 

 心臓が跳ねる。

 

 何が起きているのか、分からない。

 

 怖い。

 

 体勢が崩れる。

 

 視線を剣へ落とす。

 

 ——抜けない。

 

 倒れたゴブリンの頭が、刃に食い込んでいる。

 

 引く。

 

 離れない。

 

 なんで。

 

 なんで、離れてくれないの。

 

 足を踏ん張って、何度も引くがうまく抜けない。

 

 焦りで呼吸が乱れる。

 

 顔を上げる。

 

 ゴブリンが、叫びながら迫ってくる。

 

 息が苦しい。

 

 口の中に、まだ甘さが残っている。

 

 あんなに美味しかったはずなのに、今は気持ち悪い。

 

 誰もいない。

 声を出しても、届かない。

 

 ——自由。

 

 そう思ったはずなのに。

 

 手が動かない。

 剣を離せない。

 

 体が、言うことを聞かなかった。

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