風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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24話前編 狩るもの、狩られるもの

 

 

 視線を向けた。

 

 私たちが通ってきた洞の奥。

 そこにあったはずのただの影が、ゆっくりと輪郭を持ちはじめる。

 

 暗がりの中で、影が形を持つ。

 そして、現れる。

 

 小さな体。

 緑の肌。

 尖った歪な鼻と耳。

 

 ゴブリン。

 

 その手には――弓。

 

 思わず息が詰まった。

 

 弓だ。

 

 ゴブリンが弓を持っている。

 扱っている。

 

 矢は、こちらに向いていたのか。

 それとも、オークを狙っていたのか。

 

 分からない。

 

 あの弓は――

 さっき見た、あの骨になっていた冒険者のものかもしれない。

 

 そんな考えが一瞬よぎる。

 

 けれど、すぐにそれはどうでもよくなった。

 

 そんなことを考えている余裕なんて、どこにもなかった。

 

 前にも、後ろにも、魔物がいる。

 

 囲まれている。

 

「……っ」

 

 息がうまく吸えない。

 

 何この状況。

 どこに行けばいいの。

 

 横へ逃げるように一歩、足を動かす。

 

「あ……ゴブ……、ます……」

 

 声を出そうとした。

 伝えなきゃいけない。

 

 でも、言葉にならない。

 

 呼吸が浅く、早い。

 心臓の鼓動がうるさい。

 

 それが全部、邪魔をする。

 

 足は動く。

 まだ、動ける。

 

 弓を持ったゴブリンが、矢をつがえる。

 そして放った。

 

 ピュン、と風を裂く音。

 

 矢はオークに突き刺さる。

 トスッ、と軽い音。

 

 オークがそちらへと視線を向ける。

 

 その直後だった。

 

 そのゴブリンの背後から――

 

 ぞろぞろと、影が溢れ出す。

 

「ギャッギャッ」

「ギィーギィギ」

 

 声だけじゃない。

 

 ペタペタと湿った足音。

 石を擦る音。

 どこかで何かが落ちる乾いた音。

 

 音が、増えていく。

 

 ゴブリン。

 ゴブリン。

 ゴブリン。

 

 一体、二体じゃない。

 

 十。

 二十。

 

 それ以上。

 

 群れだ。

 

 私たちがここに来たとき、こんな数はいなかった。

 

 じゃあ、どこから。

 

 ……違う。

 

 入口にあった、あの無数の足跡。

 

 あれは――

 

 最初から、いた。

 

 どこかに潜んでいた。

 

 見えていなかっただけで。

 

 気づいていなかっただけで。

 

 考える余裕なんて、ほとんどない。

 

 ゴブリンたちは散る。

 霧のように、四方へ。

 

 オークへ。

 私へ。

 

 囲むように。

 

 囲まれたら終わりだ。

 

 でも――

 

 どこへ行けばいい?

 

 ラウドたちは、オークと戦っている。

 

 左に行けば、抜けられるかも。

 そう思って一歩踏み出した。

 

 ――違う。

 

 そっちにも影が動く。

 

 足が止まる。

 判断が遅れた分だけ、距離が詰まる。

 

 セナは、討伐証を剥ぎ取りに向かっている。

 

 そっちに行く?

 

 足が動く。

 視線を走らせる。

 

 洞の出口の方。

 

 外気が流れ込む明るい場所。

 

 そこに、影が重なっていた。

 

 無数に。

 

「ギャッギャッ!」

「ギィィ!」

 

 耳障りな声。

 重なり合うわめき声。

 

 全部、ゴブリンだ。

 

 全部。

 

 何かが引っかかる。

 既視感。

 

 最初に入ったダンジョンを思いだす。

 

 逃げた一匹を追って――

 倒したそのあと、現れた群れ。

 

 取り囲まれた。

 

 あの時と、似ている。

 違うはずなのに。

 同じだ。

 

 一匹の囮。

 

 そして――オーク。

 これも、囮?

 

 偶然?

 

 ……そうであってほしい。

 

 そうじゃないと、困る。

 

「なんだこれ、どうなってる!」

 

 ディルの叫び。

 

 ラウドたちも気づいた。

 

 三人は距離を取ろうとする。

 だが、オークがそれを許さない。

 

 興奮しきっている。

 目の前の敵しか見えていない。

 

 その向こう。

 

 ゴブリンの群れの中に、ひときわ大きな個体。

 

 赤い肌が混じる。

 

 あれ。

 あれが――

 まとめている。

 

 統率しているリーダー。

 

 赤いゴブリンが、こちらを見た。

 

 何もしていない。

 ただ、見ただけ。

 

 それだけで、

 他のゴブリンの動きが揃った。

 

 そんな気配。

 けれど、今の私にはどうすることもできない。

 

 悔しい。

 

 後ろを見ると、ゴブリンが迫っている。

 

 卑しい目。

 嘲るような笑み。

 

 足が速い。

 

 追いつかれる。

 

 振り返りながら、ナイフを突き出す。

 

 飛びかかってきた一体を刺す。

 押し返す。

 

 足が止まる。

 

 その向こう。

 

 群れが近い。

 近すぎる。

 

 次が来る。

 

 飛びかかってくる。

 

 遅い。

 遅く見えるのに、体が動かない。

 

 目だけが追いついて、

 身体が、置いていかれる。

 

 避けられない。

 

 分かっているのに。

 

 体が動かない。

 衝撃。

 

 胸元に、重み。

 

「うっ……!」

 

 ゴブリンが張り付く。

 

 重い。

 

 よろめく。

 

 倒れそうになる体を、なんとか踏みとどまる。

 

 視線を下ろす。

 

 目の前。

 

 至近距離。

 

「ギャへへ」

 

 黄ばんだ歯。

 濁った目。

 

 そして、悪臭。

 

 吐き気がこみ上げる。

 

 息が止まる。

 

 心臓が、暴れる。

 

 ナイフを振るう。

 

 何度も。

 何度も。

 

 突き刺す。

 

 刺さる。

 

 けれど浅い。

 

 押し込んでも、骨に止められる。

 抜くたびに、ぬるい感触だけが残る。

 

 軽すぎる。

 短すぎる。

 足りない。

 

 重い。

 

 動けない。

 

 もう一体来たら終わる。

 

 その瞬間。

 

 ゴンッ、と鈍い音。

 

 何かが降ってきた。

 

 正面にいたゴブリンの数匹が、潰れる。

 

 周囲の動きが止まる。

 

 一瞬だけ、見えた。

 

 矢を受けたオーク。

 

 その体に、ゴブリンが群がる。

 

 張り付く。

 引き剥がす。

 

 石で叩く。

 突き刺す。

 

 肉を抉る。

 

 オークのうめき声。

 

 そして――

 

 棍棒。

 

 オークが持っていたそれが、投げ捨てられ飛ぶ。

 

 こんなところまで。

 それが当たった。

 

 だから、助かった。

 そう思ったけれど。

 

 ――違う。

 

 オークが崩れただけだ。

 

 誰も助けていない。

 

 その隙に。

 

 ゴブリンを引き剥がした。

 

 走る。

 

 どこへ?

 

 奥は?

 横穴は?

 全部、いるかもしれない。

 

 この輪の中。

 

 囲まれた、この場所で。

 

 どこに――

 

 逃げればいいのか。

 

 答えを探しながら、視線が自然とラウドたちへと向いた。

 

 ラウドたちの前には、なおも二体のオークが立ちはだかっていた。

 背後からは、外気の光とともに押し寄せるゴブリンの群れ。

 

 挟まれている。

 

 その事実は、誰が言葉にするまでもなく明白だった。

 

 連携の声が飛ぶ。

 だが、それはもう噛み合っていない。

 

 誰かが何かを言っている。

 誰かが別のことをしている。

 そのすべてが、ほんの少しずつ、ズレていた。

 

 ――崩れている。

 

 そう感じた瞬間だった。

 

 オークのこん棒が横薙ぎに振られる。

 ケインが盾を構える。

 

 だが、その距離をわずかに見誤った。

 

「ぐっ――」

 

 鈍い音とともに、身体ごと弾かれる。

 ケインの体が宙を舞い、そのままゴブリンの群れの中へと投げ込まれた。

 

 ケインの身体がゴブリンの群れに飲み込まれる。

 

 すぐには見えなくならなかった。

 

 盾が、まだ見えている。

 腕も、もがいている。

 

「や、やめ――」

 

 声が、途切れない。

 

 何かを殴る音。

 何かを剥がす音。

 

「くるな、来るな、来るな――ッ!」

 

 その声が、だんだんと細くなる。

 

 盾が倒れた。

 

 それでも声は、まだ続いている。

 

「……たす……け……」

 

 最後は、言葉にならなかった。

 

「が、ァ、うわぁぁあ!!!」

 

 断末魔が、洞窟の中に響いた。

 

「ケイン……!!」

 

 ディルの叫び。

 

「ディル!避けろ!!」

 

 ラウドの声。

 

 ――遅い。

 

 振り下ろされたもう一体のオークのこん棒が、ディルを叩き潰した。

 

 ディルの身体が潰れる。

 

 鈍い音が、響いた。

 

 ――そのあと。

 

 何も聞こえなかった。

 

 ゴブリンの声も。

 足音も。

 誰かの叫びも。

 

 全部、消えた。

 

 ――何の音だろう。

 

 考えた。

 考えたはずなのに、意味が浮かばない。

 

 目の前で何かが起きている。

 

 わかっている。

 

 でも、それが何なのか、言葉にならない。

 

 考えればわかるはずなのに、

 考えること自体が、どこか遠くにあるみたいだった。

 

 ただ、見ていた。

 

 聞きたくない音が逃げ場なく耳の奥に残る。

 それなら少し、遅れて音が戻ってきた。

 

 ゴブリンのわめき声。

 オークの雄叫び。

 無数の足音。

 

 世界が、音で満ちていた。

 

 ラウドは後ろへ回り込み、距離を取る。

 だが、その視線は全体を見渡しているだけで――何も指示を出さない。

 

 出せない。

 

 そう、感じた。

 

 その時だった。

 

「ラウド、伏せて!」

 

 セナの声。

 

 彼女の周囲に、白い冷気が渦巻く。

 無数の氷の欠片が空中に展開されていく。

 

「アイシクルラピッド!」

 

 振り下ろされた杖。

 

 氷が降り注ぐ。

 

 オークの身体に突き刺さる。

 ゴブリンを穿つ。

 

 だが――止まらない。

 

 倒れても、倒れても。

 後ろから次が来る。

 

 前の個体が倒れれば、その隙間を埋めるように別の個体が前へ出る。

 

 ただ、それだけ。

 

 魔法が止んだ瞬間、再び前進が始まる。

 

 まるで波だ。

 止まることを知らない、濁流。

 

 その流れは、やがてオークすら飲み込んだ。

 

 ゴブリンたちはオークへと群がり、噛みつき、叩き、引き裂く。

 

 オーク達も応戦する。

 

 溢れた個体がラウドとセナへと流れ込む。

 

「も、もう一度……」

 

 セナは再び詠唱を始める。

 

 ラウドは、なおも何も言わなかった。

 言えない。

 この状況では、もう。

 

 背後を見る。

 

 そこにあったのは、無数のゴブリン。

 

 そして――

 

 オークの姿は、もうなかった。

 

 代わりに。

 

 腕。

 脚。

 

 肉の塊を掲げているゴブリンたち。

 

 それを見た瞬間、背筋が凍った。

 

 ――餌。

 

 それは、ただの戦利品ではない。

 

 食べ物。

 

 理解してしまった。

 

 喉が締まる。

 息が苦しい。

 考えたくないのに、考えてしまう。

 

「セナ!後ろだ!」

 

 ラウドの声。

 

 視線を戻す。

 

 セナの背後――

 

 飛びかかるゴブリン。

 

 間に合わない。

 

 セナは押し倒され、地面に叩きつけられた。

 声も出ない。

 

 ゴブリンはそのまま馬乗りになり、杖を奪い取る。

 

 そして――

 

 鈍い音が二度。

 

 杖で、後頭部を叩いた。

 

 投げ捨てられた杖。

 

 押さえつけられる身体。

 

「ラウド……助けて」

 

 弱々しい声。

 

「離せ!」

 

 ラウドが突っ込む。

 

 剣でゴブリンを引き剥がし、セナを引き起こす。

 ナイフを握らせる。

 

 そのまま――

 2人は群れの中へと消えた。

 

 ゴブリンに覆われて。

 

 見えなくなった。

 

 視線を逸らした。

 

 見てはいけない。

 

 考えてはいけない。

 

 けれど見てしまう。

 腕が見える。

 

 引きずり出せば、間に合うかもしれない。

 

 ――行けば。

 

 私も飲まれるだけかもしれない。

 

 その時だった。

 

 カラン、と乾いた音。

 

 地面に転がる杖。

 

 見えているのに、遠い。

 

 足がもつれる。

 

 一歩が、遅い。

 

 ――間に合わない。

 

 そう思った瞬間、無理やり足を前に出した。

 

 手を伸ばす。

 

 指先が土に触れる。

 

 冷たい。

 

 湿っている。

 

 そのまま、木に触れた。

 

 ざらついた感触。

 削れた部分が指に引っかかる。

 

 強く、握る。

 

 折れない。

 これは、折れていない。

 

 ――使える。

 

 そう思った。

 思ってしまった。

 

 振り返る。

 

 迫るゴブリン。

 

 構える。

 

 息が荒い。

 視界が狭い。

 それでも――

 

「ウィンドブラスト!!」

 

 叫ぶように、放った。

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