《別視点》
――呼び出し、ね。
ガルドはギルドの廊下を歩きながら、内心で舌打ちした。
忙しいわけじゃない。いつも通り、採取袋の中身を整理し、今日はどこを回るか考えていただけだ。
それだけの一日だった。
「ギルド長がお呼びです」
その一言には、嫌な重みがあった。
重い腰を上げる、という表現は正しい。
身体じゃない。気分の話だ。
こういう時の勘だけは、二十年やっても鈍らない。
(……ろくな話じゃねえ)
扉の前で一度立ち止まり、ノックする。
返ってきた声は、妙に丁寧だった。
「どうぞ。ガルドさん」
……さん付けか。
中に入ると、ギルド長はいつもより姿勢が良い。
言葉も多い。無駄に、慎重だ。
「突然で申し訳ない。ですが、どうしてもお会いしていただきたい方がいまして。失礼のないように……こちらも最大限配慮していますので」
(配慮? 俺に?)
嫌な予感が、確信に変わる。
「宮廷魔術師の方が、あなたに礼を言いたいと」
……は?
一瞬、思考が止まった。
宮廷魔術師。
王宮。
権力。
厄介。
関わりたくない単語が、頭の中で踊る。
「……人違いじゃねえのか」
そう言うと、ギルド長は苦笑した。
「そう言いたくなるのも無理はありませんが……」
その時、応接用の椅子から人影が立ち上がった。
音がしない。
気配が薄い。
だが――
空気が、変わる。
(……なんだ、こいつ)
若い女だ。派手さはない。
杖も持っていない。
だが視線を向けられた瞬間、逃げ道を測られた、そう感じた。
「初めまして」
静かで、よく通る声。
「私はセレナ。宮廷魔術師を務めています」
その名を聞いた瞬間、理解した。
(……ああ、やべえ側の人間だ)
強さじゃない。
結果を積み上げてきた人間の目だ。
「……で? 俺に何の用だ」
ぶっきらぼうに返す。
丁寧に話す必要を感じなかった。
セレナは一礼した。
無駄のない所作。
「妹が、あなたに助けられました」
――ああ。
あの、風の魔法をぶっ放す無茶な娘。
「リュシアの件で、礼を」
そう言って、深く頭を下げた。
宮廷魔術師が、だ。
ギルド長が息を呑むのが分かったが、
ガルドは顔色一つ変えない。
「礼を言われるほどのことはしてねえ」
本音だった。
「たまたま通りかかっただけだ。
死なせなかった。それだけだ」
セレナは顔を上げ、ガルドを見る。
値踏みじゃない。
疑いでもない。
――確認だ。
「……ええ。その通りです」
頷いてから、続ける。
「依頼報告書、三年分を確認しました」
ガルドの眉が、わずかに動く。
「あなたが関与した依頼は、成功率が突出しています。討伐完遂率ではなく――生存率です」
淡々とした声。
「致命的損耗ゼロ。
撤退判断の一致率、八割超。
生存者の証言も共通しています」
ガルドは黙ったまま腕を組む。
「無理をしない判断が、同じ瞬間に出た
気づいたら引いていた
後から考えると、あの判断しかなかった」
セレナは続ける。
「偶然では説明がつきません」
(……見られてた、か)
「このギルドの死亡件数が低い理由」
断定する。
「あなたです」
ガルドは鼻で笑った。
「買い被りだ」
「いいえ」
即答。
「才能は、守られると腐りますから」
その言葉に、ガルドは一瞬だけ視線を動かした。
「だから私は、守られない場所を選びました」
セレナは静かに言う。
「妹には、成功も必要です。ですが、それ以上に――失敗が必要です」
「……」
「挫折も、後悔も。
自分が強くないと知ることも」
ガルドは、ゆっくりと息を吐いた。
(とんでもねえ姉だ)
だが、理解もしてしまう。
――生き残る奴ほど、最初は自分が強いと思い込む。
才能があるほど、なおさらだ。
「……あの娘、厄介だぞ」
「ええ」
「無謀で、先走って、言うこと聞かねえ」
「承知しています」
「それでも――」
ガルドは視線を逸らした。
沈黙。
「……勘違いするな」
低く言う。
「俺は、あいつを守るつもりはねえ」
セレナは、わずかに微笑んだ。
「知っています」
「守るのは――」
「死なない余地だけ」
言い当てられて、ガルドは黙る。
「それで十分です」
踵を返し、歩き出す。
「礼ならもういい。次からは、ギルド長経由で呼び出すな」
背中越しに言う。
「俺は、今まで通りだ」
セレナは静かに答えた。
「それが、最善です」
扉が閉まる。
廊下に戻り、ガルドは天井を見上げて呟いた。
「……とんでもねえ姉妹だ」
だが、その口元は――
ほんの少しだけ、緩んでいた。
同じ頃。
ギルドの端、壁際に置かれた長椅子に、私は一人で座っていた。
朝から何度目かわからない溜め息を、胸の奥で噛み殺す。
人の行き交う音が、やけに遠く感じられた。
――結局。
ダンジョンで、私の杖は見つからなかった。
一度目は、焦って探した。
二度目は、冷静に順路をなぞった。
それでも、どこにもない。
見逃した?
そんなはずない。
あれだけ目を凝らして、隅々まで探したのに。
「……なんで」
声に出すと、余計に不安が膨らむ。
どうして、ないの。
どうして、あんな大事なものが。
きっと、魔物だ。
魔物が握って、次の階層へ持っていったんだ。
そうに決まってる。
そう思わないと、胸の奥がざわざわして落ち着かない。
取り戻さなきゃ。
頭の中で、その言葉がぐるぐる回る。
――大切なものは、きちんとしまっておきなさい。
姉様の声が、やけに鮮明に思い出された。
何度も言われた。
怒られたことも、一度や二度じゃない。
ああ、こんなこと知られたら、きっとまた怒られる。
でも。
あれがないと、私の冒険は始まらない。
ただの杖じゃない。
魔法を使うための道具以上のもの。
私が、魔法使いだって証明するもの。
それを失くしたまま、冒険者を名乗るなんて――。
「……探さなきゃ」
小さく呟く。
その間にも、何人かが声をかけてきた。
「一緒に組まないか?」
「試験、すごかったな」
「Dランクだけど、どうだ?」
冒険者証を受け取ったばかりの人たち。
中には、私の試験を見ていたらしい、少し年上の冒険者もいた。
正直、少しだけ誇らしかった。
でも。
「ごめんなさい」
私は、首を横に振った。
「今は、私用があって……。ほかに、やらなきゃいけないことがあるんです」
自分でも、素っ気ない言い方だったと思う。
相手がどう思ったかは、考えないようにした。
今はそれどころじゃない。
――私には、やることがある。
「リュシア?」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
そこにいたのは、ミアレだった。
弓を背負い、いつもの明るい笑顔。
でも、少しだけ拗ねたような表情も混じっている。
「上のランクの人にも誘われてたでしょ?先に組まれちゃうかと思って、ちょっと焦っちゃったんだけど…」
「……ごめん」
思わず謝ってしまう。
「パーティーは、今は無理です。どうしても、しなくちゃいけないことがあって」
「え?」
彼女は目を丸くする。
「えええ!? 私、そのつもりだったのに!?」
そう言いながら、遠慮なく隣に腰を下ろしてきた。
距離が、近い。
こそこそと、内緒話をするみたいに、手を添えて囁く。
「それってさ、私に手伝えることだったりしない?
で、その用事が終わったら――私と組も?」
胸の奥が、きゅっと締まる。
一人でやらなきゃ、って思ってた。
私の問題だから、私だけで解決しなきゃって。
でも。
「……いいの?」
そう聞いた瞬間、自分でも驚いた。
「もちろん」
ミアレは、迷いなく笑った。
「交渉成立、でしょ?」
その笑顔を見て、胸の中の重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
――大丈夫。
きっと、うまくいく。
杖も、取り戻せる。
冒険も、ここからちゃんと始まるかもしれない。
ただ、少しだけ前を向けた気がして。
私は、長椅子から立ち上がった。
───
ピジュン。
風を切り裂く、鋭い音。
視線を向けるよりも早く、矢は一直線に飛び――
トスッ。
鈍い感触とともに、森オオカミの後脚に深く突き刺さった。
「当たった!」
ミアレの声が弾む。
突然の痛みに悲鳴を上げたオオカミは、体勢を崩して地面を転げ回る。周囲を囲んでいた仲間たちは、一瞬だけこちらを振り返り、次の瞬間には一斉に森の奥へと散っていった。
逃げる音が、枝葉を揺らしながら遠ざかっていく。
……行った。
私は胸の奥に溜めていた息を、ようやく吐き出した。
こんなことになっている理由を、頭の片隅で思い出す。
本当は――
私は、杖を探さなくちゃいけない。
それなのに。
今は、そのことを考える余裕すらなかった。
手の中にある、木製の長杖をぎゅっと握りしめる。
これは仮の物だ。私のものじゃない。それでも、今の私には必要な拠り所だった。
そう、ギルドを出てから。
私が事情を話したあと、ミアレが少し言いづらそうに切り出したのだ。
――実は、依頼を一つ受けちゃってて。
「……え?」
正直、その時は騙されたと思った。
森オオカミ六頭の討伐。
家畜被害が出ているための依頼。
報酬は、銀貨五枚。
聞いた瞬間、胸の奥がもやっとした。
私は今、そんなことをしている場合じゃないのに。
でも。
森に足を踏み入れてからは、不思議とその気持ちは薄れていた。
ミアレが、ずっと声をかけてくれるから。
「今の狙い、すごくよかったよ」
「さっきの判断、正解だったと思う」
一つ一つは小さな言葉なのに、それが積み重なるたび、胸の奥が温かくなる。
だから、囲まれた時。
咄嗟に放ったウインドブラストが、森オオカミの一体を文字通り吹き飛ばしてしまった時も――
自分でも驚くほど、躊躇はなかった。
爆風に巻き込まれ、肉片となった仲間を見て、オオカミたちは一目散に逃げ出した。
そして、今に至る。
倒れている一匹のオオカミを前に、ミアレは弓を引き絞る。
狙いは喉元。
迷いのない射撃。
矢が放たれ、短い唸り声が一度だけ響き――それで終わった。
森は、静かになった。
「これで四匹目だね」
ミアレは弓を下ろし、逃げていった方向を確認してから振り返る。
「さすがにもう、追っては来ないと思う」
そう言って、ほっとしたように微笑んだ。
私は、ようやく緊張が解けた気がした。
「もう……すごかったよ。まさか、オオカミを木っ端微塵にしちゃうなんて」
くすっと、ミアレが笑う。
「ご、ごめん……!
あんなつもりじゃないのに」
張り切りすぎた、というより。
……きっと、見せたかったのだと思う。
ミアレは慣れた手つきでナイフを取り出し、オオカミの尾を切り取る。
それが、討伐の証。
六本集めてギルドに提出すれば、依頼達成になる。
講習で学んだ内容が、頭の中でよみがえる。
――魔物の体内には魔石がある。
――回収すれば、追加報酬が出る。
「……これが、冒険者なんだ」
思わず、口をついて出た。
私は杖の先をオオカミの体にそっと当て、魔力の反応を探る。
微かな違和感。けれど、はっきりとは分からない。
「……たぶん、この辺」
自信なさげに言うと、ミアレは迷いなくナイフを入れた。
返り血を避け、指先で小さな石を取り出す。
「四つめ!」
嬉しそうな声。
その表情を見て、私までつられて笑ってしまった。
皮も、肉も、無駄にはしない。
そう言いながら、手際よく処理を進めるミアレを見て、私はただ感心するばかりだった。
それから、残りの二頭も。
森を回り、気配を読み、隠れながら近づいて。
一体ずつ、確実に仕留めた。
気づけば、太陽は西へ傾き、木々の影が長く伸びていた。
疲れているはずなのに、不思議と心は軽かった。
杖は、まだ見つかっていない。
問題は、何一つ解決していない。
それでも。
――私は今、冒険の中にいる。
ミアレと二人で。
残り2匹の尻尾も剥ぎ取った。
その事実だけが、確かに胸の中に残っていた。
依頼を終わらせてしばらくして森を抜け、私たちはダンジョンの前に立った。
ここだ。
この入口は、前に見たときと何も変わらない。
薄暗く、ひんやりとした空気が、奥から静かに流れ出している。
「……ここが、杖を無くしたダンジョン?」
森オオカミの素材を詰め込んだ荷を背負ったミアレが、確認するように聞いてくる。
「うん」
短く答える。
ミアレは、どうやらダンジョンは初めてみたいだった。
かくいう私も、ほんの数日前に入ったのが初めてだったけれど。
森オオカミも簡単に倒せた。
そんなゴブリン程度の弱い魔物に苦戦なんて、するわけがない。
前のときは、たまたまああなっただけ。
油断しただけ。準備が足りなかっただけ。
平気だ。
私の魔法で木っ端微塵にして、他のゴブリンを怖がらせればいい。
ミアレの弓だって、百発百中。
一歩、踏み出そうとした――その時。
ダンジョンの奥から、足音が聞こえた。
それに、複数の人の声。
「……誰か、いるみたい」
ミアレが小さく呟く。
やがて姿を現したのは、三人組の冒険者だった。
男一人、女二人。
二人は剣を携え、残りの一人は杖を持っている。
男がこちらに気づき、軽く手を上げた。
「よぉ。残念だったな。ここにはもう、何もいねぇよ。一足遅かったな」
そう言って、ロングソードを鞘に納める。
「あ、試験の子だよ」
魔法使いのお姉さんが、私を指差した。
二人が「ああ」と声を揃えて頷く。
胸が、ドキンと跳ねた。
緊張と、少しの嬉しさ。
思わず背筋を伸ばし、手の中の杖をぎゅっと握りしめる。
「俺も誘おうと思ったんだけどさ。報酬をこれ以上分割するの、正直キツくてな」
リーダーらしいそのお兄さんは、肩をすくめてため息をついた。
「私が、もっと強い魔法使えたらね〜」
「そんなこと、言ってないだろ」
「え〜? そんなふうに聞こえましたけど〜?」
魔法使いのお姉さんが、冗談めかして誂(からか)う。
剣を携えたもう一人のお姉さんが、二人を見てから、私たちに向き直った。
「……コホン。というわけで、このダンジョンは空っぽよ。入るだけ、損だから」
「え……?」
胸の奥を、不安がよぎる。
ミアレが一歩前に出た。
「このダンジョンで、杖とか見てませんか?
私の友達が、このダンジョンで杖を無くしちゃって……」
三人は顔を見合わせ、思い当たることを探すように視線を泳がせる。
「杖、か……」
お兄さんが呟くと、魔法使いのお姉さんが、恐る恐る口を開いた。
「この間、騒ぎになってた……えっと。
大金貨2枚のやつって、どんなのだったっけ?」
それを聞いて、残りの二人が答える。
「杖じゃなかったかしら?」
「そうそう。近場のダンジョンから見つかったって話でさ。俺たちも便乗したんだけど、さっぱりだったなぁ」
「お零れなんて、うまい話、ないわよね」
その言葉を聞いて、ミアレは一礼した。
「……お話、ありがとうございました」
三人はそれ以上何も言わず、森の方へ去っていった。
残されたのは、ダンジョンの前の静けさと、胸に残る違和感。
ミアレは、少し深刻そうな顔で考え込んでいる。
なぜ、そんな表情をしているのか。
私には、分からなかった。
このダンジョンに、私の杖があった。
それは、確かだ。
「リュシアちゃん」
名前を呼ばれる。
「……あのね。とても言いにくいんだけど」
一拍、間があった。
「たぶん、気づいてなさそうだから……言うね」
胸が、嫌な予感で締め付けられる。
「リュシアちゃんの身に付けてるものって、他の人より、ちゃんとした装備だと思うの」
え?
「みんな、お古とか、お下がりとか、廉価品を使ってる。でも、リュシアちゃんの装備は新品で、綻び一つなくて……ナイフの鞘にも紋様があって、ポーチもそう」
何の話をしているのか、分からなかった。
みんな冒険者の格好をしている。
私も、その一人だ。
同じように装備を身につけて、同じ場所に立っているのに。
ミアレは、静かに続ける。
「だからね……杖だけ。杖だけが、少し浮いて見えるの」
息が、止まる。
「さっきの大金貨2枚の話が、もし杖のことだったとしたら……」
一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せて。
「リュシアちゃんの杖は、誰かに拾われて……その……言いにくいんだけど」
そして、はっきりと。
「売られちゃった、かもしれない」
「……え?」
声が、掠れる。
「どういう、こと……?」
頭が、うまく追いつかない。
私の杖は。
私が、魔法使いだって証明するものは。
――最初から。
この世界では、それは価値ある物だった。
私は、冒険者を知らなかった。