風の氏族の末娘は、冒険者を知らない   作:ほてぽて

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28話前編 格を示す場所

 

 

 扉を押し開け、外へ出た。

 

 石造りの通路。人気はない。

 けれど、静寂ではなかった。

 

 ずっと奥の方から、熱のようなざわめきが流れ込んでくる。

 

 歓声。期待。興奮。

 人の熱気だけが、壁の向こうから滲み出していた。

 

 一歩、また一歩。その音へ向かって歩く。

 

 落ち着かせるように前髪をかき上げ、こめかみを指でなぞる。流した髪を耳へ掛けた。

 

 ふわりと、自分の匂いがした。

 古い布の匂い。埃。そして、微かに焦げた魔力の残り香。

 

 自然と視線が落ちる。

 左手に握った短杖。擦れた木肌。削れた持ち手。

 

 見栄えなんてしない。

 肩を揺らすようにローブを払う。帽子についた埃がぱらりと落ちた。

 

 そして、光の差し込む出口へ足を踏み出す。

 

 ――瞬間。

 

「ワァアアアアアアアッ!!」

 

 歓声が叩きつけられた。

 空気が震える。

 

 曇天。分厚い雲。

 

 空は灰色なのに、熱だけがそこにあった。

 

 円形の広場。砂の敷き詰められた演武場。階段状に囲む観客席。

 

 そこを埋め尽くす人、人、人。

 

 さらに上段。ひときわ豪奢な席。

 国の重鎮たち。氏族。王家関係者。軍関係者。

 

 見られている。

 いつ見ても、気味が悪い。

 視線というものは、どうしてこうも粘つくのだろう。

 

 ゆっくりと正面を見る。

 

 そこに、一人の男が立っていた。

 

 赤髪。

 

 宮廷より支給された赤黒いローブ。装飾杖。胸元の紋章。

 

 火の氏族、宮廷魔術師。

 ヴァルドリック。

 

 視線が合う。

 

 その瞬間だった。

 拡声魔術で増幅された声が、演武場全体へ響き渡る。

 

「これより、式典の余興として――宮廷魔術師同士による魔導演武を執り行います!」

 

 歓声。

 

「宮廷魔術師、セレナ様!」

 

 さらに歓声。

 

「宮廷魔術師、ヴァルドリック様!」

 

 拍手。

 

「御二方、準備はよろしいですね?」

 

 形式的な確認。

 

 別に答える必要もない。

 こういうものは、最初から始まっている。

 

 表向きは国の安寧を祝う式典。

 

 だが実際は違う。

 

 派閥争い。牽制。品定め。王家への誇示。

 誰が有能か。誰が使えるか。誰が上か。

 

 その確認作業。

 

「銅鑼を!」

 

 ――ガァァァン。

 

 重たい金属音が広場を震わせた。

 

 開始の合図。

 私は軽く杖を持ち上げる。

 

 相手も同じように杖を傾けた。

 

 一礼。

 

 魔術学院で嫌というほど叩き込まれる礼儀作法。

 

 礼儀、格式、作法。

 そういうものを学院では美しく教える。

 

 魔術師は高貴であれ。優雅であれ。誇り高くあれ。

 

 だが、こんなものは最初だけだ。

 始まってしまえば、礼儀など消え、最後に残るのは、火力と反応速度だけだ。

 

 どれだけ美辞麗句を並べても、人は死ぬ時は醜い。

 

 だから、この手の演武は嫌いだった。

 皆、戦いを知らない顔で拍手をする。

 

 距離がある。

 会話もない。

 

 やることは単純だった。

 

 ――先に見せた方が勝つ。

 ヴァルドリックの杖が振られる。

 

 次の瞬間、火が噴き上がった。

 

 巨大な火球。

 

 空気を焦がしながら一直線に迫る。

 

 大きい。

 人一人、簡単に飲み込める規模。

 

 歓声が上がる。

 

 私は杖を軽く振った。

 

「押せ」

 

 風が巻き起こる。

 爆ぜるような衝突音。

 

 ボォン――ッ!!

 

 火球と暴風が正面から噛み合う。

 

 熱風。逆巻く圧力。

 

 髪とローブが激しく揺れる。帽子を押さえる。

 火球が押し潰され、弾け飛ぶ。

 

「ストームシフト」

 

 巻き散った火の破片を、風で巻き上げる。

 

 火種が空へ吸い込まれる。

 

「散れ」

 

 パァァン――。

 上空で火が炸裂した。

 

 赤。橙。金。

 

 花火のように散る炎。

 そして、儚く消える。

 

 観客席から感嘆が漏れた。

 

「おぉ……」

 

 綺麗。

 なんて、皮肉な芸なのかしら。

 

 人を焼く力を、美しいと言って見上げる。

 

 視線を戻す。

 ヴァルドリックがこちらを睨んでいた。

 

 なるほど。

 

 やっと理解した顔。

 試せる相手だと認識したのだろう。

 

 ……いいよ。

 

 付き合ってあげる。

 

 少なくとも、退屈な余興よりはマシだ。

 

 再び、火が踊る。

 赤い炎。橙の炎。青白い炎。

 

 複数の火球が円を描きながら宙を巡る。

 

 火球は必要以上に大きく、必要以上に鮮やかだった。

 

 観客席の方へ熱が流れるよう、わざと軌道を調整している。

 

 歓声が上がるたび、炎はさらに派手になる。

 

 ああ。

 見せている。

 

 戦うためではない。

 拍手を貰うための火だ。

 王侯貴族は、ああいうものを好む。

 

 舞台装飾のようだった。

 

 杖を優雅に回す仕草。

 

 見せる魔術。

 まるで言っている。

 

 ――どうだ、美しいだろう、と。

 

 火が地面を這う。

 

 私を囲む。

 

 円環。

 

 逃げ場を潰す炎の檻。

 近距離へ持ち込むつもりらしい。

 

 距離があれば反応される。

 ならば反応できない距離まで踏み込む。

 

 単純な話。

 

 ヴァルドリックが口を開く。

 

「魔法とは、本来こういうものだ」

 

 周囲に聞かせる声。

 

「人を魅せ、畏れられる力」

 

 火が揺れる。

 

「それに比べ、風魔法だと?」

 

 嘲笑が混じる。

 

「宴会芸にもならん。煙すら残らない」

 

 歓声が静まる。

 観客が言葉を待っている。

 

「風魔法が宮廷魔術師とはな」

 

 沈黙。

 

 露骨な挑発。

 私は、しばらく彼を見つめた。

 

 風は残らない。

 

 火みたいに焦げ跡もない。雷みたいに音もない。

 

 見えない。

 だから、人は軽く見る。

 

 けれど。

 見えないということは、理解した時には遅いということでもある。

 

 風は、人を吹き飛ばす。息を奪う。骨を折る。

 

 ただ、それだけ、そこに美しさなんて要らない。

 

 そして。

 ほんの少しだけ首を傾げる。

 

「……そう?」

 

 静かに、そう返した。

 

 場の空気が変わっていく。

 

 目に見えるほどではない。けれど確かに、この闘技場の中心は彼へと傾き始めていた。

 

 熱。

 漂う火球。

 地面を走る残火。

 

 逃げ場を塞ぐように広がる炎。

 

 彼が立っているだけで、この空間そのものが彼に都合よく組み替えられていく。

 

 ――制圧。

 

 盤面を作る魔術師。

 そういう類だ。

 

 大方の魔法使いなら、ここまで整えられた時点で終わる。

 

 炎に囲まれ、動線を制限され、距離を支配される。

 

 あとは追い込まれるだけ。

 

 だから普通は、ここまで組み上がる前に崩す。

 牽制。妨害。詠唱阻害。

 

 相手に盤面を作らせない。

 

 魔術戦の基本。

 

 じわり、と頬を撫でる熱。

 気温そのものが上がっている。

 

 観客席から歓声が響く。火は人を興奮させる。派手で、分かりやすく、美しい。

 

 ……本当に、趣味が悪い。

 

 セレナは背後を横目で見る。

 

 揺らめく炎の壁。

 杖を軽く振る。

 

 風が流れる。

 ボゥ、と火が散る。

 

 炎の壁が一瞬だけ崩れ、熱が逃げた。

 だが、すぐに繋がる。

 

 火は再び輪郭を取り戻し、逃げ場のないリングを形成した。

 

 なるほど。

 

 範囲維持。

 制御は持続と包囲に寄っている。

 

「おいおい、余所見してんなぁ!」

 

 男の声。

 同時に、周囲を漂っていた火球が動き出す。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 途中で数えるのが面倒になった。

 

 セレナは杖を向ける。

 

「──逸らせ」

 

 風が走る。

 ウインドフロウ。

 

 迫る火球に風が触れた瞬間、軌道が僅かに歪む。

 

 ボォオオンッ!!

 地面へ逸れた火球が炸裂する。

 

 砂が舞い、熱風が広がり、火の粉が散る。

 

 一発。

 

 二発。

 

 三発。

 

 次々と地面へ叩き落される。

 

 砂地に残火が燃え広がる。

 

 歓声が上がる。

 炎が弾けるたび、貴族席の方から拍手が混じる。

 

 セレナはその様子を静かに見ていた。

 

 ……粗い。

 

 方向制御が甘い。

 威力は悪くない。

 

 だが、先程の火球も風圧だけで不安定化していた。

 

 打ち勝つ火ではない。

 押し切るための火でもない。

 

 相手を動かすための火。

 追い込むための火。

 

 だが。

 詠唱速度は速い。

 放った直後には次の魔術を構築している。

 

 視線も切らない。

 本来なら息をつく暇すら与えない。

 

 そして。

 セレナの視線が地面へ落ちる。

 

 燃え残り。

 散った火。

 リング状の炎。

 

 詰められた距離。

 逃げ道。

 

 ……ああ。

 なんとなく見えた。

 

 これは、狩りだ。

 

 囲い込み。

 逃走阻止。

 

 狼の群れが獲物を追い立てる構図と同じ。

 制御精度が多少粗くてもいい。

 

 逃げ場を消し続ければ、人は勝手に追い詰められる。

 

 その一点に特化している。

 相手が自分でなければ、成立していただろう。

 

 視線を上げる。

 

 彼は既に次を完成させていた。

 

 無数の火。

 細い針。

 

 赤熱する線。

 一点貫通。

 密度制御。

 

 あれは当たれば刺さる。

 ただでは済まない。

 

 セレナは小さく息を吐いた。

 

「逃げられねぇぞ!」

 

 火の針が、一斉に放たれる。

 

 雨のように、殺到する。

 

 ──けれど。

 

「……?」

 

 正面だけ?

 違和感。

 

 ここまで積み上げて、それだけ?

 そんな単純な話ではない。

 

 セレナは何も言わず、杖を振り上げた。

 

「ウインドシア」

 

 風が広がる。

 迫る火針が直前で軌道を変える。

 

 空へ。

 上へ。

 

 流される。

 

 その瞬間だった。

 

 時間が緩やかになる。

 

 側面。

 

 火の壁。

 

 風の流れに、違和感。

 

 視線がゆっくり動く。

 

 炎の壁が膨らむ。

 

 せり出す。

 

 形を持つ。

 

 巨大な熱量。

 

 火球。

 

 隠していた本命。

 

「ああ」

 

 思わず、小さく呟く。

 

 なるほど。

 

 予想通り。

 

 火針で正面に意識を向けさせ、側面から押し潰す。

 

 悪くない。

 

 もし。

 

 あれがリュシアのウインドブラストなら、危なかった。

 

 反応が遅れていただろう。

 

 けれど。

 これは火だ。

 

 見える。

 流れる。

 読める。

 

 杖を握る腕を横へ払う。

 

 風。

 流れ。

 

 巨大火球の進行方向が歪む。

 

 そのまま。

 

 返る。

 

「なっ──!?」

 

 ヴァルドリックの顔色が変わる。

 

 直後。

 

 ボォオオオオンッ!!

 

 巨大な火球が彼の眼前で炸裂した。

 

 爆風。

 熱風。

 歓声。

 悲鳴。

 

 揺れる炎。

 吹き荒れる風。

 

 その様子を静かに帽子を押さえて眺めた。

 

 なんて、退屈な余興。

 そう思った。

 

 爆ぜた火球の余韻が、闘技場に残っていた。

 

 熱。

 

 焼けた砂の匂い。

 飛び散った火花が、黒煙の中で赤く明滅している。

 

 爆発の衝撃で舞い上がった砂塵が、薄く空気を濁らせていた。

 

 周囲ではまだ火が燃えている。

 

 地面に散った残火が風に揺れ、小さく音を立てる。

 

 ……本来、この場は勝敗を決める場所ではない。

 

 王家へ向けた演武。

 

 形式。

 見せるための魔術。

 互いの技量を示し合うだけの場。

 

 けれど。

 

 手練と対峙した時、人はどうしても確かめたくなる。

 

 どこまで通じるのか。

 どこまで届くのか。

 そして――どちらが上なのかを。

 

 私は手袋の裾を軽く引いた。

 白い布地を整えながら、指先の感覚を確かめる。

 

 熱はない。

 痺れもない。

 

 もう片方も同じように直し、ゆっくりと手を開閉する。

 

 それから杖を握った。

 

 視線を前へ向ける。

 

 瞬間。

 黒煙の奥から火球が飛んだ。

 

 速い。

 

 だが単調。

 

 杖を払う。

 風が流れ、火球の軌道が逸れる。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 連続。

 けれど規則性がある。

 

 杖で弾くように風を当て続ける。

 

 逸れた火球は地面へ着弾し、砂利を抉って火を散らした。

 

 単純な速射。

 威力より速度を優先した牽制。

 

 芸はない。

 だが、こういう単純な術ほど狙いが見えやすい。

 

 視線を誘導するため。

 考える時間を削るため。

 

 つまり――本命は別。

 

 黒煙。

 あの中で何かを組み立てている。

 

 なら、そろそろ。

 

 火球を捌いている最中、不意に地面へ視線が落ちた。

 

 火。

 

 地を這うように赤い線が走る。

 

 先ほどの火壁と同じ術式。

 けれど速度は遅い。

 

 むしろ露骨なほどに。

 真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 

 火球を逸らす。

 

 一歩横へ動けば避けられる。

 

 簡単な処理。

 

 簡単すぎる。

 

 ……誘導。

 そう思った。

 

 火走りへ注意を向けさせ、その隙を狙う。

 視線を戻す。

 

 正面。

 

 迫る火球。

 

 少し大きい。

 けれど、それだけ。

 

 ――違う。

 

 勘だった。

 

 説明のつかない違和感。

 

 火走りを避けるついでに半歩ずれる。

 

 同時に、風を流した。

 火球の進行を加速させるように。

 

 そして。

 

 すれ違う、その瞬間。

 

 私は火球を見た。

 鮮やかだった。

 

 まるで硝子細工みたいに、歪に煌めいている。

 

 次の瞬間。

 

 ボォオオン――!!

 

 爆音。

 

 火炎が膨れ上がる。

 

 爆ぜた熱風が正面から押し寄せる。

 

 ローブの裾が揺れ、帽子が浮き上がりかける。

 けれど、その流れだけが不自然に裂けた。

 

 正面から叩きつけるはずの爆風が、彼女の身体を避けるように左右へ流れていく。

 足元の砂だけが薄く舞い、熱は後方へ抜けていった。

 

 熱風が闘技場を揺らし、観客席から歓声が沸き起こった。

 

「おおおおっ!!」

「決まったか!?」

「今のは入っただろ!」

 

 歓声が上がる。

 期待。

 誰もが爆炎を見つめる。

 

 けれど、その声のほとんどは爆発の派手さへ向けられたものだった。

 

 今の一瞬で何が起きたのか。

 

 どちらが誘導し、どちらが読み切ったのか。

 理解できている者は、この場にはほとんどいない。

 

 その中心。

 黒煙がゆっくりと漂う。

 

 そこへ風が生まれた。

 渦を巻くように煙が裂け、押し流され、視界が開く。

 

 私はそこに立っていた。

 

 帽子を片手で押さえながら。

 

 爆発の至近距離。

 にも関わらず、ローブの乱れさえ少ない。

 

 静寂。

 

 ヴァルドリックがこちらを見る。

 

 彼の周囲には既に次の火球が浮かんでいた。

 

 焦り。

 熱。

 闘争心。

 

 それらを隠しきれない目。

 

 私は頬についた土埃を指で払った。

 

「今のが駄目なのかよ」

 

 黒煙の奥。

 

 火の揺らぎの中で、彼の口元が吊り上がっていた。

 

 悔しさではない。

 怒りでもない。

 

 獲物を見つけた獣みたいな笑い方だった。

 

 目が熱を帯びている。

 

 宮廷魔術師としてではなく、一人の魔法使いとして高揚しているのが分かった。

 

 その顔を見て、理解する。

 

 ……本命は正面だった。

 芸を捨てた。

 魅せるためではなく、勝つための魔法。

 

 焦っている。

 手札が減ってきている。

 

 それでも押し切ろうとしている。

 

 私は小さく息を吐いた。

 

「風魔法相手に爆風は、ないんじゃない?」

 

 淡々と告げる。

 

「それとも、効くと思ったの?」

 

 ヴァルドリックは口元を歪めた。

 

 怒ってはいない。

 むしろ、満足そうだった。

 

「いーや」

 

 杖を構えたまま、彼は笑う。

 

「やっと一歩、動いてくれたな」

 

 その言葉と共に。

 

 周囲の火が、わずかに揺れた。

 

 

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